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なんとか着地したものの、アカムはバランスを崩して片膝をつき、血を吐いた。体を欠損した戦きに震えながら、必死に下腹に集中して力を生み出す。
吹き飛ばされて辿りついた場所は、背の高い樹々に囲まれた林だった。暗がりに長い塀と、うっそりと連なる建物が見える。灯りはわずかで人影は無い。
(学校か……?)
そこには学び舎の、あの独特の雰囲気があった。東京の一等地に、終わりの見えない塀と木々に囲まれて立つ古い校舎。長い歴史と伝統があるのだろう。
こういう環境で青春を過ごす若者たちがいるのか、と、こんな時にも関わらずアカムは思った。その子たちは、どんな家庭で育ち、どんな友達と遊ぶのだろう。裕福な家が必ずしも幸せでないことは知っているが、それでも、うりと、こんな学校に通う女の子とでは違いすぎる。
突然、校舎が爆発して、アカムのつかの間の思惟は終わった。巨大な火蜥蜴が粉塵を突き抜けてくる。アカムは地を蹴って、横っ跳びに跳んだ。咄嗟のことで、敷地の隅の古い平屋に突っ込んでしまう。
平屋はバラバラになり――だが、それが幸いした。崩れ落ちる木材が、アカムの姿を隠す。ラオオーメイ〈老峨眉〉は、風鳴りを引いて襲い来たが、その長大な武器は地面を削って平屋の破片を吹き飛ばしたのみだ。
丸見えになったアカムに向かって、凶刃が地面すれすれを奔る。アカムは前傾して両足を浮かせ、なんとか避けたが、そのまま倒れてしまった。刃が首を刈りにくる。
バリアーで、この刃は防げない。もう体も動かない。心臓が跳ね、全身からどっと冷や汗が吹き出す。
(うり、うり――)
「うり!」
す、と、アカムの中から自分が消えた。固い音が響き、武器が止まる。ラオオーメイの鼻先を黒い煙が昇っていく。アカムの頭頂にあらわれた角が武器を受け止めている。頭に巻きつくように生える角の下で、双眸が黄色い。
(小賢しいわ!)
ラオオーメイは武器を引くと、黒い長毛が生える額を狙って突いた。しかし、爪のある腕が武器の柄を掴み、またしても攻撃が止まる。
「ヴ……ヴヴ……」
アカムの口から唸りが漏れる。全身に剛毛が生え、首が、肩が、腕が、足が、めきめきと太くなる。ズシリ、と重い音が響き、アカムの――これはアカムなのか?――上半身が起き上がる。ふたたびの地響き――巨大な蹄が地面を踏む音だ。
(放せい!)
武器が動かないことに痺れを切らせ、ラオオーメイが火蜥蜴の足でアカムの腹を蹴った。アカムは武器を離して跳びすさった。
「ヴ……ゴア……」
ふたつに割れた蹄が大地を噛み、捻れた足が巨大な胴を支える。隆起した肩から伸びる腕は大人の腹ほどの太さがあり、同じ太さの前腕には固く緊張した筋肉が盛り上がる。服は裂けて跡形もない。
「ヴァアアアア!」
咆哮とともに頭頂部から闇があふれ、陽神と蓮の花が霧散。砂時計の形をした金色の瞳が光を放つ。闇が際限なく膨れあがり、黒い毛に覆われた山羊顔の大男の姿を隠した。
(バホメットとは――悪魔も広成子に由来するか)
火蜥蜴の赤黒い腹から女があらわれた。
(陰気に飲まれおって、まさに宝の持ち腐れよな)
ラオオーメイもまた闇を吹き出し、姿を隠す。
白金台の暗い森に2つの闇がわだかまる。遠くサイレンの音。空間は内在する確執を惹起されて落ち着かない。歪みが光を曲げ、風を起こす。丘の周囲は戦いの余波で振りまかれた破壊で死屍累々だ。
片方の闇が膨らみ、巨大な黒山羊・アカムが飛び出す。闇を引いてラオオーメイの黒煙へ向かい、右腕を振り下ろす。しかし――。
「!?」
なにもない。刹那、黒山羊の右腕が斜め上に跳ね上がる。ラオオーメイの女の部分が蛇のように巻きついて肘関節を極め、火蜥蜴の足が胴を絞めて、尻尾が足を刈る。
アカムは地面に仰向けに倒れ、その地面が内側から炸裂した。一瞬にして、直径200メートル、深さ30メートルの穴が穿たれ、白金の丘とそこに建つ聖心女子学院が吹き飛んだ。
黒々とした土砂が垂直に吹き上がって街に降り注ぐ。黒山羊と火蜥蜴が、絡まり合って土砂の中を落ちていく。
(平静は方術士一生の課題、動揺はサーヒラ(魔術士)初心の課題だ。来世で弟子にしてやろう)
ラオオーメイは、アカムの腕をへし折ってから、火蜥蜴の両腕で七剣大刀を心臓に突き下ろした。――瞬間、火蜥蜴の背中に短剣が深々と刺さった。七剣大刀の切っ先はすんでの所で心臓を逸れてアカムの右肩に突き立つ。そのまま、両者ともに地面に激突した。
火蜥蜴の右足首に白い触手が巻きついて、引き倒した。背中の短剣が抜けて空中で取って返し、仰向けのラオオーメイの心臓へ向かう。赤い女が素手で短剣を止めた。黒煙が短剣から伸びる鎖にからみつき、塵と化す。火蜥蜴は首の触手を掴んで引きはがし、振りまわした。触手はあっけなく抜けて、火蜥蜴の手に、だらりと下がった。
ラオオーメイは白くうねる烏賊の足を捨て、莫大な闇を全方位に放った。闇が遮られる場所が空中に1つ、地上に1つ。
火蜥蜴が跳躍し、空中の黒い革繋ぎの女の首根をとらえた。地面から現われて足に巻きついた触手を叩き切る。返す刀で放った陽気の投刃が地上の闇を払い、両腕のない白い女が青い血を吐いて倒れた。
ラオオーメイは、泡を吹いて痙攣している黒い革繋ぎの女を見て、言った。
「仇討ちか。その意気やよし。やはり貴様は感化しよう。――美しいしな」
そう言ったラオオーメイの頭上に網が広がり、黒い革繋ぎの女ごと飲み込んだ。




