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「はい、これ」
井上ひまりが、山本陸にジンジャーエールの瓶を渡した。
「サンキュ」
炭酸が漏れる小気味よい音が部屋に響く。デジタル時計が、7月1日の20時28分をつげている。
ひまりはガラステーブルのリモコンを取って、TVをつけた。
「あ~あ、ムードねえの。すぐTVつけるの、おばさんぽいぜ」
陸はベッドに足を投げだして座った。ひまりは、ぽかんと口をあけてTVを見ながら、陸の腹に手を置いた。
大学生を装っていた高校生の山本陸と、女子大生を装っていたOLの井上ひまりは、名古屋にあるひまりの独り暮らしの部屋で、ごろごろと怠惰な時間を過ごしていた。
「ねえ、これ」と、ひまりが言った。
陸は退屈そうに伸びをした。
「ねえってば!」
ひまりが、陸の柔らかい腹を強く押す。
「うおっ、なにすんだよ」
陸は仕方なくTVに眼をやった。TVには、煙をあげる高層ビルが映っている。あちこちで爆発が起き、火が出ている。救急車が何台も止まって、血を流した人が運ばれていく。
「どこだ、これ」
陸が真剣な調子で言った。
「わかんない」
「音、出して」
ひまりがリモコンを操作して消音を解除すると、レポーターの声が流れだした。
「……ちょっと現場は――え? あ、失礼しました。六本木ヒルズから緊急レポートです。森タワーが傾いています。通路が落ちて、つぎつぎに爆発が――」
レポーターの声は、瓦礫が崩れる音や重い爆発音に邪魔されて途切れた。マイクにTVアサヒのマークが見える。
「六本木だ。ほらあれ、六本木ヒルズだろ?」
画面が空撮に切りかわった。画面に楕円形のビルが映る。青いラインや照明が消えて、真っ暗だ。いまにも倒れそうに傾いた根もとに白い煙が見える。
画面左上に「六本木に赤鉄アカム!?」と、出た。
「……赤鉄アカム、なのかな」
腹を触っていた手を陸の胴にまわして、ひまりが言った。
(あの夜、思い出しちゃうよな)
陸は、ひまりを強く抱きよせた。
画面が切り替わり、黒い煙がただよう広場が映った。画面中央で動くものがある。
「真ん中! ほら、よって!」と、ディレクターと思われる声がした。画面が大きく揺れ、ズームインとズームアウトを繰り返して、ようやく対象をとらえる。
「「なんだあれは!?」」
画面のむこうで複数の声が叫んだ。
「なんだあれは!?」
名古屋の部屋で陸も言った。
煙のせいでよく見えないが、丸い頭をして尻尾の生えた黒いものが2本足で立っている。そいつの前には、白っぽい蛸の足のようなものが、うねうねと揺れていて、何本かが黒いほうに絡みついている。
「いやだ、化け物じゃない」
ひまりが、ますます陸にしがみつく。相変わらず力が強い。
「絶対にフレームアウトさせるなよ、いいな」
さっきのディレクターらしき声が言った。
さっきから、画面を白い筋が横切っているが、雨かと思ったら、どうやら、みぞれのようだ。
「7月だぞ」
なにか超常のことが起こっている。と、陸は思った。
「上!」
画面の中で誰かが叫び、カメラが夜空を見あげた。
森タワーを背景に、手足の長い、針金のような人影が飛んでいる。いきなり、画面が真白になった。
「うわっ!」
「アイリス、絞って!」
「ちょっと待って、目が――」
画面がスタジオに切り替わる。スタッフが、ばたばたと走り回っている。
「ひまり」
陸が、ぼそりと言った。
「なんなの、あれ。わたし、こわい」
「俺たち、準備しよう」
「な、なんの? 六本木まで助けに行くのなんて、あたし、やだよ」
「この世界には超能力とか怪物とか、あるみたいだ。そういうのがあるってことを前提に、これからの人生を考えよう」
陸は胸の奥の冷たい不安を埋めようと、ひまりの頭を胸に押しつけた。ひまりは陸の腕から抜け出すと、陸の顔を真顔で見て、「なにいってるの?」と言った。
TVアサヒからの放送は途絶え、もどってくることはなかった。




