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アカムとうり 悪の魔王ともうすぐ死ぬ子  作者: 佐藤いふみ
         4節 町田警察署の戦い2
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15

 袴田うりが渋谷駅前の大型LEDディスプレイを見上げる、その前日の深夜。赤鉄アカムは、町田警察署の留置場で目をあけた。


(いつのまにか寝てたんだな)


 静かだった。高窓から月灯りが射し、ときおり自動車のエンジン音がきこえる。留置場には時計がなく時間がわからなかったが、12時をすぎてかなり経っていると思われた。


 ふいに、かたい床を踏む音がした。廊下を誰かがやって来る。見回りだろうか。アカムの部屋の鉄扉が、ゆっくりと開き、制服姿の婦警がふたり入ってきた。


 ひとりは、取調室に向かう途中ですれちがった黒髪の美人だった。意志の強そうなはっきりした目をしていて、背が高く、歩様がしなやかだ。


 もうひとりは、昼間部屋に入ってきた、たしか佐々木婦警といったか。優しそうなタレ目が印象的で、黒髪の婦警より背はひくいが体の線が蠱惑的だ。明るい巻き髪が、大きな胸のふくらみを包んでいる。


 天井が、壁が、床が、みずから発光しているかのように輝いて、ふたりを照らす。


 黒髪の婦警が、「フフフ……」と笑いながら腰をくねらせて近づいてきて、しゃがんでアカムの顔をのぞき込んだ。


「あの……」


 アカムの動揺を無視して、口角をやわらかく上げて微笑みながらヘアピンを抜く。くせの残った長髪が胸元へ流れおちる。黒い下着が見えた。


「ねえ、見て」


 丸くつややかな膝頭がわれていく。タイトスカートがずれ上がり、月光が奥へ奥へと這いすすむ。アカムは、その小さな暗闇に注目せざるを得ない。


 あと少し……あと少し……。


 佐々木婦警がとなりにきてアカムの頬を両手ではさんだ。手の平がつめたい。親指が耳の穴をいじる。


「ん……」


 キス――冷たい舌。氷のような手がアカムの手に重なる。


「あ……んん……」


 佐々木婦警の吐息が頬に当たる。冷風だ。


 黒髪の婦警の膝が180度ひらいて、黒い下着がまる見えになった。今度は黒髪の婦警がキスをした。よく冷えたマグロの切り身のような舌が口の中で蠢く。


 ぼとり、と、なにかが落ちた。赤黒くぬれている。腐敗臭が漂う。黒髪の婦警が顔を離した。頬の肉が落ちて顎の骨と歯が見える。舌はアカムの口に残ったままだ。


「う……おごぉっ――!」


 舌が奥へ入ってくる。思わず喉奥につっ込んだ手に、佐々木婦警の指が張り付いている。


「んぐんっ……うえぇっ!?」


 冷たいものが食道を下っていく。飲みこんでしまった!


 黒髪の婦警の上着が肩の肉といっしょにずり落ちる。白い胸があらわれ、すぐに流れて落ちる。


 佐々木婦警が立ち上がった。胸の肉が、ふとももの肉が、体中の肉がくずれていく。スカートが落ちて、とろとろと肉が流れる。


 しなだれかかる2人を振り払って、アカムは反対側の壁にのがれた。月光に、散らばった肉片が浮かびあがる。


「うおっぷ……うぷ」


 口に指を入れて胃の中身を吐き出そうとするが、えづくばかりでなにも出てこない。冷たい感触が胃を通って、へそのほうへ移動していく。


 黒髪の婦警が顔をあげた。赤い表面に目や鼻のあとらしき穴があき、ざんばらの髪が簾のように被さっている。太く長いうなり声を溜め息のように漏らしながら迫りくる。


「もう、やめてくれ――」


 必死に見まわすと、背後の床に階段を見つけた。アカムは、手すりに飛びついて駆けおりた。


 下階は階段の途中から水中に没していた。腐った死体・ゾンビどもが腰まで水につかって喰い合っている。殴った腕がくずれ、殴られた体がちぎれ、肉片が水に浮く。囓って飲み込んだ腐肉が腹の穴から出てくる。部屋は真っ白で、水中に赤いソファがある。地獄の光景を朝のさわやかな光が淡々と照らしている。


 2階から婦警のゾンビが降りてきた。選択肢はない。アカムはゾンビのいる水に入った。


 襲われる覚悟だったが、意外にもゾンビはアカムに気づかない。満員電車のような密度のゾンビをかき分けて進む。悪意がいつこちらへ向くかと気が気ではない。やがて、ゾンビのいる部屋の向こう側に赤い扉が見えてきた。


(扉の先は、どうなっている? 無人の町をゾンビが徘徊しているとか)


 B級ホラーな展開が想起されて笑いがこみあげる。


(ついに追いつめられてゾンビに喰われる――結局のところ、それが結末なのかもしれない)


 扉まであと少し――。


 ガンガンガンガン!


 誰かが、何かが、外から扉をたたいた。執拗に、いつまでも、休むことなく、疲れを知らず、ノックが続く。


 白い部屋と朝の光、赤いソファと血と肉、そして赤い扉。鳴り止まぬ打撃音がアカムの心臓を締めつける――。




 アカムは目をひらき、自分が逮捕されて留置場にいることを思い出した。破壊的なノックの音だけが夢からはみ出して続いている。


(ゾンビが徘徊する夢から覚めても、まだ非日常の中か)


 首が、べったりと汗でぬれていた。毛布をはぎ取って体を起こすと、ひんやりした空気が、あっという間に眠りの暖をうばった。

 留置場は真っ暗で、神秘的な月の光など射していない。コンクリートの四角い空間がアカムを閉じ込めているきりだ。


 ふいに目眩がして、アカムは四方の壁が迫ってくるような圧迫感にかられた。


(――なんなんだ、一体?)


 かちゃり、と金属音がした。


(ノブが回った? もう朝か。いや、ノックに答えなかったから確認か) 


 扉の蝶番がきしむ。


(声かけもなしとは。プライベートなんてないんだな。さて、どう対応するか――)


 細くあいた隙間から赤黒い手が出てきた。空中をさぐるように動いて扉のふちをつかむ。指の肉が溶けて扉の表面を流れ落ちる。ぎいい、と扉がひらく。重症の肺炎患者のような吐息が聞こえて、警察帽がのぞく。


 それは、アカムを留置場まで案内した看守だった。無残に腐りおちた顔面の、黒々とした眼窩から、眼球が何かの繊維に吊られてぶら下がっている。看守は、その眼球を、つるりと吸いこみ、汁を飛ばして噛みしめた。


 アカムは戦慄し、叫び声を上げようともがいた――。




 夢の中で上げようとした悲鳴が喉の奥に張りついていた。こんどこそ眼がさめたと実感でわかる。寝汗でシーツが体に張りついている。手足が重く、指の先まで重力を感じる。心臓が強く打って、肋骨が痛い。


 灰色の天井、灰色の扉。留置場は静まりかえっていた。うまく体が動かないので、目ざめた姿勢のまま、いましがた見た夢を反芻する。覚めても覚めてもつづく悪夢――。


(せめて、あの扉をあけてみたかったな)


 ゾンビと、赤と白の部屋と、その向こうの赤い扉。もし、あけていたら、どんな世界が広がっていたろう。いまここで赤い扉を思い浮かべ、ひらこうとしても、扉はおしだまって動かない。


(いやむしろ、あの扉があかないことが希望なのか。ノックは問いかけだ。ゾンビじゃない別のだれかが現れるかもしれないじゃないか)


 首を左右に曲げる。手足の指のかたちを変えてみる。ゆっくりと息を吸い、吐く。


「あー」


 声を出してみる。


(……よし)


 ようやく落ちついて、起き上がると、アカムは部屋を眺めた。高窓の鉄格子から朝の光が入りこみ、避暑地の朝とまではいかないが爽やかといえなくもない。


(シャワーを浴びたいな。――ん?)


 夢と同じように廊下に靴音が聞こえた。


(近づいてくる)


 やがて、話し声が聞こえてきた。どちらも男の声だ。気楽にうわさ話を楽しんでいる、という風情だ。


「……また、署長の……らしい……」


「ここ……被疑者が相手……息子のほう……因縁つけ……」


「……いそうにな……人目だよ……ったく……」


 ふたりは扉の前で立ち止まった。アカムは、そっとベッドを出て扉に近づいた。


「……今回は、かなりやられたらしいよ、息子」


「本当かよ。普通のサラリーマンて感じで、そんな風に見えなかったけどな。あいつ、バカだけど、かなりやるだろ。バカだけに加減知らんし。なんか格闘技でもやってたか」


「まあ、そのあたりは船井さんが問いつめてるけど。署長は、かなり怒ってるな」


「ああ、そっか。俺らはスッとするけど被疑者はたまらんな。じゃあ、かなり?」


「みたいだな。船井さん、飼いならされてるからな」


「なんとかならないのか?」


「緊急逮捕、家宅捜索だよ」


「あ~あ、じゃあ立件か」


「だな」


「なんとかしてやりてえなあ。けど署長が相手じゃな」


「まあなあ……」


「ユタカ、お前、あんま正義感だすなよ」


「署長が辞めたら、息子をしょっぴくんだけどな」


「署長が上いったらどうすんのよ。ますます、むずかしいだろ……おい」


 新たな足音が廊下をやって来て、ふたりはもと来たほうへ去った。


(……どういうことだ?)


 自問するふりをしてみたが、会話をそのまま受け取れば答えは明らかだった。


 あの不良少年のひとりが警察署長の息子で、暴行の罪をのがれたばかりか、痛めつけられた腹いせにアカムを犯罪者にしようとしている。


 事実なら我慢できそうにない。


(でも、もし我慢しなかったら、どうなる?)


 なにもかも壊れて人生がめちゃくちゃになってしまうだろうか。犯罪者になって、憧れていた色々なこと――幸せが、手のとどかない夢になってしまうだろうか。


(……慎重にやろう)


 あの船井という刑事にしたって、大人で、社会人だ。刑事になったのだって立派な動機があったはずだ。まずたしかめて、話をしよう。


 さっきの警官も問題意識を持っているようだし、署内では有名な話なのだ。それなら、しっかり話せば、きっと解決が見える。


(さっきの立ち話が俺のことじゃない可能性だってまだある――それはないか)


 廊下にふたたび靴音が響き、扉がノックされた。昨日の看守が、洗面をすませてから取調室で朝食を食べるように、と言った。

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