32. 永夜の報い
私の前にチップの山が築かれる。
最後の最後で私たちは逆転した。
「やったな!」
「私たちの勝ちです」
「……そのようだな」
溜息のように、カルロフの口から灰色の靄が吐き出される。
エメットはあまりの展開に、放心したようにビールを片手に凍りついていた。
「今宵はなかなか楽しめたぞ。スピナーよ、もうよい。下がれ」
「ハ、ハイ……本日ハ、アリガトウゴザイマシタ」
カルロフからチップを受け取ると、ウィングスは小さく肩を震わせながら、深々とお辞儀をしてVIPルームを去っていった。
本当であれば、客であるカルロフを勝たせるべきだったのだが、熱くなり過ぎた。
イカサマについて喋って、これ以上、彼の面子を潰すのはまずいだろう。
「今宵の遊戯の代金はすべて我が持とう。それと約束通り、寄付金もやろう」
「お気遣い、ありがとうございます」
「後日振り込む。ただし、今後は寄付者として、おぬしたちの活動を見させてもらうぞ」
それが妥当なところだろう。
代わるようにカジノ従業員が現れ、この後の予定を聞いてきた。
「ホテルのスイート・ルームをご用意しておりますが、いかがでしょう」
これもVIP待遇の1つだった。
VIP会員にはカジノ持ちでホテルや送迎バス、レストランのサービスが付く。
「もう遅い。泊まっていくがよい」
「お言葉に甘えさせていただきます」
カジノを後にして、私たちはそれぞれスイート・ルームへと案内された。
私は広々としたスイート・ルームで、昼間に感じた胸騒ぎについて思い出そうとした。
その時、部屋の扉がノックされた。
扉を開けると、そこにはリーズ様が立っていた。
「どうなさったのですか」
「いや、礼を言おうと思ってな。夜のうちで悪いな」
「どうぞ、中に入ってください」
「ありがとう」
私とリーズ様は2人で柔らかなソファに座った。
距離が近づき、私は気恥ずかしくなった。
「本当に勝てるとは思っていなかった……。ルビー、もしかして最後に何か仕掛けたんじゃないか」
「リーズ様はなんでもお見通しですね」
「やはりか。しかし、君の機知が無ければ、私たちは終わりだった。本当にありがとう」
「身に余る光栄です」
「ところで、なんだか今日は元気がないように見えるんだが。何か心配事か」
「……いえ、そんな大したことでは」
私は慌てて首を振った。
「私は君の血の主だ。なんでも言ってくれ」
「……実は」
私はヴェッスファル山で聞いたカルロフの鐘の音について話した。
「私、思い出したんです。100年前、眠らされた時に、同じ鐘の音を聞いたんです」
「本当か」
「あの時、既に魔族と人間の戦いは終わり、世界は平和になっていました。つまり、私のような戦闘狂は必要とされなくなったんです」
私は人間が示した和平の条件――人間を多数殺戮した許すまじ魔族を封印すること――に則って、眠りにつくことになった。
その日、私の前に各魔族を代表する聖職者たちが現れた。
一人の若い竜人の主教が歩み出て、最後の言葉を述べた。
「おぬしは多くの善きことを為し、しかし僅かな悪しきことにより、眠りにつく。その眠りが安らかなることを願い、ここに我らの祈りを捧ぐ」
一人、また一人と鐘を取り出し、聖職者たちは祈りを捧げた。
その音色は川のせせらぎのように穏やかで、そしてあまりにも残酷だった。
「私はもう、魔族に、魔界にとって不要なのですか」
私が尋ねると、主教は答えた。
「平和は次の戦争までの布石に過ぎぬ。おぬしの眠りもまた戦争の幕間である」
主教は棺で横になった私の目元に手を置き、魔本の聖句を諳んじた。
「心せよ。汝は獲物を狩る。心せよ。汝は獲物の血に塗れる。心せよ。汝は戦場を処刑場に変える。心せよ。汝は数多の屍の上に立つ。心せよ。汝は勝利の美酒に酔う。心せよ。汝は――」
私は主教が言い終える前に眠りに落ちた。
その記憶は今でも朧げだったが、私の心に深く楔を打ち込んだ。
「不安なのか」
「平和なことは良いことです。でも、また私は不要になるのではないかと……」
「そんなことは絶対にない。君は、私にとって特別な存在になった。どうか私と一緒にいてほしい」
リーズ様が私の手を取る。
その温もりは優しく、氷のように冷え切った私の心を溶かしていく。
「ありがとうございます。私……私は変わりたいんです……」
「泣くな。今夜は一緒にいよう」
リーズ様は私を抱き寄せた。
そして、自分の指をそっと傷つけ、私の口元へと近づけた。
「リーズ様……」
「君は心配しなくていい。私が守る」
溢れた血が私の唇を濡らした。




