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アカムとうり 悪の魔王ともうすぐ死ぬ子  作者: 佐藤いふみ
         5節 峨眉山幻想
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 遅れて落ちてきた闇がラオオーメイ〈老峨眉〉を飲み込んで草地に広がり、森の生き物を殺していく。ラオオーメイは、そのずんぐりした左手に赤鉄アカムをぶら下げ、右手の武器を地面に刺した。


 武器は長い木柄と複数の短剣でできていて、長さは3メートルを越える。大刀という、日本の薙刀に似た中国の武器に似ているが、刃の部分が異なる。通常、反り身の刃がある場所に、30センチほどの短剣が乱雑に取り付けてある。全部で7本。短剣は、それぞれ穴に差し込まれ、細い鎖で固定されている。


 七剣大刀しちけんだいとう――ラオオーメイが付けた名だ。


「たわいもない。インチュアン〈銀川〉め、こんな素人にやられたか」


 人とも獣ともつかない声で言った異形の眼前に、はらはらと花びらが舞った。生命を根こそぎ奪われた森の空隙に、桜色の光が満ちる。


「久しぶりに会ったら、すっかり化け物になって――妈妈マーマ(お母さん)」


 花弁が集まって渦を巻き、散ると、そこに女がいた。


 花びらを絡ませて柔らかくうねる長髪。切れ長の美しい目がラオオーメイを見下ろす。きらめく背光の中心に黒い蓮の花と黒い血管が浮く赤子。


 花皇ジンイエ〈金夜〉は往年の光輝を取り戻していた。ラオオーメイは赤鉄アカムを投げ捨てた。



   ◆◆◆



 頬の一点に温かさを感じて、アカムは目を覚ました。花びらが地面に落ちて消える。起き上がろうとしたが、力が入らない。目の前で、花弁をまとったジンイエと、闇をまとった化け物が戦っている。


 化け物は2本足で立つ巨大な大山椒魚おおさんしょううおだった。全身が黒く、腹が赤いのは井守いもりに似ている。鼻先には人の顔があって、アカムを恐怖に引きずり込んだあの目が底知れぬ悪意をたたえている。


 化け物の正体は火蜥蜴サラマンダーであるが、アカムにその知識は無い。


 肩から脇腹まで切り下げられていたジンイエの傷は、もう回復しているようだ。衣装が袈裟懸けに切れ落ちて白い乳房に無残な傷が走っているが、動きに淀みはない。


 アカムは自分の腹をたしかめた。下半身が赤い泥を塗りたくったようになっている。


(回復だ。力を取りもどさなくては)


 アカムは下腹に意識を集中した。



   ◆◆◆



 ジンイエは、わずかに体軸をずらして切っ先をかわすと、左回し蹴りの要領で七剣大刀の柄を脚でからめ取った。そのまま左膝を支点に回転し、花びらをまとった右脛で闇の上部を薙ぐ。


 槍と化した青黒い舌がジンイエの心臓に迫る。白い手が舌を白羽取りに取り、右脛が火蜥蜴の側頭部に命中する。合掌した手に生じた無数の花びらが舌を駆けのぼる。ラオオーメイは右に体を崩しながらも、自ら舌を噛み切って七剣大刀を跳ね上げた。


 刃のない部分に爪先をつき、勢いに逆らわずに跳び上がると、ジンイエは背光とその周囲を回転する花びらを背景に、空中に、すっくと位置取った。



   ◆◆◆



 アカムは、その場に留まりつづけるために歯をくいしばって恐怖に耐えねばならなかった。


(これまでは怖いなんて思わなかったのに)


 下腹に熱はもどりつつある。傷が急速に癒えていく。それなのに、突き上げるような恐怖が消えない。逃げよう、という思いが強くなったときだけ心臓が強く打ち、意識が暗いほうへ落ちていこうとする。


 あの夜の匂い。あの夜の味。あの夜の――。


(あの夜の……うり……)


 温かいシャワー、石けんの匂い、うりの手、うりの胸、うりの目、うりの声――。


 アカムは目をひらき、ジンイエと大山椒魚の戦いを見つめた。



   ◆◆◆



 火蜥蜴の鼻先の顔が消えた。巨体が蠕動し、首から闇が流れ落ちる。頭を沈め、腹を縮めて眠るように動きを止める。


 火蜥蜴が背を伸ばし、赤い腹に、ごつごつした塊が浮き出す。なにかが、皮膚の下で蠢き、腹の皮を押し広げてせり出してくる。


 まず、頭が分離した。肩、胸があらわれ、腕と足が離れる。鼻の穴があき、唇が割れ、目がひらく。首から腰までは火蜥蜴の腹についたまま、それは草地に足をつけた。


 巨大な火蜥蜴を背負った赤い肌の女――否、腹に女の体をぶら下げた火蜥蜴の化け物か。


 女の首もと、脇の下から乳房、肘の裏、臍から下腹部、それから膝のまわりに黒い斑模様がある。


「逃げてばかりの情けないやつよ」


 赤い女が中国語で言った。女の頭上で三日月型の口がひらき、ガラガラとうがいのような音を出す。笑っている。


「だが、産んで正解だった。広成子丹を2度も引き寄せた」


 白目のない真っ黒な瞳に桜白色の花弁が映る。花弁と闇は、あちこちで小競り合いを繰り返し、ぶつかっては光る。


「だが、もう邪魔だ」


 女の足もとから白い霜が円く広がった。霜は草を凍らせ、樹に這い上がり、森が真っ白になる。


 ジンイエは跳んで距離をあけた。着地した首もとから闇があふれ、艶やかな肌に細かい皺がよる。


 火蜥蜴の立つ地面が爆発した。地中から花弁が吹き出し、白く凍った土砂がはじけ飛んで火蜥蜴の姿を隠す。


 ジンイエの横にアカムが降り立った。


(教えてくれ。どう戦えばいい?)


 振り向いたジンイエの頬は年経た老木のようで、頬にピンクの蕾ができていた。白目のない真っ黒な眼がアカムを見た。


(逃げなさい)


 声が、アカムの頭に閃いた。火蜥蜴を背負った赤い女が、土砂の雨を払って歩きだす。


「――お前、イヴンが自分の父親と知っていたか? わしの男をたぶらかしおって」


「あなたに広成子丹は渡さない」


 ジンイエの体が闇に隠れていく。


(あなたは行きなさい)


 鈴の音が鳴る。


 火蜥蜴の姿もまた闇に消えた。空気が凍りついて小さな輝きが舞う。ジンイエの闇から花弁が吹き出して渦を巻く。


「化け物を産んだ気分はどうだ?」


 突如、凄まじい鬼気が膨れ上がった。ジンイエの闇が薄れて、黒檀のような眼がアカムを見た。木肌の頬に、一瞬、柔らかい表情が浮かんだ。


(忘れないで。答えは、あなたの中にしかない。あなたの中に、すべてがある)


ゾウッ(行けっ)!」


 アカムの怯えを払うように、ジンイエが叫んだ。


「くそうっ!」


 叫ぶや、アカムは45度の角度で夜空へ飛び上がった。

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