行かないで……
3日目の朝が来た。
どんなに辛いことがあっても、朝は来る。
私達は朝食を取るため、食事会場へ行く。
会場に着き、着席する。
昨日、パチンコに行った班がいたことで、なぜか私達全員が怒られた。
連帯責任というやつだ。
そして、長浜さんは家の都合で帰りましたと告げられた。
仲間が一人いなくなったから、全員に説明しなければいけないのだろう。
だけど、悲しみを覚えた。
京ちゃんにとってあんなに悲しい出来事が、家の都合という短い単語で説明されるのが空しかった。
かといって、長々と詳細に説明してほしいわけでもない。
私達は朝食を食べ始める。
味なんてわからなかった。
昨日までは、すごくおいしかったのに。
3日目はクラーク像を見に行く。
バスに乗って、移動している最中も私はずっと沈んでいた。
優しいクラスメイトに心配されたけれど、愛想のいい返事はできなかった。
クラーク像のある展望台に着いた。
少年よ大志を抱け、か。
今だったら、少年少女とか言うんだろうか。
少年という言葉には、少女という意味も含まれていると聞いたことがある。
夢……京ちゃんの夢はどうなるんだろう。
看護師になって、30までに結婚して、35までに子供。
海外留学。
結婚相手は優しくて、健康な人。
今でもはっきり覚えている。
ちゃんと、夢は叶うのかな。
像にそんなこと聞いても、答えは返って来ない。
自分が頑張るしかないんだ。
京ちゃんは頑張れって言ってたじゃないか。
京ちゃんも、頑張れ。
夢は逃げないから。
逃げるのは、いつも……。
「真奈」
麻紀がいつの間にか、近くにいた。
「麻紀……」
「京ちゃんに、お土産買って帰ろう」
「うん」
私達は近くの売店に寄る。
京ちゃんのために、ちゃんとお土産を選ぼう。
クラーク像を見終わり、バスで空港へ向かう。
北海道と、お別れだ。
この3日間、いろいろあった。
動物園に行って、麻紀がタカに告白して、タカに告白されて、班別の自由行動があって、京ちゃんのお父さんが……。
公園で撮った集合写真を見る。
京ちゃんは笑顔で映っている。
この後すぐに、あんなことになるなんて予想していなかっただろうなあ。
本当はこの3日間、笑顔で終わるはずだった。
どうして、このタイミングなんだろう。
私達、そんなに悪いことしたかなあ。
空港に着いた。
飛行機の搭乗時間まで、まだ時間がある。
最後のお土産タイムだ。
私は麻紀と一緒にお土産を見て回ったけど、どれも魅力的に見えなかった。
飛行機に乗り込む。
私は着席すると、すぐに目を閉じた。
辛いことから、逃げるように。
なかなか眠れない。
周囲のおしゃべりが、いつも以上に騒がしく感じた。
東京に着いて、新幹線に乗る。
しばらくすると、懐かしい景色が見えてくる。
帰って来た。
駅に到着し、先生のお話を聞いて解散となる。
私は急いで恵理子先生の車に向かう。
「お帰り、真奈ちゃん」
「恵理子先生、京ちゃんのお父さんは!?」
恵理子先生は気まずそうな表情をする。
「ついさっき、亡くなられたわ。京子ちゃんから連絡があったの」
その言葉が、刺さる。
それは深く突き刺さり、心を抉る。
「そんな……」
持ち直すかもしれない、という希望は断たれた。
立っていられない。
その場にへたり込む。
京ちゃんは、今どんな思いでいるんだろう。
どうして、私は傍にいてあげられないんだろう。
様々な思いがぐちゃぐちゃに混ざり合って、涙になった。
「うっ……うっ……」
一番つらいのは、京ちゃんなのに。
どうして、私が泣くんだ。
自分が情けなくなる。
でも、止められない。
「真奈ちゃん」
恵理子先生が抱き締めてくれる。
今は声を上げて泣いても、許されるだろうか。
京ちゃんは夜遅く、施設に帰って来た。
既に消灯時間を過ぎていたけれど、京ちゃんのために特別に延ばしてもらった。
京ちゃんが部屋に入って来る。
「ただいま、真奈ちゃん」
その声は、落ち着いていた。
真っ赤に泣きはらした目をしていた。
「お帰り、京ちゃん」
きっと、京ちゃんはこれから忙しくなる。
悲しんでいる暇もないくらいに。
「制服とか持ったら、すぐに出るから」
京ちゃんは制服や葬儀に必要な物を手早く準備する。
「今日は施設で寝ないの?」
「うん」
私は近親者が亡くなったことがないので、この後どうなって何をするのか詳しくはわからない。
京ちゃんのお母さんはどこまでやってくれるのだろう。
京ちゃんに頼れる親戚はいるのだろうか。
京ちゃんの負担が少なければいいのだけれど。
すると、京ちゃんは唐突に糸が切れた人形のように、床に座り込んだ。
「京ちゃん?」
「ごめん……真奈ちゃんの声聞いたら、泣けてきちゃって……」
京ちゃんは肩を震わせる。
「京ちゃん……」
京ちゃんは声を上げて泣き始める。
私に親を失う悲しみはわからない。
ああ、そういえばこの前デパートに行った時、京ちゃんお父さんに誕生日プレゼント買ったんだっけ。
ちゃんと、渡せただろうか。
京ちゃんはこれから、高校やめて働かないといけない。
友達と離れて、新しい環境に放り込まれる。
「京ちゃん」
「ごめんね。私……しっかりしないといけないのに」
京ちゃんは今にも壊れそうな声で言葉を絞り出した。
「しっかりしなくていい! 私達、まだ子供なんだよ! 誰かを頼っていいんだよ!」
私達、施設の子供は自立を強いられる。
周りの大人が、社会が、自立しろと無言で訴えかけてくる。
知らない、そんなこと。
泣いている子供一人助けられなくて、何が大人だ、社会だ。
だから、誰でもいいから、助けてよ。
「京ちゃん、私や麻紀、施設のみんながいるから。京ちゃんは一人じゃないよ」
私に京ちゃんを助ける力はない。
施設に暮らす、ただの高校生だ。
だけど、私の言葉が少しでも京ちゃんの支えになるなら、いくらでも言葉を重ねる。
「ありがとう……真奈ちゃん」
数分後、泣き止んだ京ちゃんは部屋を出て行こうとする。
「真奈ちゃん、また来るから。しばらくお別れ」
「うん」
その時は、お別れ会をしよう。
みんなで計画して、笑顔でお別れできるように。
京ちゃんは部屋を出た。
6月上旬。
葬儀も終わり、落ち着いた生活が戻って来た。
学校のホームルームの時間、京ちゃんが前に立つ。
神尾先生が話し始める。
「長浜さんは家の事情で、急ですがお別れすることになりました」
神尾先生も、言葉を選んだのだろう。
普通なら転校すると言うはずだ、と思う生徒もいるだろう。
京ちゃんが学校をやめて働きだすなんて知っているのは、この場では私と麻紀とタカと神尾先生だけ。
京ちゃんのお母さんは、熊本県に住んでいるそうだ。
気楽に行ける距離じゃない。
「最後に、長浜さんから挨拶があります」
神尾先生に促され、京ちゃんは話し始める。
「修学旅行の時、急に抜けて迷惑を掛けました。このクラスで今まで楽しかったです。ありがとうございました」
京ちゃんが頭を下げる。
拍手が起こる。
現実感がない。
京ちゃんが遠くへ行ってしまうことに、実感が湧かなかった。
ホームルームが終わり、授業前の休み時間。
「次の学校どこなの?」
「寂しいね」
「元気でね」
特に仲が良かったわけでもない女子達が、次々に言葉を投げる。
その様子は、ひどく薄っぺらく感じた。
「みんな、次移動教室だよ!」
私は大きな声で言った。
京ちゃんを取り囲む生徒たちから、早く解放してあげたかった。
事実、京ちゃんは困っている。
場がしん、と静かになる。
「片井さん、私達長浜さんと話してるんだけど」
「っていうか、片井さん長浜さんと仲良いんでしょ? 寂しくないの?」
持っている教科書を落としそうになった。
寂しくないの?
寂しいに決まっているでしょ。
何であんた達は今まで関わって来なかったのに、急に仲良し面するの?
私は怒りで震えそうになった。
「ところで、家の事情って何? 親の転勤?」
一人の女子が、無遠慮に聞いた。
「長浜さん、施設だからそれはないよ。しばらく学校休んでたし、親が亡くなったとかじゃない?」
「親が亡くなった? 親がいるのに、施設で暮らしているの?」
「そりゃ、事情が色々あるんでしょ」
「事情って?」
「それは、長浜さん本人に聞かないと」
私は怒りのあまり、持っている物や近くにある物を目障りな女子達に投げつけようとした。
だけど、私の手を誰かが掴む。
麻紀だ。
「みんな、京ちゃんのこと詳しく聞かないで。京ちゃんは今、一番辛い時期だから」
麻紀は冷静に場を収めた。
京ちゃんを囲んでいた女子達は、気まずそうに散った。
私達はいつもの3人で授業の行われる教室へ行く。
会話はなかった。
施設に帰ると、既に飾り付けがされていた。
京ちゃんのお別れ会だ。
麻紀も来てもらった。
毎年、施設の卒業式が年度末に行われるけど、そのような感じになるのだろう。
「みんな、計画していたの?」
京ちゃんは驚いている。
「うん、そうだよ」
私はうなずく。
この日のために、京ちゃんには内緒で準備を進めて来た。
みんな一生懸命手伝ってくれた。
それだけ、京ちゃんが愛されているということだ。
「行こう、京ちゃん」
私達は食堂へ行く。
既に子供たちや職員さんが集まっていた。
京ちゃんは一番前の目立つ席に行く。
職員さんの司会で、お別れ会は進む。
温かい言葉やプレゼントが次々に贈られる。
私にもマイクが回って来た。
言おう。
京ちゃんへ今までの全ての感謝の気持ちを。
私は立って、話し始める。
「京ちゃん、今日まで本当にありがとう。京ちゃんとは5年以上の付き合いになるね。本当に、いろんなことがあったよね……」
そこで、言葉が止まる。
ずっと、同じ屋根の下で暮らしてきた。
毎日、学校に一緒に行った。
いろんな行事があった。
一つ一つの思い出がどれもかけがえのないもので、忘れられない記憶だ。
今は泣くのはよそう。
別れが悲しくなるから。
それに、また会える。
いつか、必ず。
「京ちゃん」
私が好きな名前を呼ぶ。
「頑張って。また会おうね」
私も、頑張るから。
私は着席して、マイクを隣の麻紀に渡した。
麻紀が立ち上がる。
だけど、麻紀は泣いてしまって、しばらく何も言えなかった。
「京、ちゃん……」
それでも、麻紀は言葉を紡ぐ。
「また……会おうね……」
麻紀は着席する。
最後に、京ちゃんからの言葉。
京ちゃんにマイクが渡される。
京ちゃんは立ち上がる。
「今日は私のために、みなさんありがとうございます。本当に、突然遠くへ行ってしまって申し訳ありません。この場所で暮らしたことを、一生忘れません。大切な思い出です」
京ちゃんは一旦、間を置く。
「新しい環境でも、前を向いて頑張ります。だから、みなさんも頑張ってください」
京ちゃんは頭を下げる。
拍手が起こる。
終わった。
これで、最後なんだ。
数日後の休日。
施設を出ていく京ちゃんを見送る。
お別れ会同様、麻紀も見送りに来ている。
「真奈ちゃん」
「何? 京ちゃん」
「真奈ちゃんはきっと幸せになれるよ」
京ちゃんは私に、そんな言葉を贈った。
「麻紀ちゃん」
「京ちゃん……」
「麻紀ちゃんの夢も、叶うよ。きっと」
京ちゃんは歩き出す。
私達はその背中をいつまでも見ていた。
優しい子だ。
私の大切な友達。
また、会えるよね。
その時、愛ちゃんが京ちゃんに抱き着いた。
「行かないで……」
愛ちゃんは泣きながら言葉を絞り出した。
「ごめんね、愛ちゃん」
京ちゃんは優しく、愛ちゃんの頭を撫でる。
「また、会えるからね」
京ちゃんは愛ちゃんから離れる。
いつ、また会えるのだろうか。
そんな疑問に、答えられる人はいない。
その日の夕食の時間。
席が一つ空いている。
京ちゃんの席だ。
その席をぼーっと見つめてしまう。
そんなことをしても、意味はないのに。
別の子が座ることになるのだろうか。
夜になった。
一緒の部屋で寝る友達はもういない。
もしかしたら、別の子と一緒の部屋になるかもしれない。
それは嫌だ。
わがままだけれど、職員さんに言って断ろう。
その日はなかなか寝付けなかった。
これから、大丈夫だろうか。
「寂しいよ……京ちゃん」
その言葉は誰にも届かず、消えた。




