05 : 夢にまで見た
今度の着替えは簡単だった。上に羽織っていたローブを脱ぐだけで済んだからだ。しかし食事は簡単とはいかなかった。
「え、まじで? 飲み物飲めないのもあれだけど、物も食えないの? え? どうすんの虎屋」
どうしよう……と笑美は頭を抱えた。正直、どうしていいのか皆目見当もつかない。
「あ~、よっこいしょーいち」
頭を抱える笑美と冬馬は、何か聞こえた気がして顔を上げた。
え、冬馬? と指をさす笑美に、ブンブンブンと冬馬は大きく首を振った。
ドアの前に立っていたメイドを笑美が振り返る。彼女はその顔に大きく驚愕の色を映し出していた。
「き、き、緊急通し――」
何かをしようと窓際に駆け寄ったメイドは、カクンとその場で力を失った。床に崩れ落ちるメイドを何者かが抱き留める。ふぉっふぉっふぉ、と、しゃがれた笑い声が聞こえた。
「今小僧に連絡を取ろうとしおったな。全くけしからんお嬢さんだ」
メイドを受け止めた小さな影は、けしからん手でメイドの尻を擦りながらそう言った。
「けしからんのはどっちだよじいさん! お姉さんのお尻から手を離せ! ちくしょう羨ましい!!」
冬馬、本音。本音。と冬馬の制服を摘まめば、冬馬は慌てて咳ばらいをする。
「おいこらくそエロ爺。その羨ましい手を離せ」
まだ本音が抜けきらない冬馬が影に向かってそう言った。影はメイドを抱えたまま、にやりと笑う。
小さな影は、老人だった。
サイードと似たような、ぶかぶかなローブを羽織っている。しかしそのローブは薄汚れ、所々つぎはぎが目立った。ここが城内でなければ、浮浪者だと思ったかもしれない。
老人は初対面では顔がほとんど見えなかったサイードと違い、フードを被っていても顔がよく見える。しわくちゃの顔に陽気さを滲ませ、楽しそうに白く長い眉は弧を描いていた。
笑美はこの人物に見覚えがあった。先ほど、サイードに連れられて玉座から別室に移動したメンバーの中にいたのだ。
「ほほう――これはこれは、また。イケてるメンズじゃのう」
「え、そ、そうかな」
「わしの若い頃にそっくりじゃ」
おいっ! と冬馬が大きく突っ込んだ。老人はひょひょひょと笑う。不思議な好々爺だな、と笑美が見つめていると、老人は今までの空気を一変させて真顔になる。
「――そこの若いの。勇者と言ったな」
老人の声のトーンが変わった。ピリッと肌が焼けるほどの緊張を冬馬は感じた。
歴戦の将の気迫に、知らず冬馬は一歩後ずさった。いくら破壊力があるとは言え、魔法の使い方ひとつろくに知らないことを強く実感する。老人の眼光は鋭く、一瞬たりとも冬馬から視線を逸らせなかった。
「勇者なら――」
笑美は冬馬を支えようと身を乗り出した。冬馬は咄嗟に右腕を広げて笑美を庇う。
「助けてくれんかの、わし、これ以上は、ちょっと無理……」
老人は呟くやいなや、背に負っていたメイドによって、床に接吻を余儀なくされた。
***
「ふぉっふぉっふぉ! すまんかった!」
テーブルに座ると、笑美のために用意されていた冷めた紅茶を啜りながら、老人は笑顔で謝罪した。
メイドはこの老人によって眠らされてしまったようだ。今は笑美のために整えられていたベッドで横にならせている。
「おい、じーさん! なんなんだよ急に現れて……」
「サイードの小僧が常世の二人を囲ってしまって面会を禁じておると聞いてのう。会いに来てみた」
紅茶を啜る老人は、どうやら天井からやってきたらしい。見上げれば、ぽっかりと穴が開いている。穴の向こうは真っ暗で見えないが、この小さな老人が天井裏を通ってきたのは間違いない。老人は先ほど、服に付いた埃をパタパタと掃っていた。
お城の中にこんな風に移動経路があって、警備は大丈夫なのだろうかと笑美は若干心配になった。
「そんで?」
「そんで?」
冬馬の問いかけに、老人は首を傾げる。その様を見て、冬馬は目を見開いた。
「――まさか、それだけ?」
「如何にも」
枯葉のような色の顔を、しわくちゃに歪めて老人は笑う。この世界に来て、冬馬と笑美が初めて見る無邪気な笑顔だった。
笑美はしゃがみこんで老人の手を取った。今にも折れそうな細い指は、笑美の手の中にすっぽりと収まる。
『おじいさんはどなた?』
「おぉおぉ、お声は聞こえずとも、お心は届いておる。美しいしらべじゃ」
老人は笑みを深める。笑美の手を、老人がぎゅうと握り返した。
「よく、おいでくださった。――壺姫よ」
おかしな俗称に笑美はころころと笑う。聖女と呼ばれないのは新鮮だった。壺姫、いいかもしれない。誰がどう見ても壺なのだ。笑美はその名前がとても気に入った。
「まさか生きとる間に見えることができるとは。この老い耄れ、恥知らずにも今まで生き延びたことを、女神に感謝したい」
聖女とは、この世界の人にとって信仰の対象になるのだろうと笑美は思った。大げさに感激する老人の揺れる瞳を見つめ返しながら、笑美はその真剣さに恥じぬよう真摯に見つめ返す。
「んで、じーさん。メイドさん眠らせちゃって、入室不可能の部屋に入って来て、これからどうするわけ?」
耳にほじほじと小指を突っ込みながら冬馬が尋ねた。笑美の手を握っていた老人は、くるりと振り返る。
「なんじゃなんじゃ、お主も来てくれたこと、感謝しておるぞ」
「なんだよその、俺がやきもち妬いて割って入ったみたいなの! 止めてくれよ!」
「おお、勇者。泣いてしまうとは情けない」
「うわーん、虎屋ー、虎屋ー、このじーさんがいじめるよー」
うええんと泣き真似をする冬馬の背中を、笑美はポンポンと叩いてやった。この二人、初めて会ったとは思えない息の合い方である。お笑いコンビを組んでみたらどうだ。コンビ名は、勇者とジジイ。けらけらと笑美は笑った。
「じーさん誰なの? サイードを知ってるって、サイードってばもしかして有名人?」
「有名人と言えば有名人じゃな。宮廷魔法使いの官長をしておる」
「官長って……偉い人なんじゃね?!」
そこそこ偉い人、どころじゃない。めちゃくちゃ偉い人だった。
「だからこそ、切迫した状況下で魔法を展開し、壺姫を奉迎したんじゃろうが」
偉さと強さは、国に生きる者にとって常に寄り添う片割れのようなものだ。強さは義務となり、偉さは責任となる。そしてそれは、サイードの守りたいものを守る、強い武器にもなった。
魔王討伐に向かうぐらいだから、強い人なんだろうなとは笑美も思っていた。しかしまさか、騎士団に引き続き魔法使いまでトップクラスが最初から仲間入りするとは。現代の若者らしくゲーム脳の冬馬と笑美は、こそこそと肩を寄せ合う。
【“そういうすごい人たちってさ、後半に仲間入りするもんじゃないの? 大丈夫なの? 最初からいて”】
「最初の強いキャラは中盤で仲間割れして敵側に渡ったりするんだよなぁ……」
【“縁起でもない! やめて!”】
壺をブンブンと振りながら、笑美はスケッチブックに書き散らした。
「その偉い官長よりも更に偉い総統が、このような場所で何故油を売っておいでで?」
突然の声に、笑美はぴたりと手を止めた。振り返れば、不機嫌そうに顔を顰めたサイードがいる。
サイードの後ろに控えているメイドが鍵を開けたのだろう。共を連れてやってきたサイードは、肩を寄せ合う笑美と冬馬を見ると挨拶のように睨んだ。笑美は蛇に睨まれたおたまじゃくしのように、視線から尻尾を振って逃げ出した。
そう言えば、ひっきりなしに訪れていた客の対応も忘れていたと、笑美はようやく思い当った。
「か、官長より偉いって、偉いって、えええ?! このじーさんが?!」
「ええ、そのじーさんがです。老師が見当たらないと、ワイズ秘書官が泣き喚いて私のところまで来ましたよ。喧しくて仕事にならないのでさっさと戻ってください」
今はただでさえ忙しいんですから、と続けるサイード自身も相当に忙しいらしい。ここまで歩きながら読んできたのか、手には未決済の書類を持ったままだ。
老師の首根っこをサイードは片手でむんずと掴む。そのままポイッと後ろに控えていたメイドに投げつけた。
投げつけられた老人はくるりと空中で姿勢を整える。地面に着地するや否や軽い足取りでサイードの背後を取る。サイードが振り返る暇もなく、カクンと膝を当てた。
サイードに、華麗に膝カックンが決まった。
「……こんの、糞じじい」
「ふぉっふぉっふぉ、だからお主は、小僧だというんじゃ」
白く長い自慢の眉毛を撫でながら、老人は高く笑う。地面に手をついて睨み上げるサイードなど、風にそよぐ野草ほども脅威ではないらしい。
【“おじいさん、偉い人ならこれ元に戻せない?”】
「じーさん。偉いんなら凄いんだろ? 壺、元に戻せねーの?」
笑美の言葉を冬馬が訳す。老人は、ふむと頷くと笑美の壺を観察した。
聖女の意味不明な壺のこととあっては、サイードも老人を追い出す訳にはいかない。
「陣に組み込んだのじゃな」
「馬鹿みたいにデカい渦がありましたからね。好き勝手構築させてもらいました」
「見たぞ。急ごしらえにしてももっと丁寧に練らんか」
「申し訳ございません」
老師とサイードの関係を物語るような気安いやり取りが、笑美の頭を通り越して行われる。専門的な話を理解するつもりのない笑美と冬馬は、二人が結論に行き付くまで黙って見守っていた。
しばらくして、二人の中で話しがついたのか、サイードたちが会話を止めた。
冬馬は中断されていた昼食を再開している。もごもごと口を動かしながら二人に尋ねた。
「出来るって?」
「壺姫は今、陣をもって現世に定着しておる」
老師の言葉に、笑美はこくんと頷いた。
「心と器は表裏一体」
こくん。
「魂の在り方を記した魔法を無理に解けば、器は元に戻ろうとも、心は大地を彷徨うじゃろう」
つまり? と笑美は首を傾げた。
「現世に在る間は、元に戻すことはならん」
笑美と冬馬は二人して両手を天に掲げた。俗にいう、オワタのポーズである。
「なんじゃ喜んでおるのか」
「あほか! 絶望しとんのじゃい!」
そうか、顔、元に戻らないんだ。うふふ……と笑美は自分の顔を両手で包み込みながら項垂れた。冬馬がキャンキャンと吠えているが、今は彼を抑える気になれない。
「虎屋、飯も食えねーし水も飲めねーんだけど?! どう責任取ってくれるって?!」
「よし、わしが嫁にもらおう」
「何の責任も取れてねーーー!!」
うがー! と叫んだ冬馬の頭上で、ビキッと音が鳴った。どうやら、冬馬の怒りで天井にひびが入ったらしい。パラパラと落ちてきた粉を見て、笑美はようやく仕事をする気になった。
『どうどう、冬馬。どうどう』
聞こえないとはわかりつつも、笑美は言葉をかけながら冬馬の背を撫でる。
「勇者様、聖女様の尊いご芳名は、今後是非ともお呼びになられませんようご留意ください」
「はぁ?」
サイードに対し当たりが軟化していたはずの冬馬だったが、再び台風になろうと積乱雲を纏め始めた。日本人らしい一重の瞳で、冬馬がサイードを睨みつける。
「もちろん、勇者様のご芳名も、他者に洩らすことがありませんよう」
いちゃもんをつけられたわけではないと、冬馬も気づいた。
「常世からおいでいただいた高貴なる女神の遣いであるお二方に、俗世に生きる我々と同じく名があると思う不届き者は少なからず存在するでしょう。ですが、口が裂けても漏洩なさらぬよう深くお願い申し上げます。俗世に交われば、お二方を取り巻く理もまた俗世のものとなるのですから」
サイードはそこで言葉を切って、鋭く冬馬を見据えた。
「魔法を紡ぐ者にとって、名は信頼の証。みだりに振り撒けば、災いを呼ぶことに繋がるでしょう」
「あーよくある真名設定? えっとなんだっけ、サイードさんは呼んでもいいの?」
「私は災いを跳ね返す術を心得ておりますので」
陽にきらめく氷が舞うように、美しく冷たい笑みをサイードは作った。サイードの隣で、老師は物言わずにこにこと笑っている。笑美は、サイードに逆らうことだけは止めようと心に決めた。
「敬称など不要です。私のことは、サイードとお呼びください」
そう告げるサイードが自分と目が合っている気がして、笑美は驚いた。サイードが笑美を見ることがほとんどないからだ。
脅しは必ず目を見て、なんて。どこの田舎のヤンキーだ。怖い、サイード、怖い。笑美はしっかりと心のメモに書き込んだ。
「じゃあ虎屋はなんて呼べばいいの?」
「“聖女様”あるいは、老師が陳じたように“壺姫”と――」
「聖女、かぁ……壺姫って呼ぶわ。俺は勇者なの? やだなぁそれも恥ずかしい……トラ――じゃないや。壺姫は? そんな面白ネームでいいの?」
『面白いから全力でオッケー!』
笑美はサイードから視線を引き剥がして、両手で頭の上に大きな丸を作る。その様子を見て、冬馬が嫌そうに顔を歪めた。
「そんなあっさりさー認められちゃったらさー恥ずかしいって駄々こねるほうが恥ずかしいじゃーん!」
こうして、冬馬は勇者、笑美は壺姫という、この世界での二人の名前が決まった。
【“ところで。私、魔法が使えないんだけど”】
「あぁそうだ。トラ――慣れねぇな。壺姫が魔法使えないんだけど」
笑美の書いた言葉を冬馬が訳す。その言葉を聞いて、老師が振り向く。サイードは老師を追い出すことを完全に諦め、力を借りることにしたようだ。
「ふむ。渦の傾向を見てみようかの」
渦? と老師に首を傾げる冬馬と笑美に、サイードが説明を付け足した。
「人が持つ魔力の根源です。人によりその模様、長さ、濃さが異なります」
「なるほど、53万的な」
あ、それめっちゃわかりやすい! と笑美と冬馬はハイタッチをする。
「姿勢はそのままに、気持ちを静めて――」
老師の言葉に従い、笑美はそっと目を閉じた。魔法の属性を感知するための水も葉っぱもいらないなんてつまんなーい。笑美は唇を尖らせた。しかし、誰に咎められることもない。壺も案外都合がいい。
「なー俺のは?」
「術の発動に問題はないでしょう。不足は渦の整え方です。旅の道中、私がみっちり稽古をつけさせていただきますので、ご安心を」
「ウゲロレ」
冬馬とサイードの声にくすりと笑いそうになった時、笑美の腹部に手を翳していた老師が離れた。
「――精密で、緩やかで。大層綺麗な渦じゃ。魔力も上手に流れておる。これほど美しい渦を見るのは、何百年ぶりじゃろうて」
老師の言葉に、ふふふと笑美は笑う。『何百年ぶり』なんて大げさな、と目を開いた笑美は固まった。老師が、キラキラと光る万華鏡のような瞳を細めて笑美を見つめていたのだ。
その目尻に滲む微かな雫に、なんと反応すればいいのかがわからない。
「渦は上々。しかし小童と違い、出力に難儀されているようじゃの。あぁ、大丈夫。肩を落とすでない。外に出んとは、内に溜まるということ。お誂え向きに、その壺がよろしかろう。何とも役に立ちなさる。自分のお好きなようにお使いなさい」
老師の言葉に、落ち着きを取り戻してきた笑美は首を傾げた。魔法を使う素質はあるらしい。
「癒しを求めれば聖水に。毒を求めれば毒水に」
老師はゆっくりと言葉を舌にのせた。
「念じるのじゃ。心で、強く。強く」
老師の言葉が、笑美の隅々にまで広がる。笑美は老師を信じて目を瞑る。強く、強く。水に念じた。
コポポ。
笑美が首を傾けて、壺の中身をコップに注ぐ。頭の中に手を入れられるのは今後勘弁してください! と笑美が強く拒否したのだ。頭の中に物を入れると、当たり前かもしれないが気分がよくない。
『おじいちゃん、飲んでみて』
コップを老師に差し出した笑美の手を、サイードが止めた。
「私が先に」
なんで? と思った笑美に、老師がひょひょひょと笑う。
「サイード、魔法は心じゃ。努々忘れるな」
ひょいと笑美からコップを受け取ると、老師は口をつける。こくんと嚥下する音が笑美にまで聞こえた。
サイードは物言わず老師を見つめていた。老師はふーと鼻から空気を噴き出すと、顔中に皺を広げて笑う。
「……これは。幸せの味が、するようじゃのう」
幸せの味。素敵なことを言う。笑美は笑った。
【“おじいちゃんが、健康でいますようにって”】
「健康祈願したんだって」
冬馬の訳に、お守りか! と笑美は再び笑う。
笑美は先ほど、初めて壺を肯定する言葉を貰った。
笑美は目から鱗が零れた気分だった。今までマイナスでしかなかった壺に、老師は棒を一本書き足した。一瞬にしてプラスになった壺は、笑美に自信をくれた。
「これほど素敵な味は初めてじゃ。馳走になった礼に、わしも健康祈願とゆこう」
老師は先ほどよりもずっと軽やかな足取りで笑美の隣に立つと、指をこすり合わせる。ふわんと光った老師が煙が立つその場所に何かを語りかけると、そっと壺に言葉を吹き込んだ。
日本語に慣れきった人間が一度で覚えるのは到底出来そうにないような、カタカナの羅列だった。しかしそのテンポと響きで笑美は検討が付いた。これは、名前だ。
――魔法を紡ぐ者にとって、名は信頼の証です。
「何処にいても聞こえる呪いをかけておいた。もし何かあれば唱えてみるといい。きっと力になろうぞ」
笑美は震える手で老師の手を握る。言葉が伝わらないとわかっていた。だから、手から気持を必死に伝えた。
『ありがとう、おじいちゃん、ありがとう。私、笑美っていうの。パパがね、つけてくれた名前なの。笑みってね、花が咲くって意味もあるんだよ。美しい花がいつまでも咲いていますようにって。笑顔でいれますようにって』
ありがとう、ありがとうと呟く笑美の声は聞こえずとも、気持ちは届いたらしい。老師は、うんうんと頷きながら笑美の背を擦る。
「じっちゃん、俺には? 俺には!」
「なんじゃ小童。わしゃ可愛いおなごにしか興味なーいしー」
冬馬が羨ましそうに老師にせびるが、男子高生の冬馬には1ミリたりとも心が動かされないらしい。
ぐっと言葉を飲み込んだ冬馬は、走って部屋を出て行った。急展開に驚き、追いかけるべきか笑美は一瞬躊躇する。しかし、笑美が決断するよりも早く再び扉が開かれた。
冬馬は手に学生鞄を持っていた。笑美と共に部屋に案内された後、サイードに命じられた侍従が冬馬に届けていたのだ。
冬馬はガサゴソと鞄の中を漁ると、あった! と言って雑誌を取り出した。
テレビなら、あはぁ~ん、という規制音と共に、モザイクが入りそうな雑誌だ。
「どうだ!」
「よし、このローブを譲ろう」
老師は冬馬の掲げた肌色が目立つ雑誌を見るやいなや、目にもとまらぬスピードで外套を脱ぎ始めた。
「えーーーそんなぼろっちいのやだー! 俺もなんか最強の魔法とか教えてよ!」
「老師っ……!」
サイードがここまで焦りを顕著に表したのを、笑美は初めて見た。
老師が脱いだローブは、ただのぼろくてばっちぃ布にしか見えない。そのぼろ布が、この冷静なサイードから顔色を無くさせるほど価値を持つというのだろうか。
「こりゃ、罰当たりな。見た目はぼろくとも、わしの師の師が丹精込めて練り上げた魔法がかかっておる。竜の牙も跳ね返すじゃろう」
「えー本当かよー……」
どんなゲームでも、大体旅立つ前の王様は軍資金500ゴールドしかくれないんだよなーと冬馬はぶちぶち呟いていた。老師の言葉は胡散臭すぎるが、たかがエロ本でこれ以上駄々をこねても仕方がないと、冬馬は素直にローブを受け取った。
「壺姫を絶対に守り切るのじゃぞ」
「はいはい、竜の牙からも守ってみせるよ」
本当に女好きなんだなぁと呆れたように冬馬は笑った。