28
うりはベッドから起きだして灯りをつけた。時刻は午前0時をすぎている。お腹が鳴った。笑子の餃子とチャーハンを食べたのに、もうお腹がすく。体は元気に生きているようだ。
うりはコンビニに行くことにした。いつもなら、こんな時間に外出はしないが、いまはどうでもよかった。コンビニは角を曲がってすぐの交差点にある。うりのアパートから100メートルくらいだ。さして心配することもないだろう。
パジャマを脱ぎ、薄いピンクのタートルネック・カットソーを着て、ジーンズをはく。厚手の白いパーカーを羽織り、財布を持って外へ出た。夜気が頬にひんやりと気持ちがいい。
街灯から街灯へ、渡るように歩く。
「うりちゃん」
突然、声をかけられて、うりは驚いた。男の声だ。
「うりちゃん」
もういちど声を聞いて、知った声だと気づいた。
「窪田さん」
それは下階のミュージシャン志望の青年・窪田だった。長髪と太い眉、鈍く光る革ジャンパーからジーンズまで、なにもかも真黒だ。それが電柱の影から、ぬっと出てきたから、うりは思わず一歩下がってしまった。
「こんな時間に危ないよ」と言って、窪田はとなりに並んだ。
「コンビニ、行くの?」
「うん」
「じゃあ、いっしょに行こう」
ふたりは歩きだした。ひとりでいるときより、あたりが静かになったように感じる。
「なにかあったの?」と、窪田が言った。
「……うん、まあね」
「笑子さんも心配してた」
「なんでもないんだ、大丈夫だよ」
窪田はポケットにつっ込んだ手を、もじもじと動かした。
「そうは見えないけどな。俺じゃ、力になれない?」
車の音が聞こえた。交差点が近い。
「ありがとう」と、うりは言った。
窪田はうなずいて、前を向いた。
コンビニが見えてきた。自動ドアの横に若い男たちがたむろしているのを見て、うりはどきりとした。アスファルトにべったりと座って煙草を吸っている。
うりは、急に、こんな夜中に出歩いていることが恐くなった。
男のひとりがふたりに気づいて、こちらを見た。仲間になにか言っている。
「駅の向こうにラーメン屋ができたの、知ってる? わりとうまいんだ」と、窪田が言った。
さっきの男が灰皿で煙草をもみ消した。
正面から車がやってきて、ふたりは道路の端によけた。車が男たちの視線をさえぎる。
窪田がうりの背中に手を回した。うりは窪田の意図をさとって、誘導されるままコンビニに背を向けた。
ふたりは足早に駅のほうへ歩いた。男たちは追ってこなかった。
コンビニの灯りが見えなくなって、うりは窪田に礼を言った。
「ありがとう。窪田さんがいて、よかった。ラーメンも楽しみ」
「おごるよ。パチンコで勝ったんだ」
窪田は、両手をもじもじさせながら、言った。
窪田がパチンコをやらないことを、うりは知っている。
ラーメンは、野菜をたっぷり使った味噌ラーメンで、美味しかった。帰りはコンビニの前を通らないように回り道をした。ふたりはアパートの階段で別れた。
部屋にもどると、トイレに寄ってから、ベッドに座ってテレビをつけた。夜気でかたくなった頬を手でほぐしながら、光りだした液晶画面をぼんやりと見つめる。
画面に灰茶色のモダンなビルがあらわれた。カメラが最上階の部屋にズームインし、カーテンの向こうを行き来する人影を映し出す。「帝國ホテルのスウィートルームに赤鉄アカムの影」と、テロップが入る。昨日から繰り返し放送されている映像だった。
この影が赤鉄アカムだという。渋谷の巨大ディスプレイで見た、あの男だ。町田警察署の事件の日から、日本中が赤鉄アカムの話題で持ちきりだった。
男性キャスターが言った。
「赤鉄アカムは日本国に大金を要求しましたが、政府は当然、無視しました。すると赤鉄アカムは、名古屋を消すと言い出しました。名古屋のみなさんがこれをどう受け止めているか、インタビューしましたので、ごらんください」
画面が名古屋での街頭インタビューに移った。
「え? 信じてないですよ。信じるわけないじゃないですか」と、若いサラリーマンが言った。
「ていうか、警察はなにをやってるんでしょうね。あの人を早くなんとかして欲しいです」と、宅配業者の制服を着た女性が言った。
「長く生きると、変なことにあうものだなあって思ってますよ。ははは」と、初老の男性が言った。
画面がスタジオにもどる。
「赤鉄アカムが超能力を使うという話を、大半の人は信じていません。しかし一方で、赤鉄アカムの言葉をそのまま受け取っている人たちもいます」
(――あ、渋谷だ)
つぎに画面に映ったのは、このあいだ男たちにからまれた道玄坂の街路だった。路肩に置いた木の台に乗って、男性が叫んでいる。男性はサングラスとマスクをしている。
「アカム様がこの世界を破壊し、つくりかえる! 政府はアカム様の要求を聞き入れろ! アカム様の言葉を我々にとどけろ! アカム様が救ってくださる! 貧困からも、病苦からも、理不尽な社会からも!」
男性キャスターは、しらけ切った顔でボールペンを取り落とした。鳥の巣のような髪型の軍事コメンテーターに顔を向け、話しかける。
「赤鉄アカムを教祖とする新興宗教団体があらわれたり、10代の若者たちがファンクラブを作ったりしているようですが」
「馬鹿げてますね」と、軍事コメンテーターは吐きすてた。男性コメンテーターがうなずく。
「赤鉄アカムの超能力についてはどうですか。警察は警戒しているようですが」
「超能力など持ち出さなくても、あんなのはいくらでも説明がつきます。たとえば空中浮遊は小型のホバー装置でしょう。破壊は爆弾です。ただ、爆発物の扱いには非常に長けていると思われます。この点は危険ですね。
私は、早く自衛隊を動かすべきだと思います。他国も注目していますよ。迅速に対応しなければ国防に影響します」
暗い部屋の中で、TVとうりの顔だけが青く光っている。
うりは、お腹のあたりで、なにかが、ごそりと動いたのを感じた。そして、病院でホスピスをことわったときに感じた、あのメッセージが沸き上がってきた。




