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アカムは廊下で電話を終え、応接室にもどろうと扉をあけた。すると、アメリアが出てきて、アカムの体を押し返した。アカムの手を引き、廊下の奥へ進む。
「なんだよ、まだ文句があるのか」
「よく聞いて」
「英語じゃ分からない。槇則を呼べ」
「いいから、ここに触って」
つきあたりで、アメリアはアカムの手を取って、自分の下腹に押しつけた。
「――どう?」
「なにすんだよ、口説いてんのか?」
「ふざけないで。私の言ってることがわかるかって聞いてるの」
「だから、英語だと深いところまでは――あれ?」
不思議なことに、まるで日本語を聞いているように意味が入ってくる。
「なんだこれ。これも、あんたの能力か?」
アカムは日本語で返したが、意味が通じているという、たしかな感触がある。
「私の漢方の先生が教えてくれたの。先生とも、こうやって話したわ」
「意味だけをやり取りできるのか」
「聞いて」
アメリアが顔を近づけた。鼻が触れそうだ。
「あなたが、いくら力を送っても、袴田さんは治らない」
「わかってるよ! でも少しでも――」
「本当にわかってる? 袴田さんの病は、あなたの力と似てると思わない? あの嵐を、あなただって見てるでしょう?」
「でも近づけなかったんだ。だから、あんたに頼んで――」
「あなたの中にも恐ろしいモノがあるわ。ひとつ――いえ、ふたつ? とにかく、私の話を聞いて」
青い瞳がアカムの黒瞳を真っ直ぐに見る。
「袴田さんのために、あなたにだけ、できることがあるわ」
「なんだ? なにをすればいい?」
アメリアはアメリカ人らしく、大げさな表情で失望をあらわした。
「ファック! どうして私にわかるのよ。考えなさい」
「ファックファックいわれても……俺にできること――俺に? ……思いつかない」
「ああもう、ノロマな男ね! もっと真剣に、もっと潜って。あなたの中にいるモノに聞いて。目を閉じて、早く! 手伝って上げるから」
白く細い指がアカムの目を塞いだ。香水と体臭が香る。日本人の女とは匂いがちがう。アメリアの下腹に当てた手が熱くなる。アカムは目をとじた。
アメリアと飛んだ宇宙にアカムはいた。
床に倒れているうり。
うりと飛んだ宇宙。
風呂場での優しい感触。
排水溝に吸い込まれる赤い渦巻き。
破裂する肉の袋。
黒く粘つく激情と獣の――。
突然、幻視が消えた。悲鳴を上げてアメリアが飛びのく。どくり、と、心臓が打つ。あの中国人の顔が鼻先にあらわれる。
「峨眉山……」と、男が言った。
アカムは目を開けた。白い壁。左右に伸びる廊下。床にアメリアがうずくまって、肩を抱いて震えている。
「峨眉山――そこにあるんだな」
アカムが手を差し出すと、アメリアは後ずさった。涎が糸を引いて床に垂れている。
「ありがとう」
英語で言って、アカムは応接室に向かった。出発の準備をしなければならない。




