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うりは痛みに似た倦怠感のなかで微睡んでいた。寒気と火照りが交互におとずれ、起きているのか眠っているのか、時間と空間の感覚が、ずいぶん前からない。時折、誰かが体に触れる。その感触が、うりを世界に引き留めている。
アカムだ! そう感じて目をひらくと、金髪碧眼の美人がのぞき込んでいる。うりがなにか言おうとすると、人差し指を唇に当ててウィンクした。
――どこまでも広がる沃野を高い塔から見下ろしている。午後の日を受けて銀色に輝く河が複雑にからまって三方に伸びる。左前方に山頂を神秘的な雲に覆われた、への字型の山が聳える。
誰かに声をかけられて振りむけば、優しそうな顔をした男性が息を切らせている。
赤い丘。胸の中のかすかな灯を意識しながら、けれど無表情に視線をもどす。ここはよく気が巡っているな、と思う。
遠い声を聞いて、うりは目を覚ました。
頬がぷくぷくと可愛い看護師が首の後ろに手を回して体を起こしてくれた。パジャマを脱がせて体を拭いてくれる。まわりに誰かいないか気になるけれど、視界はぼんやりしている。
壁に苺柄のパジャマがかかっている。どうして? ああ、わたしが頼んだんだっけ。
――もし、あの子が無事に産まれたなら、私は幸せな母親になれたろうか。それとも、私は拒否しただろうか。だから、あの子は真っ白で産まれたのだろうか。
無垢な魂よ、どうか安らかに。私は、とうに終焉を迎えているのだし、その氷の刃で媽妈々《マーマ》(お母さん)、私を終わらせて。
――この血は、もう止まらなくていい。痛みも、そのままでいい。これ以上、深く大きく傷つけられるものなら、やってみろ。貴様の念願を叶えてやろう。
陰気は迸り止まず、それは我が動脈が千切れたからだ。我が怒りを見よ。貴様の憎しみを届けよう。
ここはホテルじゃない。もっと日常的な場所だ。わたしが言ったこと、アカムは覚えていてくれたんだな。いまは呼吸が楽だな。辛くないって素敵だ。でも、すぐに暗闇がやってくる。ほら、引かれている。
――闇は安心する。光はこわい。昼の世界は、こわいことばかりだ。
人がみな闇へかえるなら、どうして闇をおそれる必要がある? 本当のところ、人は闇になどかえらない。だから、みんな闇をおそれるのだ。ならば、人は最後にどこへ行く?
ああ、分かっている。どこへも行かない。どこから来たわけでもない。疾れ、飛べ。黒い海が駆け抜けていく。船の灯火が去り、街の灯がやってくる。もうすぐだ。こわいけど、行くよ。
早く逃げて。可哀相に。
――幸せになってね。生きて、恋をして、命を育ててね。受け入れて、1つに再生して。
それが、わたしたちの使命。この世に生を受けたわけ。そうでしょう? そのために命の壺を与えられたのだから。
見えない翼で夜を駆け、光を目指して飛ぶ。命は闇に生まれ、光へ産まれゆく。だから、人は闇を懐かしむのだろう。
闇と光と、どちらが世界かと聞かれたら、どちらを選ぶだろう。待ち続けた、あなたが、いま、降り立つ。




