2話 日々へ
そんな状況にある絢香の事など知りもせずに、東生は思ったよりも早く大学の近くまでやって来れた。
「おっはよ〜!」
「おはよ」
高校からの友達の「宗野 劉星」に絡まれる東生はなんだか嬉しそうにも見えた。
「聞いて!昨日ね?僕がね、コンビニまで買い物行ったら、傘盗まれちゃって!それで帰りは、ずぶ濡れで帰ってきたんだけど。それにしても、昨日の雨すごかったよね!僕からしては大災害だよ、まったく」
「確かにな」
マシンガンのように話し続ける劉星に東生は笑顔を向ける。これはいつもの事だ。あまり話さない僕にはこのぐらい話してくれる人の方が楽で丁度良かった。
劉星は最初高校であった時は名前と見た目から少し避けていた。
名前は劉星とゴツく、見た目もバッチリワックスで固めてきていて、少しカッコよかった。
ただ、今は違う。
優しいし、それらとは裏腹にどちらかと言うと癒し系ワンコな感じだし、一緒にいて一番楽だし。
東生にとっては、大学では一番心の開ける人だろう。
「それでね!怒ったから傘買おうかな?って思ってたの!それなのに財布見たら315円しか無くて!店の中で「円周率か!」って叫んじゃったよね」
「円周率は3.14だよ。315円じゃ3.15じゃん」
「あっ!そうだっけ」
こいつ本当に大学生か…?
褒めていたのに今の会話で東生の劉星への気持ちはガラッと変わってしまった。
まぁ、そこも含めて良い奴なんだけどな。
東生は心の中で笑った。
「ねぇねぇ!円周率が3.14ならπって何さ」
「πって言うのはな…」
確かに劉星の事をよく知らない人から見たら、劉星はバカだし、見た目も少し怖い。近寄りがたい存在だろう。だけど、東生からしたら自分の生活の一部でもあるのかもしれない。
東生は再び心の中で笑う。
「あっねぇ!絢香ちゃん、どうなったの?」
「えっ?あ、あぁ…」
説明し終え、しばらくの沈黙が続いたかと思うと、また話し出す劉星。
「別になんとも」
「あ、そうなんだ」
「どうした?」
「あ、いや!なんでも!」
いつも明るい劉星が急にうつむくので、東生も少し焦る。
ただ、この事はそれ以上聞かずに、ただただ無言で歩く。
「お〜い」
学校付近まで来たところで何者かに声をかけられる。
「おっ麻央〜!おはよ!」
眠そうに歩いてくる「朝日 麻央」に元気一杯手を振る劉星。
めんどくさい。と思われたのか劉星を無視し、横をすり抜けて東生の元へ向かう。そうは言っても、東生の劉星の間は数メートルではあるが。
「東生〜おはよ〜」
「あぁ。おはよ」
眠そうに目をこすり、長い髪の先端をいじる麻央。
麻央とは、大学二年生からの付き合いだが、どうもこのテンションには合わせられない。
「あの。麻央?僕は?」
うるさい。と言う代わりに鋭い目線を劉星に浴びせる麻央。劉星もごめんなさい。と言わんばかりに涙目になる。
これが朝のいつもの風景だ。代わり映えのないもの。
ただ、まだあと一人足りない。
短髪大暴走女「軒並 愛理」が。
まぁ、大暴走女と言うのも昔のあだ名だが。昔と比べて愛理は大人しくなったものだ…。
愛理の顔を思い出しながら東生は過去に浸る。
それにしても今日は遅い。いつもは劉星の次に会うはずなのに。いつも会う場所にもいなかったし、すれ違ったわけでもない。
愛理が遅い理由を考えながらも、なんとなくみんなの会話に参加する。
しばらく歩くと大学の正門が見えてくる。いつもと変わらない綺麗な正門。奥に見える校舎とテニスコートも新しく綺麗である。
東生が通っている「日向秋灯大学」は最近建てられた学校で、まだ築10年もない。
学校にはテニスコート、サッカーコート、グラウンド、バスケコート、体育館が二個と、広い校舎など平均的に見ても大きな学校である。
大学の正門をくぐり三人で喋りながら昇降口を目指す。昇降口では沢山の生徒が急いで校舎に入っていく姿が見える。
「ねぇ!1限目始まりそうだけど、大丈夫?」
「うそ!?もう始まんの!?」
劉星の一声に眠そうにしていた麻央も焦り出す。そんな中、東生一人だけ別のことを考えていた。
「今日、愛理こないな」
「あ、あぁ。確かにそうだね」
急いで走り出す劉星を横目に、焦っていたはずの麻央が急に東生の言葉にデレたように話し出す。
「そんな事よりも急ぐよ!!」
「チッ」
東生を引っ張り走り出す劉星に静かに舌打ちをする麻央。その音は東生の耳にも、劉星の耳にも入ってこなかった。
next
ざわざわと教室一体を生徒達の楽しそうな声が包む。そんな中、一人だけ楽しそうではない生徒がいた。
その生徒は絢香だった。
昼休みになった教室は楽しそうな生徒達の声で満ちていた。いつもはあまり話さない無口な子も昼休みには誰かと話している。
自分だけだ。誰にも絡まれずに一人静かに考え事をしている。
一人を抜いて。
窓側の席で一人静かに外を眺めている。その生徒は「岩石 涼太」毎日のように一人で外を眺めている。
友達がいないわけでも、嫌われているわけでもないのに。
むしろ、帰りは他のクラスの人と楽しそうに帰っているし、クールな性格と顔立ちの良さ。それから、たまぁに見せる優しさから女子には人気だ。
あっ。笑った。
外を見ながら優しい微笑みを見せた涼太に思わず胸がなってしまう絢香。
『ばか!今はそんな気分じゃないのに!』
心の中で自分を叩く。
やっぱりそれでも涼太はカッコいい。校庭で遊んでいる時、涼太を見つけ微笑むと、涼太も微笑み返してくれる。
そんな涼太が私は好きだ。
「絢香ぁ〜。絢香ぁ〜?」
教室の外から聞こえる声に反応し、窓から目を離し廊下側を見る。いや、窓からというよりは涼太から。の方が正しい。
「絢香ぁ!!」
廊下から教室の扉を開け絢香を呼んでいたのは「稲井 三奈」だった。
「今日って部活あったけ〜?」
三奈は、同じバドミントン部の友達でいつもこんな風に、昼休みにその日の部活の有無を聞いてくる。
「ないよ?今日は定休日でしょ!」
少し大きめな声で答える。
「そっかぁ!ありがと」
長いツインテールを揺らしながら、振り返り廊下を走っていく三奈を「作り笑顔」で送る絢香。
毎日これだと気が滅入る。確かに小学校からの付き合いだが、もうそろそろ部活の有無ぐらい覚えて欲しい。
呆れながらも、もう一度窓側の涼太に目を移す。
しかし、窓側を見た絢香は「え?」と声を漏らしてしまう。涼太がいない。つい数秒前までいたはずの涼太が。
「何か用?柿野さん」
急に上から降り注いだ柔らかい一声に、絢香は驚き焦って振り返る。
涼太だった。後ろから絢香に声をかけたのは、先ほどまで絢香が眺めていた涼太だった。
「いや、あのさ。見られてたから……なんか用があるのかなってさ。気のせいだったらごめん」
涼太も涼太で確信がないため焦る。
ただ、それ以上に焦っていたのは絢香だった。喉の奥に言葉が支え出て来ない。
「あっいやっ!何でもないよ!」
焦りすぎて変な声が出てしまう絢香。そんな絢香を見て、焦っていた涼太は少し笑みを浮かべる。
「そっか。良かった」
「ううん!ごめんね!なんか!」
「こっちこそ。ごめん」
一言謝りを入れると自分の席に着き再び涼太は外を眺め始めた。
そんな涼太を見ながらも絢香は喜びを噛み締めていた。
『話しちゃった!きっかけは変であれ!話せちゃった!!』
人気の男子と話すのは、中学三年生の思春期真っ只中な絢香にとって、とても幸せな事だった。
絢香は喜びでニヤニヤが止まらなくなっていた。
悩んでいた「東生の事」など忘れて。