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アカムとうり 悪の魔王ともうすぐ死ぬ子  作者: 佐藤いふみ
         5節 峨眉山幻想
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 山本陸は、すし詰めのゴンドラから解放されて一息ついた。高山の、ぴりりとした空気が頬に心地よい。異国の匂いが充満するゴンドラで、元気でおしゃべりな中国人に囲まれて、消え入りそうな孤独を味わっていたせいだろうか。生きてるなあ、と、大袈裟な感慨がわき上がってくる。同行の井上ひまりは、勢いよく山道を登っていってしまった。


 朝早く起きて、上海から飛行機で成都に着き、高速鉄道で峨眉山駅に移動して昼食。そこから、標高2400メートル(富士山の5合目と同じくらいの高さ)の雷洞平までバスで登った。2時間半の予定を1時間半で着いたが、運転が乱暴で、乗り物に弱い陸はひどく消耗した。


 一休みしてから辺りを散策。それから、ゴンドラ乗り場まで600段の階段を登り、1時間、列にならんだ。このゴンドラが標高3000メートルの金頂と呼ばれる峨眉山頂まで一気に運んでくれる。登山の情緒を吹き飛ばす潔さだ。


 旅の計画は、すべて、ひまりが立てた。陸は、ただ引き摺りまわされているだけだ。観光地から観光地への移動につぐ移動。中国という大地が抱える歴史と空間に圧倒されるばかりだが、その物凄いものが走馬燈のように現われては消えるので、なにを見て、なにを感じているのか、分からなくなってくる。


 ひまりは終始上機嫌で、日本での斜に構えた態度はどこかへ吹き飛んでいる。陸の疲れへの気づかいすら見せ、非日常の中で、ひたすらリラックスしているようだった。


 靴底に縛りつける赤いアイゼン(鉄製の滑り止め)を売っている店の前を通って、観光客と一緒に山道へ入る。ゆっくりと登る集団は日本語を話している。ちょうど彼らを抜いたところで、残雪にぬかるんだ山道が尽き、立派な灰白色の石段があらわれた。


 ひまりのワンショルダーが左右にゆれて青空へ消える。紺碧の空に筋状に伸びる雲が茜に染まっている。いまいる場所からは木と石と空しか見えないが、この先にガイドブックで見た絶景があるのだろう。よし、と気合いを入れて、陸は歩き出した。


 まず、金色の先端が見えてきた。近づくにつれて、10面の仏像と4頭の象が姿をあらわす。あの黄金の座像が、ガイドブックにある十方普賢像だろう。48メートルの高さがあるそうだ。夕暮れの光線に赤みを帯びて荘厳だ。座像の足もとで、ひまりが飛び跳ねて手を振っている。


「はやくー!」


 きっと、写真を撮って欲しいのだろう。


 薄い空気にあえぎながら石段を登ると、仏像の奥に金色の寺院が見えてきた。華蔵寺だ。大雄宝殿と普賢殿の両方ともが金箔で覆われている。峨眉山頂=金頂の由来となった建築群だそうだ。


「すごいの、景色! ほらあ!」


 ひまりが指すほうに、急激に奈落へ落ちる黒い岩崖があって、その先は広大な雲海だった。太陽がいままさに沈まんとして、空と雲が、青から朱へと複雑な移ろいを見せている。


「う……わあ……」


 うまく言葉が出てこない。


「ね!」


 その陸を見て、ひまりは嬉しそうだ。


「凄え!」


 普賢殿の左側の階段を登って展望台に上がる。展望台からは、ほぼ360度の真っ赤に染まる雲海が見渡せた。


「焼けてる――」


 陸は携帯端末を出してパノラマ撮影モードに切り替えると、柵に駆け寄って撮影をはじめた。



 ◆◆◆



 陸が携帯端末を構えてまわり出す。ああやって撮影すると、横長の写真が撮れるらしい。強引に連れ回して無理をさせたかな、と思っていたので、陸が楽しんでくれて、ひまりは嬉しかった。


 あの名古屋大破壊の夜以来、もう会うこともないと思っていたが、友人に誘われて参加した復興作業のボランティアで、ひまりは陸に再会した。


 陸はボランティアの中心メンバーだった。あの夜も、徹夜で怪我人の救助をしたらしい。嘘をついて女を弄ぶ一方で無償の善行に心血を注ぐ陸に興味を持ち、行動をともにしているうちに好きになっていた。


「あれ?」と、陸が変な声を出した。携帯端末をなにやら操作している。


「ひまり!」


 陸が青い顔をして走ってきた。ひまりの手をつかんで、歩き出そうとする。


「なに、どうしたのよ?」


「早くここから離れよう。ゴンドラに行くぞ」


「は? いやよ、なに言ってんの。来たばっかじゃん」


 手を振りほどく。


「いいから、いうことを聞いてくれ! 早くしないと――」


 そのとき、普賢殿のほうから悲鳴が聞こえた。


「赤鉄アカムだ!」


 だれかが日本語で叫んだ。金色の屋根が光って、真ん中に人影が見える。


「まずい、はじまるぞ!」


 集団が、ひまりと陸のあいだに割り込んできた。あっという間に陸が見えなくなった。

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