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吸血鬼さんのおもてなし ~ 旅と歴史とダンジョンと  作者: ミュスター観光騎士団
グリシュン州の秘境ミュスター郡
19/103

19. 中古

 館のバルコニーで、私はリーズ様と一緒にワイングラスを傾けていた。

 満月が煌々と辺りを照らす。


 地球の月は一つしかない。

 だから、人間は太陽と同じように月も神聖視しているのだろう。


 だが、その月光は魔族にとっても特別なものだった。

 月明かりの下では通常とは異なる活動に及ぶ魔族も多い。


 吸血鬼の場合、昼よりも夜のほうが活動は活発になる。

 それはつまり、気が大きくなるということでもあった。


「リーズ様、見ず知らずの私をこんなにお世話してくださって、本当に感謝しています」


 私はリーズ様に寄り添うように肩を近づけた。

 しかし、リーズ様は何気ない仕草で私を遠ざける。


「そんな大したことはしていないと思うが」


「いいえ。私一人では、この寄る辺なき厳しい現代を生きることはできなかったでしょう」


「そうか。役に立てて良かった」


 きっと、リーズ様はまだ酔い足りないのだ。

 今の私は自分の行動を抑制するだけの自制心を失っていた。


「リーズ様、グラスが空いています。どうぞ」


「悪いな」


 リーズ様の唇がグラスに触れる。

 その直前でリーズ様はグラスを下ろした。


「ルビー。君はエルヴェツィア大陸の、魔族の古い歴史を知っている。君だけが頼りなんだ」


「リーズ様のためなら、私にできることはなんでもいたします」


 今、地球を生きている魔族は人間との戦争を経験していない。

 それどころか、エルヴェツィア共和国が王国で、魔王が健在だった頃の知識すら覚束ないのだ。


 彼らにとって魔王は絶大な魔力を誇り、人間を支配下に収めた英雄ではなかった。

 人間を大量虐殺し、人間との友好の枷になり、処刑された悪魔でしかない。


 魔王という拠り所を失った魔族は、哀れなほど衰退した。

 彼らの大半は魔法もろくに使いこなせず、魔力も持て余している。


 上位魔族は密かに復権を狙っているらしいが、その計画も噂でしかない。

 この自虐的歴史観を単なる知識でしか知らないほうが、もしかすると幸せなのかも知れない。


「私たちのわがままに付き合ってくれて、ありがとう、ルビー」


「わがままなんて、そんなことありません。これも私の使命です」


 しかし、リーズ様の顔は浮かないままだった。

 その視線は遥か遠くの星々に向けられている。


「リーズ様、何か心配事でも……」


「分かるのか」


「思い悩んでいらっしゃるように見えました」


 リーズ様が私に振り向いた。


「実は」


「実は……?」


「資金が足りなくて愛車を手放した。しかし、5000万レウにしかならなかった」


 リーズ様の目から涙がこぼれた。


「1億レウで買ったのに……3万kmしか乗ってないのに……ローンも……」


「それは……残念ですね。心中お察しします」


 1億レウというと、ヨーロッパまでのビジネスクラスの往復直行便と同じくらいの値段だ。

 庶民がおいそれと手の出せる金額ではない。


 かくして私たちミュスター観光騎士団はリーズ様の愛車を犠牲にして開業するに至ったのである。

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