誰かのプロローグ
最後に死の恐怖を感じたのは、いったいいつのことだったか。
飛び級で上級にあがり、研鑽すること一年。実力は最上級に匹敵すると言われ、【銀の千嶺】なる二つ名も授かった。召還師として、あるいは魔法職としても右に出る者はいないと思う。かつては親友達と組んで、四封の一角であるディザスターブルードラゴンの討伐に挑戦したこともあるし、それ以外でも幾多の冒険を繰り返してきた。魔力が尽きた状態で深い洞窟に閉じ込められ、ブルータルワームの群れに遭遇したこともある。
この暗い森の中でどこからともなくこちらを狙っている存在には、別段それだけのプレッシャーなど感じない。ただ、この状況に命の危険があることだけはちゃんと理解してるつもりだ。足下に転がる4人の男女に関しては、特に。
「バルルルルルル!!」
化け物の嘶きが聞こえてきたのは、背後から。とっさに振りかざした杖で突き込まれる鋭い角を止めることはできたが、同時に自分はしくじったのだと悟った。鈍い音がして左手首に激痛が走る。杖を使った近接戦闘の成績が悪かった訳ではないけど、あくまで対人レベルだ。自分より体格の上回るモンスターの突進を、正面から止めることなど出来る訳が無い。
「『3番』!!」
とっさに口から出たのは短縮詠唱を極めた呪文の一つ『痛み止め』。範囲を誤ったせいで左腕が肩から脱力してダランと下がるけど、手首が動かなければどうせ使いようも無いのでとりあえず良しとしておこう。最悪このまま盾として使うなら、感覚がないのはむしろ都合がいい。
そして出来ることが限られているなら、するべきことはそれを全て順に解決して行くだけだ。まずは次の一撃に備えて、振り上げた杖を大地に突き立てる。
「『1番 ・9』」
短縮詠唱の1番。光源化呪文。明るさは最大。対象は手で触れている杖そのもの。
「喰らえよ!」
「ギャウッ!?」
再びモンスターが飛び込んできたのにあわせて地面に杖を叩き付ける。杖からはじけた光に目を焼かれたか、悲鳴を上げながらモンスターは別方向に逸れていった。少し遠くで何かがぶつかる衝撃音と、メリメリッという音がしたからあるいは木にでも頭から突っ込んだのかもしれない。少しでもダメージがあれば良いがそれは期待し過ぎだろう、今の閃光の目的はわずかな時間稼ぎと相手の正体を知ること。そして今、確かに見た。
大きくて黒い馬のような身体に、額から突き出した赤い角が二本。ディスケロスだ。この暗い森で、よりによってディスケロス。クソ! 初級生め、何を下らない意地を張ってるんだが知らないが、自分の経験を偽るとはどういうことだ。パーティーメンバーにそれを偽るのは冒険者にとって最も許されざる罪だって習ってるはずだろ。確かにディスケロスは難敵だがそれは戦えばの話、そもそもの対処はそれほど難しくない。モノケロスをつれてくるかその角を持っていればディスケロスはけして姿を現さないし、そうでなくとも処女がいなければわざわざ人前に姿を現すことは無い。逆に言えば、どちらも用意出来ないなら処女を連れてくるべきではない。だと言うのに……いや、そもそも処女の混じったパーティの実習をこの森に回すなんて、担当の教官は何を考えてるんだ? と、少し遠くから蹄で地面を蹴る音が聞こえる。威嚇。明確な敵意。
ディスケロスの特徴はその恵まれた体格の、さらにふた回り程上回る純粋な馬力。縦に連なっ二本の角を赤く染めてる毒。そして、自分自身のダメージを毒として排出する能力に裏打ちされた、圧倒的なステータス回復能力。
要するに今の光による目つぶしは間もなく回復し、敵の角によってダメージを受ければ目が見えなくなるだろう、ということな訳で。
「……せんぱい?」
「気がついたか。大人しくしてろ」
今の光で目が覚めたようだ。確か初級生パーティの黒一点【探索者】の声だ。名前は……あ、実習が無事終わったら聞くとか言ってたせいでわからない。まぁ、ここで死ぬつもりも死なせるつもりも無いから構わないか。
もちろんこいつがディスケロス相手に時間を稼いでくれるなら、その間に準備を整えてモノケロスを呼び出せたなら、この状況をあっという間に覆すことが出来るだろう。けれど、実習許可が出たばかりの初級生では10対1でもディスケロスは辛い。
一人なら。逃げ回りながら陣を描いてモノケロスを召還すれば良い。
一人なら。最低限の障壁を張りながら相手が疲れるのを待てるかもしれない。
一人なら。大規模な破壊呪文で狙いを付けずまとめて吹き飛ばしてしまうことも出来る。
残念ながら今は一人じゃない。足手まといが四人いる。
そうだ。処女の混じったパーティをこの森に派遣したとかどうとか言う前に、よりによって魔法使いの俺を一人で先輩指導員として派遣したことに問題があるんじゃないか?
「せんぱい、オレ戦えます」
「いいから黙ってろって。それに俺よりパーティーの心配しな」
「でも……」
いや、教官がどうであれ俺がするべきことに変わりはないのか。俺は指導員としてこいつらの護衛を受け持ったんだ。なら俺はこいつらを守る。
「『7番』!」
ディスケロスには二つ与し易い点がある。一つは嫉妬深いこと。処女の側に男がいればまずはそれを殺そうとする。特に強い者が嫌いだ。その辺は野生の序列的なあれなのかもしれないが、ありがたいことに倒れてる少女たちや【探索者】に目をくれず俺に襲いかかってくる。
「バルルルルル!」
「もう一回!!」
そしてもう一つは賢いこと。突進の叫び声に応じて、再び杖を大地に叩き付ける。
「バギャ!?」
「!? め、目が、目がぁあ!?」
炸裂した光が再びディスケロスの目を、あとついでに【探索者】の目を焼いた。賢いディスケロスは気付いたろう。俺が呪文を唱えたことを。そして気付いただろう。その文言が違うことに。そしてきっとこう思ったろう。次こそなんらかの『攻撃呪文』が来る、だから突撃障壁で蹴散らしてやろう。と。突撃障壁は正面に突き出した角を持つ幻獣類に共通する呪文で、読んで字のごとく障壁を纏った体当たりだ。細かい特性は置いておくが、角が向いた先に真っ直ぐと魔力で推進する。従って地面と水平に突進するためには顔を下に向けねばならず、急激に顔をそらしたりすればその威力は慣性でもって全てが己の首にかかる。
短縮詠唱の7番。最大光量の光源化呪文。対人で、呪文に耳聡い相手を嵌めるための裏技。実は最大光量の光源化呪文は常に3パターンの詠唱が出来るようにしている。何が来るかわからない、という状況ではなく。来ないはずの物が来た、という衝撃に加えての閃光。暗闇を見通す為に無理矢理回復させただろう視力を再び奪い尽くし、驚愕で持って逸らされた首が全体重を受け止めてその身体を投げ飛ばした。
「俺は召喚師だぞ。お前らを守るのに苦労はしても、モンスターを倒すのに苦労はしないさ」
……あれ、何も見えないぞ。それに目が異常に痛い。
もしかして左手に障壁がかすってたか?
「目がぁあ!?」
とりあえずこいつにトドメを刺させるか。
見切り発車する連載小説です。書き溜めなし。金曜分。