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危険な気の高まりを感じて、スイ〈錘〉は目を覚ました。
白い触手に守られて、直径3メートルほどの浅い穴に横たわっている。触手はスイの覚醒を感じ取ったのか、するすると闇の中にもどった。
「カラマ、状況は?」と、スイは闇に尋ねた。
闇の向こうに土壁がある。そのさらに向こうで、巨大な2つの気がぶつかり合っているのを感じる。気温が異様に下がっており、周囲の土が白い。輝く細氷が舞い、凍気が吹きつけてくる。そして陽気と陰気の嵐。これらを土壁が防いでいる。
(ラオオーメイ〈老峨眉〉が軍隊に気を取られている隙に、お前をさらうことができたじゃんね。軍隊に感謝じゃんね)
カラマの返答は遠話だった。
「先生?」
(…………)
闇が薄まった。そこに、艶やかに光る人間大の烏賊がいた。否、烏賊といったが、烏賊の姿そのままではない。烏賊人間とでもいえばいいだろうか。
胴体は女の形をしており、ただし腹が極端に細い。腰がなく、脚の代わりに2本の触腕が体を支えている。肩のあるはずの場所から左右に4本ずつ触手が生え、地面まで垂れて柔らかくうねる。頭は胴体とほぼ同じ大きさの三角形で、背中に腰まで垂れている。顔は異常に小さく、黒い大きな目とオウムのような黒い嘴ばかりが目立つ。
(あたしは、すっかり人の世界に浸ってたんだね)
海の深淵を思わせる真っ黒な目が、スイを見つめた。
(お前にこの姿を見られたくない、と思ってるじゃんね)
白い体表が七色に波立つ。その輝きは、きっと、カラマの感情なのだろう。
「綺麗だ」と、スイは言った。
(……ありがとじゃんね)
「さっき受けた傷はどうした? かなり深手だっただろ」
(なんとか、触手と一緒に回復したよ)
カラマは土壁に向き直ると、首の付け根から闇を吹き出した。土壁が周囲の炎を受けて細かく光を反射している。この土壁、どうやら、ただ土を盛っただけの壁ではないようだ。
スイの気付きを先回りして、カラマが言った。
(あたしの墨を染み込ませてあるじゃんね。陰気を止めて、陽気を相殺してるけど、そう長くは持たないじゃんね)
「どうする?」
スイは、カラマの横に中腰になった。
(できれば相討ちになって欲しいじゃんね。勝負がついたら、残ったほうを討ちたい。けど、ラオオーメイが広成子丹を奪ったら、あたしらじゃ、どうにもならないじゃんね、たぶん)
「じゃあ……」
(嫌だろうけど、赤鉄アカムに加勢する。より危険なほうを先に倒すじゃんね。赤鉄アカムなら、丸め込めそうな気もするしね)
スイは無言で土壁を見つめた。
(それに、あんな方術と魔術の交発が続くはずないじゃんね。ラオオーメイのほうが先にへばるじゃんね)
「……是(分かった)」
(いい子じゃんね)
白い触手が優しくスイの頭を撫でた。
そのとき、低く太い獣の咆哮が聞こえた。これまでより切迫感がある。
(均衡が崩れた)
スイは土壁に張りつき、横から顔を出して状況を確認した。




