35. 日本人観光客
今更だがミュスターは秘境扱いされるだけあって、交通の便が良くない。
私たちはレンタカーを借り、途中で休憩を挟みながら3時間かけてヴァデュッツに向かった。
日本でいえば、新幹線で東京から大阪を経由して三重に行くくらいの感覚だろう。
日帰りにするか宿泊するか、微妙に迷うラインである。
私たちは観光客の予定に合わせてヴァデュッツを観光した後に、ディヴォウズの北東8kmにある都市クロスタ=セルナに向かう予定になっている。
クロスタ=セルナはディヴォウズと観光マーケティング提携を結んでおり、やはりここも山岳リゾートである。
私たちが観光案内所を空けている間、ウルリカが観光客を案内してくれることになった。
ウルリカは礼節を弁えていたが、度が過ぎているようにも思えた。
ガイド料は私たちだけで折半していいし、自分は仲介手数料も要らないというのだ。
戦争の時代には、聖職者は兵士を鼓舞し、その命を戦場に散らせる大役だった。
今では信徒に寄り添い、その精神の平穏に寄与するのが仕事なのだという。
それが泰平の時代における聖職者の役目であるならば。
彼女の仕事を果たさせるため、ガイドに努めるのが私たちの役目だろう。
ヴァデュッツの中心部にあるライステイナム州観光局の前で、私たちは日本人観光客を待った。
ゴブリンの伯爵が治める土地だけあって、通りには背の低いゴブリンの姿が目立つ。
洒落っ気の無い正装を着て外出するゴブリンたちの中で、場違いにも見えるカジュアルな服装の女性が2人。
リーズ様が掲げているミュスター観光騎士団の小旗を指差しながら近づいてくる。
「あー! いたいた! あそこあそこ!」
「すいませーん! 遅くなっちゃいました」
現れたのは、グラデーションのかかった妙にフワフワのセミロングと、蛇のような内巻きのミディアム・ボブの2人の女性だった。
ストレートのロングしかヘアスタイルを決めてこなかった私から見ると、彼女たちの髪は改造されたキメラにしか見えない。
「大丈夫です。私たちも来たばかりですから」
「すごーい! ちゃんと日本語が伝わるガイドさんで良かったー」
「本物の吸血鬼! 漫画みたい!」
海外で母国語が伝わるというのは、観光客を安心させるのに重要な要素だという。
しかし、魔族にとって日本語はそこまで特別な言語ではなかった。
日本とエルヴェツィア共和国は隣国なので日本語を学ぶ魔族もいる。
両国の距離は海を挟んで2000kmとはいえ、ハワイよりは近い。
それに、ODAの事業で日本から工事関係者の人間も多数やってくる。
必然的に日本語と触れ合う機会も多いのだ。
実際、売店のゴブリンも訛りはあるものの日本語を喋っている。
観光客は警戒してなかなか反応しないが、極めて友好的である。
「お二人のお名前は?」
セミロングが先に答える。
「私、仲町智世っていいます」
「私は戸塚紀子です」
私たちもそれぞれ自己紹介する。
「とりあえず観光局で行ってみたいところを見繕いましょうか」
「はい。お願いします!」
観光局の前には郵便局、両隣にはお土産屋がある。
お土産は荷物になるから後回しでいいだろう。
とりあえず無料で配布されている市内の地図を渡す。
ヴァデュッツは南北500m程度の長さの街である。
観光局の裏手にある小高い丘にはヴァデュッツ城がある。
今でも城内では伯爵が日常の執務を行っている。
「伯爵のお城だって。すごーい」
「今もあるんだねー。漫画みたい」
彼女たちの語彙力が心配になる。
油断するとこっちまで「すごーい」と「漫画みたい」に感染しかねない。
かくして私たちは日本人観光客にヴァデュッツを案内することになったのだった。




