将来の夢は決まりましたか?
親は必ず、子供を愛する。
それは嘘だ。
もし本当なら、虐待なんて起きない。
私は死んでも、親のようにはならない。
そして、私は自分が嫌いだ。
「私は子供を作りません」
春、恵理子先生との面談でそう言った。
「真奈ちゃん、まだそこまで決めなくてもいいのよ?」
恵理子先生の悲しそうな顔は見たくないけれど、言わないといけない。
「私はきっと、自分の子供を虐待すると思います。虐待は連鎖します」
私は虐待の連鎖のことを知っている。
「でもね、ちゃんと治療すれば」
「治療すれば絶対に虐待しませんか?」
言いかけた恵理子先生を制するように私は言った。
恵理子先生を困らせてしまった。
この世に、絶対なんてない。
絶対虐待しない親なんていない。
「真奈ちゃんは悲観的過ぎるのよ」
「私は不幸な子供を増やしたくないだけです」
面談は平行線というか、私が恵理子先生の助言をねじ伏せるような形で終わってしまった。
私らしくない。
将来への不安のせいで、感情的になってしまったのだろう。
次の子の面談では、室内から笑い声が漏れて来るのが聞こえた。
きっと、楽しく話しているんだろう。
羨ましいと思った。
「真奈ちゃん、お疲れ」
自分の部屋に戻ると、ベッドで雑誌を見ている京ちゃんに声を掛けられる。
名前が京子だから、京ちゃん。
「面談、どうだった?」
「うん……」
聞かれても、あんな面談だったから私は上手く答えられない。
「疲れたでしょ。なんか飲む?」
京ちゃんは察してくれたようで、飲み物を食堂に取りに行く。
今日の面談は将来について。
将来の夢、なし。
それが今の私。
一つだけ将来について決まっていることは、子供を作らないということ。
京ちゃんが戻って来た。
手にはコーヒーの入ったカップ。
それを受け取りつつ、聞く。
「京ちゃんは将来どうするの?」
京ちゃんは面談を既に終えている。
「私は看護師になりたい。やっぱり、手に職って言うしね。それで、30までに結婚したいな。で、35までに子供が欲しいな。後、留学もしたい」
京ちゃんの頭の中には、幸せな家庭がイメージされているのだろう。
表情に優しい感じが出ている。
私には将来がイメージできない。
「結婚相手はどんな人がいいの?」
私は重ねて聞く。
「優しくて健康な人かな」
京ちゃんのお父さんは、重い病気で入院している。
健康が条件に入るのも、うなずける。
「さ、宿題しよ」
京ちゃんは会話を打ち切り、机に向かう。
私も鞄から春休みの宿題を取り出し、取り掛かる。
ここは、児童養護施設。
様々な理由で、親と暮らせない子供が生活する場所。
夕食の時間を告げるチャイムが鳴った。
「あ~疲れた」
私は伸びをする。
数学の宿題で京ちゃんと一緒に頭を捻らせていた疲労が、一気に押し寄せて来る。
「今日夕飯何だっけ?」
京ちゃんが壁に貼ってあるメニュー表を見る。
今日のメインは唐揚げだ。
小さい子達が喜びそうだ。
私達は食堂へ向かう。
廊下に出ると、ちょうど面談室からタカが出て来た。
名前が孝幸だから、タカ。
「お疲れ~」
京ちゃんが手を振る。
「2人も、お疲れ」
タカは成績が良いし、将来の夢もしっかり決まってるから面談もすんなり行っただろう。
2人と自分を比べて劣等感を感じてしまう。
「どうした? 真奈」
表情に出ていたのか、タカに顔を覗き込まれる。
「何でもない」
誤魔化して、食堂へ向かう。
その時、お尻を叩かれた。
振り返ると、和樹がいた。
和樹は小学6年生の、いたずらっ子だ。
「何すんのよ!」
私は和樹を捕まえようとする。
和樹も昔は小さくて可愛かったのに、今では大きくなって悪ガキになってしまった。
そして、すばしっこいのでするりと抜けられてしまう。
「へへへ」
和樹は走り去ろうとする。
だけど、タカに捕まえられてしまう。
「捕まえたぞ!」
「タカ兄離して~」
タカはくすぐり攻撃に移る。
和樹は狂ったように笑いながら、悶える。
反省しないだろうなあ。
そう思いつつ、食堂へ向かった。
食堂では食事当番の子とおばさん達が、忙しく働いている。
私も当番の日は、食事の準備をしないといけない。
私達はお盆を持って列に並び、おかずやご飯を取っていく。
そして、席に着く。
「あれ、愛ちゃんは?」
班員の愛ちゃんがいない。
この施設の子供たちは4、5人で班分けされている。
食事の時は班ごとに食べるし、イベントでは班ごとに行動する。
タカ、私、京ちゃん、愛ちゃんが班員。
愛ちゃんは9歳の女の子。
まだ施設に来て日が浅いので、もしかしたら迷っているのかもしれない。
「私が見てくるね」
京ちゃんが愛ちゃんの部屋に行く。
10分ほどして、愛ちゃんは京ちゃんに連れられて来た。
全員が席に着き、あいさつをして食べ始める。
愛ちゃんはお箸が使えない。
家庭で使い方を教わっていなかったのだ。
職員が付いて、お箸の使い方を練習中だ。
時折、愛ちゃんの服の隙間から見える傷跡に、チクリと心が痛む。
入浴を終えて、高校生は学習時間になる。
また宿題に挑む。
「真奈ちゃん、ここわかる?」
京ちゃんが英語の長文を示す。
「京ちゃんにわからないところが、私にわかるわけないじゃん」
「そうだよね」
ひどい。
後で仕返ししてやろうかな。
まあ、しないけれど。
「明後日から、学校だね」
京ちゃんが話を振って来る。
「うん」
「クラス一緒だといいね」
「うん、そうだね。あと、担任は山路以外ね」
あははと、2人で笑う。
山路は頭がツルツルで眼鏡の、嫌味な先生。
多分、みんなから嫌われている。
「神尾先生がいいなあ。真奈ちゃんは誰がいい?」
神尾先生は若い女性の先生。
大学を出たばかりで、友達みたいな感じ。
でも、厳しさもあり人気がある。
「私も神尾先生がいい」
「だよね。先生、彼氏できたらしいよ」
「嘘!?」
先生も女なんだなあ、としみじみと思う。
彼氏はどんな人なんだろう。
翌日。
朝食の席で、新しい職員の自己紹介があった。
「今日から働かせていただきます、新海純一です。よろしくお願いします」
若い男性の職員だ。
特に面白いことを言うでもなく、淡々と自己紹介をしていた。
まるで、大人に向けて挨拶しているみたいだと思った。
「みんな、よろしくね。最初は失敗とかもあると思うけれど、大目に見てね」
恵理子先生が和ますように言った。
新海先生は仏頂面でそれを聞いていた。
私の班の担当ではないし、それほど関わることはないだろう。
翌日。
今日は始業式の日だ。
職員さん達にいってきますの挨拶をして、施設を出る。
京ちゃんと一緒に通学路を歩く。
タカは男友達と待ち合わせをしているので、いつも先に行っている。
昨日の雨で、桜もすっかり散ってしまった。
でも、温かな日差しの中を歩くのは気分がいい。
児童養護施設というのは、郊外にあることが多い。
なので、通学にはバスを使う。
バス停までは田舎道が続く。
田んぼの周りは鳥が自由に飛んでいる。
タンポポの花の周りには、モンシロチョウが飛んでいる。
バス停に着いた。
バスが来るまで、5分ある。
「あ、麻紀ちゃんからだ」
麻紀は私たちの学校の友達。
京ちゃんのスマホのメッセージアプリにメッセージが届いたようだ。
昔はスマホは高くて使えなかった。
だけど、最近は安く使えるものも増えたので、使えるようになった。
ちなみに、私はメッセージアプリには入れていない。
なんとなく、煩わしいからだ。
メールくらいならするけど。
「何て?」
私は京ちゃんのスマホを覗き込む。
「『今日はパンにあんこを塗りました』だって」
ちょっと、変わった子なのだ。
まあ、そういうところが面白くて好きなんだ。
学校の前にバス停はないので、学校の最寄りのバス停で降りる。
そこで雨の日以外は麻紀が待っていてくれる。
「おはよう、麻紀ちゃん」
「おはよう、麻紀」
私達はあいさつをする。
「おはよう」
3人が合流し、学校へ向かう。
麻紀があんこトークで盛り上げようとするのを、私達は相槌を打ちつつ聞く。
校門をくぐり、下駄箱で靴を履き替えて教室の前に行く。
廊下の壁にクラス分けが貼りだされている。
既に多くの生徒たちが集まって、手を取り合って喜んだり、大げさに落胆したりしている。
まるで、合格発表だ。
「なかなか前へ行けないね。これじゃ、見えない」
京ちゃんがこぼすと、麻紀は待ってましたとばかりに生徒をかき分けていく。
麻紀は背が低く、すばしっこいので簡単に前へ行けた。
そして、前方から私達にVサインを送って来る。
何だろう、2組という意味かな。
麻紀が戻って来る。
「2組で3人一緒だよ。担任は神尾先生」
麻紀が笑顔で言った。
最高の条件だ。
私と京ちゃんは手を取り合って喜んだ。
教室に入る。
席は出席番号順だ。
しばらく、席に着かず先生が来るまで話していることにした。
「で、こしあんより……」
「麻紀、別の話しようよ」
私は麻紀のあんこトークを遮った。
「神尾先生、彼氏の話するかな?」
京ちゃんが目を輝かせている。
「しないでしょ、普通」
私は冷静に言った。
「彼氏?」
麻紀は知らないようだ。
「そう、神尾先生彼氏できたんだって。メッセージ回ってきてない?」
京ちゃんは麻紀に尋ねるが、麻紀は首を振る。
今の時代ネットであっという間に情報が拡散してしまう。
正直、怖いところもある。
「どうしてバレたの?」
私は疑問を口にした。
「春休みに彼氏とディズニーランドにいるところ、見た子がいるんだって」
京ちゃんが答える。
秘密にしておいてあげればいいのに。
その時、神尾先生が教室に入って来る。
みんなは席に着く。
神尾先生が口を開く。
「みなさん、おはようございます。すぐに始業式で時間内から手短に言うね」
神尾先生が少し間を置く。
「ばらした奴、絶対に許さないからね」
笑っているが、目には怒気を含んでいた。
「さ、廊下に出席番号順に並んで」
先生がそう言うと、みんなは席を立ち廊下に並び始める。
始業式は校長先生の話が長く、退屈だった。
男子達が可愛い新入生がいないかで、ヒソヒソ盛り上がっているのが聞こえた。
始業式が終わり、教室に戻る。
そして、明日からの授業の説明が行われた。
「いい? 早い子は2年の冬くらいから受験勉強始めるからね。中だるみの2年とかいうけれど、気を抜かないようにね」
私は一応就職するつもりだ。
夢がなくても、いずれは働かないといけない。
それに、施設の子が大学へ行くのは難しい。
この学校では、ほとんどの子が進学だ。
みんなと違う進路を選ぶのは不安だ。
だけど、生きていくためには仕方がない。
「それじゃあ、今からプリントを配ります」
何だろう。
前からプリントが回って来る。
そこには、大きく1年後の自分へと書かれていた。
「1年後の自分へメッセージや質問などを書いて。つまり、手紙ね。きっと、為になるから」
何を書けばいいんだろう。
迷っている内に、他の生徒はどんどん書いている。
テストじゃないから焦る必要はないけれど、少し気後れしてしまう。
私の1年後。
つまり、高校3年生の春。
私は、どうなっているんだろう。
将来の夢は決まりましたか?
まず、そう書いた。
そこで、止まってしまった。
結局、それ以上書けず提出した。
提出期限は数日後なので、持ち帰っても良かったけれど、時間を掛けても意味がなさそうなので、提出した。
今日は授業はなく半日なので、これで終わりだ。
「それじゃあ、気を付けて帰ってね」
神尾先生は教室を出た。
すると、1人の男子生徒が前に立つ。
「せっかく新しクラスになったから、懇親会をしようと思います! 来たい人は駅前のカラオケに来てください!」
おそらく、数人で話し合って決めたんだろう。
そして、クラスのノリのいい層が参加するんだろうな。
「2人はどうするの?」
麻紀が私と京ちゃんに尋ねる。
「ごめん、私達バイトだから」
私は麻紀に謝る。
「そっか……」
麻紀の残念そうな顔に、心が痛む。
「楽しんできてね、麻紀ちゃん」
京ちゃんが励ますように言った。
「うん」
でも、その顔には2人が一緒じゃないと楽しくない、と書いてあった。
私達は後ろ髪を引かれる思いで、バイトへ向かう。
私のバイト先はコンビニだ。
京ちゃんは本屋。
コンビニに着き、バックヤードに入る。
コンビニの制服を着終わると、店長が入って来る。
「こんにちは」
「こんにちは、片井さん。新学期だね。新しいクラスはどう?」
「友達と一緒になれたので、良かったです」
「それはいいねえ」
店長は笑顔を見せる。
店長は50代のおじさんで、少し太っている。
笑顔が人懐っこく、愛想もいい。
時々、こんな人がお父さんだったらなあと思うこともある。
レジに立ち、業務をこなす。
すると、いつもタバコとお酒を買いに来るおじさんが来た。
「いつもの」
おじさんはそう言って、お酒を置いて待つ。
私はいつものタバコを棚から取る。
最初はタバコの銘柄などがわからなくて、怒られた思い出がある。
おじさんは代金を支払う。
「ありがとな」
正直、格好や髪形はみすぼらしいし、顔も染みだらけだ。
だけど、コンビニ店員にもお礼を言えるのは、きっと人間ができている証拠だろう。
バイトを終えて、帰路に着く。
夕日が辺りを照らす。
春になって目を覚ました虫たちが鳴いている。
今日の夕ご飯に思いをはせながら歩く。
一軒の民家の前を横切る。
中から、賑やかな声が聞こえて来た。
子供の声がする。
きっと、幸せな家庭なのだろう。
そう思うと、きゅっと胸が痛くなる。
私が得られなかったものだ。
そしておそらく、この先も得られない。