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アカムは、うりのそばに座り込んだ。
「なんだこれ……なんだこれ……」
残酷な蹂躙の痕。首が無残に裂けて大量に出血している。苺模様の白いパジャマが真っ赤だ。上半身は胸が剥き出しで、下半身には、なにも履いていない。
「なんだよ、なにが起きたんだよ……」
血糊で張りついた前髪をどける。
「生きてるんだろ? なあ?」
板のように動かない胸に右耳を当てる。胸は柔らかく温かかったが、心音はない。
アカムは、うりの全身を確認した。体のあちこちに赤黒い鬱血があった。太腿の内側に血の流れたあとがある。
「畜生。誰だ……」
隣の部屋で死んでいた槇則医師と岩瀬看護師の様子を見ても、おぞましいことが起こったのは明らかだった。うりは巻き込まれたのか、それとも目的か。米国人どもか。否、うりを赤鉄アカムの大切なものと知って、ここを赤鉄アカムの家と知って、やる奴がいるとは思えない。
「こいつが、なにしたってんだ!」
背光が部屋を真っ白に染める。頭頂から吹き出した闇が光に弾かれて、血飛沫のように天井と壁に飛び散った。
「き、聞いてんのかああぁぁ……ぐあああぁぁ……!」
角が現れては消える。黒い体毛が見え隠れし、貌が人と獣を行き来する。
「こんなの……こんなこと……許さねえぞ……」
腹が激しく波打ち、下腹に生じた光が蠕動のたびに体を昇る。
「命は命で――」
かがみ込んで、うりの顔を正面から見た。
「俺の中に全てがある。俺にないものは、どこにもない――」
血で汚れた小さな唇に自分の唇を重ねる。光の珠が口移しに、うりの中へ入っていく。
(そう言ったよな、ジンイエ〈金夜〉。俺の命を使えば、うりを救える。そういう意味だよな。これでいいんだよな)
アカムは、手足から急速に力が失われていくのを感じた。
「……眼を……あけてくれ。……俺、もう死ぬから……その前に……はなしをしよう、な?」
うりは動かない。
「うり……」
額に手を当て、瞼をあける。
「うり……」
頬を叩いてみる。
「そんな、なんでだよ……どうして……」
涙が、うりの顔に落ち、惨劇の血を洗い流した。
「ごめんよ……酷いよな、あんまりだよな。こんなの、許せねえよな……いらねえよな……こんな世界、なあ?」
体を重ね、強く抱く。ふたりの体から光と闇が溢れ出す。
「一緒にやろう。こんな世界、壊してやろう」
アカムは目を閉じた。まるで心臓が打つように空間が揺れはじめる。
アカムとうりを中心に、透明な波が広がっていく。波は、すべての物質を通過し、白金を、東京を、日本を、世界を、人々の心を震わせた。
風が吹き、海が荒れ、地殻が揺れる。
「あ……ぐうぅ……暴れろ……壊れろ……終われ……終わってしまえ……!」
アカムの右肩が膨れ上がり、腕が伸びて、地面に突き刺さった。
「あああああ!」
闇が勢いを増し、頭頂から活火山の噴煙のように噴き上がった。右半身が、まず黒山羊へ変貌し、あとからあとから、不気味な生き物のかたちに移り変わる。
天井に溜まった闇が、ついに建物を破壊し、黒く太い柱となって空へ駆け上がった。
黒煙は、そのまま成層圏に達した。闇の柱は直径数十キロ。その頭頂が太陽のように閃光し、巨大な蓮の花があらわれた。蓮が、ゆっくりと開き、地球から生まれた赤ん坊のように、陽神がそこにいた。陽神は泣いていた。




