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アカムとうり 悪の魔王ともうすぐ死ぬ子  作者: 佐藤いふみ
         2節 小夜子の思い出
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 ドアホンの音で、うりは我に返った。どのくらい前から鳴っていたのか分からないが、訪問者が扉を叩きだしたところを見ると、しばらく無視してしまっていたようだ。


「うりっち、いるんでしょ!?」


 掠れた女の声で、隣室の笑子だとわかった。笑子が部屋を訪ねてくるのは初めてだったので、うりは訝しんだ。


「あ、はい。ちょっと待ってください……」と答えて、うりは扉に向かった。身だしなみが少し気になって、髪を撫でつけて玄関をあける。


「やっぱ、いたぁ――パジャマ!? 大丈夫? 風邪なの?」


 笑子は金髪をゆらして、うりの顔をのぞきこんだ。香水の匂いが押しよせてくる。うしろで、耳にピアスをいっぱいつけた坊主頭の男――笑子の彼氏のタカシが煙草を吸っていた。外は暗く、通路の蛍光灯が明滅している。


(何時くらいだろう)と、うりは思った。


「ねえやだぁ、頭ぼさぼさじゃん。マジ大丈夫? 仕事行ってないっしょ」


 笑子はパッキンをふたつ、うりに押しつけた。


「ほらこれ食べて。体調わるいときは、やっぱメシっしょ。ね、タカシ」


「おう、くえ」


 タカシは煙草をくわえたまま、にかっと笑った。真っ黒な顔に白い線が生まれる。


「ありがとうございます」


 笑子は、うりの頭に手をのせて、言った。

「うん、よく休むんだよ。仕事はさ、まあなんとかなるよ。あたしも、いつもそうだもん」


 パッキンは適当に返してくれればいいから、と言い置いて、笑子とタカシは出かけた。ふたりともこれから仕事なのだろう。


 パッキンの中身はチャーハンと餃子で、まだ温かった。うりは急にお腹がすいてきて、テーブルにもどって食べはじめた。


 餃子は手作りで、野菜が多めのやさしい味だった。チャーハンは塩が効いていて、けれど塩辛くはなく、噛むほどに米と卵とネギの香りが口の中にひろがる。


(派手な人ほど女性的なのかもしれない)と、うりは思った。

 そして、ちょっと考えて、


「作ったの、タカシさんだったりして」と、つぶやいた。ぽろりとこぼれたその言葉に、うりは自分で笑った。


(――そうだったらいいな)


 見た目はダンサーかホストのようだけど、あれで、タカシは料理人なのかもしれない。笑子が勤めるお店で包丁を握っているとか。


 うりは、笑子とタカシが調理場でこっそり目配せしているところを想像して、勝手に微笑ましく思った。


「――小夜ちゃん、わたし、あと半年で小夜ちゃんのところに行くんだって」


 唐突に、うりは言った。すると胸のあたりから、ぐっとなにかが押し上がってきて涙がでた。泣いたのは、病院で余命宣告を受けてからはじめてだった。


 嗚咽しながら餃子とチャーハンを食べきると、パッキンを洗い、牛乳を飲んで、ベッドにもぐりこんだ。1階からは、まだベースギターの音が聞こえている。そのまま、うりは眠った。



   ◆◆◆



 うりは、夢の中で、自分が半分目覚めていることに気がついた。目の前の出来事と自分自身が分かれている。当事者であると同時に観察者として、うりはそこにいた。


 あの日、公園の出口で譲が待っていた。


 譲は、ふたりと同じようにサザンカで育てられていた男の子だ。小学4年生だが、体が小さくて、まだ1年生くらいに見えた。体も手も足も細く、でもよく日に焼けていて、落ちついて座っているということがない。いたずら好きで、すこし意地悪なところがある子で、ほかの子供とよくトラブルを起こしていた。


「夕ご飯だよ、帰ろう」


 小夜子が声をかけた。譲はこちらを見て、にやにや笑っている。なにかやる気だ、と、うりが思った途端、譲が白い塊を投げた。うりは反射的に、顔の前で、手で受け止めた。


 それは小麦粉を詰めたビニール袋だった。袋は見事に破裂して、うりは真白になって咳き込んだ。


「こらっ! ……あ……ごほっごほっ」


 怒ろうとしたが、苦しくて声が出ない。目も見えない。


「やーい!」と言って、譲は一目散にサザンカのほうへ走りだした。ふたりはあとを追った。


(――だめ、小夜ちゃん!)


 うりは夢の中で叫んだ。


 譲が、サザンカの前の道路に飛び出した。


 この道路はいわゆる裏道で、住宅街にも関わらず自動車がかなりの速度で走り抜ける。危ないから気をつけるように、と、香澄が子供たちによく注意していた。


「んっ!」という、小夜子の声が聞こえた。朱い光の中に、香澄の作った向日葵色のワンピースがひるがえった。


 甲高い軋み音、鈍い音、衝突音とクラクション。すべては一瞬だった。



   ◆◆◆



(――小夜ちゃん……小夜ちゃん……小夜ちゃん!)


 うりは目を覚ました。胸の中で、小夜子を呼ぶ声がこだましている。


 全盲のせいで車に気づかなかったのではない。小夜子は、飛び出した譲を救うために自分の体を投げ出したのだ。


 譲は擦り傷を負い、小夜子は病院で亡くなった。そのとき、小夜子は高校1年生、うりは中学2年生だった。


 うりは荒い息をついて、ベッドに横になっていた。肌が、ひりひりと冷たい。


(小夜ちゃんが死んだっていうのに、世界は石みたい。こんなの、ひどいよ……)


 頬を流れる涙を、うりは手でぬぐった。


 そのあとの光景が、うりの脳裏に映画のように映し出される。



   ◆◆◆



 病院の救急治療室の大きな窓のむこうに、小夜子が寝ていた。たくさんの機械が光を放ち、チューブが何本もシーツにもぐりこんでいる。小夜子の父親と、母親の香澄が、ベッドの横で小夜子の手を握っている。


 小夜子とうりの目が合った。小夜子は、ふるえる手でチューブのついたマスクをつかみ、止める父親を制して顎の下までズラした。


(――小夜ちゃん)


 うりは心の中で呼びかけた。


 香澄が病室から出てきて、うりを中に入れた。小夜子の唇には色がなかった。


「うり……」


 たしかに声は聞こえたけれど、それが音として聞こえたかどうか、うりには分らない。あのとき、小夜子はただ、うりを見つめていただけだ、と、あとで香澄が言ったから。


「泣か……ないで……」と、小夜子が言った。


 うりは小夜子の手を取った。


「小夜ちゃん、わたし……」


 声がふるえた。手も、きっと、ふるえていたと思う。小夜子の目と唇が、ほんの少し動いた。笑ったのだ。


「私のライト……あげる。うりを……守って……くれる」


「……い、いらない」


「どう……して?」


「あれは小夜ちゃんのだから。小夜ちゃんが、わたしを守って」


 小夜子は微笑んだ。


「うりに……あげたいの……」


 あたたかい筋が、うりの頬を滑りおちた。小夜子は、ちいさな笑顔のまま、うりを見つめた。


「うり……大好き……」


「わたしも、小夜ちゃんが大好き」


 香澄が、口に手を当ててうずくまった。


 うりは我慢するのをやめた。涙も、鼻水も、嗚咽も、手のふるえも、そのままぜんぶ、小夜子に伝えよう――。


「夢……叶えて……」


「……うん」


「声……ちいさい……なあ……」


 それが、小夜子の最期の言葉だった。



   ◆◆◆



「……らじゃー」


 小夜子への最後の返答を、うりは声に出した。声は暗い天井に吸い込まれた。


 小夜子にとどいていたろうか――きっと、とどいていた。小夜子は、最後にうなずいたから。

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