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アカムとうり 悪の魔王ともうすぐ死ぬ子  作者: 佐藤いふみ
第4章 少女の命 1節 それぞれの日常
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 まぶたを閉じて作りだした暗闇で、吉田和志は、ようやく安らいだ。モーター音がして、血液が上に持ちあがる感覚がやってくる。あの地獄のような部屋から遠去かっていく。


(地上にもどって、俺は人間になる。なんてのは、いいわけか)


 ポーン、という奥ゆかしい電子音がしてエレベーターの扉がひらく。ゆっくり目をあけると、マンダリン・オリエンタル東京のロビーが広がっている。極度に洗練された空間を、上品に着飾った紳士淑女が行き交う。


 銀座崩壊から2ヶ月半が経った。以来、赤鉄アカムは世間から姿を消している。このホテルに滞在していることも公にされていない。


 国民は怯えきり、外国人は国外へ退去した。都会では、戦時中のように家族を田舎へ疎開させる家が増えている。帝国ホテルタワーでは戦闘ヘリコプターが目撃され、銀座崩壊を招いたのは政府の失策であるという話が出ている。国民は赤鉄アカムの情報を知りたがり、マスコミは必死に追っているが、肝心なところは政府がおさえている。野党が情報開示を迫っても、政府は連絡はつくが行方はわからないと繰り返すのみだ。


 吉田は、ロビーのあちこちに立つ、目つきの鋭い男たちに素早く目をやった。


(残念ながら、情報操作の破綻は時間の問題だな)


 個人の発言がインターネットであっという間に拡散する時代だ。箝口令を敷いても従業員の口を完全にふさぐことはできないし、吉田が斡旋した女たちも情報をもらすだろう。むしろ、2ヶ月もっていることが不思議なくらいだ。


 女たちは時期をうかがっているはずだ。赤鉄アカムと関係したことを礎に芸能界を駆け上がろうと考えているだろう。部屋の様子はどうか、部屋でなにをしたか、なにを話したか、誰が一緒にいたか――。金になる情報を彼女たちは握っている。


 吉田は普段、VIP専用エレベーターを使って最上階のスウィートルームへ行き、帰りも同じルートを通る。VIP専用エレベーターは地下2階のVIP専用車寄せにつながっていて、誰にも見られずに車でホテルを出られる。赤鉄アカムの女衒ぜげんをしていることが世間に知られることはない。


 けれど、今日はなぜかロビーで珈琲を飲みたくなった。仕事後の1杯は局アナ時代からの楽しみだが、この仕事に関しては、これまでそんな気になれなかった。


(なんで今日は飲む気になったんだろう。慣れてきたのか。――そうではないと信じたいな)


 吉田は、ゆるゆると頭を振り、黒大理石を踏んでロビーラウンジにむかった。


 マンダリン・オリエンタル東京の珈琲は定評があるので楽しみだ。1杯1600円と、街の定食屋ならふたりで昼飯を食べられる値段だが、見合った香りとコクを表現している。それに、金を気にする必要はない。赤鉄アカムが提示した報酬は、ひと月で大企業役員の年収ほどある。


 目が合ったウェイターに、ひとりであることを告げる。ウェイターはフロアを見渡し、「こちらへどうぞ」と言って歩きだした。吉田は素直にあとをついていったが、途中で、奥まった席の少女に目が止まった。


(そうか、ここで待っていたのか)


 吉田はウェイターから離れて少女の席へむかった。席の周囲に、ほかの客はいない。吉田がついて来ないことに気づいたウェイターが不安気な視線を送ってきたので、片手を上げて、案内の必要がないことを伝える。


「やあ」


 吉田は気軽に声をかけた。少女は肩をふるわせて動きを止め、首をすくめたまま、上目づかいに吉田を見あげた。白いパーカーのフードに頭が埋もれそうだ。


「あ……」と、小さく声がもれる。


 吉田は微笑んだ。


「座っていいかな」


「うん、はい。どうぞ」と、少女は言った。


「それは、お裁縫かな。好きなの?」


「え? あ、はい……いえ」


 少女は裁縫道具を背中に隠した。


 少女の正面に座った。机に、ジンジャーエールとフルーツロールケーキがある。


「ブレンドをひとつ」


 離れて待つウェイターに言った。


「ジンジャーエールとケーキって、合うの?」


 なんとか場をなごませようと、吉田は、そんなことを訊いた。少女は大きな目を、ぱちぱちと動かした。


「はい、わりと、合います」


 吉田は、少女の愛らしい容姿にあらためて感心した。赤鉄アカムの部屋の前で会ったときも可愛い子だと思ったが、こうして日常の中で見ると、その存在が不思議に思える可憐さだ。アイドルや女優レベルの、しかも一流の容姿だった。


「そんなに警戒しないで。俺のことは覚えてるでしょう?」


「はい。あのときは、どうもありがとうございました。お金、お返しします」と言って、バッグの中に手を入れる。


 吉田は手で少女の動きを遮って、言った。


「いいよいいよ、お金はとっておいて。それより、よかったら話を聞かせて欲しいんだ。あの後、アカムくんから、いっしょに暮らすことになったって聞いたけど、見かけなかったから心配してたんだよ。


 僕は吉田和志といいます。お名前はなんていうんですか?」


 少女はすこし考えて、バッグから手を出すと、言った。


「あの、ご用件はなんでしょうか。わたしは赤鉄アカムのことは、よく知りません」


 吉田の目を見て、少女は言った。真っ直ぐな瞳にシャンデリアの光が反射している。


(そうか、この子は赤鉄アカムを守ろうとしているんだ)


 それが、少女のかたくなな態度の理由だろう。


「俺もアカムくんの秘密を知っている1人だよ。君たち側の人間だ。僕は彼に逆らえないんだ」


 少女が、ぎゅっと唇をかむ。


「――失礼します」


 珈琲を持ってきたウェイターが吉田に声をかけた。珈琲を置く手が震えている。少女が赤鉄アカムの関係者だと知っているのかもしれない。


 ウェイターが去ると、少女は言った。


「……あなたが女の人を?」


「うん。芸能界につてがあってね」


「……そっか、あなただったんですか」


 少女の両肩が下がる。


「わたし、うりって言います」


「うり、それは名前?」


「はい」


「よろしく、うりちゃん」


「よろしくお願いします、吉田さん」


 珈琲のよい香りが立ち昇ってきた。吉田はブラックのまま珈琲に口をつけ、うりはフルーツロールケーキをフォークで割って口にはこんだ。

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