49. 壁ドン
峠道の途中に建つ、古き良き対称構造の洋館。
角に小塔が立つ堂々とした正面は、見る者に領主の権力の大きさを知らせる。
今ではちょっと広い事務所だが。
館の前庭では小さな草花が茂り、陶器のノームの置物が並んでいた。
真っ赤なとんがり帽子を被り、満面の笑みを浮かべるノームの手には、エーデルワイスの鉢植えが載せられている。
今はエメットが庭の手入れをしてくれている。
地の精霊らしく庭仕事の腕は折り紙付きだった。
「落ち着く場所だね」
「えぇ」
ここだけが私に癒やしと安らぎを与えてくれる。
他者を招く時でも、それは変わらない。
「中も見ていっていいかい?」
「どうぞ。ご案内します」
私たちはエントランスに足を踏み入れた。
侵入者を眺め回す生きた絵画や動く彫像は取り払われたが、それでも内装の重厚感は損なわれていない。
正面は食堂に続いている。
客間は玄関から見て左。
右手には2階への階段。
手摺に蝙蝠を象った彫刻が規則正しく続き、来客を奥へと誘う。
アルヴィは食堂へと進み、燭台が並んだ新しい食卓の脇を歩いていった。
食卓の大きさに比べて小さなテーブルしか掛かっていない。
ミュスター観光騎士団のメンバーが増えれば、もっと大勢で食事をすることもあるだろう。
しかし、今はこれだけだ。
「これだけ広かったら、昔の貴族はさぞ賑やかに食事を楽しんだんだろうね」
遠い昔、私と食卓を囲むのは死体だけだった。
見せかけだけの饗宴。
「今でも誰か食事を?」
「たまに。観光案内所にいる3名だけですけどね」
食卓の価値は人数では測れない。
たとえ3人きりでも、私にとっては比べようがないほど幸せな食卓だった。
「君と、リーズと、それとエメットだね。折角だから、今夜はここで食事がしたいなぁ」
何を図々しいことを。
それにしても、彼は一体何者なんだろう。
「2階はどうなってるんだろう」
「洋室ですけど、見ていきますか?」
「頼むよ」
2階には私の寝室もあったが、今では大半が物置だった。
客人を迎える準備はない。
見るべきものはなかった。
寝具を見たいなら家具店に行けばいい。
「君くらい可愛いと、観光案内以外でも声をかけられるんじゃない?」
廊下に立つアルヴィはアンニュイな表情を浮かべている。
どういう意味で言っているのだろうか。
「そんなことありませんよ」
「本当さ。まさか自覚がない?」
「お上手ですね」
「つれないなぁ」
アルヴィは私の前で立ち止まると、ゆっくりと私に近づいてきた。
「ちょ、ちょっと……」
私はそのまま壁際に追い込まれる。
何をする気だ。
アルヴィは壁に手をついた。
これが漫画で読んだ壁ドンってやつだろうか。
待て。
つまり、そういうシチュエーションということか?
「リーズ以外には、こんなことはしないんだけどね」
しかし、この程度のことでしおらしくなる私ではない。
こういう時は相手の意表を突く。
「それはこちらの台詞です」
「え?」
私はアルヴィに抱きついた。
シトラスの香水が鼻孔をくすぐる。
「どうしたの、いきなり」
「こういうのがお望みかと」
「急過ぎない?」
アルヴィは壁から手を離し、呆れたように鼻で笑った。
「可愛いだけじゃなくて、面白い。君は……素敵だ」
「それはどうも」
リーズ様にも壁ドンしているという事実に、私の胸中は穏やかではなかった。
このエルフのプレイボーイは何を企んでいるのだろう。
その時だった。
階下から物音が聞こえた。




