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アカムとうり 悪の魔王ともうすぐ死ぬ子  作者: 佐藤いふみ
         3節 余命半年の少女
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 赤鉄アカムが町田警察署の留置場で眠れぬ夜を過ごしていた、その翌日。


 袴田うりは、槇則医院を出て、道元坂上の交差点まで歩いて、立ち止まった。黒目がちのおおきな目が、くるりと動く。かたちの整った小さめの鼻の下に、これもまた小さめの桜色の唇が健康的だ。


 うりは丸顔を気にしているが、最近、いっそのことと思いきってショートボブにした。これは結構うまくいったのではないかと自分では思っている。木を隠すなら森の中――で、喩えは合っているだろうか。


 今日は、ベージュのスカートに濃い花柄のブラウス、その上にモスグリーンの大襟のコートを羽織っている。黒いストッキングに、足もとは黒いスニーカーで、ハンドバッグも黒。どれも、古着屋で安く揃えたものだ。ハンドバッグのメッシュポケットから黄緑の定期入れがのぞいている。


 力尽きた大蛇のように寝そべる首都高速3号渋谷線の下に、銀と赤のバスが潜り込んでいく。そのあとに、黄色のタクシーや様々なかたちの自動車が、違うかたちのヘッドライトをつけて、違ったエンジン音を響かせて続く。重い曇天から、いまにも雨粒が落ちてきそうだ。3月のはじめ、午後6時半。冬は去りつつあるが、桜にはまだ遠い。


 病院に入る前と、なにが変わったというわけではない。夕方だったのが夜になっただけだ。それなのに、うりには、まったく別の街に見える。


(座頭市が活躍する夜だ)


 小夜子とよくやっていた座頭市ごっこを思い出して、笑みがもれる。大きな目がわずかに細くなり、鼻のつけ根にしわがよったが、すぐに、薄い上唇が綺麗な上歯をかくした。


 輪郭にそってカットされた丸いボブがゆれ、高い腰が滑るように進みだす。


(小夜ちゃん、わたし、もう夢を叶えることはできないみたい)


 槇則医師は、うりの余命を半年と言った。


 普通なら、保護者のいない状況で未成年に話すことはできないそうだ。けれど、うりには親戚がいないし、前回いっしょに来た香織は今日は来られなかった。それで、例外的に告知を受けた。


 発作を薬でおさえれば死ぬ直前まで意識は保てるし、ひどい痛みもないという。でも、身体機能は徐々におとろえて普通の生活は難しくなっていく。


 発作で失神する可能性もあるし、精神的にも辛くなるだろうから、ホスピスに入ってはどうか。と、槇則は言った。


 ホスピスとは終末医療施設のことで、そこへ行けば、おなじ境遇の人たちと心おだやかに過ごせるそうだ。専門の医師や看護師もいるし、いざというときも安心とのこと。


 うりは説明を聞きながら、ぼんやりと診察室を見まわしていた。


 槇則の机に写真があった。白衣の人たちの集合写真で、年齢も人種もばらばらだ。最後列の右端で、若いころの槇則が笑っていた。槇則は外国で勉強してきたのだろう。いいなあ、と思った。昔の写真なのに、未来への希望が写っていた。


 ホスピスについては、香織と相談すると言って保留にした。残りの時間をどう過ごしたいかなんてまだ分からないし、そもそも、自分の命が半年で尽きるということが飲み込めない。それに、この日常の延長でやりたいことがあるのだ、と、心の奥から声が聞こえる気がするのだ。



   ◆◆◆



 うりが病気に気づいたのは、ほんの8日前のことだ。


 その日、うりは生まれ育った養護施設・サザンカに向かっていた。子供たちに買ったケーキを持って、乗り換えのために町田駅で電車を降りた。その改札で、いきなり見知らぬ男に怒鳴られ、つき飛ばされた。そうしたら体が動かなくなって、受身もとれずに倒れてしまった。


挿絵(By みてみん)


 目が覚めたら総合病院の病室にいて、そばに香澄と社長がいた。園田香澄はサザンカの寮母で、うりを育ててくれた人だ。園田小夜子の実の母親でもある。社長は、うりが勤める服飾工場の経営者だ。


 うりは中学を卒業と同時にサザンカから独立した。芸術大学に入って服飾デザイナーになる夢を叶えるため、園長のコネで服飾工場に就職したのだ。朝から晩まで働き、帰ってから勉強の毎日だった。薄い壁ごしに聞こえる、隣の女の、子犬みたいな喘ぎ声にも不本意ながら慣れた。


「うり、もう大丈夫だよ。大変だったね」


 香澄は、うりの髪をなでた。


「よかった、うりちゃん。心配したよ。体はどこも痛くないかい?」と、社長が言った。


「……えっと、わたし、どうしちゃったのかな?」


 香澄が、ゆっくりと答えた。


「町田駅で倒れたのよ。いちおう、これから検査があるからね」


 社長は、会社をしばらく休むように言って、帰っていった。


 その日は、血を採ったり、首やお腹に機械をあてたり、丸いドームにもぐったりして過ごした。


 香澄と病院に泊まり、翌朝、検査結果を聞いた。脳に問題がある、と言われた。詳しい検査のため、その病気の第一人者に紹介してくれるという。うりを担当してくれた医師が先方と懇意で、すぐに予約を取ってくれるとのことだった。


 翌日に予約してもらって、うりと香澄は病院を出た。費用は香澄が払ってくれた。


「明日も、いっしょに行くからね」


 香澄が念押ししたのは、こういうとき、うりが1人で行きたがるのを知っているからだ。 


 次の日、うりと香澄は渋谷の槇則医院を訪れた。槇則医院は、道玄坂をのぼって、ひとつ入った路地にあった。


 槇則医師は、白衣を着てオレンジのネクタイをした、やさしそうなオジサンだった。お腹がすこし出ているが、中年太りというほどではない。ウェーブのかかった濃い茶色の髪を上品にうしろに流していた。


 槇則は、まず、うりの検査結果に眼をとおした。


「倒れたとき、どんな感じでした? 体調のことですけど」


「体に力が入らなくなりました。動けなくなって、それで倒れました」


「押されてショックを受けて、それがきっかけになったかもしれませんね。娘さんは麻疹はやりましたか?」


 槇則は、こんどは香澄にたずねた。


「はい、3歳のときにかかってます」


 うりは、はじめて聞いたのでおどろいた。3歳といえば、引き取られたばかりのころだ。


 槇則は、親指と人さし指で眉間をおさえて両目をつむった。椅子をまわして机にむかうと、ペンを動かして、なにやら書きはじめる。しばらくして、うりのほうを向いた。


「追加で、もうひとつだけ検査をしましょう。それで分かりますから。昨日から大変だろうけど、我慢してね」


 うりがお金のことを聞こうとすると、それを察したかのように香澄が、「どうぞお願いします」と、言った。


「血液検査ですから、すぐですよ。4日後に、また来て下さい」


 それまでのあいだ、うりはサザンカに泊まることになった。途中で、子供たちのためにケーキを買った。



   ◆◆◆



 4日後の今日、うりはひとりで槇則医院にきた。サザンカの子供がふたり、高熱を出したのだ。うりが泊まって、はしゃいでいたので、そのせいかもしれない。あいにく大人は香澄しかいなかった。


「大丈夫。きっと大したことないし、ぜんぶ報告するから」


 香澄は、今日もサザンカに帰って来ると約束させて、うりを送りだした。


(あー、なんて伝えよう……)


 渋谷駅に近づくにつれて、人波が、狭いところに押し込まれていく。導線が集中しているうえ、立ち止まっている人や集まっている若者がいて流れが滞る。有名なスクランブル交差点につくころには満員電車のようになっていた。渋谷駅のほうからも続々と人がやってくる。


 スクランブル交差点の歩行者信号が赤になって、ごおごおと車が走りだす。それぞれのかたちで生を謳歌する人々の端の端で、うりは、ぽつりと立っていた。やがて、重いギアでスタートした競技自転車みたいに、人波が動きだした。


 歩きだそうとして、うりは後ろから肩をつかまれた。たたらを踏んで振り返ると、赤い髪の背の高い男が立っていた。


「こーんばーん、わっ!」


 片手で、いないいないばあをする。両耳に、ぞろりとピアスをしている。腰に巻いたチェックのネルシャツがスカートのようだ。


「お!? すげー可愛いじゃん。ねえ、マジ遊ぼうよ」


 もうひとりの茶髪の男が言った。口が動くたびに牛のような鼻ピアスがゆれる。


 いつのまにか、うりはシャッターの閉まった店先に追い込まれていた。街ゆく人は、淀みをさける川の水のように通りすぎていく。


「困ります。わたし、行きますから……」


 ふたりの間をすり抜けようとした、うりの手首を赤髪がつかんだ。


「そんな、こわがんないでよ。ね? なんなら友達呼んでもらってさ、みんなで飲もうよ」


「わたし、未成年ですから」


 べたべたした言葉のわりに、やっていることは強引だ。手首をつかむ力も強い。男たちに、うりを解放する気はない。手首を引かれて、うりの肩が赤髪の胸にぶつかった。


「や、やめてっ!」


 体をさばいて腕を抜きたいがスペースが狭すぎる。うりは、自由になるほうの手をハンドバッグに入れた。


「遊ぼうって言ってアッ!?」


 突然、赤髪の顔面を強烈な光がおそった。たまらず手をはなして目を覆う。


「なにしてんだっ!」


 茶髪が、うりの手首をつかむ。うりは、なにやら黒い棒をにぎっている。うりが、す、と腰を沈めた。


「痛て痛て痛てえええぁああっ!」


 茶髪が地面に両膝をついて悶絶する。黒い棒の先端の棘が手首に食い込んでいる。


(こうだよね、小夜ちゃん)


 ぐぎり、と音がするまで重心を落としつづける。やるときは、きっちり最後まで――だ。


 赤髪が薄目をあけて突っ込んできた。空いたスペースを利用して体をさばき、半身にかわす。ついでに足を引っかけてやると、赤髪はシャッターに頭をぶつけて動かなくなった。


 そのまま180度旋回し、ショルダーバッグをかかえて走りだす。点滅する青信号が、横断歩道なかばにいるときに赤にかわった。車たちが、のそりと動きだす。


 うりは走りつづけた。


 息が切れる。


 胸が熱い。


 喉が渇く。


 苦しい。


 怖い。


 でも、まだ生きてる。


(わたし、まだ生きてるよ。小夜ちゃん――)


 走りながら目をとじる。周囲の息づかいと空気の流れを感じる。誰ともぶつからない、誰の足もふまない。小夜子と練習した技だ。


 そのまま人波をすり抜けて横断歩道を渡りきる。目をひらき、広場にある緑の電車をすぎて、地下通路の入り口にむけて急反転。はばひろの階段から津波のように出てくる人々のあいだに飛びこんだ。


 そのとき、まるで指揮者の助言に耳を澄ますオーケストラのように、渋谷駅前のざわめきが止まった。異様な雰囲気に、うりも階段の手前で立ち止まって、みんなの視線を追った。


 スクランブル交差点のむこうで巨大ディスプレイが明滅している。故障を思わせる不規則なノイズが走り、やがてアイドルの笑顔が消えて、どことも知れぬ廃墟があらわれた。


 崩れた壁、瓦礫だらけの床。画面中央に、よく日に焼けた中年男性がいて、マイクを持ってしゃべっている。でも、音は聞こえない。カメラが横を向いて――。


「なにあれ、映画?」


「コスプレじゃね?」


 隣のカップルがそれぞれの推測を口にする。


 黒いソファにふたりの婦警が座って――否、座らされている。きつく猿ぐつわを噛まされて、縛られている。


 ふたりは、かなりの美人だった。制服の上から縄が食い込み、胸元がはだけて白い谷間が見える。長いきれいな脚がM字型に固定されて、太ももと下着がまる見えだ。異常に汗をかいて、下着が湿って透けている。


 ソファのうしろから、さっき映ったのとは別の男が出てきた。水色のポロシャツに紺のジャケット、薄いグレーのウールパンツ。ぼさっとした黒髪の地味な男だ。


 上機嫌そうに笑っているが、目の隈と荒れた肌のせいで倦怠感がにじみ出ている。埃っぽい画面のなかで、男だけが妙に浮いて見える。男はしきりに話したが、やはり音声はなく内容はわからない。


 男が身をかがめて婦警ふたりの肩を抱いた。下着に手を入れて胸をさわる。男が手を動かすせいで、赤と黒の下着がずれていく。


「いやだ……」


 斜め前の初老の女性が口もとを押さえた。


 男が下腹部に手を伸ばす。婦警は顎をあげて、ぶるぶると震えた。苦しいうめき声が聞こえてきそうだ。


 ひとしきり腹を撫でたあと、男がこちらを向いた。画面ごしに目が合う。光のない黒目が穴のようだ。男は大声で何か言った。そして両手を拳にして、婦警の下腹部に、腹のかたちが変わるほど押しあてた。


 渋谷駅前が騒然となった。耐えられなくなった人がしゃがみ

込む。


「これ、なに?」


 うりは無意識に下腹部を押さえて、魂をうばわれたように映像を見つめていた。

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