2. 吸血鬼、誓いを立てる
私は今まさに、恋する一人の乙女になっている。
だが、乾いた口から辛うじて出てきたのは、恥じらいに満ちた告白ではなく、ただ助けを乞う言葉だけだった。
「血……を……」
「血?」
「飲ま……せて……」
女性の背から乗り出すように、もう一人が顔を覗かせた。
かなり小柄のようだ。
「リーズさん! この方、吸血鬼ですよ! 鋭い牙に、人形みたいに可愛くて、髪が白くて目が赤い吸血鬼!」
淡い亜麻色の髪を揺らしながら、後ろの女が鵞鳥のような声で喚いた。
「上位魔族の大半は隠れちゃってますからね。これはすごいですよ! 大々、大発見!」
「そんなにすごいのか。うわ、両方の穴から鼻血が出てる……」
「昔、うちの国がドワーフの国と戦争した時に、国内の吸血鬼は全滅しましたから。ぼんやり寝てたから助かったんですよ、この方。超幸運です!」
幸運と言いながら、小馬鹿にされている気がするのは何故だろう。
「エメットが言うんだから、そうなんだろうな」
「もっと驚いてくださいよ、リーズさん。この方を海外の動物園で……じゃなかった。研究機関で保護してもらえば、謝礼もガッポガッポですよ!」
「流石にそれは忍びない。倒れた者を売り飛ばすなんて」
「ちょっと、何のためにこんなボロ館に目をつけたんですか。こっちの生活かかってるんですよ」
「それはそうなんだが……。それより、血を欲しがっているようだ。あと、鼻血も止めてやらないと」
鼻血のことはいいから、血を恵んでほしい。
「そうですね! 今、思い出しました!」
「エメット、どうすればいい」
「血、あげればいいと思いますよ? あたしは吸血鬼に触れると発疹が出るので辞退しますね!」
「では、私の血を与えるしかないな」
発疹が出るとか絶対に嘘だから。
それ。
リーズと呼ばれた凛々しい女性は徐ろに短刀を取り出すと、自分の指先を傷つけた。
真紅の雫が指を滴る。
「痛そうですね。でも、それで吸血鬼さんは助かります。良かったですね!」
エメットと呼ばれた小柄な女の言葉を無視して、私は必死で舌を伸ばして血を舐め取った。
一滴一滴、血が流れ込み、喉の奥が熱く滾る。
「あ……ああ……」
あまりの美味に意図せず吐息が漏れた。
忘れかけていた血の味で、全身が沸き立つような悦びに満たされる。
エルフの血だ。
長命にして敬虔、そして優れた魔力の持ち主たち。
私はもう一度、リーズというエルフの顔を見た。
「ありがとうございます。……貴方は、我が血の主です」
私は綺麗に血を舐め尽くし、礼を述べた。
「血の主?」
リーズ"様"が首を傾げたので、私は言葉を補足した。
「吸血鬼は血を与えてくれた者に忠誠を誓うのです。貴方は私に血を与え、そして我が主となりました」
プライドの高い吸血鬼は他者に仕えることを良しとしない。
その唯一の例外。
それが"血の主"だった。
しかし、私は血の味に魅せられて誓いを立てたわけではなかった。
リーズ"様"と一緒にいたいから、その理由を自らの意志でつくったのだ。
私の心は今、リーズ"様"への熱い想いで満ち満ちている。
それは崇敬の念であり、恋慕の情であり、とにかく筆舌に尽くし難いものだ。
私は彼女の身体へと腕を伸ばした。
彼女の優しく穏やかな温もりを感じるために。
「これは、もしかして私に懐いたのか?」
リーズ"様"は戸惑いながらエメットに尋ねた。
「そのようですね。おめでとうございます!」
ただ懐いたわけではない。
私は彼女を命に代えても守り、その下命に忠実に従う。
それが血の主を持つ吸血鬼の使命なのだ。
「どうか私に命じてください。どんな事でもいたします」
「え? そうか……。とりあえず、手を離してくれないか」
「あ、はい」
「あとこれ。鼻血が出てるから」
「すいません。わざわざハンカチまで」
かくして私は彼女の下僕となった。