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陸とひまりは非常階段まで進んでいた。渋滞は羊腸に詰め込まれた挽肉のように、じりじりと進む。一段降りるたびに足場を探り、中腰で足を下ろす。かなり、きつい。
人々の頬には涙のあとがあったが、突然のあの悲しい気持ちは、もうなくなっていた。
11階の踊り場手前で大きな揺れがきた。階段全体が傾いて壁に押しつけられる。満員電車が、ちょっとした余興に思えるほどの圧縮だ。
左肩の痛みが激しく、陸は頭がくらくらした。
「……ひまり、大丈夫か?」
腕の中の小さな頭に声をかける。返事がない。
非常灯が消えた。暗闇におののいた人々が悲鳴をあげる。どすん、と、また揺れた。視界が、ぐるりと回って上下左右がわからなくなる。もみくちゃにされ、殴られ蹴られ、意識が遠のく。
「ひまり――っ!」
揺れがおさまった。うめき声、泣き声、痛みを訴える声が聞こえる。陸は自分の右足が、ぴんと伸びたまま、肉と肉の間にはさまっていることに気がついた。
(これは、まずい――)
そう思った瞬間、一気に雪崩が起きた。崩壊の音が響き、落下。降り注ぐ瓦礫と埃。生暖かい液体が顔にかかる。ばきり、と嫌な音がして陸は気を失った。
◆◆◆
「陸――陸、起きて!」
光がゆらめく。
目を開こうとすると、目蓋の裏で何かが、ごろりと動いた。こすろうとしたが、眼球を傷つけてはいけないと思ってやめた。
「陸!」
(――そうだ、状況はどうなった? ひまりは?)
「あぎゃっ!」
体を起こそうとして、あまりの痛みに叫んでしまう。
「動いちゃ駄目!」
薄目をあけると、ひまりが覗き込んでいた。手にLEDライトのキーホルダーを持っている。
「ほら、見て」
ひまりが腕を差し込んで、首を起こしてくれた。陸の右足の膝から先が、へんてこな方向を向いている。
「……くそう」
平らな場所に寝かされている。どうやら、まだホテルの中にいるようだ。
「怪我はないか?」
ひまりが、うなずく。
「わたしは大丈夫だよ。なんか、わーってなって、どーっと出て、バラバラになったの。そのあと、後ろのほうで凄い音がして、静かになった」
(ここは、たぶん催事用の大部屋だ)
暗くてよくわからないが、他にも、あちこちに人が倒れているようだ。
「俺の足、血は出てるか?」
「ううん」
動けさえすれば、まだ、ある。痛みは耐えるしかない。なんとか移動をはじめないと――。
「その辺に棒が落ちてないか。鉄でも、木でもいい」
ひまりは言われたものを探しに行った。




