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アカムとうり 悪の魔王ともうすぐ死ぬ子  作者: 佐藤いふみ
         4節 町田警察署の戦い2
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17

 船井は黙って煙草を吸っていたが、一本吸い終わって話しかけてきた。


「赤鉄さん、どうですか。そろそろ自供しては」


「弁護士が来たら話します」


「事実は事実。弁護士が来たって、なにも変わりません。ねえ、赤鉄さん。ご自分から認めたほうが、あとがずっと楽ですよ」


「…………」


 アカムはそれ以降沈黙を守った。15分ほどで岡村がもどってきた。


「いま手配を終えたので、1時間後には到着すると思います」


「1時間……」


(あと1時間も、これにつき合うのか。本当に時間通りにくるのか?)


「トイレは大丈夫ですか?」


 ふいに、岡村が言った。


「おい」と、船井。はじめて聞く低い声だった。こういうのをドスが利いているというのだろう。


「いや、船井さん。さっきコーヒーを飲まれて、ずいぶん経ったじゃないですか」


 岡村は、ごく普通にかえした。


「トイレ、行かせてください」


 すぐさま、アカムは言った。


(その手があったか)


 トイレ休憩という発想さえ無くなっていた。それだけ追いつめられていたのだろう。


(ここはいったん仕切り直したほうがいい。船井のはき出した口臭まじりの二酸化炭素が充満する部屋から抜け出して、頭を冷やそう)


「ちょっと待っててくださいね」


 船井が立ち上がって扉へ向かう。岡村の横を通りざま、鋭く睨みつける。


「いいじゃないですか」と、岡村が言った。


 扉がひらき、外の空気が流れ込んできた。高原の風のように爽やかで、アカムはいきかえる心地がした。


 船井は制服警官をつれて戻ってきた。


「規則なんでねえ、すいませんが、ご一緒しますよ。それと、これ」


 船井が手錠を掲げる。


 警察署内を移動するときに、いちいち手錠をするのかと疑問に思ったが、アカムは、ぐっと言葉を飲みこんだ。両手を差しだす。


「俺がやりますよ」


 手錠を受け取って、岡村がすぐ隣に来た。まるで壁が倒れかかってくるようだ。顔などアカムの倍はありそうで、柴犬と秋田犬のように、姿かたちは似ていてもサイズが違う。岡村がその気になれば、アカムの細腕など簡単に折ってしまうだろう。


 巨大な手がアカムの手首をつかみ、手錠をかけた。岡村の目が、一瞬、アカムを見て止まった。


(弁護士が来るまで何もはなす必要はありません)と言っているように、アカムには思えた。


 岡村は、「よし」と大きな声を出してアカムから離れた。


 制服警官が先に出て、つぎにアカムが扉をくぐる。すぐあとに岡村、そのうしろに船井が続いて扉をしめた。


(開けておけば空気の入れ替えになるのに)と、アカムは思った。


 取調室は事務所の壁にそって並んでいる。それぞれの出入口前にパーティションが立っていて、ちょっとした廊下のようになっていた。制服警官を先頭に、行列は細いスペースを通って事務所の出口に向かう。


 パーティションの隙間から見える事務所で、スーツ姿の男たちが仕事をしていた。アカムの会社ならノートPCやデスクトップPCがあって、社員は一心にキーボードを叩いている。一方、この事務所には電子機器がほとんどなく、かわりに書類が山になっている。一番の違和感は、事務所のほとんどの人が煙草を吸っていることだ。吸いがらでいっぱいの灰皿が、どの机にも置いてある。


(まるで昭和の会社だな)


 アカムは、TVで見た高度経済成長期の会社の風景を思い出した。制服の女性にお茶を淹れてもらい、居酒屋でくだを巻き、休日はゴルフをする。右肩あがりの昇給が当たり前で、数千万円のローンを組んで家や車を買い、収入以上の生活をする。インターネットはなく、情報はTVがコントロールした。みんなが似たような価値観を持っていて、安心して大勢に身をまかせられたことだろう。主流の価値観になじめない人は苦労したろうが、なじめる人は生き方が定まりやすく、働く力も出たのではないか。


(いつだってマイノリティは大変だけど――ん? 俺は、いまどっちだ?) 


 船井がマジョリティーで、自分がマイノリティーかもしれない。と、不安になる。


(否、なんかおかしいぞ。ズレてきてる。岡村は明らかに俺の味方じゃないか。気をたしかに持つんだ。弁護士が来れば、もっと主張できる。もし弁護士も向こう側だったら? その時は――)


 アカムの思考が途切れた。事務所の反対側の壁に気を引かれたのだ。


 その壁は全面ガラス張りで、むこうは小綺麗な部屋になっていた。事務机に婦警が座っていて、奥に木製の立派な扉が見える。重役の部屋だろう。


 その婦警が、昨晩、夢に見た黒髪の婦警だと気がついて、アカムは妙な気分になった。夢の気分がわき上がって、心の位置取りが日常からズレる。外界との境界が曖昧になり、自分が、足から床を抜けて大地へ染み込み、天井をつき抜けて空へ昇る。


 木製の扉がひらいた。あらわれた人物を見て、アカムは立ち止まった。


「さあ、歩いて下さいねえ」


 動かないアカムに船井が声をかけた。しかし、アカムは斜め前方を見て固まったままだ。


「止まらないでくださいねえ」


「……犯人がいたよ」


 声が震えている。船井と岡村がアカムの視線を追った。


 ガラス壁の中、扉の前に、黒いスカジャンにダブダブのジーンズを穿いた男がいた。長い金髪を白いヘアバンドでオールバックにしている。ナイフで裂いたような、つり上がった切れながの目。首にコルセット。


 見間違えようがなかった。それはたしかに、あの夜、アカムを袋だたきにして、おばあさんを足蹴にした金髪白ヘアバンドだった。へらへら笑いながら黒髪の婦警に話しかけている。


「押さえろ!」


 船井が叫んだ。制服警官が身を低くしてアカムの腰を取りにくる――タックルだ。


 アカムは半身にかわすと、制服警官の鳩尾に手錠の両手をたたき込んだ。制服警官は跳ね上がって天井に激突した。


「シッ!」


 鋭い呼気とともに岡村が膝蹴りを放つ。長身のため膝を高く上げる必要がなく、体重が乗る。だが、タイルカーペットの床に沈んだのは岡村だった。腹部への足刀一発――それだけで、剣をもたない剣道世界大会準優勝者は行動不能になった。


 背後から船井が襟を取りにくる。船井の得意は柔道なのだろう。振りむきざま、鼻柱に頭突きを入れる。額で鼻骨がわれる感触を味わい、そのまま回転。崩れおちる船井の頭を掠めた神速の後ろ回し蹴りがパーティションを吹き飛ばした。


 1枚30キロの鉄板が3枚、癇癪をおこした子供が払った積み木のように飛んで事務所を蹂躙する。什器が倒れる音が連続し、不意をつかれた刑事が直撃を受けて昏倒する。


 しかし、刑事たちがあっけにとられていたのは数秒だった。すぐに対応し、近いものは警棒を持ってアカムに向かい、後方のものは連絡に動く。


 明らかな多勢に無勢。しかも相手は訓練をつんだ荒事の専門家だ。だが、アカムにおそれはなかった。感覚が研ぎ澄まされ、身の内から力が湧いてくる。


 床をひと蹴りし、せまる刑事たちの頭上、天井すれすれを、錐もみ回転しながら飛び越す。空中で邪魔な手錠をちぎり、そのままガラスの壁に飛びこんだ。


 床から天井までの巨大なガラスは、いっしゅん真っ白になってから、盛大な音を立てて砕けた。固まる金髪白ヘアバンドの前にアカムが降り立つ。鼻と鼻がつきそうだ。


「よう。名前、教えてくれよ」


「らァあああッ!」


 金髪白ヘアバンドは、ポケットアウトオープンしたタクティカルナイフをアカムの喉めがけて突きだした。


 つい先日惨敗した相手に瞬間的に攻撃する戦闘意欲は見上げたものだが、あまりにも無謀だ。空手の内受けの要領でナイフを持つ腕をたたき折り、悲鳴をあげて倒れこむ金髪をつかむと、アカムは、ぐしゃぐしゃの顔をのぞき込んだ。


(なんて尊大で、傲慢な顔つきだろう。こいつが本当の敗北感に沈むことがあるのだろうか)


「おい――っ!?」


 アカムの言葉を、甲高い破裂音がさえぎった。足元のタイルカーペットに穴があく。木製の扉の前で、警察の制服を着た初老の男が拳銃・ニューナンブM60をかまえていた。


「手を上げて膝をつけ」


 よく通る低い声が言った。


「あんたが署――っ!?」


 今度は天井がはじけた。破片が、ぱらぱらと降る。


「手を上げて膝をつけ」


 刑事が集まってきた。


「あんたが署長で、こいつの父親かって聞いてるんだ」


「手を上げて膝をつけ」


 男がくり返し、刑事たちがニューナンブを抜く。


「さあ、赤鉄さん、落ちついて。ここは署長の言うことに従いましょう。悪いようにはしないから」


 刑事たちの前に出ながら、船井が言った。あふれる鼻血をスーツの袖で押さえている。


「暴れたって、あなたに益はないんです。ここは警察署ですよ。さあ、まずは人質を離すんです」


 アカムは船井を見たまま金髪白ヘアバンドを離した。しっかりとアカムに銃口を向けたまま、署長が言った。


「よし、いいぞ。悪いようにはしない。手を上げて膝をつけ」


 アカムの体がふるえた。右手で頭をかいて身をかがめ、のけ反って笑いだす。口角をつり上げ、大口をあけて、愉快で仕方ないといった様子で――。


 署長と船井が目を見合わせた。刑事たちが、いぶかしげな表情を浮かべる。


 アカムは、胸の内にわくわくと清々しい喜びが広がるのを感じていた。


(――これだよ)


 ぐるりを囲む銃口を見まわす。


(この状況なら、もういいよな)


 腹の奥から上がってきた言葉を、そのまま吐き出す。


「撃てえええぇぇぇ! お前らあああぁぁぁ!」


 刑事たちの顔面に、声が透明な壁となってぶつかった。発砲の停止をさけぶ署長の声を、連続する甲高い破裂音がかき消した。38口径の鉛弾が音速の数倍のスピードでアカムに迫る。


 船井は、被弾して崩れおちる赤鉄アカムをイメージした。しかし、弾丸はアカムの1メートル手前で静止し、めちゃくちゃな方向へすっ飛んだ。刑事がふたり被弾する。


「アキオ、逃げろ!」


 署長が叫んだ。


 金髪白ヘアバンド・アキオは、折れた腕をかばいながら四つん這いでアカムから離れた。それを確認して、署長と刑事たちが発砲する。


(いつもそうだ。みんなして非難しやがって)


 アカムは、こんどは慎重に、殺意の軌道にそって力を送り出した。


 署長の左目の下に血飛沫が花のように咲いた。信じられない、という表情で、まず署長が倒れ、刑事たちが続く。


「ひ、ひィィ……」


 血の海に沈む父親のすぐ横を、アキオがハイハイですり抜ける。向かう先は非常階段だ。


「待てよ、アキオちゃん」


 アカムが、ぼそりと言った。足もとの空気がはじける。衝撃波が何もかもを吹き飛ばす。


 船井は尻餅をつき、ちょうど転がり込んできた署長の体を受け止めた。署長は、すでにこと切れていた。


「いぎゃあ!」


 アキオが非常階段の扉に激突した。ずるずると扉をこすってへたり込み、それでも、ドアノブにしがみついてゴキブリのように逃げ出す。


「待てって」


 アカムが非常階段へ向かう。


「撃て!」


 自らも拳銃を抜き、船井が叫んだ。生き残った刑事たちによる一斉射撃がはじまった。


 アカムが髪を逆立てて振りむく。椅子が、机が、浮き上がってアカムを中心に回りだす。


「なんか、分かってきた」


 広げた右手を頭上にかかげ、一気に床へ向ける。力が向きを変えて事務所の床に襲いかかった。


 什器、書類の束、倒れてうめく刑事たちの体と血、署長の死体、おびただしい瓦礫とともに、アカムは1階へ落下した。

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