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アカムとうり 悪の魔王ともうすぐ死ぬ子  作者: 佐藤いふみ
第5章 アカムとうり 1節 最後の戦い
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 征服感を楽しむように、女が黒い腹に跨がっている。黒山羊・アカムが吼える。氷凍魔刀で地面に縫いつけられた右腕を振りまわす。


(お前は、なかなか可愛いが、残念だ。いい子だから、それをお出し)


 女の後頭部から闇が吹き上がると、火蜥蜴の頭を隠して真っ直ぐ天に昇り、油のように滴って腹のあたりで広がった。


 黒い円盤が火蜥蜴と女の上半身を貫いて出現する。女が半眼になり、後背から光がにじむ。光と闇の蕾からあらわれた陽神の皮膚はただれ、全身に黒い血管が浮き出ていた。


 円盤が内側から沸きたち、外周へ泡沫が広がる。ある部分は濃く盛り上がり、ある部分は薄く裂け、円周に頂点を接する逆五芒星となった。


 ラオオーメイは両手を重ねてアカムの下腹に当てた。


「アジャイラーアルアルラフテインナ」と、発する。


 アカムの下腹が光り、全身が痙攣をはじめた。刃が腕に食い込むのも構わず、暴れ、残酷な悲鳴を上げる。


(――排毒)


 ラオオーメイの陽神が声なき叫びをあげ、魔法円が黒煙を吹いた。光が腹を昇る。鳩尾へ、胸へ。筋肉が細くなり、骨格が変化し、顔が人のそれへと近づいていく。


 やがて、有角の半人半羊となったアカムの口に光の珠があらわれた。黒い煙が渦を巻き、美しくも禍々しい。


(これが広成子丹か)


 ラオオーメイは、女の指で口の上に浮く広成子丹に触れた。


「オ、オオ……オオオオオ!」


 火蜥蜴と女が諸共に叫び、伸び上がり、ふるえる。


 刹那、ラオオーメイが氷凍魔刀を振るった。ナイフが弾け飛び、鋼線が光る。


(邪魔をするな!)


 闇雲に突き上げた剣先から無数の氷が飛び、頭上に浮く闇を裂いた。闇が散り、しかし、なにも無い。


 月明かり――。


 ラオオーメイの影に別の影が重なっていく。気づいて身をよじった右胸と下腹を、七色に光る透明な触手が突き抜けて、うねった。女の口が血を吐き、魔法円が崩れて蒸発する。


 そのとき、意外な勢いで上半身を起こし、アカムが広成子丹を飲み込んだ。ラオオーメイは手を伸ばしたが、その腕に吸盤の模様があらわれて動きを封じた。


(残念だったじゃんね)


 首をひねって見上げた夜空が歪んでいる。透明なものが、ゆっくりと移動していく。月が波打ち、星がひずみ、艶やかな黒い球がふたつきらめく。


(烏賊め、擬色か!)


 消えているのは姿だけでは無い。見事な相殺で、あたかも存在ごと世界から消えているかのようだ。


(スイ!)


 カラマの思念が叫んだ。


 女の額を銀光が貫いた。地上後方からスイが投擲した流星錘だ。


 ゆっくりと崩れ落ちるラオオーメイを追うように、空中から漆黒の液体が溢れ出すや、投網のように広がって火蜥蜴を飲み込んだ。


 七色の輝きがうねり、烏賊が姿をあらわした。嘴から吐き出した墨が、黒い棺桶となって火蜥蜴を封じる。


(チュンシュイ〈春水〉――長く生き過ぎたんだよ、あんたもあたしもさ)


 棺桶の表面に無数の棘が突き出した。内部にも同じだけの棘が出て、中にいるものを徹底的に蹂躙しているはずだ。


(お前だけ死ね、賎婢ジェンビィ(くそあま)!)


 思念と同時に、氷の大刀がカラマの腹を貫いた。青い血が蒼ざめた刃を濡らし、木製の柄を伝い落ちる。


 墨の棺桶が霧となり、火蜥蜴があらわれた。腹に女の姿はない。


 カラマの嘴から青い血が噴き出す。


(あたしの相殺を……どうやって……)


(触れたぞ!)


 火蜥蜴が縮み、黒い体表に光と闇があらわれて流動する。やがて、それは長髪全裸の女体となった。


(――あれは)


 スイは我が目を疑った。まるで陽神ではないか。


 ラオオーメイが氷凍魔刀を引き抜くと、カラマの腹部の組織が道連れになって砕けた。穴の開いた体が地面に落ちる。血は出ない。凍っているのだ。


 女の体には大きすぎる氷凍魔刀を、不思議に輝く右腕が真っ直ぐに掲げる。肩口から生じた氷の花――蘭が、蒼い刃と柄全体に咲く。


 花咲き乱れる刃がカラマの頭上に落ちる。地面が吹き飛び、そのままの形で凍りついた。白い蘭が地を駆け、30メートルの壁を登り、数キロの範囲をあっという間に浸食する。


(……逃げるじゃんね)


 間一髪、スイがカラマを救っていた。


「無理だ。足が凍っている」


 スイの両脚は、氷の蘭に覆われて地面に張りついていた。


 カラマはラオオーメイの背後に横たわる赤鉄アカムを見た。――もう、あいつに頼るしかない。


 ふいに、ラオオーメイが氷凍魔刀を振り抜いた。スイとカラマの全身に氷点下の冷気が吹きつけ、赤鉄アカムの体に無数の蘭が咲いた。氷の内部で黒いもやが蠢く。


(畜生め……じゃんね……)


 ラオオーメイが足を踏み出すたびに、地面に蘭が咲く。引きずる氷凍魔刀が澄んだ音を立てて氷を削る。


「広成子丹に触れたから? それだけで――」


(流れ込んだんだろうね、秘法が)


 光と闇をまとった美しい女が、いきなり目の前にいた。氷片が巻き上がり、背後で大瀑布となってきらめく。


 襲いくる蒼い刃を、スイはただ見上げた。


 その額に、青い血が振りかかった。


 カラマが、群生する蘭を恋人のように抱いていた。2本の触腕を地面に打ち込み、すべての触手で氷凍魔刀を受け止めている。刃は深く食い込んでいるが、乳白色に硬質化した身体は分断されずに耐えている。


 カラマが触手を絞った。蘭が一斉に砕け、氷凍魔刀が折れた。乱れ散る青い砕片とともに、ずたずたになったカラマが倒れる。


 青血を引いて宙を泳ぐカラマの横を、スイが伸び上がるように通り過ぎる。折れて空中にある氷凍魔刀に手を突き込んで、銀の刃をむしり取る。


 輝線が、光と闇の女の左胸へはしる。ラオオーメイは半身にかわし、刃はあばらを掠めて抜けた。ラオオーメイは、そのまま体幹の回転を活かして、左腕刀でスイの頭頂を狙った。足元から咲き広がった蘭の花が、スイの動きを封じる。


 スイは右腕で腕刀を受けたが、凍結した両足が砕けた。粉々になった足が、人の姿にもどったカラマの体に振りかかる。スイは落下しながら七剣を投げたが、七剣はあらぬ方向へ飛んでいった。


 ラオオーメイの後頭部が光る。沸き立つような闇をふくみ、輪郭が黒く沈んで禍々しい。まるで夜の太陽のようだ。


 冷気で白い彫像と化したスイの真っ白な目蓋は半眼に沈み、世界に曖昧な別れを告げている。


 ラオオーメイは右腕を滑らかに上げ――動きを止めた。


 刹那、破砕音が響く。


 赤鉄アカムが立ち上がろうとしていた。氷の蘭が黒毛を滑り落ち、闇が、もうもうと地を這う。右腕が動き、肩の七剣を抜いた。


 ラオオーメイが冷ややかにスイを見た。


(……このための誤投か)


 赤鉄アカムの体が、どくりと蠕動し、消えた。否、夜空へ舞い上がったのだ。


 ラオオーメイは氷凍魔刀の残骸から七剣を両手に一振りずつ取ると、空気を氷結させながら飛び去った。


 スイはカラマの額に自分の額を当てた。冷たい体は完全に事切れていた。

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