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アカムとうり 悪の魔王ともうすぐ死ぬ子  作者: 佐藤いふみ
         2節 小夜子の思い出
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 ベッドの上で思いにまかせて考えを巡らせるうりを、スツールの上の写真立てから、小夜子の笑顔が見つめる。


 その写真は、園長からカメラを借りて、ふたりで撮り合ったものだ。あのとき、小夜子は自分では写真を見られないのに、カメラに触りたがった。そして、自分で撮ったうりの写真を、いつも大事に持ち歩いていた。


 園田小夜子は、儚げで美しい少女だった。少しさがった眉の下で黒い瞳が黄金色にひかり、うすいピンクの唇は優雅で、まっすぐな黒髪は艶やかな滝のよう。写真では分らないけれど、髪は腰のあたりまである。


 この清楚な美少女の世界は終わってしまった。だから小夜子は、うりがこの部屋に住んでいることも、服飾工場で働いていることも、あと半年で死んでしまうことも、なにも知らない。そのことは、うりにあらためて死を思い知らせる。世界は断絶してしまったのだ。


 この木造アパートの染みだらけの黄色くて薄い壁。うりがこの部屋に越して来て、もう2年になる。


 サザンカの園長の紹介で部屋を借りて、敷金と礼金と、最初の3か月分を出してもらった。それからは自分で稼いで今日までやってきた。楽しいことはそんなになかったけれど、縫製の仕事は未来につながっていたから、辛さよりも前にすすむ手応えが勝っていた。


 けれど、うりが思い描いていた未来は、なくなってしまった。うりの世界は半年後に終わってしまう。小夜子の世界が終わってしまったのと同じように。


 いつのまにか、隣室の鳴き声がおさまっている。そのかわりに、いまは下階から重低音が聞こえる。窪田という青年がベースギターを弾いているのだ。窪田はミュージシャンを目指していて、うりも何度かライブに誘われた。


 窪田には未来がある。けれど、うりにはない。それがとても残念だ。とてもとても残念だ。


 やがて、子供たちの声が聞こえてきた。学校が終わったのだろう。公園に遊びに行くのだろうか。それとも、家に帰ってゲームだろうか。塾だろうか。甲高い声が、つぎつぎに通りすぎる。


 うりと小夜子も、サザンカの近くの公園で、よく遊んだものだ。その公園には、錆びた滑り台と、ちいさな鉄棒と、砂場があった。それから、龍と虎の遊具があって、ちょっと不思議な雰囲気をかもし出していた。うりは、あの日を思い出した。



   ◆◆◆



「旦那がた、今宵は闇夜ですかい?」と、小夜子が言った。細くてやさしい声で一所懸命にドスをきかせている。


 小夜子は、15センチほどのアルミの懐中電灯を逆手に持っていた。それは軍用フラッシュライトで、小夜子の祖父である夜介じいちゃんからの誕生日プレゼントだ。


「このライトは凄く明るくて、目に当てれば、しばらく見えなくなるぞ。ボディは凄く硬くて、ナイフだって受け止めるし、先っぽのスパイクは近接戦闘用で、ストライクベゼルっていうんだ。かっこいいだろ。短棒のように使えて、小夜子に最適のお守りだ」と、じいちゃんは得意気に語っていたっけ。


 小夜子は、そのライトをベルトに提げて持ち歩いていた。

「なに言ってんだ、てめえ! 闇夜がどうしたってんだ!」と、うりが応じる。白いステッキを正眼に構えて小夜子と対峙。龍虎が2人を見つめる。


 ひと呼吸おいて、うりが切りかかった。小夜子はステッキをぎりぎりでかわし、振りきったステッキをフラッシュライトで押さえて、うりの動きを封じた。舌を巻く見事な見切りと足さばきだった。


「しゅばばばっ!」


 叫びざま、小夜子がフラッシュライトを縦横に振るう。


「なに、ちょ、提灯を!?」


 うりは首をふって、うろたえる演技をした。


「な、なにも見えねえ!」


 小夜子が、うりと交錯しながらフラッシュライトを振りぬく。


「ぐあああぁぁぁ!」


 悲鳴をあげて、きりもみ回転しながら、うりは小夜子にもたれかかった。


「すいやせんねぇ、旦那……くふふ」


 つぶやくや、小夜子はうりに小さく頭を下げた。――刹那、うりの体が宙を舞った。ぴしりと安定した正中線から繰り出す、みごとな投げだった。うりは咄嗟にステッキをはなして受け身をとった。


「――ちょっとぉ、ひどいよ、小夜ちゃん」


 うりは起き上がって文句を言った。


「あははは、ごめんごめん」


 小夜子は、いつものようにおおきく笑った。


 小夜子は幼くして合気道の達人だった。小学校五年から中学2年まで全国優勝している。サザンカの敷地内の合気道場で夜介じいちゃんが鍛え上げた。


 合気道をしている小夜子を見て、全盲であるとわかる人はいなかったろう。目が見えないことを逆に武器として磨き上げたその動きは正確無比で、大人の男も小夜子に敵いはしなかった。うりも、小夜子と一緒に毎日稽古していた。


「もう殺されてたのに、だめ押しで投げないでよ」


「だって……くくく……絶対……座頭市……はぁはぁ」


「無理して、しゃべらなくていいよ」


 うりは放り投げたステッキを拾った。笑いがおさまらない小夜子は、手の平をうりに向けて、待っての合図を送り、落ちついてから、あとを続けた。


「座頭市って、ぜったい合気道、うまかったと思うんだ。まだ合気道はなかったんだけどね」


「前からいってるよね、それ」


「うん、だって絶対そうだもん」


「だからって斬った相手は投げないでしょ」


 うりが頬をふくらませる。小夜子はうりの二の腕をとって、親指と人差し指で、うりの頬をはさんだ。


「ごめんてば。急に投げたくなるときって、あるじゃない」


「中毒だよ。お稽古じゃ足りないんでしょ」


「うりを投げたいの」


 小夜子は実に楽しそうだった。


「あたしも小夜ちゃんみたいに強くなりたい。全国大会に出たい」


 小夜子は、ちいさく首をかしげた。


「うりなら練習すればいけると思うけど、勉強のほうが大事じゃないの。高校に行って、縫製の学校に入るんでしょう」


「してるよ、勉強。ちゃんと。香澄さんにも教わってるし」


 ふたりの横を年下の男の子たちが駆けていく。もう夕食の時間だ。朱に染まってのびやかな雲をながめながら、うりは、綺麗だね、とは言わない。


「うりの夢は、きっと叶うと思う」と、小夜子が言った。


「わたしのウェディングドレスを作ってくれるんだよね」


「うん、そう」


「絶対ね」


「らじゃー!」


 うりは元気よく言った。


 真面目にやっていれば良いことがやってくるはずだし、目の前に横たわるたくさんの時間が必ず夢を叶えてくれる。あのときは、そう信じていた。


 夕焼け空を向く小夜子の表情は、どこか寂しげだった。小夜子は、たまにそういう表情をした。そんなとき、普通の人には見えないなにかを見ているのだろう、と、うりは思っていた。


「小夜ちゃん、帰ろう。香澄さんを手伝わなくちゃ」


「らじゃー!」


 こんどは小夜子が、当時ふたりの間でだけ流行っていた了解の合図をいった。


 うりが小夜子の手にステッキを握らせ、ふたりは香澄の夕食が待つサザンカへ、手を取りあってかけだした。かけだす直前、小夜子はうりに微笑んだ。きれいな瞳に、うりの顔が写っていた。


 盲目の小夜子には、その光を感じることはできない。でも、小夜子は自分を見ている、と、うりは思っていた。キラキラとかがやく大きな瞳の向こう側に、うりはいつも、自分を見守る眼差しを感じていた。

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