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絵美の眼の前で、赤鉄アカムは袴田うりが寝ているベッドの脇にアメリアを乱暴に放り投げた。
「この患者を治せ」
英語で命じる。
袴田うりのベッドは、いまは応接室にある。医療機器や用具、備品など、必要なものは絵美が運び込んだ。
アメリアは勢いよく飛び起きて、怒鳴った。
「ふざけるんじゃないわ、このファック野郎! もうなにをしても許さない! 徹底的にファッキン法的措置をグウウッ!?」
アメリアが床に倒れ、空気を求めて喉を掻きむしる。絵美は、少し、すっとした。
「アメリア!」
槇原が駆けよる。槇則には、アメリアになにが起こっているかよくわかるのだろう。
「速いけど、ファックくらいは聞き分けられるよ。いうこと聞くか?」
アメリアが首を振る。――途端、弓のように背を反らして痙攣する。黒いタイトスカートに染みが生じ、腰回りに水溜まりが広がる。
(やだ、掃除しなきゃいけないじゃない)と、絵美は思った。
槇則が赤鉄アカムの膝にすがりつく。
「やめて下さい! 僕が交渉しますから。このままでは、死んでしまいます!」
赤鉄アカムの背中に、ちらちらと黒いものが蠢くのを、絵美は見た。槇則は必死だ。
「彼女は天才です。触るだけで相手の状態が分かる特別な力があるんです!」
「なんだそりゃ、超能力か?」
「事実です、あとで説明します。だから彼女を離してください」
赤鉄アカムは手を下ろした。アメリアが、どさりと床に落ちる。獣のような音を立てて息を吸い、髪が尿に浸かるのも構わずに前屈みで全身を波打たせる。槇則が肩を支え、アメリアは嘔吐した。
「水とドライタオルを! 絵美、早く!」
絵美は応接室を飛び出した。
「モップも持ってこい」と、赤鉄アカムが言うのが聞こえた。
絵美がモップを持ってもどると、赤鉄アカムと槇則が話をしていた。
「……たとえば、握手するだけで相手の体調や病気のありなしが分かるんです。かなり詳細にです。精密検査で出てこないような病変までわかります。アメリアは、その能力を活かそうと医師になったんです」
赤鉄アカムは顎に手を当てて黙っている。
「着替えたい」と、アメリアが英語で呻いた。
「あの、向こうで着替えさせてやりたいのですが――だ、大丈夫です! 私もついて行って説得しますから、任せて下さい」
槇則が深々と頭を下げる。アメリアは槇則の肩を借りて応接室を出て行った。浴室へ行ったのだろう。
(ずうずうしい女……)
槇野の行動には色々と不満があるが、いまは仕方がない。とにかく、ふたりの命が掛かっているのだ。と、絵美は自分に言い聞かせた。
赤鉄アカムは、袴田うりの手を握ってじっとしている。後頭部が微かに光っている。
やがて、ナース服を着たアメリアが大股で入ってきて、ソファに腰を下ろした。槇則が隣に座る。
「早く診てくれ」
赤鉄アカムが言った。
槇則が英語でうながし、アメリアが渋々感丸出しで席を立つ。槇則は通訳として間に入り、献身的に働きはじめた。
「検査結果を持ってきて」と、アメリアが言った。
絵美は応接室を出て診察室へ向かった。診察室は惨劇のまま保存されている。警察の指示だった。
絵美は恐ろしいビニールシートをぐるりと回って、血飛沫がこびりついたファイル棚から袴田うりのカルテを取り出した。
「てめえ、殺すぞ!?」
診察室の扉をあけた途端、怒声と突風が吹き出してきた。
「先生!」
槇則が向かいの壁に大の字に張りついている。赤鉄アカムの髪が逆立って渦を巻き、シャンデリアが大きく振れて明滅を繰り返す。アメリアはナース服をなびかせて仁王立ちになり、赤鉄アカムを英語で怒鳴りつけている。
絵美はカルテを抱えたまま槇則のもとへ駆けつけた。赤鉄アカムの横を通り過ぎるとき、風でバランスを崩してカルテをバラ撒く。A4紙が巻き上がり、赤鉄アカムの周囲をまわりだす。絵美は、飛んできた書類に頬を裂かれて悲鳴を上げた。
「ストッピッ!」
アメリアが叫んだ。火花が空間を走る。風が止み、書類が右へ左へ揺れながら舞い落ちる。
「ぎゃっ」
蛙のような声は、床に落ちた槇則だ。赤鉄アカムがアメリアを睨みつけた。
「いまのはお前か? 使えるじゃねえか。うりには使えないって、どういうことだ!?」
アメリアは背が高いので、赤鉄アカムを見下ろす形になる。金髪がひるがえって光の波が踊る。
「サチオ、ちゃんと訳してよ」
槇則はすがるようにアメリアを見たが、有無を言わさぬ碧眼の視線を受けて、よろよろと立ち上がった。
「その癇癪を止めなさい! 私は昨日、大きな手術をしたの。そのときに、ヴィジョンを使ったわ。力を全部出してしまって、3日はなにもできない。本当なら、回復のために静養しなきゃいけないのよ。それを誘拐して、ファッキン宇宙空間に連れ出して日本まで連れてきて。脅迫、拷問、それに癇癪! ファック!」
「お前、いま力を使った」
赤鉄アカムが英語で返す。
「知らないわ! 私の意志じゃないし、もし使ったなら、また消費したことになる! いい? 私はファッキン疲れてるの。休息が必要だし、子供のわがままなんて聞いてらんないのよ!」
赤鉄アカムが突然、アメリアを抱擁した。左手で背中を引き寄せ、右手をナース服の下腹部に当てる。
「ファック、ドンタッチミ――ッ……!?」
アメリアは抵抗したが、アカムの後頭部が目も眩まんばかりに輝きだすと、静かになった。
絵美は光の中に小さな人影を見たように思った。しかし、それは一瞬のことで、なにもかも真っ白になって、絵美は目を閉じた。
数秒、それとも数十秒経ったろうか。絵美が恐る恐る目をあけると、光は止んでいて、アメリアは床にへたり込んでいた。
「もう疲れてないだろ?」
赤鉄アカムがアメリアを見下ろして言った。
「……なにをしたの?」
右手を下腹に当てて、アメリアが言った。
「早く診てやってくれ」
「私に何をしたのかいいなさい!」
アメリアが立ち上がってアカムに詰め寄る。
「力を送ったんだ。もう待ってらんねえんだよ――ファッキン待てねえんだ! おい、訳して伝えろ。この先、もたもたしやがったら、その場でぶっ殺す!」
槇則が必死の形相で訳すのを、アメリアは眉を盛大に寄せて聞いていたが、赤鉄アカムをひと睨みすると、袴田うりのベッドへ向かった。
「ナースに書類を拾うように言って」
アメリアが英語でいい、槇則の口から日本語で出たその指示に、絵美は従うしかなかった。




