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アカムとうり 悪の魔王ともうすぐ死ぬ子  作者: 佐藤いふみ
         4節 町田警察署の戦い2
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 アカムは取調室で食パンとジャムと牛乳を食べた。普段の朝食は玄米パンと豆乳なので、朝食の内容だけに限ればいつもとかわらない朝だ。食事をして腹が温かくなって、少しほっとした。


「やあやあ、よく寝られましたか」


 船井刑事が取調室に入ってきた。煤けた茶色のスーツに毒々しい緑のペイズリータイ。昨日とおなじ恰好だ。


「失礼します」


 つづいて、丁寧な挨拶とともに、船井といっしょにアカムのマンションに来た刑事が入ってきた。


 190センチはあろうかという長身で、よく引き締まった体をしている。濃紺にチョークストライプのスーツ、濃紺無地のタイが上品だ。顔は縦に長く、張りだした頬骨の上にシルバーフレームの眼鏡がのっている。きびきびした所作から、まだ若いだろうと思われるが、顔だけなら30代後半に見える。


「こいつは岡村といいます。今日は同席させて下さいねえ。ごついでしょう?」


「岡村裕です」


「剣道の世界大会で優勝してるんです」


(昨日、暴れたから増員か)と、アカムは思った。


「船井さん、準優勝です。優勝は安藤院先輩ですよ」


「おお、そうだ。あの童顔のほうだ。こいつ、老けてるでしょう。こう見えてまだ20代なんですわ」


 アカムは岡村の声に聞き覚えがあった。朝、留置場にいたうちのひとりだ。気の置けない相手と話しているときとトーンはちがうが、たしかにこの声だった。


 岡村は会釈して、扉の前に立った。


「よっこら、せと」


 船井は、わざとだろ、と、つっ込みたくなるくらい騒々しい音をたてて椅子を引き、腰かけた。


「さて、赤鉄さん。昨晩はよく寝られましたかいねえ?」


「……あまり」


「ふむ。朝食、終わりましたか。おや、髭がのびてますねえ。すいませんねえ、急かしちゃいました? あとで電気カミソリを用意させますんで、それで剃ってくださいねえ」


 昨日と同じ調子で言う。


(早いうちに言った方がいい)


 アカムは飲みおわった牛乳パックを置き、船井の眼を見て、言った。


「会社に連絡させてください。無断欠勤になってしまいます」


 出社時間をすぎて1時間もすれば、上司から携帯端末に電話がかかってくる。だが、携帯端末はいま手もとにない。きょう出社できれば小さな嘘でいいわけも立つが、もし2日3日と伸びるようなら、警察に留置されていたことを告げざるを得ないだろう。それだけは避けたかった。


「すいませんが、赤鉄さん。しばらくは外に連絡できません」


 船井は、いかにも困ったという風に言った。


「無断欠勤になってしまいます」


「いや赤鉄さん、ですからね……」


「無断欠勤をするわけにはいきません」


「ふむ。まあ、あとでお話しましょう……いやいや、それにしても今日はやけに曇ってますなあ」


 船井はとぼけて煙草を口にくわえると、スーツのあちこちをまさぐった。


「あの不良少年たちの中に町田警察署の署長の息子がいるんですね」と、アカムが言った。


 岡村が息をのむのがわかった。船井は煙草を灰皿に置いた。


「どこで、それを?」


 岡村がごく小さく咳ばらいした。今朝のことに思い至ったのだろう。


「船井さん」


 口を意図的に大きく動かし、ゆっくりと言葉をつぐ。


「昨日から俺は嘘をいっていません。不良が、おばあさんから財布を取りあげて暴力を振るっていたのは事実です。注意した俺にも暴力をふるいました」


「ふむ……」


「そのあと、たしかに俺は不良少年たちを叩きのめしました。しかし、それは不良少年たちが、おばあさんにひどい暴力をふるったからです。俺への暴力には耐えていました。おばあさんから話を聞けば分かるはずです」


 船井は肩を盛りあげて表情をかたくした。


「しかし、あなたは部屋におばあさんの財布を隠していたでしょう。あなたのいう通り、その場で渡せなかったとしても、どうしてすぐに警察に届けなかったのですか?」


 船井の声から低い成分がぬけて口調がはやくなっている。これまでの、のんべんだらりとした話し方ではない。


(焦ってるな)


 そう思った途端、アカムは罰されているような気持ちになった。お前はなにもできない――父の声がきこえる……。


「それは……その点については俺もよくなかったと思ってます。おなじ町田に住んでるし、すぐ会えると思ったんです。正当防衛だけど暴力をふるったことを少し後悔していたのもあるし……」


「後悔? 後悔とはどういうことです」


「いや、すこし、やり過ぎたかなと……」


「やはり、あなたはね、赤鉄さん。意図して暴力をふるったんですな。自分にその力があることも知っている」

「いや、そんなことは……」


 船井はアカムの隙を見逃さなかった。みすぼらしく見えても、そこはベテランの刑事なのだ。


「あなたは少しばかりやり過ぎた。はずみだったかもしれない。けれど、赤鉄さん。あなたは救急車を呼ばなかった。大怪我をさせて、その場から逃げたんです。正当防衛だというけれど、実際の行動を見ると、けっこう、とんでもないことをしてますよ」


「お、俺だって動転していたんです! 喧嘩するなんて、めったにないんですから……」


「ふむ、めったにない。そのわりにお強いようで。やはりね、どうにもしっくりこない。あなたの証言と被害の程度が合わないんですわ」


 アカムは心がまた混乱状態におちいっていくのを感じた。この展開を望んだのは誰だ?


(ここで負けちゃだめだ。なんとか状況を変えないと……)


「財布の中を確認したんでしょう? だったら俺が中身に手をつけてないの、知ってますよね。それより、警察署長の息子のことです。俺は、署長の息子に手を出したせいで冤罪にされようとしてるんでしょう!?」


「関係ありませんよ」


 船井は、しれっと言った。


「でも、さっきは……」


「いや、すいません。プライバシーの問題というのがあってですねえ。それを心配したんです。我々警察としてはねえ、そこのところも充分に配慮しないといけないわけでねえ。それで情報の出所が気になったわけです」


 船井はアカムに言葉を選ぶひまを与えない。


「ふむ、じゃあ、昨日の続きに移っても? まあ、あたしが聞きたいのは凶器の件と、さっきの財布の件なんですがねえ」


「おばあさんに話はきいたんですか? 証言は?」


「事前に事情はうかがってますよ。助けてもらって感謝してる、と、おっしゃってました。でもねえ、顔や特徴は覚えてないというんですわ」


「それはおかしいですよ。相手は大勢でも、俺はひとりです。それを覚えてないなんて変ですよ」


「気が動転してらしたんでしょうねえ。路上に転がされて、ずいぶん蹴られたといってましたし。そこに誰かが来て助けてくれたとね。たくさんの人に囲まれて恐かったといってました。暴力をふるっていたのが何人なのか、助けてくれたのが何人なのか、そこらへんは覚えてないそうです」


「ショックで記憶が混乱したとか、そういうことですか? なら、会わせてください。お話しすれば、きっと思い出してくれます」


 船井は、ひらひらと手を振った。


「すいませんねえ、赤鉄さん。それはできんのです。ほれ、さっきも申し上げたように、プライバシーとか、いろいろとね、問題があるんですわ。あなたは、ほれ、被疑者なわけですし」


「被疑者?」


「はい」


 船井は煙草を深く吸って、紫煙を口から鼻へ逆流させて見せた。


「それに、おばあさんの怪我、ひどいですよ。少年たちのとそっくりでね」


「そんな……!」


 アカムは岡村を見た。岡村は眉根をよせて黙ったままだ。


 アカムは岡村に言った。


「あなたが今朝、言ってたじゃないですか。署長のバカ息子には困ったもんだって、言ってたじゃないですか!」


 銀縁眼鏡の向こうから、岡村が、じっとアカムを見た。


「出鱈目をわめくものじゃありませんよ!」


 船井が机をたたいた。


「本性をあらわしたな。威力で押し通そうとしても、そうはいかないぞ。岡村さん、話していた同僚を連れてきてください。あのときの話を、もういちど、ここでしてください!」


(味方がだれもいないなんて、そんなはずはない。不正を叫び訴えればいい。そうすれば、受けとってくれる人がいるはずだ)


「あのとき、まわりにたくさん人がいました。ほかに目撃者もいるんです。いまは携帯端末もあるんだし、誰かが写真を撮ってますよ。警察の捜査はザルですか!?」


「捜査ってのは拙速に結論を出すものじゃない。いま事実を積みかさねとる最中ですわ」


「だったら俺についても途中でしょうに。こんなに長く拘束されるいわれはないはずだ!」


「落ちつきなさいな。そこは善処してるところですから」


 腰を浮かせアカムの肩を岡村が押さえた。


「坐ってください。落ちついて。主張があるなら弁護士を呼んでください」


「――岡村」


 船井が、かたい声を出した。


「ひとりで大声を出しても通りませんよ」


「岡村!」


 船井の恫喝に気圧された様子もなく、岡村はアカムから目を反らさない。


 歯をくいしばって椅子にかけて、アカムは言った。


「弁護士を呼んで下さい」


 船井は唇をひん曲げて黙りこんだ。


「船井さん」


 岡村がうながす。


「……手配しろ」


 船井が岡村に吐きすてた。


 岡村が出ていくと、船井は背もたれに体をあずけて煙草に火をつけた。

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