18
アカムはアキオが逃げたと思われる方向に歩きだした。なにもかもが、アカムの周囲5センチの空間を避けて通っていく。足もとには上階から落ちてきた刑事や、1階にいた職員が血を流して倒れている。
町田警察署は大混乱におちいっていた。崩落が連鎖して、もうもうと立ち籠める土煙のなか、人々が我さきに逃げていく。だれもアカムになど注目していない。
「ああ……痛い……」
瓦礫の中から声がきこえた。見ると、青い服を着た年輩の女性が倒れている。足をコンクリートに挟まれているようだ。
アカムは女性の前で止まり、左手をゆっくりと下から上へ振った。瓦礫が持ち上がる。
(よし、細かい制御もできそうだ)
「動けますか?」
アカムの問いに女性は首をふった。大きな出血は見えないが、足が折れているのかもしれない。
アカムは瓦礫を移動して下ろしてから、女性の足に触れた。後頭部周辺が微かに光る。
「立ってみて」
女性はおそるおそる立ち上がった。
「あ、あれ? 痛くない……」
アカムは満足顔で歩きだし、3歩目からは宙に浮いて滑るように移動をはじめた。
(あんまやったことなかったけど、イメージ通り色々できそうだな)
ほどなく、人をかき分けて逃げるアキオを見つけた。高度を上げて人々の頭上を飛び越し、アキオの髪をつかんで引き抜くや、天井に叩きつける。そのまま正面玄関ホールに放り投げた。
正面玄関ホールには瓦礫が山積し、逃げる人は迂回して誰もいない。瓦礫の山にワンバウンドして地面に転がったアキオの、すぐ横に着地する。
アキオが獣のように暴れるのを、もう1度髪の毛をつかんで持ち上げる。アキオのほうが背が高いので、手をいっぱいに伸ばして、ようやく宙吊りになる。髪が、ぶちぶちと音を立てて抜ける。アキオは、アカムの腕につかまって、アカムの上半身を闇雲に蹴った。
アカムは好きなようにさせておいて、ホール中央に手の平を向けた。後頭部が閃光を放ち、瓦礫が爆発する。ただでさえ混乱していた人々が、悲鳴を上げて、前を行く人の背中に突進する。
爆発で、玄関ホールには一辺20メートルほどの四角い空間ができた。壁が壊れて、向こうに駐車場が見える。爆発の影響で車がひっくり返っている。新しい出口に気づいた人が、そちらへ走りだす。
アカムが腕を振った。アキオは乱暴に投げられた不幸な人形のように飛んで、壁に当たって落ちた。アカムの手に金髪と皮膚が、ごっそり残っている。
「おばあさんを襲ったのは、だれだ?」
うめくアキオの髪をつかんで引き上げる。
「ァ、が、ァ……」
返事を待たずに、こんどは背中側の壁に投げる。
「ひッい――っぎゃ!」
「おばあさんを襲ったのは、だれだ?」
また、吊り上げる。
「て、テメエ……だろ……が……」
肋骨の下に手を入れ、折る。妙な音が響く。
「オァ……ガ……!」
ジーンズの股間が染みて、ぽたぽたと水滴が落ちる。
「あ? 聞こえねえよ」
「……オ、オレたち……だ」
ゴキリ。
「イツァッ!……や、やめ……わかった……わかりました! オレたち……れす」
「おっっっせええぇぇぇぇ!」
アカムが腕を振り上げる。アキオは天井に激突し、剥離した材といっしょに床に落ちた。白目をむいて痙攣している。
「お前が歪めた俺の人生は――」
アカムの髪が一気に逆立つ。
「もとに戻らねんだぞおおぉぉぉ!」
アカムを中心に土煙が円形に広がった。ホールの天井が、壁が、床が、破壊されてゆく。アキオはゴミ屑のように転がった。
アカムは、またアキオを吊り上げた。弛緩した体から、血やそのほか、液体が床に垂れる。全身の穴という穴から出るものが出てしまっているようだ。
そのとき、空笑するアカムの足もとが突然の破裂音とともに弾けた。振り向いた視線の先で、血と埃で、どろどろに汚れた船井が拳銃をかまえていた。
「ああ、船井さん」
銃身が小刻みに震えている。腫れあがった目をしばたたかせながら、船井が言った。
「お、お前は――なんだ!?」
アカムが、ぐわっと目を開いた。その口が耳まで裂けているように、船井には見えた。
「俺? 俺がなにかって聞いたの? あはははは! 俺は、ただの人間だよ! でも、お前らのせいで――」
アカムの周囲の空気がざわめき、陽炎のように揺らぐ。アキオを吊っている手に、風が纏わりつくように集まっていく。
「お前ら、ゾンビのせいで――」
風と陽炎が一点に凝集する。
「俺は、ずっとなりたかったものに、なることにしたよ」
アキオの絶叫が、崩落する建物の轟音をおしのけて響きわたった。
「俺は」
「やめろおおぉぉぉ!」
船井が引き金を引いた。
アカムは弾丸をしっかりと目視した。その軌道を知り、自分が放つべき力の大きさと方向を確認する。後頭部がかがやき、弾丸が向きを変える。
殺意の因果が、船井の眉間を突き破って頭蓋の中身を破壊しながら後頭部へ抜けた。同時に、アキオを吊る手に集中した力が破裂する。こちらは制御できずに、船井へ力を放ったはずみで解放してしまった。アキオの体が何度か跳ね、動かなくなった。
「俺は悪の魔王になってやる」
アカムは、トマトジュースを拭いた雑巾みたいになったアキオを、投げ捨てた。




