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アカムとうり 悪の魔王ともうすぐ死ぬ子  作者: 佐藤いふみ
         6節 ラオオーメイ〈老峨眉〉の目覚め
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 ふたりは、里外れの森まできた。イード〈一多〉たち里の者は、ここから先に入ることを禁じられている。なぜなら、この先はラオオーメイ〈老蛾眉〉の住居だからだ。


 ハンオウ〈韓応〉は車椅子を止め、背もたれから松葉杖を抜いた。そして迷うことなく、森の奥へつづく古い石畳の道に入った。


「来い」


 ためらうイードを振りかえって、ハンオウが言った。


 松葉杖とは思えない速さのハンオウを小走りで追う。広葉樹の森は暗く涼しかったが、音が無いのが不気味だった。


 森というのは、静かなようでいて様々な音に満ちているものだ。けれど、この森には命の証ともいうべき、小さなものたちの囁きがない。イードは、どんな夜にも、これほどの静寂を味わったことはなかった。


 10分ほどで石段があらわれた。日が高くなって、木漏れ日が石段にまだら模様を作っている。ふたりは石段を登りはじめた。


 石段を30分ほど登ると、突然、森がひらけた。さっきまでと空気がちがう。最後の段で、松葉杖が滑って、ハンオウがバランスを崩した。イードが素早く支える。


「すまんな」と、ハンオウが言った。


 ハンオウがつまずくところを、イードは、はじめて見た。表情や言葉の調子も、いつもより固いように思った。


 イードは、この気づきを流してしまった。外の世界と、これから会うラオオーメイのことに注意を奪われていたからだ。




 そこは、小さな広場になっていた。ハンオウは広場の半ばで右に折れて、下生えを割ってつづく細い石煉瓦の道に入った。


 やがて、沼があらわれた。沼のこちら側は石煉瓦で囲われており、むこう側は淀んだ水が樹々を飲みこんで森の奥に消えている。沼の中やまわりの樹々は曲がりくねっていて、助けを求めて叫んでいるように見える。


 ハンオウは道の終端にある石積みの前で止まった。石積みは1メートル四方の正方形で、高さは腰くらいまである。石のひとつひとつに、イードが見たことのない紋様が彫られている。文字のようだが漢字ではない。曲がった線や、点や、星が、なにかしらの規則でならんでいる。


 石積みの中をのぞくと、沼と同じ高さに水面が見えた。底のほうから沼の水が流れ込んでいるようだ。


 ハンオウは縁により、水に手を入れた。引き出した手に鎖が握られている。鎖をたぐると、おおきな椀が出てきた。両手にあまる大きさで、見たこともない深緑色の金属でできている。側面に石積みと同じ紋様があった。


「来なさい」と、ハンオウが言った。


「それはなんですか」


 距離をとったまま、イードが尋ねた。ハンオウは、椀で石積みの水をすくった。


「ラオオーメイに会う前に体を清める。特別な儀式だ」


 ハンオウが目を閉じ、呼吸を変えた。首筋から黒いものがあらわれる。煙のように立ち昇り、同時に、体にそって流れ落ちる。


「アジャイラーアルアルラフテインナ」


 人の発声とは思えない、金切り声と唸り声で構成された不気味な呪文が地を這う。黒いものの勢いが増す。それを見て、イードはさらに半歩うしろに下がった。


「飲みほせ」


 やつれ果てた様子のハンオウが椀を差し出した。


「いやです」


(あんなものを飲むなら炭鉱の村に帰るほうがましだ)


「ラオオーメイに会うための試練だ。ジョーもリーフも乗り越えた」


「ジョーとリーフが? 本当ですか」


「忠誠が試されている」


 イードは唾を飲み込み、椀を受け取った。ふるえる唇をつける。ひんやりとして、少し振動している。


 目をつぶって椀をかたむける。水は、唇が触れた途端に、まるで意志を持っているかのように口腔に雪崩れ込んできた。


 椀を投げ捨て、体を折り、イードは吐き出そうとした。椀と鎖が石煉瓦に落ちて、がらがらと騒々しい音をたてる。激しく、えづくイードを、ハンオウが暗い目で見ている。


 イードの口から黒緑色の物体が出てきた。それは、いったん、ぬるりと口から垂れ下がったが、気味悪く蠕動して口中へもどった。顔を紅潮させて異物を出そうともがくも、次第に弱って、イードはついには石畳みに膝をついた。


 心臓が痛いほど胸を打つ。もはや、嘔吐も叶わない。違和感が腹に広がっていく。臍下げいかが脈打ち、丹田たんでんが勝手に陽気を生む。陽気は生まれた端から消えていく。まるで、なにかに吸い取られているかのように。


 イードは地面を転がって、もがき苦しんだ。


「ジョー……リーフ……おれも……おれも……」


 掠れた声で、そう言った。

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