攻略キャラは王子様の息子様
高校3年の夏、私は本気の恋をした。
あの頃は、寝ても覚めても彼のことばかりを考えてしまい、冴えない私の唯一の取柄ともいえる勉強も手に付かないほどだった。
私にとっては運命の出会いで、彼に恋をしたことは、とても幸福なことだったが、周囲にはそうは思われなかった。
「私、本気なの。本気で彼と結婚したいの」と常日ごろから言っていると、両親には病院に連れていかれそうなほど心配された。
仲の良い友人達にも、「現実みなよ」「あんたやばいよ」「気軽に薦めちゃって本当にごめん」と本気で心配されたり、謝られたり、引かれたりもされた。
それでも私は彼が好きだった。
好きの気持ちをとめられなかった。
彼を愛していた。
最終的には、彼と結婚したいとも思っていた。
たとえ、……たとえ彼が現実では触れ合うことのできない、ゲームの世界の住人だったとしても。
高校3年生になるまで、勉強くらいしか取柄のない真面目で地味な性格の私は、特別に趣味といえるものも存在しなかった。
趣味がなさすぎて勉強が趣味といっても過言ではなかったくらいの勤勉少女だった。
そんなつまらない存在である私に、数少ない友人のうちの一人が、受験勉強の息抜きにでもやってみたらいいよ、とおすすめしてくれたのは、とあるゲームだった。
それはいわゆる乙女ゲームといわれるもので、アニメのような絵で描かれたキャラクターの男の子たちを主人公である女の子が、彼らを恋に落としていくものだった。
最初にこれをすすめられたときは、友人には申し訳ないが、普段からアニメも漫画も観ない私には、こんなゲームは絶対に楽しめないだろう、と思っていた。
しかし、ものは試しにと一度ゲームをやりはじめると、私が彼に恋に落ちたのはすぐだった。
そんな彼が今、現実に、私の目の前にいる。
私の頭がおかしくなったのではない。私の目の前に彼が本当にいるのだ。
現実での彼はアニメ絵ではなかったけれど、確実にあの彼だ、本物だ。といえる何かが彼から感じ取れた。
そしてそれは、私が5歳のときに急に起こった。
彼に会った瞬間に、私の頭の中に、いきなり前世の記憶が蘇ってきたのだ
この時点で察しのいい方ならば、なんとなくおわかりだろうか。
早い話が、私は転生したのである。
この現象がどういう理屈なのかはわからない。
だけど、とにかく私は彼の住む乙女ゲームの世界の住人として生まれ変わったのだった。
あ、私が前世どうして死んだのかって?
特におもしろい話はないけれど簡単に説明すると、彼に恋をし続けたまま、なんとか今までの努力によって得た学力で高校を卒業すると、家から近い自分の学力にあった大学の経済学部に入学して、4年後に何事もなく普通に卒業。
就職も無事に決まり、よーし、これから彼とふたりきりの妄想ラブラブ新婚生活が始まるぞー、と思っていたころに彼のゲームの続編の発売が発表された。
私は楽しみだった。
愛する彼の新たな一面が、またみられるなんて幸せ~、とウキウキしながら、スマホを片手にふらふら歩いていると、交差点で突然、歩道に進入してきたトラックに轢かれて死んだ。
まぁ、簡単にいうとこんな感じ?その後の記憶はないから、たぶん私は即死だったんじゃないかな。
そして、気が付けばここです。
お久しぶりですね、私の愛しの王子様。
そんな風に思わずにやけながら口に出しそうになるのをおさえる。
現実に生きていて、妄想しなくてもおしゃべりもおさわりもできちゃう彼。
あぁ、なんたる幸福。
これはきっと前世で続編をプレイできなかった私へのご褒美に違いない。
どこのどの神様かは存知ませんが、どうもありがとうございます、神様。
しかし、そこで私は目の前にいる彼の違和感に気付く。
彼の周囲を覆うキラキラオーラは相変わらずだが、よくよくみると彼は私の記憶より少し年をとっているようだった。
初めて出会ったとき、ゲーム開始時の彼の年齢が、私と同い年で18歳だったはずだから、ゲームの時点より、この世界では少しばかり時がたっているのかもしれない。
「おや、可愛いお嬢さん。ここにいるということは、もしかして君はダックワーズ家のルビー嬢かな?」
彼だ。彼の声だ。
画面越しに聞いていた声が、彼の、生の、声が、こんなに近くで聞けるなんて……!
あまりの嬉しさに感極まって固まっていると、私に怪しい人間だ、と警戒されていると勘違いしたのか、彼は少し困ったように笑った。
困った顔もイケメンである。
「私は怪しいものではないよ。こうみえても、この国の国王をやっているディナール・スイーツというものだ」
「あ、えっと、わたし、あ、ちが、わたくしはダックワーズ家のルビーちゃんでございますの……」
あぁ、もう、私何言ってんの。
初対面だよ?
第一印象大事だよ?
意味わかんないこと言っちゃダメじゃん!
すっごく頭悪い子だと思われちゃうじゃないか。
うわーん!
「ふふふ。そっか、やっぱりルビーちゃんか。向こうでお母上が探していたよ」
ディナール様は私の挙動不審な様子がおかしかったのか、笑いを堪えきれないご様子だ。
恥ずかしい……。
絶対に変な子だと思われた。
今すぐこの場から逃げ出したい。
でも、折角会えたディナール様とそう簡単にお別れしたくない。
離れたくない。
あぁ、どうすればいいのかな。
そうだ、何か、何か言わなきゃ……。
「わたしと、けっこんしてください!」
パニック状態になった私の口から飛び出たのは、そんなとんでもない言葉だった。
確かに!長年願ってきたけど!
ディナール様と結婚したいと思ってきたけど!
なんで今言っちゃうのかな、私の馬鹿……。
ディナール様は最初、ものすごい勢いでそんなことを言ってきた幼女に対して驚いたが、すぐに気を取り直し、にっこりと素敵な王子様いや、王様スマイルを決めて私の頭を優しくなでて言った。
「ごめんね、私にはもう妻も子供もいるんだ。この国では一夫一妻が法律で定められているから、君と結婚することはできないんだよ」
「え……?」
彼に何を言われたのかわからなかった。
理解できなかった。
理解したくなかった。
今はまだ幼女な私が大人な彼に相手にされないのはわかっていた。
だけど、まさか、まさか、結婚しているなんて……。
いや、なんとなく予想はできたはず。
考えたくなかっただけで。
ゲームの中より少し大人びた姿の彼が私以外の人間と結婚している可能性なんて高かったに決まっている。
それでも、それでも私は奇跡を信じたかった。
幼女でもディナール様と結婚できる奇跡を。
折角、この世界に転生することができたのに。
それなのにこんなのはあんまりだ。
次元を超え、世界を越えてやっと出会えた瞬間に失恋なんて、そんなのってない。
これなら前の世界に普通に転生してゲームの続編をプレイできたほうが何十倍、何百倍も幸せだ。
本当になんてことしてくれてんだ、神様。
「まぁ、ルビーがそんなことを?失礼をして大変申し訳ありませんでした、陛下」
あの後、すぐに私を探していた母が現れ、ディナール様に謝罪をした。
「はは。気にしないでくれ。こんな可愛いお姫様にプロポーズされて、嬉しかったくらいさ」
そういって私にディナール様はウインクをした。
……あぁ、やっぱり好き。かっこいい。
そうだ、一夫一妻でなければいけないというのなら、王妃様が不慮の事故か病気か何かで死んでしまえばいい。
……ってこんなこと考えちゃダメだよね。
私にとっては悪だけど、ディナール様にとって王妃様は愛する人だ。
王妃様が死ねばきっと彼は悲しむ。
愛する人の幸福を願わない人間に彼を愛する資格も愛される資格もないに決まってる。
でも、それでも考えてしまう。
願ってしまいそうになる。
……あぁ、どうしたらいいの?
そんな風にうんうんと悩んでいると、美しい女性が男の子を連れてこちらへやってきた。
「ソフィ、久しぶりね。元気にしていた?……あら?もしかしてあなたがルビーちゃんかしら?私の名前はクローナというのよ、よろしくね」
そういって私の前にしゃがみ込みわざわざ私と視線を合わせて手を差し出してきたのは、おそらく、この国の王妃様。
そう、私の王子様の妻だ。
彼女はとても綺麗な人だった。
私は差し出された彼女の手を握り返さなかった。
そして、そのまま私は何も言わずに、逃げるように母の後ろに隠れた。
「ルビー、どうしたのですか。王妃様がわざわざご挨拶をしてくださっているのですから、きちんとご挨拶をなさい」
母が厳しい声で私に言うが、私は母のドレスの陰に隠れながら首をただ、横に振った。
挨拶を返さないなんてレディとして失格だ。
そんなことはわかってる。
それでも今はまだ、この人に笑顔で挨拶なんてできそうになかった。
「あまり怒らないであげて、ソフィ。ルビーちゃんは、まだ幼いのだから、そういう気分じゃないときがあるのよ。それにソフィ、私とあなたの仲でしょう?他人行儀に王妃様なんて呼ぶのはやめてほしいわ」
「ですが、王妃様」
「ソフィ。いい加減にしないと怒るわよ?」
「……わかりましたわ。クローナ」
「はい、よろしい」
どうやら、私の母とクローナは仲が良いようで、ふたりの間に流れる雰囲気はとても柔らかかった。
前世の記憶によるとソフィこと私の母サファイア・ダックワーズはゲームの中では、ディナール様ルートの主人公のライバルでディナール様の婚約者だったはずだ。
現世でも母が婚約破棄されたって話しを聞いたことがあった。
でもそれが一体何があったらライバルふたりが和解し、仲良くお話ししているのか。
わけがわからない。
「そういえば、紹介が遅れてしまったわね。この子の名前はディルハム。私の息子よ。仲良くしてあげてね」
クローナの後ろについて一緒にやってきていた彼女の息子のディルハムは、ディナール様にとてもよく似た顔だちをしていた。
もっと言うなればディナール様を幼くしたような容姿をしており、ディナール様との血の繋がりを感じた。
これにはディナール様一筋である流石の私も胸が高鳴った。
ミニチュア版とはいえ、見た目は完全にディナール様だ。
ときめかないわけがない。
思わず、母上の背後からそっと出て、ディルハムに向かってにっこりとほほ笑む。
すると、ディルハムはそんな私に対してしかめ面をしてそっぽを向くとどこかへ走って行ってしまった。
ショックだった。
ミニチュア版とはいえディナール様のコピーにそんな態度をとられるなんて、信じられなかった。
そのまま彼が走り去っていったほうを呆けた様子で見ていると、先ほどとは逆に今度は、クローナとディナールが母上に対して謝っていた。
ふたりは私に対しても照れていたからだの、恥ずかしがり屋だからだの、とディルハムの態度を擁護していたが、私としてはそこまで気にはならなかった。
あの態度にはびっくりしたし、ショックも受けたが、よくよく考えれば、特に気にする必要はない。
私が好きなのはディナール様で、彼ではない。
私の人生において、彼は特に関係がないのだから。
そう、そのときはそう思っていたのだけれど、その数日後には、サファイアとクローナの仲良しママ友の企みによって、私はディルハム様と婚約をさせられることになってしまった。
あぁ、なんてこった。
そして、時は流れ、私は今年で16歳、ディルハムは18歳になった。
この国の王侯貴族や豪商の子供は、13歳から18歳までの5年間学校に通うことができ、ほとんど義務教育のように王侯貴族は通っている。そのため、私もディルハムもそれに習い13歳から学校に通っていた。
学校に入れば、何か行事があるたびに王子の婚約者として、大役を押し付けられるようになり、最初は大変だったが、2年前からわりと平和な日々が続いていた。
というのも、2年前から私の婚約者である王子が隣国に留学をしていたからだ。
ディルハムがいない2年間の私の学園生活は実に充実していた。
ディルハムがいないことで、学校でのディルハムの情報をいろんな人に聞かされることはなくなったし、やたらとパーティーに連れていかれることもなくなったし、お茶会に連れまわされることもなくなった。
そして、何よりディルハムと会話をしなくてもいい。
それは私にとってとても嬉しいことだった。なぜなら、このディルハム王子は本当に嫌な奴だったのだ。
私と顔を合わせれば嫌味ばかり。
お前は勉強ばかりでつまらない女だから、気晴らしに遠乗りに連れて行ってやろうと言ったり、ディナール様を褒める私に自分のほうがかっこいいに決まっていると言い張ったり、私の好きな甘い菓子を毎回、買ってきては、こんな甘ったるくてマズいものがよく食えるなといって投げてよこしたり、お気に入りのドレスに対してもセンスのないみっともないドレスを着るな、といってわざわざドレスを買ってきて押し付けてきたり、とにかく酷くて、嫌なやつなのだ、ディルハムという奴は。
紳士的で優しいディナール様とは正反対の嫌味で意地悪な性格。
幼い頃から、どうしてこんな人と将来は結婚しなければならないのかと非常に悩んできた。
だけど、だけど、顔は好みなのだ。
年々ディナール様に似てくる容姿。
大人になった今のディナール様も素敵だが、だんだんとゲーム当時の年代のディナール様の姿に近付いているディルハムの容姿もとても魅力的だった。
だから、私はディルハムがどんなに嫌な奴でもディルハムのことを完全には嫌いにはなりきれなかったんだけど。
しかし、ついに王子のいないとても充実した毎日が終わりをつげた。
朝から周囲の人間にやたらと、よかったですね、と言われるのでなんでだろう、と思っていたら、朝の全校集会で留学から帰ってきたディルハムと新たにこちらに留学をすることになったディルハムの留学先の隣国の姫が全校生徒へ挨拶をした。
どうやら、ディルハムは完全に留学から帰ってきてしまったらしい。
婚約者の帰還を彼の婚約者である私が後から聞かされるとは、どういうことなんだろう。とは思わなくもないが、まぁ、それはおいといて、とにかく、騒がしいあの日々が舞い戻ってくるのだ、なんとも嫌な予感がした。
だがしかし、学園で多少の騒ぎはあったものの、予想に反して私の周りは思ったよりも静かだった。
その理由は、隣国のお姫様にあった。
こちらの国へ来てまだ日が浅いからか、彼女はディルハムにべったりだった。
いや、この場合はむしろディルハムのほうが姫様にべったり、なのだろうか。
とにかく、ふたりはこちらに帰ってから、ほとんどずっと一緒にいた。
まだこちらの社交界になれてないお姫様のために、あのたくさんあるパーティーやお茶会いは彼女のパートナーとしてディルハムは出席していた。
そのとき、あの意地悪なディルハムが、彼女の前では、別人のように紳士的に優しく振る舞う。
その姿はまるで、ゲームの中のディナール様のようだった。
私との社交会デビューの時なんて、ディルハムはダンスが上手いくせに、わざと私の足を踏んできたというのに。
本当に姫と比べると酷い扱いの差である。
そのうえ、2年ぶりの再会だというのに、婚約者の私に対しては忙しいから、と挨拶を少し交わす程度の対応。
これは、もしかしてあれかな?
親子2代揃っての婚約破棄イベントの危機ってやつかな?
別に私としては婚約破棄でもかまわない。
姫とラブラブで楽しそうですね。
もう勝手にやってろよって感じだし、意地悪なあいつと結婚しなくて済むのでせいせいする。
だけど、だけど、なんだか悔しかった。
親子二代で王子に婚約破棄されるなんて恥ずかしいという気持ちもあるし、それに、私にだって10年近くディルハムの婚約者をやってきたプライドもある。
婚約破棄をするにしても、お前なんかじゃなくて姫と結婚したいから別れてくれ、なんて屈辱的なセリフは絶対にいわれたくない。
でも、こちらから王子を振るわけにはいかない。
なぜなら、相手は王子様だ。
伯爵家の人間である私のほうから婚約破棄なんて、失礼になることできるわけがない。
母親同士が、仲が良いので、家ごと取り潰されたりはしないだろうけど、家名を汚すことになってしまう。
家名を汚せば両親の社交界での立場が悪くなる可能性もあるし、何より私の新しい結婚相手はまともな男の中からは見つからなくなってしまうだろう。
それは困る、とても困る。
それならば、どうすればよいのか。
考えてみるが、やっぱり簡単には方法が浮かばなかった。
でも、とにかく今の状況を何とかしなければいけない。
だけど、なかなか良い解決策がどうしても浮かばなかった。
そして、悩みに悩んだ私は考えるのをやめた。
こうなれば、もう本人になんとかしてもらうおう。
だから、とりあえず、私はこのことをディルハムと会ってちゃんと話してみることにした。
ディルハムに会うと決めたけれど、そう簡単にはディルハムとは会えなかった。
学校にいるときにでも話しかければ簡単じゃないかと思うかもしれないが、私にも授業があるし、彼の場合は、王子で、人気者で、留学から帰ってきたばかりということもあり、とにかく忙しいのだ。
そのうえ時間が空いた時のディルハムは、つきっきりで姫の面倒をみているため、休憩時間も昼休憩時間もふたりは一緒だ。
ディルハムが姫と一緒にいるときは失礼にあたるから、ディルハムを勝手に連れ出すわけにはいかないし、かといってお姫様の目の前で、周りからみたら痴話喧嘩にもみえそうな恥ずかしいことはできない。
そんなことをしてしまうのは末代までの恥だ。
消えてなくなってしまいたくなる。
それならばどうするか。
悩んだ私は、久々に筆をとることにした。
書いた手紙を従者に預け彼に渡してくれるように頼み、待っていると、ディルハムからの返事の手紙が届いた。
私の「早急にふたりきりで会いたい。」という手紙の内容に対する返信には、私の屋敷に訪問する旨と訪問日時だけが簡単に書かれていた。
実のところ、私は彼のこういう無駄のないところは気に入っている。
こちらの都合も聞かずに勝手に日時を指定してくるあたりはむかつくが、いずれ、とか、近いうちになど曖昧な表現で濁してくるよりはよっぽど好感がもてるというものだ。
これは昔から変わらない私のディルハムの好きなところだった。
そんなわけで本日、約束の時間通りにディルハムが我が家にやってきた。
天気は快晴。
せっかく天気が良いのだからと思い、ディルハムを室内ではなく、テラスの方へ案内する。
2年前よりも少し大人びた姿で現れた彼は、原作のディナール様そのもので、ついつい見惚れてしまった。
ディルハムは髪型まで昔のディナール様と似ていて、まるでゲームのスチルをみている気分になりそうだった。
今日のディルハムはなんだか機嫌も悪くはないようだった。
こんな話をするには絶好の日のような気がした。
メイドがディルハムのティーカップに紅茶を注ぎ終え、屋敷のほうへ戻ったところで、私は口を開く。
「私、覚悟はできておりますの」
「……なんのことだ?」
「しらじらしいことをおっしゃらないでください。婚約破棄の件ですわ」
「……だから、何の話だ」
「ですから、あなたと私の婚約破棄の話ですわ!」
「だから!一体何の話だ!」
「ですから、婚約破棄の話だと申しておりますでしょう」
「だから、…………わかった。そんな話をどこから聞いたのかはわからないが、俺はルビーと婚約破棄をするつもりはない。これでこの件は解決だな」
そういうと、ディルハムは溜息をつき、出された紅茶を口に含んだ。
だけど、私としてはこんな適当な解決の仕方は納得ができるわけがなかった。
溜息をつきたいのはこちらのほうである。
「解決ではありません。未解決ですわ」
「……わかった、わかった。とにかく、どういう経緯でそんな口に出したくもないようなことを考え付いたのか言え。それから考えてやるから」
「ディルハム様、あなたは隣国の姫様のことがお好きでしょう?だから、私、別れて差し上げてもよろしいですわよ、って話しですの」
断罪イベントなんて真っ平ごめんだ。
私に良いことなんて何一つない。
それならこちらから提案し、先に王子の方から婚約を解消してもらうのが一番だ。
誰もが思いつくけどわかりやすい解決法である。
そう思って私は、うんうん、とうなずくけど、ディルハムはそんな私を呆れたように見つめ、溜息をついた。
「アデールのことは好きとか嫌いとかそういう存在じゃない」
「でも、あんなに丁寧な対応をしていたではありませんの」
「相手は他国の姫だぞ。丁寧な対応をして当たり前だろう。それにアデールには向こうで世話になったんだ。今度はこちらが尽くす番だろう」
「それでもあんなにべったりすることはないじゃないですの!」
思わず大きな声をだしてしまい、私は慌てて口を閉じた。
淑女として今のはあまりにもはしたない行為だ。
反省する。
だけど、場が妙に静かになってしまったので、不安になり、ちらりとディルハムのほうを確認すると、驚いたように目を見開いて私を見ていた。
そんなに、はしたなかっただろうか。
確かにいままで私はディルハムの前ではディナール様以外のことで興奮……えーっと、ちょっとテンションが上がった感じで話したことはない。
だからって驚きすぎだと思うのだけれど。
ディルハムは、どれだけ私を完璧な令嬢だと思っているのかしら。
これでも前世の影響でだいぶ思考回路や行動は平民じみていると思うのだけれど。
「ごめんなさい。騒いでしまって。とにかく、私はいつでも婚約の解消を受け入れる覚悟があるということをわかってほしいんですの。聞いています?ディルハム様」
そういって念を押すように、私が改めて婚約破棄の件を持ち出すと、ディルハムは眉間に皺をよせた。
「聞いている」
ディルハムは自分のカップの中身を一気に飲みほし、立ち上がった。
「婚約の解消はしないし、俺はアデール姫のことをそういった意味で愛してもいない。俺はどんなにお前が嫌がろうと必ずお前と結婚する。話はこれで終わりだ。この後予定があるから俺はもう行く。まだ何かあるなら、また手紙を寄越せ。」
そう言ってディルハムは帰っていった。
ディルハムと話し合えばこの問題は簡単に解決すると思っていたが、何も解決はしなかった。
話した後もディルハムは学園でもそれ以外でも姫につきっきりで何も変わらなかったし、ディルハムに婚約破棄についての話し合いをしっかりしたいと手紙を書いても、忙しいから無理だ、という返事とお詫びの贈り物が届けられるばかり。
そういった状況が1カ月続き、どうしようもなくなった私は、恥を忍んでディナール様に相談することにした。
両親に相談すれば、きっと大騒ぎになってしまうだろうし、王妃様に相談なんて論外。
それならば、ディルハムの父であり、幼い頃から私とたまにお喋りをする仲であるディナール様に相談したほうがいいと思ったのだ。
まぁ、ディナール様と久しぶりにお会いしたかったとかいう下心も無いわけではないのですけれども。
久々に会った生ディナールは最高でした。
本当に神々しいです。
現在のディルハムはまさにゲームの時のディナール様の生き写しだけれど、それを見たとき以上に感じる胸のときめき。
本当にどうして私はディナール様とこんなに年齢が離れて生まれてきてしまったのだろうか。
どうせならお母様に転生したかった。
ゲームのディナール様のセリフをすべて言えるくらいに、ゲームをやり込んだ私ならば悪役令嬢ポジションから、必ずやヒロインの座を射止めて、ディナール様の隣に妻として立っていたはずなのに。
悪役令嬢の娘なんかに転生させやがった神にうらみつらみはいっぱいあるが、とりあえず私は今回の問題を解決せねばならない。
無事にディルハムと婚約を破棄した暁には、お母様と同じように素敵な恋愛結婚をする予定なのだから。
現在の私とディルハムの状況を簡単に説明し、どうするべきか相談をすると、ディナール様は何故か笑い始めた。
どうして笑われているのかわからないので不安になるが、笑うディナール様も大変素敵なお姿でした。
ディナール様は、ひとしきり笑い終わると、不安そうに見つめる私の様子に気付いたのか、「ごめんね」と一言謝ると安心させるように優しく私の頭をぽんぽんと撫でた。
私は思わず照れて顔を真っ赤にしてしまう。
ディナール様的には、これは子供扱いなのだろうけど、私的には好きな人からの夢にもみた憧れの頭ぽんぽんだ。これが照れずにいられるものか。
「なんだかややこしいことになっているみたいだね」
「ややこしい、ですか?」
ややこしいこと、とはよくわからなかったので私は小首を傾げた。
ディルハムが婚約破棄をしたいはずなのに婚約破棄してくれないから困っているという単純な話として説明したつもりだったのだけれど。
「うーん。結局、ルビーはどうしてもディルと婚約を解消したい。ということでいいのかな」
「いえ、そういうわけではないのですわ。私じゃなくてディルハム様が婚約を解消したいのですよ」
そうなのだ。
私としてはディルハムと結婚しても何の問題もない。
王妃教育は大変だけど上手くいっているし、ディルハムの顔だけは絶対的に好みだから夫婦としての営みも当然問題なくできるはずだ。
私としては、本当に問題はないのだ。
あくまで、今回、婚約破棄をしたいのはディルハムのはずなのだ。
「だけど、ディルは婚約を解消しない、といったのだろう?ならばそれでいいのではないのかな?」
「ですが、無理をしているのではないでしょうか。ディルハム様は大変責任感の強いお方です。自分の恋心から私との婚約を解消することに責任を感じて意地になっていらっしゃるのではないかと思うのですわ」
「……なるほどね。そうくるか」
それから、ディナール様は何かを思案するように黙り込み、少し経った後、考えがまとまったのか、にっこりと笑って言った。
「この話は私が預かろう。ルビーは何も心配しなくていいよ」
そういわれてしまえば私は「ありがとうございます」としか言えなかった。
だって私はディナール様のことを全面的に信頼しているから。
私にとってディナール様のいうことは、絶対なのである。
そうして、ディナール様にこの件を任せて数日後、封筒が届いた。
メイドに渡されたときは、てっきりディルハムかディナール様からかと思ったが、そうではなく、それは隣国の王女アデール姫からのお茶会への招待状だった。
隣国のお姫様からのお誘いを断るわけにもいかないので、私は指定された期日と時間にお茶会の会場とされる、姫が滞在中のマカロン侯爵家へとやってきた。
そんなに親しくもなんともない私を呼ぶくらいなので、てっきり学園の何人かの令嬢を招待しているのだと思っていたが、そうではなかった。
案内された部屋に入った瞬間、アデール姫とマカロン公爵令嬢がテーブルに着いており、その二人の間にひとつ席が用意されているのと、周りに他にテーブルが用意されていないことから推測するに、どうやらアデール姫の参加者は私とアデール姫と侯爵令嬢の三人のみであるようだった。
ふたりに「いらっしゃいませ」と言わんばかりに向けられる笑みから、これはなんだか嫌な予感がするなぁと思うけど、来てしまったのだからしょうがないと、私はおとなしくふたりに促されるままに席に着いた。
しばらく、3人で学園の話しなどの当たり障りのない世間話を続けたあと、まるですっかり忘れていたとでもいうような演技をして、アデール姫はようやく本題を話し始めた。
「ところで、ディルのことなのだけれど」
きた、と私は思った。
お姫様が学園でもまったく接点のない私をこんなお茶会に誘う理由なんてディルハム絡みのことでしか考えられない。
覚悟していたとはいえ、いざ話を持ち出されると緊張した。
一体、何を言われてしまうのだろうか。
ディルハムと別れろ?それとも、あなたはディルハムにふさわしくない。とでも言われるのかしら。
「あぁ、緊張なさらないで。私たちは貴女に何かをするつもりはないのよ。ただ、貴女とディルの話をしたくて」
「えぇ、ぜひ。私もアデール殿下とディルハム様についてお話しはしたいと思っていたところですわ」
ディルハムと貴女の邪魔をする気はありませんよ、という気持ちを込めて、私はアデール姫に、にっこりとほほ笑んだ。
それから、アデール姫が話した内容は隣国でのディルハムについての話題が主であった。
ディルハムはディナール様と違って、わざわざ自国にいる婚約者に手紙を寄越すようなタイプの性格ではなかったし、隣国から帰ってきてからも慌ただしく、先日、呼び出して話した以外ではまともに話をしていない。
だから、私はディルハムが隣国で何をしていたのか、どんな人たちと知り合ったのか、まったく知らなかった。
そのため、姫の話しは興味深くもあり、面白くない気持ちもあった。
まるで婚約者の貴女なんかより自分の方が最近のディルハムについては良く知っているのよ、とでも言われている気分だった。
姫はひとしきり隣国のディルハムでの様子や、そのとき、いかに彼がかっこよかったか等の話をすると、今度は私に昔のディルハムの話を話してくれるように頼んできた。
なんだか、姫には昔のディルハムの話をしたくはない気がしたけれど、この場で話さないわけにもいかないので、深くは話さず簡単に彼の話をした。
私の話を聞く姫はとても楽しそうで、本当にディルハムのことが好きなんだな、と思った。
この様子だときっとふたりは両想いなのだろう。
これではまるで本当に、私は愛する二人の仲を引き裂く悪役令嬢だ。
アデール姫達との気分の沈むお茶会をなんとか乗りきった私は、足早に伯爵家の屋敷へと戻った。
帰り際に、姫に、またお茶会にお誘いするわ、と言われ、えぇ、楽しみにしております、と余裕の貴族令嬢スマイルで返したが、内心では、もう二度とごめんだと思った。
屋敷へと着いた私は急いで自室へと向かった。
そして、部屋の鍵を閉めると、着替えもせずに、そのままベッドへと飛び込んだ。
こんな行為は、淑女として、はしたない行為だから、母親に怒られてしまうと一瞬、頭をよぎったが、仕方ない。
どうしようもなく泣きたい気分で、今すぐにでも枕に顔を埋め、声をあげ、泣いてしまわずにはいられなかった。
泣きながら、自分がどうしてこんなに泣いているのか、よくよく考える。
どうしてこんなに泣きたいのか。
思い当たる理由なんて、きっとただひとつしかないのかもしれない。
ディルハムのことなんてディナール様と顔が似ているから好きという程度の存在だと思っていた。
でも、アデール姫と会って話して、きっと自覚してしまったのだ。
私は、彼のことが好きなのだ、と。
初めて会ったときは、その存在に対してディナール様の10分の1程度にしか興味がなかったけれど、ディルハムの隣で一緒に年を重ねていくうちに、だんだんと彼に対して愛着のような。
……いいえ、愛情を、恋心を、抱くようになってしまったのだ、と。
なんということだろう。
自覚した途端に、私は人生二度目の失恋をしてしまったのだ。
こんなの泣いてしまうには十分な理由でしょう。
部屋の外から、心配して声をかけてくる使用人や両親を無視して、私は一晩部屋に引き籠り泣き尽した。
1週間後、私は再び、ディナール様と会っていた。
今回は私からのお誘いではなく、ディナール様からのお誘いだ。
大好きなディナール様からのお誘いを、私が断るわけがない。
たとえ何か用事があろうとも、絶対にこちらを優先する自信がある。
「あれからディルには会ったかい?」
「いいえ。ディルハム様とは、まだお会いしていません。」
ディルハムからは手紙1通すらも届けられていないし、当然、ふたりで会う機会もない。
いまだに忙しいのだろう、王子の仕事が。そして、アデール姫にかまうことが。
「え?まだなのかい?まったく、あの子は一体何をもたもたしているんだ」
もしかしたらディナール様は、ディルハムと何かお話しをしてくれたのかもしれない。
たとえば、いい加減、私との婚約の解消を認めるように説得、とかね。
「ディナール様。私が昔、ディナール様のこと好きだったこと覚えていらっしゃいますか」
「あぁ、覚えているよ。あんなに可愛らしい求婚は初めてだったからね」
「私、今でも好きなのですよ。ディナール様のこと」
「へぇ、それは嬉しいな」
返事を返すディナール様は、にこにこと優しく笑っている。
これはまったく相手にされてないなぁ、なんて思いながら私もにっこりと笑う。
ディナール様にこんな対応をされたらきっと傷ついていただろうから、アデール姫との茶会の前なら、絶対に口に出せなかったことだ。
でも、今なら話せた。
ディルハムのことを好きだと自覚した今ならば。
それでも、前世は人生をかけてディナール様を愛していたことには変わりないし、今でも変わらずディナール様のことは別の意味では愛してはいるのだけれど。
「ディナール様。私、ディルハム様がどんな結論を出したとしても、すべてを受け入れるつもりですわ」
「そうなんだ。……だけど、ルビー。ルビーの気持ちはどうなんだい?ディルのことを少しでも好きだと思うのなら、私としては伝えてみるのもありだとは思うのだけれどね」
「気持ちを伝える、ですか」
「うん。さっき私に伝えたようにね」
「……そうですね。考えてみようと思いますわ」
そのあともディナール様と会話の間に王宮御用達のおいしいクッキーをつまみつつ、とても楽しい時間を過ごした。
そしてその夜、ディルハムから手紙が届いた。
少し緊張しつつ、手紙を開くと、内容はいつも通り、短く簡潔に会う日時と場所が書かれていた。
だけど、いつもと違って追伸があった。
一緒に贈ったドレスを着てくるように、と。
こんなことは初めてだった。
パーティーの際にドレスを贈られたことはあっても、何もないこんな時にドレスを贈られたことはない。
これは、ディルハムは正式に婚約を解消するつもりなのかもしれない。
ディルハムに婚約を解消される場面を思い浮かべるだけで、胸が痛む気がして、耐えるように私は、胸の前でぎゅっと拳を握りしめた。
2日後、私はディルハムに会うために、手紙に書かれていた通りに指定された時間に、贈られたドレスを着て王宮へと来ていた。
時間通りに待機していたのか、馬車から降りてすぐにいつものように使用人に出迎えられた。
そして、使用人に案内されて、部屋に向かっている途中、廊下の窓から、庭を挟んだ反対側の廊下にいる人達が見えた。
それを見た私は思わず、立ち止まってしまった。
私の視線のその先には、ディルハムと、それから、アデール姫がいた。
視界の中のふたりは何かをとても楽しそうに話していた。
その姿は大層お似合いで、二人の間には私の入る隙間など、ないように感じられた。
今は私がディルハムの婚約者。
……そうであるはずなのに。
ふたりをじっと見つめていると、急に廊下の真ん中で立ち止まった私を不審に思った案内役の使用人に声をかけられた。
「どうかなさいましたか?」
「……いいえ。ディルハム様にお庭におひとりで来てくださるようにお願いしていただけるかしら?」
「お庭に、ですか?殿下にはお部屋にお通しするように命じられているのですが」
「……そうみたいね。だから、お願い、してきてくださる?私は先に行って待っておりますわ」
私はそれだけ言うと、慌ててディルハムの元へ向かおうとする使用人を置いて、庭へ向かった。
長年通いなれた王宮内では迷うことなく、私は庭へたどり着いた。
庭に設置してあるベンチに腰を掛けてしばらく待っていると、ディルハムがお願い通りにひとりで現れた。
気づいた私は慌ててベンチから立ち上がり、貴族の令嬢の令をとる。
遠目に見た時も思ったが、ディルハムもいつもよりもしっかりとした格好をしているようだった。
私にドレスを指定するくらいなのだから、当然、自分もそれなりの服を着ては来るだろうとは思っていたけれど、ディルハムは想像以上にちゃんと正装をしてきていた。
式典や夜会などで2年前までは彼の正装なんてよく見ていたはずなのに、この2年でさらに大人びた彼のその姿はなんだかいつもの倍はかっこよく見え、私は彼に見惚れてしまった。
「……ルビー。待たせたか?」
「いいえ、全然待っておりませんわ。お会いする場所を勝手に変えたのは私ですもの。お気になさらないでくださいませ」
「そうか。……ルビー、その、なんだ。……ドレスよく似合っている」
「ありがとうございます。このような素晴らしいものを贈っていただき光栄ですわ。一生の宝物に致しますわね」
だって、きっとこれがディルハムからの最後の贈り物だろうから。
たとえ2度と着ることはなくとも、クローゼットの奥にしまい、一生大切にしていこうと思う。
「大袈裟だな。まぁいい。喜んでくれたのなら贈ったかいがあったな」
そういって笑うと、ディルハムはベンチに座り、私にも座るように促した。
促されるままに腰を掛けるが、そのままディルハムはなかなか話しを始めようとはしない。そんなに話し辛いのなら、アデール姫なんか好きにならずに、私のことを好きになってしまえばよかったのに、そうすればすべて丸く収まるのに、なんて思ってしまい、辛い気持ちのはずなのになんだかおかしくなった。
仕方がない。
ディルハムよりも人生経験の長い転生者の私のほうから話を切り出してあげよう。
「ディルハム様。アデール様とお話し合いはどうなりましたか?」
「アデールとの話?……なんのことだ?」
「先ほどアデール様とお話しをされていたのでしょう?てっきり私との婚約解消後について話していて、今日もアデール様が同席する予定だったのかと思ったのですが」
「馬鹿な!そんなわけがないだろう!アデールとは偶然あっただけだ!……だから、ひとりで来いといったのか。そうか。なるほどな」
「お察しくださって何よりですわ。婚約解消については私とディルハム様ふたりで話し合うべきだと私は思ったのです」
国の政治が多少なりとも絡んでくるとはいえ、これはあくまで私とディルハムの問題だ。
たとえ他国の姫とはいえど、他の誰かに邪魔をされたくなかった。
大体、婚約解消の話し合いの最中に目の前でアデール姫とふたりでイチャイチャされようものなら、流石の私でも耐えられない。
泣く。間違いなく、泣く。
「ディルハム様。私も色々と考えましたの。ですが、やはりディルハム様の御意思にお任せすることが良いのではないか、と思うのです」
「そうか、わかった」
また、沈黙が続くかと思われたが、以外にもすぐにディルハムは返事を返した。
「婚約の解消はしないし、今後もするつもりはない。俺の妻になるのはルビーだけだ。俺はルビーと結婚する」
「……はい。わかりました。ディルハム殿下の御心のままに」
私を見つめ、しっかりと告げるディルハムに頷き、返事を返す。あまりにも真剣な表情なので、まるで告白をされているような気分になった。
きっとこれから私は辛い人生を送ることになるかもしれない。
夫のことを愛しているのに、その夫に愛されない妻なんて辛いに決まっている。
だけど、ディルハムはきっと私のことは妹くらいには大切に思っているはずだ。
きっと心配はいらない。
恋人として愛されなくとも家族としては愛される。
それに私だけを妻にする予定ということは、まさか一国の姫君を愛人にするわけにはいかないだろうから、アデール姫を諦めるということだ。
ディルハムにとっては辛い決断であろうが、将来王になる立場の者として決断したのだろうから、私は将来の王妃としてその決断に従おう。
そう決心していると、ディルハムがふと、零すように言った。
「そういえば、この辺りだったな」
「……何のことですの?」
「ルビーが父上に求婚した場所」
「あぁ。そういえばそうでしたわね。……あら?でもどうしてディルハムがそのことをお知りになっているのです?」
ディナール様にでも聞いたのかしら、なんて考えつつ、聞いてみると、予想外にディルハムは固まってしまった。
そんなに聞きにくいことを質問してしまったのだろうか。
そのままなかなか返答してくれないディルハムの顔を見つめながら返事をじっと待っていると、なぜか顔を真っ赤にしてディルハムは言った。
「あのとき、近くに俺もいたんだ」
「まぁ、そうなんですのね。私てっきりディナール様からお聞きになったのかと思いましたわ」
なるほど、と納得していると、ディルハムはまだ何かを言いたそうな顔をした。
なんだろうと思いつつ、再びおとなしく待っていると、深呼吸をひとつして、ディルハムは言った。
「……一目惚れだったんだ」
ひとめぼれ?一体どういう意味だろう。
……あぁ、そうか。
「……アデール様のことですか?」
「違う!なんでそうなるんだ!」
こんなタイミングでアデール姫のことを口にするなんて本当に無神経な男だなぁ、と思ったが、激しく否定するあたり、どうやら違うみたい。
ディナール様との求婚のときということかな?
そうなるとひとめぼれって、父親のディナール様……であるわけはないので必然的に、私?
「あの、ディルハム様。私、その、勘違いかもしれないのですが。もしかして、もしかしたらですよ?ディルハム様のひとめぼれのお相手って私、ですか?」
「あぁ、そうだ。俺がひとめぼれしたのは、ルビーだ」
「そ、そうなんですのね。……たとえ昔の話だとしても嬉しいです」
昔の話だとしても、嬉しいものは嬉しい。
自然と笑みが溢れてくる。
このことだけでこれから先ずっと喜んでディルハムの妻をやっていける気がする。
でも、ひとめぼれのわりには酷い態度をとられたような記憶があるけど、もしかしたら、あの態度は本当に照れ隠しだったとか?
……そう思って当時のディルハムを思い出してみれば、可愛すぎて萌え死にそうになった。
あのディナール様のミニチュア版が照れていたのだ、大変可愛らしいことこのうえない。
今は好かれてなくとも少なくとも昔は愛されていたという事実に、浮かれていると、ディルハムがまた何かを言いたそうな目で私を見てきた。
「ディルハム様、どうかなさいました?」
ちょっとだけ機嫌が良いので、小首を傾げて可愛こぶって聞いてみると、ディルハムは私の両手を優しく握ってきた。
「聞いてくれ、ルビー」
「はい、なんでしょう」
「俺はルビーを愛している」
「え?」
アイシテル?どういう意味だろう。
……もしかしてこれは、ディルハムの新しい何かの罠?
いや、罠ってなんの罠よ。
でも、だって、ディルハムは、昔は私のことが好きだったとしても、今はアデール姫のことが好きな、はず、だよね?
動揺して私が何も言えずにいると、ディルハムは俯いて苦しそうな表情をした。
「……ルビーが今でも父上のことを愛しているのは知っている。だが、父上には母上がいる。可哀想だが、諦めてくれ。それに、俺が生きているうちはルビーを他の男に渡すつもりもない。だから、婚約解消も愛人を作ることも許してやれない。すまない。」
申し訳なさそうに暗い顔をしているディルハムの気持とは反対に、私はとても幸せな夢をみている気分だった。
これではまるで本当にディルハムは私のことが好きみたいじゃないか。
もし、もしも、本当にそうであるならば、私はディルハムに告げてみてもいいのかもしれない。
私の今のこの思いを。
深呼吸をひとつして、口を開く。
「あの、ディルハム様はアデール様ではなく、私のことが好きなのですか?」
「そうだ」
「えっと、ディルハム様」
「……なんだ?」
「私もディルハム様のことが好きです」
「そうか…………は?」
私の告白を聞いたディルハムは、怪訝な顔をしたが、そんな顔をしていてもディナール様ゆずりの美しさと煌めきは失われていない。
「それは、本当なのか?本当なら嬉しい。……いや、でも、ルビーは、この間、父上に告白していただろう?」
ディルハムも素敵よね、なんてふわっと考えていたら、とんでもないことを言われてしまった。
まさか、あれを聞かれていたとは。
私はこんなとき、ディルハムに対してどんな顔をすればよいのかわからなかった。
これでディルハムがアデール姫を好きだというのならともかく、ディルハムが私のことが好きだったというのが真実なら、自分の婚約者が自分の父親に告白するシーンなんてトラウマ確定案件だ。
「ち、ちがいます!いえ、告白したのは事実といえば事実なのですが、軽い気持ちというか、ほんの出来心というか、冗談というか、なんというか、と、とにかく違うのです!今、私が愛しているのはディナール様ではなく、ディルハム様なのです!信じてくださいディルハム様!本当なんです!私はディルハム様のことが好きなのです!愛してるんです!」
私はなんとか弁解をしようと、握られていた両の手を逆にがっしりと握り返し、身を乗り出すようにして、ディルハムに詰め寄る。
「わ、わかった。信じる。信じるから、すまないが少し離れてくれ」
「傍に寄るのも不快ということですか!」
「違う!とりあえず落ち着くんだ、ルビー」
私はそのあとも何度も説明して、なんとかディナール様ではなく、ディルハムのことが好きだということを信じてもらえたのだった。
初めて出会った瞬間にひとめぼれで好感度ほぼMAXだなんて、乙女ゲームで言えば超初心者向けキャラクターであるディルハム様を、いつの間にか無事に攻略していたらしいことが判明した2週間後、私は再び王宮に来ていた。
「ディナール様、お久しぶりですわ」
「あぁ、久しぶりだね。会えて嬉しいよ、ルビー」
今日も今日とてディナール様は大変美しい。
いつだって素晴らしく、パーフェクトな存在です。
そのうえ、隣には大好きなディナール様と同じ顔をしている大好きなディルハム。
大好きと大好き、ふたりと一緒にお茶する時間。
あぁ、私ってなんて幸せ者なんでしょう。
「……父上。なぜここに?ルビーを呼んだのは俺のはずですが?」
「ははは。いいじゃないか、別に。かまわないだろう、ルビー?」
「えぇ!もちろんですわ。ディナール様なら、いつだって大歓迎ですもの」
楽しそうに微笑みかけてくるディナール様に、ときめきつつ、にこにこと笑って返事をすれば、ディルハムにものすごい顔で睨まれた。
「随分と嬉しそうだな、ルビー」
「あ、当たり前じゃないですの。忙しくてなかなか会えないディルハム様とやっとお会いできたのですもの」
私は、嘘は言っていない。
ディルハムに久し振りに会えるのを楽しみにしていたのは事実だもの。
嘘は、言っていない。
おほほほ、と笑って誤魔化してみるが、ディルハムは、まだ怪しむように私を見ていた。
「……父上も、そろそろお仕事に戻らないといけないのでは?」
「ん?あぁ、まだ大丈夫だよ?」
「……いいえ、父上は忙しいです。早急に戻らないといけないはずです。さぁ、早くお戻りになってください」
そういうとディルハムは、まだこの場に居たがるディナール様を無理やり部屋から追い出してしまった。
ディルハムがディナール様を無理矢理追い出したことで、部屋に静寂が広がった。
なんとも気まずい状況だった。
「あの、ディルハム様?」
「なんだ」
「きょ、今日は良い天気ですわね」
「あぁ、そうだな」
「今日は、えーっと、……何の御用で私をお呼びになられたのですか?」
「……用?あ、あぁ。用か。用ならある。…………そうだな。……そういえば、また、アデールの茶会に呼ばれたらしいな」
ディルハムの言う通り、先日、私はアデール姫から2度目の呼び出しを受けていた。
最初の呼び出しはものすごく緊張したけど、2度目は少しの緊張で済んだ。
なぜなら、私はディルハムに愛されているという事実を知ったから。
だから、アデール姫にも立ち向かえる。
そう思ってマカロン侯爵邸へ向かったが、アデール姫には出会って早々に謝罪をされた。
ディルハムから話を聞いた、勘違いをさせてしまって申し訳ない、と。
話しを詳しく聞いてみると、アデール姫はディルハムに対して愛してる、だとか、恋してる、だとかいう気持はまったくなかったらしい。
単純に慣れない国に来て不安だったため、隣国で仲良くなった友人であるディルハムを頼っていただけに過ぎなかったらしい。
最近では、マカロン侯爵令嬢と仲良くなったため、ディルハムを頼ることも少なくなってきているから心配しないでほしい、そして、できれば私とも友達になりたかったのだ、ということを言われ、私もそれに「えぇ、喜んで」と返した。
それからは、学園でもアデール姫とはたまに昼食を共にするくらいの仲にはなった。
お互いの婚約者の話などで盛り上がることもあり、今はそれなりに姫とは良好な友人関係を築きつつある。
「ですから、何も心配はありませんわ」
簡単に仲良くなったことを説明すれば、「そうか、良かったな」とディルハムも笑ってくれた。アデール姫の件は、ディルハムも色々と心配だったのかもしれない。
「ところで、ルビー。もうひとつ聞きたいことがあるんだが」
「聞きたいこと、ですか?」
はて、一体なんだろうか。アデール姫のこと以外では思い浮ぶことがなく、首を傾げると、ディルハムは真剣な表情でこちらを見つめてきた。
「俺と父上、一体、本当はどっちが好きなんだ?」
「え?あの、ディルハム様?」
「簡単な質問だろう。俺か、父上か、選ぶだけなんだから」
「えーっと……」
「どうした?簡単な問いだろう?」
「そ、そんなのディルハム様に決まっているじゃないですか」
「本当に?今、父上に告白されたらどうする?」
ディナール様から告白?
そんなの速攻YESを選択する!
……じゃない。うっかり、喜んだ表情をしてしまい、ディルハムに睨まれる。
くっ!しまった!
いや、だってさぁ。
ディナール様に告白されたら、なんて夢見るに決まってるじゃん。
でもね、でもさぁ。
「ディルハム様。この間も何度も言いましたが、私は貴方のことが好きです。そりゃぁ、陛下のことは好きです。好きですけど、ディナール様には、その気なんてまったくありませんからね。今の気持ちとしてはアイドルの追っかけに近いというか」
「……アイドル?」
「あ!そ、それは忘れてください。……えーっと、ディルハム様も昔の絵画に描かれた美人に目を奪われたことぐらいあるでしょう?」
「ない。俺はずっとルビーだけを見てきたからな」
こんな風に、あの告白の日から、なんだかディルハムは人が替わったかのように私を口説いてくる。心臓に悪いからやめてほしいんだけど。いや、嬉しいんだけどね。
「そ、そうですか」
「あぁ」
再び沈黙。
「すまない、ルビー。……実は俺も用事があってもう戻らねばならない」
「まぁ。残念ですが、しかたがないですわね。お仕事、頑張ってくださいませ」
本当に残念に思うけれど、引き止めたりはしない。頑張っているディルハムの邪魔をしたくはないからね。
決して、決してこれ以上の追及をされなくて良かった。とかいう気持ちはないです。えぇ、ないですとも。
椅子から立ち上がったディルハムは、部屋の扉のほうへ向かう。そして、そのまま外に出ていくものだと思ったが、扉に手をかけたところでディルハムは立ち止まった。
「まだ何かありました?ディルハム様」
「……ある。一応、一応なんだが、言っておきたいことがある」
ディルハムは私の方を振り返った。
「今の俺は父上に負けているかもしれないが、いずれ俺はルビーの1番になる予定だ。覚悟しておくように」
それだけ言うと、ディルハムは真っ赤な顔のまま、逃げるように部屋から出て行った。
呆けた私は閉じられた扉に向かって、小さな声で呟いた。
「はい、喜んで」
おわり。
最後まで読んでくださってありがとうございました。