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アカムとうり 悪の魔王ともうすぐ死ぬ子  作者: 佐藤いふみ
         3節 空のデート
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69

 端境潔子は腕時計を見た。代官山の撮影スタジオに閉じ込められてから、もう4日だ。


「くっせ! なんの臭いだよ、これ?」


 ずっと1人だった楽屋に、突然、男の声が響いた。赤鉄アカムだ。床に横になったまま、潔子は顔を上げた。起き上がりたいが体に力が入らない。


(ここでなんとかしなければ死んでしまう)


 ある意味で待ち詫びた訪問だった。赤鉄アカムは潔子の衰弱など気にした風もない。


「みず……」


 やっと出てきた一言は、丸めて踏んづけた紙屑のようだった。生まれてはじめて、潔子は渇きの苦痛を味わっていた。喉の痛みで空腹さえ感じない。


「飲む? おしっこ」と、赤鉄アカムが言った。


 おしっこという言葉に、ごくりと喉が動く。潔子は屈辱に唇を噛んだ。自分は、いまどんな顔をしているのだろう。楽屋の鏡は倒れてから見ていない。


「汗も混ざってるな。浮浪者の臭いだ」


 赤鉄アカムが椅子に腰かける。


「そっかあ、臭いかあ。失敗したなあ。こんな臭いんじゃ、盛り上がらねえよ」


「お……ねがい……みずを……飲ませて下さい……」


「なに? お前の声、ちいさくて聞こえねえよ」


 赤鉄アカムの声が虫の羽音のように聞こえる。視界の端が白くかすむ。


「みず……飲ませて……」


「おしっこなら飲ませてやるよ」


 プライドが疼いたのは一瞬だけ。屈辱的な言葉を引っかける逆棘は理性とともに溶けた。


「おしっこ……下さい……」


「いいよお。けど、いますぐには出ないな。お茶飲んで出すから、ちょっと待ってて」


 赤鉄アカムがペットボトルのお茶を取り出す。


「お茶……」


 潔子は気が遠くなった。赤鉄アカムが、うまそうにお茶を嚥下する。喉仏が上下に動くさまが、潔子には歌をうたっているように見えた。


「お茶!」


 潔子は赤鉄アカムに飛びかかった。しかし、足に力はなく、30センチばかり上半身が浮いただけで床に倒れてしまう。指先がかろうじて赤鉄アカムの足にとどいて、潔子は必死にすがった。


「だから、待ってろって。いま出すから」


 潔子は熱に浮かされた目で、赤鉄アカムのズボンを見つめた。もうすぐ、あそこから水が出てくる。でも――。


「お茶を……おねがい……」


「駄目だ。俺を拒絶して、報酬を捨てて、お前が守ったプライドの代償だ」


「おねがい……ごめんなさい……ゆるして……」


 必死の思いで赤鉄アカムを見上げる。


「わかった、わかった。口ん中が、かさかさで気持ち悪いんだろ」


「……じゃ、じゃあ」


「お茶飲むと、まじですぐ、おしっこ出るから。すこし我慢しとけって」


 いうや、赤鉄アカムは、ぼこぼこと音を立ててお茶を飲んだ。



   ◆◆◆



 30分後、扉を開けて出てきたアカムを見て、集まっていた人々がどよめいた。


「ちょ、ちょっとあんた、潔子をどうしたの!?」


 先頭にいるスーツの女が言った。


 女を無視して出口へ向かう。開きっぱなしの楽屋のドアから、スーツの女が部屋に飛び込んだ。


「なっ!? 男は入ってくるな! 救急車、早く!」


 さっき玄関で見掛けたジーンズの女が奥へ駆けていく。慌ただしく人が動きはじめた。ひどい、なんてこと、と女たちがさんざめく。


「待ちなさい!」


 スーツの女の声がアカムの背を打った。やめろ、と、止める声が聞こえる。


「待て、この人でなし! よくもあんな――あんたなんて人間じゃない!」


 アカムは立ち止まって、振り返った。スーツの女は真っ赤な顔をして、目に涙を浮かべている。


「ここに残れ! 潔子に謝罪して、あの子が回復するまで面倒を見るの。それが、お前の義務だ。分かってる!? ひとりの女の子が台無しになったかもしれないのよ!」


 アカムは怒りと憎しみで頭の中が真白になった。


(こいつは、自分がなにかされるなんて思っちゃいない。どんな相手だろうと、理を通せば誰かが守ってくれると信じている)


 無言のまま、ただ手を突き出す。スーツの女の顔面に右掌底がめり込み、鼻骨が砕けて頬骨が陥没した。女は血の筋を引いて背後の人混みに突っ込んだ。アカムは、そのままスタジオから姿を消した。

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