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「オオオッ!」
インチュアン〈銀川〉は、裂帛の気合いとともに拳を突きこんだ。拳頭が花弁の壁にぶつかり、みっしりと重なりあう表面を稲妻が走る。花壁が割れ、圧縮された空気が花弁とともにいっせいに吹き出す。
花弁はインチュアンの体にまとわりつき、虚室生壁とぶつかって小さな光を発して消える。消失の瞬間に生じた穴から入りこんだ数十枚が、インチュアンの手足を切りきざむ。
インチュアンは花弁から体に流れこんでくる気の感触に顔をしかめた。
「気持ち悪りィ気を練りやがって」
陰気が経路にくい込んで陽気の流れを阻害する。うじ虫がのたくるようなおぞましさだ。
鮮血を引いて着地したインチュアンに、ジンイエ〈金夜〉が右腕を向けた。黒く萎びて、まるで老婆――否、枯れ木のようであった。小枝のような指が描く小円から花弁が吹き出す――黒い花弁が。
「インチュアン!」
ハンオウが叫んだ。
花弁が黒蛇となって踊りかかる。しかし、蛇は無人の空間を裂いて後方の樹木を切りたおしたのみだ。
ジンイエの頭上に、インチュアンはいた。右腕を弓を引きしぼるように引く。
(オオオ! 痛ましき――)
「痛ましき腕!」
インチュアンの右前腕から血煙が散り、衣装をやぶって3本の刃が飛びだした。肉を切り皮膚を裂いて赤く濡れた刃――その刃先から雷光がほとばしる!
「まさか――七剣か!?」
ハンオウは驚きに目を見はった。数年前に、現存する7本すべてが峨眉山から消えたはず。それがインチュアンの腕からあらわれるとは――。
刃が雷をまとい、放電し合って燐光を放つ。黒い花弁が雷の一撃をうけて四散する。雷光がそのことごとくに追いつき、焼きつくしていく。
光、風、音、そして闇――荒れ狂う力場が森を破壊する。
ジンイエの半眼が、はじめてインチュアンを見た。静月の眼差しが烈火の視線と交叉する。
「禁忌を破ったのが、てめえだけだと思うなよッ!」
インチュアンは2撃目の痛ましき腕をジンイエの顔面に打ちこんだ。
ジンイエが右手をかざす。魔法円から闇があふれ、手のひらに大輪の黒花が咲く。天へ昇る闇は、いまや柳木のように太く、そのねじれた黒い根がジンイエの体をほとんど隠している。
黒花が痛ましき腕を受け止める。闇が燐光を飲みこみ、花がとじ、痛ましき腕を喰う。
黒い筋がインチュアンの肩から胸まで這いのぼり、無数の裂傷から血が吹きだした。
「陽神を広成子丹に向けたうえで、これほどの気を練るかよ!」
インチュアンは、花皇ジンイエの実力をあらためて思い知った。
ジンイエをつつむ闇が陽気を受けて消え、中から面がのぞく。その顔はすでに人ではなかった。目と思われる部分に並ぶふたつの黒光りする樹液溜まりに、インチュアンはおのれの怒りの形相を見た。
「てめぇ、その面相はなんだ――それが、お前の貌か!?」
ひび割れて瘤だらけの肌。髪は葉となり枝となっている。小さな蕾のならぶ様々な太さの突起が、首や肩からつき出ている。
(人の形のまま、年経た老木に――)
つまり、ジンイエは受けたのだ。サハラ(魔術)の師によって、全身を七日七晩かけて汚されるという、サーヒラ(魔術士)となるための儀式を。
「オオオオオ!」
インチュアンが吠えた。後頭部が凄まじい閃光を放ち、一瞬で収束する。光の蓮が生まれてひらき、光る赤子があらわれる。赤子は声なき叫びをあげ、インチュアンもまた叫ぶ。
「召雷!」
硝子を叩きわるような轟音とともに稲妻が天をふたつに分け、痛ましき腕に落雷。激しい稲光が視界を白くそめる。燃える腕が黒花をやぶり、闇を払う。
ジンイエは全身に開花して花弁の渦で迎え撃つが、雷そのものと化した痛ましき腕を止めることはできない。頬に拳をくらって、燃える花弁を散らして小屋に突っこんだ。
着地して顔をあげたインチュアンの全身に稲妻の残滓が踊る。衣装が燃えて、たくましい裸身がむきだしだ。
「雷公――」
ハンオウが呟いた。
ジンイエが花皇と呼ばれたように、インチュアンは雷公と呼ばれていた――すなわち、雷神。
「ここまで凄まじいとは――七剣のしわざか」
年少の黒衣の死体を寝かせ、歩こうとして、ハンオウはへたり込んだ。足が動かない。しかたなく、地を這ってインチュアンのもとへ向かう。
そのとき、炎にのまれた小屋へ踏みだそうとしたインチュアンが急に動かなくなった。眼を見ひらき、つぎの息を吸おうとしたまま――。
頭上で、インチュアンの陽神にジンイエの陽神が触れている。
「まずい、神気合同だ! くそう、動かんか!」
ハンオウは感覚のない足をたたいた。




