21. トラベルライター
開業一日目。
ミュスター観光騎士団の観光案内所は閑散としていた。
夏季は避暑地や保養地として、ミュスター近郊を訪れる観光客は少なくないはずだった。
しかし、多くの観光客は世界遺産であるセンフェス・イオシフ教会を目指すので、案内所に流れてくる人はいないようだった。
あまりにも暇なので、エメットは大人しくしていられなくなった。
そこで、私はエメットを連れて近所のパン屋まで買い出しに行くことになった。
外には明らかに観光客と思しき人間たちの姿があった。
通りの角に突き当たる度に右往左往しているので、すぐにそれと分かる。
集落と集落を繋ぐ中央通りはコンクリートで舗装されているが、脇に逸れると石畳が敷かれた風情あふれる通りに出る。
趣のある建物に囲まれた小さな通りを歩いているだけでも、観光客は満足するのかも知れない。
私たちは通りに並んだパン屋に入った。
店内はバターとクリームと人間の精気の良い香りがする。
「リーズ様にも何か買っていかないと」
「リーズさんって、甘いものが好きなんですよ。意外ですよね!」
そう言ってエメットは勝手に焼き菓子を注文していく。
財布の事情は厳しいが、リーズ様のためには仕方ない。
人間の精気が添加されたパンを人間も買っているが、元々人間の中にあるものなので彼らが食べても害はない。
私たちは観光客を横目に、パンと焼き菓子を買って案内所へ戻った。
「ただいま戻りました」
案内所の中に入ると、リーズ様の他に待合いスペースに人間がいた。
「戻ったか。待っていたぞ」
「人間おるやんけ!」
リーズ様の言葉を遮り、エメットは座っていた人間2人を指差して叫んだ。
「ちょっとエメットさん、言葉遣い!」
「どなたかおるやんけ!」
「中途半端!」
人間たちは私たちの登場に少々驚いたような表情を浮かべた。
先に対応していたリーズ様が、私たちが観光ガイドであることを説明すると、ひとまず納得してくれたようだった。
「ルビー。君もこちらの2人の話を聞いてくれないか」
「わかりました」
くたびれたポロシャツを着た中肉中背の中年男と、季節外れの黒スーツを着た美青年。
人間2人はエルヴェツィア大陸の西2000km、日本から来たトラベルライターだった。
「"あざみ野冒険社"っていう編集プロダクションの社員でして。旅行先の取材とか撮影とか、そういうのが仕事なんです」
なんだかありがちな社名だ。
眼鏡の中年男がぎこちない笑みを浮かべながら名刺を差し出す。
そこには"伊勢佐木 長司"という名前が書かれていた。
「こっちは私の部下の……」
「アドラシオン・バレンティンと申します」
日本人離れした名前に、白磁のような透明感のある肌、そして艷やかな黒髪と灰色の瞳。
「彼、在日4世で中身はすっかり日本人なんですよ。名前が長いから皆は塩原って呼ばせてもらってます」
「クウェイラでレンタカーを借りて、この辺りを回っていたんですが、車の調子が悪くなってしまいまして。ここの隣の自動車整備工場で車を見てもらっているうちに、どこか取材させていただこうという話になったんです。お邪魔でなければ、観光地を案内していただけませんか」
クウェイラはグリシュン州の州都だ。
クウェイラからミュスターまでは車で3時間近くかかる。
偶然でも折角来てくれたのだから、車の故障というハプニングを良い印象に変えなければならない。
かくしてミュスター観光騎士団最初の観光客が現れたのだった。




