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04 : ふたりの日本人

「旅は魔王討伐を主題とし、その他討伐から逸脱した細事は可能な限り看過します。予定はおよそ1ヶ月半。移動は主に馬車を用います。細やかな疑問があれば、脳筋ではなく私に確認をとってください」


 サスーン――ヴィダル隊長とソフィア副長と別れた笑美達は、サイードの執務室と思わしき場所に連れてこられていた。

 冬馬は玉座であれほど荒れ狂っていたのが不思議なほど、笑美と共にサイードに大人しくついて回る。最初から、彼にとって安心できる環境を与え、納得しうる説明ないし説得があれば、もしかしたら冬馬はとても御しやすい少年だったのかもしれない。


「女性の随行員として、ソフィア・リーネルとこの者をそばに仕えさせます。先ほどご確認された通り、常世(とこよ)言葉を多少ならば解読できますので、通訳にお使いください」

 サイードは説明しながらも、書類から顔をあげない。ヴィダル隊長に準備を急かしていたが、サイードもまた、休む手を持たないらしい。


 サイードの説明とともに、後ろに控えていたメイドが一歩前進すると丁寧に頭を下げた。

 長い黒髪を綺麗に纏めたメイドは、一昔前に流行った無表情系ヒロインを連想させた。そのもの静かな雰囲気に、この主にしてこのメイド有り、と深く笑美に思わせた。


 挨拶はそれで終わったというように再び元の位置に戻ろうとするメイドに、笑美と冬馬は慌てた。しかし笑美は声をかけることができない。その様を見て、女の子相手だからか少しまごついていた冬馬が口を開いた。


「名前とかは?」

カラスとお呼びください」

「から……」

 す? と首を傾げる冬馬に、サイードが顔も上げずに言った。


「お気になさらずに。その者は“コヨル”とお呼びください」

 サイードの言葉に合わせ腰を折るメイド――コヨルに冬馬と笑美は曖昧に頷いた。


 笑美は抱えていたスケッチブックを開くと、空いている場所に書き込む。

【“コヨルちゃん、よろしくね”】

 紙面を見てこくりと頷くコヨルに、笑美と冬馬は通訳としての技量を見た。


「コヨルも幾つかの常世言葉は読み取れますが、全てを把握しているわけではありません。もしよろしければ、道中ご指南いただけると助かります」

「わかった」

 サイードに、素っ気なく冬馬が頷いた。


「討伐隊のメンツは以上になります。私、勇者様、聖女様、コヨル、ヴィダル・マイア、ソフィア・リーネル――この六名で明日未明には出立いたします。お二方様には、今から出立までの時間、個室を用意しておりますので、そこでごゆるりとお寛ぎください」

 言外に仕事の邪魔だ出て行けと言っているサイードに、笑美は慌てて食いついた。


『ちょっと、サイードさん! これ、これどうなってるのか! 解明するんじゃなかったの! 私めちゃくちゃ不安なんですけど!』

 壺を指さし悲鳴を上げる笑美の声は聞こえずとも、様子から何を言いたいのか理解したサイードは持っていた印鑑をポイと放って立ち上がった。


 投げた拍子にガタンと音がしたが、大事なものではないのだろうか。大丈夫なのだろうかと、笑美はじんわりと冷や汗が伝ったのを感じる。もしや、自分の行動の何かが彼の逆鱗に触れたのだろうかと恐る恐る上目づかいで見上げた。


 サイードは笑美の真正面に立ち、無遠慮に凝視した。その顔は、感情のひとかけらさえ笑美が読むことを許してはいなかった。

 サイードはあらゆる角度から、じっくりと笑美を値踏みする。そして呟いた。


「壺ですね」


 ええ、知ってますけど?! 


 笑美は言葉にならずに大きく口を開けた。

 残念ながら、今笑美に口はないのだが。


「触れても?」

 尋ねてくるサイードに笑美はこくんと頷いた。サイードの白磁の手が、文字通り陶器の顔に触れて来る。


 繊細な手つきに、笑美は思わずびくりと肩を震わせた。気づいていないのか、気にしないのか、笑美の震えた肩にサイードは何も反応を示さなかった。骨々とした男の手が、色んな角度から壺の顔に触れて来る。

 サイードにとっては壺でも、笑美にとっては、頬で、鼻で、耳である。笑美は顔を熱くした。下を向き、唇を噛んで、この責め苦に耐えるしかない。


 サイードの両手に収まる程度の小さな壺。大きさ自体は、笑美の顔の大きさとそう変わらない。

 笑美が壺を顔に被っているのではないことは、先ほどヴィダルが証明してくれた。それになんといっても、壺の口は上を向いている。笑美自身が自分で見ることは敵わないが中には水が入っているらしい音もする。それなのに、笑美には自分の顔の感触があるというから不思議だ。

 まるで自分の顔に壺の膜が張っているようだ。触れないのにあるように感じる。まさに魔法だと笑美は感心した。


 笑美の顔についている壺の中は空洞になっていて、そこに水が溜まっているようだった。頭を振ったりお辞儀をしたりする拍子に、少しずつ零れ出ていたのを笑美は感じていた。まさか脳髄ではないだろう。血でもないでほしい。笑美はひっそりと祈った。


「コヨル、こちらへ」

 サイードの静かな呼びかけに、コヨルが声もなく近づいた。


「どのように見えますか?」

「ただの水が溜まっているようにしか」

「そうですか」

「許可を頂けますれば、確認させていただきます」

 淡々と答えるコヨルにサイードは頷いた。笑美に顔を向け、『よろしいでしょうか?』と小さく聞いてくる。


 かまわない、という意味を伝えるために笑美は首を縦に振った。その拍子にも、ちゃぽんと音がする。


 コヨルは無表情な顔のまま頭を下げると、笑美の頭に触れてきた。そこで笑美にとって不思議なことが起きる。頭の中を直接撫でられているような、言いようのない不快感。ぶるる、と笑美が震えるのを見たのか、冬馬が心配そうに駆け寄ってくる。

 急激に襲ってきた脱力感に勝てずに、そばに寄ってきた冬馬に笑美は体を預けた。


「あっ、おいっ」

「コヨル」

 慌てる冬馬の声を聞き、サイードはコヨルに制止をかけた。

 コヨルは手で掬った少量の水の匂いをよく嗅ぐと、舌先でそっと触れた。舌に痺れが襲ってこないことを確認し、水を口に含む。たっぷりと時間をかけて味、匂い、感触を確認すると、コヨルはゆっくりと嚥下した。


「これは……」

「なんでした」

「――無味無臭。ただの、水のようです」


 ガクンッと、全員の肩が下がる。

 コヨルの大げさな毒見に固唾を飲んで見守っていた笑美も、脱力感が増した気がした。


「つまり、魔法陣の影響で顔が壺になって、中にはただの水が入ってて、しゃべれないけど声は聞こえてる女の子になっちゃった……ってことでいいわけ?」

「大きな相違はないかと」

 コクン、と頷くコヨルに尋ねた冬馬は笑美と同じく脱力した。腕に抱える笑美を見下ろし、言いにくそうに言葉を選ぶ。


「えーと……なんか、ごめんな。俺がいらんこと言っちゃったせいで、異世界トリップハードモードで……この見た目じゃ逆ハーも望めないだろうし……」

 お、冬馬、イケる口だな。と笑美はにっこり微笑んで親指を立ててやった。その様子を見ていたサイードが、すいと窓の向こうに目をやる。陽の位置を確認したのだろう。


「話は以上でしょう。コヨル、お二人を客間へ」

「承知いたしました」

「部屋には信頼できる者をつけております。何かあればお申し付けください。時間が取れ次第、私もそちらへ伺います」


 どうぞごゆっくりお休みください、と書類に目をやりながら告げたサイードによって、笑美と冬馬は執務室を追い出された。




***




 笑美と冬馬は各部屋へと案内された。隣同士の部屋は、廊下に出ればすぐに往復できる。冬馬は部屋へ案内してくれたコヨルが立ち去ったのを見計い、笑美の部屋へと出向いた。


 コンコン、と笑美の部屋の扉が鳴る。椅子に腰かけひと段落ついていた笑美は、慌てて立ち上がろうと肘置きに手をかけた。

 その笑美を微笑みで留まらせると、部屋付きのメイドが扉の方へ足音もなく歩いていった。

「何方様でございましょうか」

「冬馬だけど」

「ご用件は」

「あー、いや、えーと」

「如何致しますか?」

 振り向くメイドに、笑美は頷いた。恭しくメイドが扉を開けると、扉の向こうから申し訳なさそうな顔をした冬馬がやってきた。


「なんかしてた? 入っちゃまずかった?」

 なにかしてたから、入ってはいけないのではない。妙齢の女性の部屋に男性が訪ねてくること自体がこの世界では問題になるのだ。

 しかしその感覚は、日本で生まれ育った冬馬にはあまりにも馴染みのないものだった。


 大丈夫だよと伝えるため、笑美は首を横に振って立ち上がった。どうぞ、入って。と冬馬の手を引く。笑美は部屋の中心にあったテーブルにスケッチブックを開き、椅子に冬馬を座らせた。メイドはすました顔をしているが、冬馬の来訪を喜んでいないことがありありとわかる空気を出していた。


「会話出来ないの、慣れねーなぁー」

 全く持ってその通りだと頷く笑美に、冬馬は苦笑した。

「ちゃんとさ、あんたに謝っておきたくて……あ、名前、なんて言うの?」

 冬馬の言葉に、笑美はぽんと手を打った。そうだそうだ、名前を伝えていなかったね。とスケッチブックに大きく書く。

【“虎屋とらや 笑美えみ”】

「トラヤね」

 笑美はうんと頷いた。

「俺のさ、我儘で呼び出して、壺にしちゃって。ごめん。言葉も話せなくて……でも、絶対その顔、どうにかしてもらうし――旅の間は俺、絶対守るから」

 笑美は再びこくんと頷いた。笑美にとっても、冬馬は頼りにできる存在だ。この世界で一番頼れるのは、やはり同郷の冬馬に違いないだろう。台風の中放り出されないように気をつけなければいけない事だけは確かだが、その他は一番自分と感性が近いはずだ。


 そういえば太古の力ってなんだったのかなぁ、と笑美は自らの掌を見た。

 笑美を見て首を傾げている冬馬に説明するため、筆を走らせる。


【“私と冬馬にはすごい力があるんだって。冬馬はどうやって魔法使ってるの?”】

 笑美の質問に、冬馬は顔を顰めた。当時のことを思い出し腹が立ったらしい。


「なんか、なんとなくなんだよな。こうしたい、って思ったら、頭の中に魔法陣が出て来るっていうか……」

【“よくある異世界人チート?”】

「なのかなぁ……けどなんか、どっかで見たことあるような気もするんだよなぁ……」

 魔法陣なんて知識のない人間からすればどれも似たようなものである。なんちゃって魔法陣ばかり溢れかえっていた日本のアニメ環境の中に生きていれば、見たことある気がするのも頷けた。笑美だって見たことある気がすると胸を張って言える。


 冬馬の助言を参考に、笑美も子供の時以来に本気で念じてみた。


『火の矢! 水の竜! 癒しの竜巻!』

 昔懐かしのアニメの魔法は惨敗した。


『テクマコマヤコン、テクマコマヤコン。シンデレラになぁれ~』

 お決まりの呪文もだめ。


『サラガドゥーラ メチカブーラ ビビディバビディプー』

 なら本家はどうか、と唱えてみたがこちらも駄目だった。


『ピーリカポポララピピリナペーペルト~!』

 やはり時代はもうキュアプリらしい。


『どこでもとびら~!』

 壺からは何も出てこない。


『ヌラ! ヒョト! ホミイ! マンホカタ! ヒャタルコ! イナズオン!』

 今自分のモードは“SPつかうな”なのだろうか。


『太陽の力を秘めし鏡よ、真の姿を我の前に示せ!』

 やっぱり黄色いマスコットがいないと無理。


『暁に燃える海よ、輝きに満ちる太陽よ。ぬばたまの光を集めた夜の王に誓わん。常闇を照らす炎を生み出すことを。集え! 我が手のひらに!』


 笑美は今、心底感謝していた。

 自分の声が、誰にも届かないことを。


【“レイヤースも、ひみつのマッコちゃんも、ビビバブも、おしゃ魔女も、ドラやもんも、ドラグエも、BBさくらも、自作の呪文も、ダメでした! 魔法陣なんて夢のまた夢、ひとっつも出てこない!”】

「今そんなことしてたのかよ……。俺はまたヒューションかキダキダ踊りでもしてるのかと……」

 笑美は、失礼な! と睨みつけたが、冬馬が気にする様子はない。ヒューションにキダキダ踊りって、乙女になんてことを。ちょっとばかし私が女だということを忘れているのではないかと笑美は憤慨した。

 しかし、それも致し方ないことである。今笑美の頭は、壺だ。そしてセーラー服を脱ぎ、ゆったりとしたワンピースとローブを着ている。これでは誰がどう見ても、女の子には見えない。それどころか、日本人にさえ見えない。もしかしたら、人間にさえ見えない。

 冬馬にとって、笑美は日本人だからこそ生かす価値がある。そばに置く価値がある。笑美が今、日本人だと証明できるものは日本語ぐらいしか持っていない。話せず、顔も見せられず、荷物の一切合財を持っていない今。スケッチブックだけは手放してはいけないなと笑美はしっかりとペンを握った。


 その時、部屋の隅から迫力のある声が聞こえた。

「少しだけだ、時間はとらせん。ここを開けなさい」

「聖女様は既にお休みになられてます。どうぞ時を改めてご来訪くださいませ」

「一介のメイド風情が私を退けるか。私を誰だと思っている」

「大変申し訳ございませんが、何方様であっても通してくれるなとおっしゃっておりましたので」

「我が国のために降臨なさった聖女様に、この国の国民として一言お礼申し上げたいだけだ。時間は取らせん」

「申し訳ございません。また改めてお越しくださいませ」

「お前たちだけで聖女と勇者を独占か! 天から遣わされし尊きお二方も、さぞお嘆きであろう!」


 声に気付いて部屋の隅を見た笑美と冬馬は、呆然とその光景を眺めていた。


 笑美の部屋についていたメイドが扉に向かい、背筋を伸ばして言葉を発していたのだ。扉はものすごい勢いで殴りつけられているが、びくりともしない。人の身長二つ分はある高さの城のドアはとても頑丈にできているのだ。冬馬でもない限り、あれを壊すようなことは難しいに違いない。


 笑美と冬馬は、メイドに来客を断るようになど伝えていない。しかし、ここでメイドの付いたウソがばれないように笑美と冬馬は息を詰めてドアの前の人物が立ち去るのを待った。

 笑美と冬馬が伝えていないのなら、一体誰が伝えたのか。


 ――薄汚い腹のタヌキ達に顔を売らせる時間など、国が滅びても与えるに値しません


 二人は息を殺しながら、サイードの言葉を思い出していた。あれは、こういうことだったのか。段々と声を荒らげる来客にの相手をするメイドは、こういう客にも慣れているのか顔色ひとつ変えることがないない。

 頼もしい味方を部屋につけてくれたんだな。笑美はこの世界に来て初めてサイードに感謝した。





「ご昼食の準備はどちらにご用意いたしましょうか」

 来客が諦めてしばらくたった後。ショックから意気消沈していた笑美と冬馬を気遣うようにメイドが声をかけてきた。冬馬が笑美の部屋にいることについては、もう目を瞑ってくれるようだ。

 食べ物という言葉にほっと息を吐いた冬馬に、メイドは優しい笑みを向けている。

「二人分こっちで。いいよな?」

 笑美はこくんと頷いた。


 しばらくして持ってこられた料理は、笑美にもなんとか判断の付きそうなものだった。食生活が全く違う異文化というのは、自ら望んでやってきたとは言え大分辛い。

 肉は見た目からして手羽先のようだ。絶対に鳥の肉だとわかるため、何の肉か心配しなくていいのは心強かった。

 何から食べようかな、とズラリと並べられた食べ物を見渡す。ふと視線が気になって見てみれば、冬馬が困惑した顔で笑美と皿を見比べている。

「どうやって食うのか……虎屋、わかる?」

 恥ずかしそうに俯いて言った冬馬の言葉に、マナーなんて気にしなくていいのにと笑美は首を傾げる。だってここには、私とメイドさんだけだし。と笑美がメイドを振り返ると、ドアの向こうに再び話しかけていた。引っ切り無しに手土産を持って訪れて来る来客を、メイドが全員追い払ってくれているのだ。


 お腹を押さえながら、どうしようかまごついている冬馬のために笑美は皿に乗っていたピタを手にとった。マスカルポーネチーズのような見た目のソースをたっぷりと詰めると、添えられていたサラダや小鉢料理を順に詰め込んでいく。ピタはパパが好きで、よくうちでも出ていた笑美の大好物だった。


『ほら、手づかみでもいいからさ。食べなよ』

 笑美は冬馬に差し出した。冬馬はそれを見て、ほっとしたように笑う。

「サンキュ。自分で作るからいいよ、それは虎屋が食えば」

 冬馬が自分のピタを包もうとしているのを見ながら、笑美は自分の口元にピタを運んだ。冬馬がレタスのような葉をピタに挟もうとした瞬間に、べちゃっと音が鳴った。


『あー……』


 また、忘れてた。と笑美は汚れた服を見下ろしながらため息をついた。






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