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吉田和志は、自宅書斎のPCモニターでTVを見ていた。夜のニュースが名古屋の惨状を伝えている。伊勢湾の沿岸地域が海に沈んだらしい。ヘリコプターによる空撮が海を映し出している。
「あなた、ご飯」
妻の声がしたが、吉田には聞こえていない。
赤い腹を見せてタンカーが海に浮かぶ。黒いのは重油だろう。よく見ると、たくさんの漁船やクルーザーが、おもちゃのように散らばっている。その他にも、なにか白いものがいっぱい見える。
レポーターの声が聞こえてきた。
「――ここはどこ? え? あの橋、あれ、名港中央大橋? じゃあこれは、金城ふ頭が――ああ、金城ふ頭が、なくなっています。あの白いの、あれは車です。港で積み込まれるのを待っていた自動車たちです。あの白い長いのは、じゃあ、ああ! あれは、リニア・鉄道館に展示されていた新幹線です。なんてことでしょう!」
レポータも、だいぶ混乱しているようだ。
夜の海は暗く、カメラがとらえている範囲はせまい。画面の外の惨状は朝になるまで分からないだろう。
吉田は無意識に口を手で覆った。
「パパ呼んで来て」
また、妻の声がした。
レポーターはヘルメットをかぶり、画面に身を乗り出してレポートを続けた。匂いや温度について、それから被害の状況について話す。つづいて、死者、行方不明者、怪我人の数。しかし、画面のインパクトが強すぎて、ほとんど頭に入ってこない。
(俺ならどうレポートするだろうか。少なくとも、画面に顔を突っ込んで視聴者の邪魔はしない。画で足りるなら口をつぐむ。自分の顔にカメラが落ち着いたときに、視聴者がいちばん知りたい情報を伝えればいい。この場合、伝えるべき情報はたったひとつだ。それは、この惨事を起こしたのが赤鉄アカムなのかどうか、だ)
六日前、赤鉄アカムは町田警察署で声明を出した。それは、日本人全員から月に千円、つまり総額で毎月千二百億円の要求だった。さらに、断れば百万人都市を沈めるといった。
声明を全国に伝えたのは吉田だ。直接赤鉄アカムのもとへ向かい、質問し、撮影した。その期限が五日後、つまり昨日だった。
画面が一旦、スタジオにもどって、こんどは川のようになった道路が映った。ボートに被災者が乗りこでいる。
キャスターが新しい情報を伝えはじめた。
「名古屋TV塔が破壊されたという情報が入ってきました。被害は電波塔にとどまらず、周囲の久屋大通公園セントラルパークや、栄の街全体に及んでいるようです。名古屋TV塔で、なにがあったのでしょうか。伊勢湾爆発と関係があるのでしょうか。付近のみなさまや、名古屋TV塔に登っていたみなさまの安否が心配です」
「関係あるに決まってるだろ」
吉田は、思わずモニターにつっこみを入れた。
「パパ」
(こりゃあ、情報を隠してるな)
吉田は確信した。その証拠に目撃者のインタビューがない。重要な情報を持っている人を警察が保護しているか、報道を禁じているのだ。
「パパ」
有事の際には、報道の自由は暗黙のうちに失われるものだ。報道する側も結局は受け入れる。それは仕方ない面もある。表現者だって人間であり、人の親なのだ。その一線を踏み越えることを胸に誰もがこの世界に入るのだが、組織の中で人は変わる。
(俺だって、そうだった……)
「パパ!」
誰かが服のすそを引いているのに気がついて、吉田は我に返った。四歳になる娘が、悲しそうな顔で立っている。
「なんだい?」
愛娘の頭に手をおく。
「ごはん。ままがよんでるよ」
そういえば味噌汁の匂いがする。吉田はマウスを操作してTVを消した。
娘が笑った。最近、自分に似てきたと思う。美人の母親に似て欲しいと願いながらも、吉田は嬉しくて仕方がない。
「ママに、すぐ行くっていっといて」
娘がリビングへ駆けだしたのを見とどけて、吉田は立ち上がり、クローゼットに向かった。




