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08 : 理由がなければ、

 結論から言うと、笑美は体調を持ち直した。食事方法が正解だったのだ。

 笑美がまどろみから目覚める時には、水に浸されていたパンは跡形もなく姿を消してしまっていた。水も少し減っていたので注ぎ足してもらう。満杯になった水と腹。笑美は今までにない気分の良さに『Shall We Dance』とサイードの手を取りたい気分だった。

 幸いにして壺も表面に亀裂が入っただけで、ひびが入ったわけではなかったようだ。水漏れもなく今日も立派な壺として笑美の首の上に鎮座している。


 しかしわかったのはいい事ばかりではない。

 衝撃を与えれば壺も損傷すること。

 笑美の壺は定期的に回復が必要なこと。


 そして一番現実的な問題が、回復に必要な食糧の備蓄がおいつかないことだった。


 馬車の中にあるのは、旅の為にと長期保存に適した干し物ばかり。咀嚼して満腹中枢を刺激するわけでもないので、食材の容積がそのまま腹加減へと繋がる笑美としては、干し物では中々満足できない。

 笑美の食事方法には、味や感触の差異がない。つまり、食べれるものなら何でも栄養になる。

 容積が大きな食べ物といえば、新鮮なパンや肉、果実がメインとなる。床下に暗所を設けているとはいえ、鮮度と必要量の為に、毎日の買い出しを余儀なくされた。

 当初、食料の調達は三日に一度の頻度でコヨルが街へ買い出しに行く手はずだった。しかし、こうも燃費が悪いのが一緒にいては仕方ない。毎日予備の馬に乗って街へ赴くコヨルの後ろ姿を、笑美は申し訳なさに手を揉みながら見守った。


 壺の中身は笑美の体調に直結する。笑美はなるべく壺を満杯にすることを心掛けていた。壺の中の水の消費量はまちまちであったため、これについても検証が必要だとサイードが言った。

 壺の中の水を干上がらせてはいけない。それは、笑美に横になることを禁止しているようなものだった。そのため、笑美は基本的に座って眠る他なかった。しかし、揺れる馬車の中でたかだかひとつのクッションを頼りに、一人で座って眠るのは難しい。笑美は背に腹は代えられぬと、安眠椅子に土下座して毎晩の寝床を確保していた。


 とはいえ、笑美も花も恥じらう16歳の乙女だ。毎晩男の膝に上り、胸に顔を擦り付けて眠れるはずが――あった。

 異世界での不慣れな生活は、精神的にも肉体的にも笑美にとって刺激が強すぎた。土下座し、這うようにしてサイードの膝に上ると、笑美はものの数秒で眠った。


 男女一対のその姿を見て、一行がぎくしゃくしない最たる理由は笑美の容姿にあった。笑美は誰がどう見ても、女子に見えなかったのだ。


 旅の道中、笑美はテルテル坊主そのものだった。体は大きなローブにすっぽりと身を隠し、頭は壺だったからだ。

 聖女と言うのを民衆に隠すためだけなら、馬車内でのローブは必要ないのではと尋ねる笑美に、ソフィアはにっこりとほほ笑んだ。セーラー服の着丈では男衆の刺激になると告げるソフィアは、ある一定の方向を向いていた。向かれていた男は、同じくにっこり笑っている。そうかお馬さんがおいたしちゃうのか、と気づいた笑美は言いつけを守った。

 ぶかぶかのローブにピカピカの壺。笑美は誰がどう見ても、テルテル坊主だった。


 どれほど美人だろうが、どれほど男性的だろうが。くっついている相手がテルテル坊主である。同情は引いても、誰も興味をそそられることはなかった。笑美自身も自分が壺であるためか、それとも睡魔に勝てぬのか。男も知らぬ純真な乙女のくせに、安眠椅子に寄りかかることに何の抵抗もなかった。





 馬車は日に三度休憩を取った。朝、昼、夕。夜は必ず馬車を止めずに走り通した。

 一行は全員で眠ることはなく、バラバラに睡眠をとる。特にヴィダルとソフィアはともに眠ることはなかった。休憩時間以外はどちらかが常に馬車を走らせていたからだ。


 基本的にサイードと笑美は共に眠った。サイードは笑美を抱えて雑事を行うこともあったが、動けないため出来る事はそう多くない。横たわれない笑美を抱え、サイードも寝苦しい姿勢で眠りにつく日々であった。


 気が付けば王城を出発してもう一週間。王城からはそこそこ離れた距離に来ただろう。その間に笑美がしたことはやはり数える程度しかない。


 “酔いトメール水”を作ったこと。

 実験的に“健康祈願水”を毎朝配っていること。

 人一倍ご飯を食べること。

 寝ること、寝ること、寝ること。

 そして、サイードの髪を結ぶこと。


 笑美はサイードのことを掴み切れずにいた。

 初対面の時に見せた人の良さそうな美しい笑顔は、今では嘘だと知っている。


 愛想は悪いが無口ではない。

 人の感情を慮らずに正論を貫く怖い人――というのが今のところの彼への評価かもしれない。


 安眠椅子にこそなってくれるものの、それも梱包材以上の役割を持つ訳でもない。目が合うことは一行の誰よりも極端に少なく、また声をかけられることも極めて珍しかった。

 自分に向けられるはずの言葉は、他者を介して伝えられる。笑美とは、一言だって言葉を交わしたくないというように。


 そんなサイードだが、笑美からの行動を拒否するつもりはないらしい。


 出発の日。馬車に乗り込んだサイードがフードの中に可愛らしい三つ編みを隠していたことを、それはそれは全員目を見開いて驚いた。

 三つ編みされた白銀の髪を見て、ヴィダルは飲んでいた水をふき出したほどだ。彼はもしかしたら、ソフィアにねめつけられるのが快感になってしまっているのかもしれない。


 サイードは就寝時に笑美にヘアゴムを返してきた。サイードの胸に寄りかかりながら、笑美は眠るまでサイードの髪をいじった。手櫛で梳いてみたり、指に巻き付けてみたり、毛束にして筆にしてみたり、編み込んでみたり。

 髪を触り、翌日の髪型を考えながら眠る。翌朝さっそく前日考えた髪型にチャレンジする笑美を、サイードは好きにさせていた。


 コヨルに調達してもらったヘアピンに髪紐に髪飾り。笑美は毎日、サイードを好きにデコっていた。サイードはその全てに文句も、またお礼も言わずに無関心のまま過ごす。

 ありのままの私でいたい女王スタイルの次は、雪だるまを作りたがる妹スタイル。明日は、舞踏会に靴を忘れたお姫様スタイル、毒りんごを食べてしまったお姫様スタイル、野獣に恋した美女スタイルのどれにしようかと、笑美は白銀の絹を触るたびに心を躍らせた。

 さすがにマリーアントワネットみたいにしたら怒るかなぁという自制心は、笑美の心にしっかりと働いている。


「器用だね」

 笑美がサイードの髪を編み込んでいると、声がかかった。頭上を仰ぎ見ると、いつ何時も臨戦態勢を取っているのか、鎧を脱ぐことがないソフィアが笑美の手先を見つめていた。

「私は母の腹の中に大切なモノを落としてきたらしい。女らしいことはどれも苦手で。髪もひとつにひっつめるのが限界なんだ」

 綺麗な顔して中々な下ネタである。騎士団副長と言っていたからしょうがないのかもしれないが、下ネタに免疫のない笑美はふへへと愛想笑いを浮かべた。もちろん、壺には何も浮かばなかったが。


 苦笑しながら言ったソフィアの髪はポニーテールだった。ナチュラルなブロンドは数多くの者が憧れただろう。

 笑美はサイードの髪から手を離すと、スケッチブックに文字を書き始めた。サイードは笑美の手が離れたことで、これ幸いと書類仕事に集中する。その向こうで冬馬が魔法の書を片手になにやら拳を開いたり閉じたりしていた。


【“覚えたい?”】

 髪の毛を指さしながらが功を奏したのか、コヨルからスムーズにソフィアに言葉が訳された。ソフィアはびっくりしたように目を見開いた後に、神妙な顔をして頷いた。

 ソフィアの髪を結んでやることはたやすい。しかし、これからもずっと笑美が結んでやることは出来ない。

【“どんなのが いい?”】

 笑美はソフィアのポニーテールを解き、手櫛を入れる。笑美の意図をくみ取ってコヨルが尋ねる。

「できれば重心がぶれないものがいいな。動いている間にほどけないものも、嬉しいんだけど」

 笑美はソフィアの髪を掴んで、手を動かしながらあれでもないこれでもないと纏め方を探る。髪の毛をひとつにひっつめることしかできないソフィアに、編み込みは厳しいだろう。三つ編みはどうだろうか。髪の長さは短くなるし、あとで纏めやすい。いや無理だ。先ほどの不格好なポニーテールを思い出した笑美は唸った。

 あぁそうだ、と笑美はひらめいた。ギブソンタックなら、長い髪も比較的簡単に綺麗に纏められる。


 笑美は書類仕事に戻っていたサイードの髪を掴むと、ソフィアによく見ておくようにという念を込めて頷いて見せる。ソフィアに意味が通じたのかはわからないが、ソフィアは笑美の手を真剣に見つめた。

 ソフィアにとって最大の努力を費やしたポニーテールを簡単に作り上げると、笑美はサイードの毛束をくるくると回し始めた。実験台にされているというのにサイードはあまりにも無関心だ。これ幸いと、笑美はヘアアレンジを続けた。

 ポニーテールの結び目の毛を開くと、くるくるにねじった毛束を埋め込んでいく。形を整えながら数か所ピンで止めれば、お団子をまとめるよりもずっと簡単に毛束が髪の中に収められる。これなら、多少動いても解れることはないだろうし、なによりもポニーテールのように揺れることがないのでソフィアが動きやすいはずだ。


 ソフィアはその手順の少なさに驚いた。彼女が支度を人に任せた場合、その数十倍の時間を髪に取られるからだ。これほど簡単に髪をまとめる方法があったことを知らなかったソフィアは、笑美に何度もお礼を告げた。


 しかし、手慣れた笑美が他人に施すほど、不器用なソフィアが自分の髪をまとめるのは簡単ではなかった。それでも、初日にしてはまずまず……な髪を見て、笑美は親指を突き出す。継続は力なり。続けていけば、その内鏡を見なくてもできるようになるだろう。


 余談だが、その日一日、サイードとソフィアはおそろいの髪型のままだった。





 朝の支度が終わると笑美は“健康祈願水”を皆に渡した。コヨルに朝食を頭に突っ込んでもらう。“酔いトメール水”は夜に渡してあったのでまだいいだろう。魔法を使った後は、まだ少し倦怠感に襲われる。ご飯が壺から消える頃には落ち着くだろう、と笑美は安眠椅子に背をもたれかけた。


 椅子は抱えた壺を気にすることなく、白魚の手で書類をめくっていく。ペラリペラリと乾いた音が耳に心地よい。

 笑美が文字を読めないとわかっているからだろう。不用心にも機密事項の書かれた書類は、笑美の眼下に晒されていた。

 私がめちゃくちゃ頭のいい超スーパーエリートで、この文面まるっと覚えてしまってたらどうするつもりなんだと笑美はプンプンする。しかし、冬馬の読んでいる本を一瞬で投げた笑美にはあまりにも信憑性がなさすぎた。


 目で追う羅列はあまりにも意味が分からな過ぎて笑美の興味をそそらない。笑美はふああと欠伸をすると、サイードの胸に頭を押し付けた。今日のサイードは、振ると魔法の粉が零れ落ちる妖精ヘアーのおかげで、壺に白銀の絹がまとわりつかない。ぐりぐりと、どこが具合がよろしいか笑美が頭を動かして調整する。


「それ以上は宣戦布告と見なしますが」

 サイードの言葉に笑美は瞬時に、気を付けをした。背筋をピンと張って、サイードの仕事の邪魔をしないようにただの壺と化す。


 ぺらり、ぺらり


 サイードが紙をめくる音だけが、静かなキャラバンにいやに響いた。




***




 早朝に隊を離れていたコヨルが、昼休憩に合流した。小柄な体で馬を操り、ぱっかぱっかと揺れている。馬の両端には、大量の食糧が吊るされていた。

 大量の荷物は、肉をぎっしり壺に詰め込まねば満足できない体になってしまった笑美のためである。なんという卑猥な言い回しであろうか。父が聞けば卒倒するに違いない。


 コヨルが馬から飛び降りる。ヴィダルが荷物を降ろすのを、笑美はぺったんこになったお腹を押さえながら待っていた。

 騎士たちは、流石野営の準備に慣れていた。ヴィダルとソフィアがものの数分で火をおこし肉を焼き始める。辺りにいい匂いが充満し始めた。


 焼かれた肉や野菜を、コヨルがせっせと笑美の壺に詰めていく。ソフィアが水を注ぐと、笑美のご飯は完了だ。あとはカップ麺よろしく、数分間じっと待っていればいいだけである。


 心行くまでゆっくりとはいかぬものの、食事をしながら雑談する程度の余裕は持てた。コヨルは街で得てきた情報をサイードとヴィダルに報告している。両者とも食事をとりつつも真剣な表情で聞いていた。

 ねぇ冬馬、そのお肉美味しい? ねえ、ねえ? と無言で詰め寄る壺から視線を逸らし、冬馬は肉にかぶりつく。


「――そのため、マグノリア南門に大型の植物型魔物が出没」


 呑気に昼食を取っていた笑美たちが、えっと声のする方に顔を向ける。


「現在、自警団と騎士が防衛中。魔防壁の再構築は終了してました。街を出立時には死者無し、負傷者5名ほど」

「ソフィア! 今マグノリアにはうちの兵がいたな」

「はい、ヤパスの隊が17名――」

「財務長官に早烏を。それとは別にもう一羽、黄色のリボンを結び我が家に飛ばしなさい。指示は出しています」


「助けに行かねーのかよ」


 ブルルン、と馬が鼻を鳴らす。コヨルを囲むように集まっていたサイード達が会話を止めて振り返った。


「んだよ、あんたら。俺に世界を救えって呼び出しておいて、自分たち以外の人間は見捨てるのかよ」

 冬馬、というように笑美が袖を引っ張った。しかし冬馬は強く笑美の手を振り払う。咥えていた肉も、地面に投げ捨てられた。


「自分の家族じゃなきゃ、自分じゃなきゃ、金払って終わりかよ!」

「召喚の齟齬については、改めて場を設けましょう」

「んなこた今どうでもいいよ! そうじゃねーだろ! あんた等には感情がないのか! 自分の国が魔物に襲われてんだろ?! なんでそんな冷静に話が出来んだよ!」

「人にはそれぞれの役割がございます」

「感情を持てっつってんだよ!」

「はいはい、ほら勇者様、飯でも食おうや。せっかくの肉が冷めちまう」

 あーあ、勿体ねぇと言って冬馬が投げ捨てた肉を、ヴィダルが土を掃って口に入れた。感情的になっていた冬馬は、そのヴィダルの行動すら気に入らなくて声を荒らげる。


「あんたも、騎士団の団長なんだろ?! 国を守ろうって意志はねーのかよ!」

「はっはっは! だから魔王を倒しにいくんだ」

 冬馬、言い過ぎ! 笑美は首にしがみついて口に手を覆う。しかし、笑美だって、冬馬と同じ気持ちであった。

 街が襲われていると聞いて、助けに行くものだと思った。当然行くのだと思っていた。それが、サイードの言う勇者と聖女の役割だと思っていたのだ。

 なのに、サイード達は行かないことが当然のように会話を進めていた。そのあまりの衝撃に、冬馬が声を荒げたくなる気持ちも十分にわかった。笑美が何も言わなかったのは、ひとえに告げる口がなかったからだ。

 しかし、今の冬馬の言葉は、命を賭して国を守る騎士に向ける言葉ではない。


 笑美の手を冬馬は容易く外す。

『いたっ……冬馬、痛いっ!』

 外すために握られた笑美の手が、冬馬に強く握り込まれる。痛みに顔を顰めて冬馬を見れば、冬馬は笑美を見ていなかった。完全に無意識の暴力を、笑美は声を届けることも出来ずに耐えるしかない。


「倒せてないんだろ、負傷者が出てるんだろ?! 俺なら倒せるんだろ?! なんで行かない!」

「馬車だと往復で二日かかるんだよ」

「二日ぐらい!」

「その二日の間に、幾つの街がこの国で襲撃されているとお思いですか」

 いつの間にか笑美の背後に立っていたサイードが、ポンと冬馬の肩に触れた。いきり立っていた冬馬は睨みつけるようにして振り返る。しかし、サイードが指さす視線の先を見て動きを止めた。笑美の手が、赤く鬱血していたからだ。


「ごっごめん壺姫」

 大丈夫、と伝えるように笑美は首を振る。ひらひらと手首も降ってやろうかと思ったが、それは痛みのせいで無理だった。


 サイードは笑美の手に恭しく振れると、手のひらを翳してきた。冬馬に握られていた場所がじんわりと温まっていく。魔法で治してくれてるんだ、と笑美は初めて目にする魔法に驚いた。

 手はゆっくりと温まっていく。感じていた痛みは、サイードの手が触れるにつれどんどんと引いていった。


「その全てに救済を? その間、尚も被害は増える一方です。ではまた、その全てを?」

「大義のためには、小さな犠牲もやむなしっていうのか」

 冬馬の声が、震えていた。

「一刻も早く魔王を廃し、国を平らに導くこと。それが我々の使命です」

 笑美は冬馬に駆け寄ろうとして、くんと引かれる手に気付いた。サイードが手当てのために手を掴んでいるままだったのだ。


「街には衛兵も、青騎士団の第六隊長もいます。もう幾許もなく収束に向かうでしょう」

「それで不安だから金を払うんだろ?!」

「金銭援助の目的は負傷者への支援や、再度の襲撃に備えての軍資金となります」

「まぁまぁ、本当に大丈夫だって。俺らだって伊達に国を背負って――」

「それで頼りないからっ――」

「――勇者様、我が同朋を信じ、この場は任せていただけないだろうか」

 ソフィアが語尾を震わせながら冬馬に告げる。冬馬は驚いて言葉を止めた。


 今、怒り、持論を主張していたのは冬馬だった。それに対し、諌められたり機嫌を取られることはあっても、怒り返された経験など、彼にはなかった。

 自由だった。喧嘩するも、拗ねるも引き籠るも。そういう世界でしか生きていなかった。友達と、先生と、家族にしか囲まれていなかった。自分の言葉の責任など、冬馬は考えたこともなかったのだ。


「これ以上の騎士団への侮辱は、我が首を差し出してでも、止めさせていただく」

 これ以上と言われても、冬馬に侮辱したつもりはない。ただ感じたままを告げているだけだ。初めて見せるソフィアの怒気に、冬馬は愕然とする。


 違う、俺が言いたかったのは、そうじゃない。

 騎士団を馬鹿にしたわけじゃない。そうじゃなくて、襲われている街を見捨てていくのが非道だと思ったから。自分なら倒せると思ったから。自分ならすぐに解決できると思ったから。行かないのは、非効率だと思ったから。


 沢山の考えが冬馬の頭を巡る。しかし、冬馬は何も言い返さなかった。言い返せなかった。彼女の怒りを受け入れる覚悟を持っていなかったからだ。


「ソフ、鬼婆の顔になってんぞ」

 ヴィダルがソフィアの背後から、彼女の頬をにょいーんと引っ張った。瞬間、ソフィアはハッとしてヴィダルを振り返る。


「その名前で呼ばないでいただけますか」

「おお怖い、ほら肉でも食って機嫌直せよ」

「貴方は私を犬だとでも思っているのですか!」

「よっゴンザレス!」

「刺します」


 怒気を収めたソフィアが、今度は殺気を迸らせながら腰にはいていた剣を抜き、ヴィダルを追いかけた。ヴィダルは笑いながらソフィアの剣技を避けていく。


 その様子を見ながら、冬馬はいまだ動けない。


「俺は、ただ……」


 笑美は冬馬へと歩き出す。するりと、サイードの手から笑美の手が抜ける。治療は終わっていた。







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