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23 : 天秤の傾いた先

 これまで自分の攻撃が効かなかったことがない冬馬は、茫然自失して魔王を見上げていた。しかし、それは笑美も同じである。明るい空をも覆うほどの圧倒的な存在を前に、二人は言葉を失っていた。


 これほどの脅威を前に、恐れを抱く余裕もない。ただただ呆けたように、二人は魔王を見上げている。


「聖女様、聖水を」

 呼びかけられ、笑美は首を傾げて壺から水をコップへ注いだ。サイードは失った魔力を、笑美の水で補う。冬馬も慌ててそれに続く。


 次はどうするのかを相談しようと、冬馬はサイードを見やる。

 サイードは凍てつきそうなほど真剣な表情をして、冬馬と笑美を見つめていた。


「これより、送還の術を行います」


 ――今、なんて? 

 笑美と冬馬は、ポカンとサイードを見つめた。


「送還、って」

常世(とこよ)にお返しするというお約束でしたね」

「それはっ……魔王を倒してからの、話だろ!」

「この世の責は、この世の者が負いましょう」


 サイードの言葉に焦燥する冬馬と違い、笑美は状況についていけていなかった。以前のように、彼の言葉に悲しむ暇も余裕もない。


 え? なんで? 帰れるの? 帰り方は、わからないんじゃなかったの? だから、魔王を倒した後に探す手筈になってたんだよね? 

 笑美は会話について行けずに、冬馬とサイードを交互に見比べた。


「勇者様のお召し物、本来の持ち主は別のお方だったとおっしゃっておりましたね。左様であれば送還の寄る辺となるやもしれません」

「――んな……ふ、ふっざけんなよ!! あんたが、あんたが頭を下げたんだろ!」

 魔王は攻撃を繰り出す。ソフィアとヴィダル、そしてコヨルが。何か一つでも魔王の弱点を探ろうと飛び出した。


「だから俺は!! ――ここまでついてきたんだ! わからないとでも思ってたのかよ! そこまで見くびってたのかよ!! あんたの寄越した本を読んで、あんたの指導を受けて、俺が、その可能性に気付けないとでも思ってたのかよ!!」

 サイードは冬馬に返事をしなかった。


「あんたが言ったんだろ、世界を救えって! あんたが俺に、魔法を教えたんだろ!」


「第二の魔王は人型であったと言います。物理攻撃も魔法攻撃も、そのどちらも効果的でした。ですが今、立ちはだかるは巨大な翼を持つ天竜。その咆哮は空を裂き、鋼の刃をもろともしない。我々には、第三の魔王に打ち勝つ手立てがない」


 魔王が腹を突き出した。再び炎を吐くと判断したサイードは、冬馬から視線を剥がすことなく防壁を張る。

 サイードの生み出した魔法の壁は魔王の吐き出した炎を受け止めた。笑美は驚いて、ひゃっと身を縮める。


「もたついている時間はありません。聖女様私の後ろへ」

「ふざけんな! 俺なら倒せるって言ったのは、あんただろ!!」


 冬馬は憤りをそのままサイードにぶつけた。胸倉を掴み、鼻が触れ合うほど近くで睨みつける。


「ちょっと攻撃が効きにくいだけじゃねぇか! このくらいの困難、最初からわかってただろ! 何を急に弱腰になってんだよ!」

 遠くからヴィダルの叫ぶ声が聞こえる。今はこんなことを言い合っている場合じゃない。わかっていても冬馬は止まらなかった。


 サイードが乞うた。世界を救えと。下げたくない頭を下げてまで、自分に言った。

 そりゃ最初は、中途半端な気持ちだった。こんなに大変だなんて、夢にも思っていなかった。パパッと倒して、パパッと終わりだって。馬鹿みたいに思ってた。


 けれど現実は違った。それでも逃げ出したくならなかったのは、いつも真剣に前を見る仲間がいたからだ。


 冬馬はいつからか、彼らを許していた。例え自分に嘘をついていようとも、彼らは志を共にする、仲間だと。そう信じていた。


 魔王を倒す。同じ目標を掲げていたはずだ。

 倒せないから、帰すだって? これほど困難を極める状況で、唯一の可能性である自分を帰すなど狂気の沙汰だ。そんなの、サイードらしくない。冬馬はサイードの胸倉を掴んだまま睨みつける。


「どうなってもいいのかよ! あんなの、あんたらだけでどうにかなるのかよ!」


 状況は最初から何も変わっていない。彼らは魔王の脅威を知っていたはずだ。だからこそ、あれほどまでに制御不能な異界の勇者にさえ縋った。

 これほど打つ手がないとは思わなかったにしろ、困難を迎えるとは分かっていたはずだ。


 なのに、一体。


「あんたがコヨルに持ってこさせて読んでた書類の中に、いつも紛れさせてたのは、魔王の報告書だろ! ずっとずっと、魔王のことあんだけ調べてて、なんでそんな簡単に諦めたんだよ! これからだろ、まだ、どうにかできるだろ! それなのにっ――あの時と今と、何が違う!」


 冬馬は、ハッと顔を強張らせた。サイードの淡々とした表情は、何の感情も伝えてこない。ただ、魔王一点にのみ意識を集中させている。


 冬馬は笑美を見た。笑美はどうしていいかわからないまま、おろおろと冬馬とサイードを見ている。


 あの時と、違うもの。

 それは、サイードの心、ただひとつ。


「あんた、まさか――」

 冬馬は信じられないという思いのまま、言葉を紡いだ。サイードの胸倉を掴んだ指の力が抜けていく。


 まさか、そんな。


「お守りくださいますよう」


 信じられなかった。冬馬の知る限り、サイードはこの任務に対してどこまでも実直であった。日夜職務に励み、常に警戒を怠らずに、真剣に魔王と向き合っていた。この世界の人間として、宮廷魔法使い長官として、初代勇者の末裔として、第二の魔王討伐を成し遂げた英雄の末裔として。サイードは誰よりも強い責任感を持っていたことを、冬馬は気づいていた。


 異世界から呼び出すぐらい、世界を助けたいと思ってたくせに。簡単なんかじゃなかったはずだ。沢山の捨てられないものと天秤にかけて、それでも自らその役目を背負ったくせに。


 その結果、笑美を取るのか。たった一人の、こんなちっぽけな、女を。


 目を見開いたまま動きを止めた冬馬に、サイードは薄く微笑む。


「私に弟子はいませんでしたが」

 サイードが冬馬の手を解き、背筋を伸ばした。


「貴方と過ごした日々がそうだと言うのなら、弟子を持つのも悪くありませんでした」


 サイードが右手を突き出した。陣を展開しようとしているのだと気づいた冬馬は、サイードの手を掴んで放り投げる。冬馬からの攻撃など予想していなかったサイードは簡単に転倒した。冬馬は地に伏したサイードに向かって、大きな声を張り上げる。


「っざけんな!! なら余計、生きてなきゃ、意味ねえだろ!! もうここは、俺らにとってもラノベでもゲームでも異世界でもねぇよ!! 俺が今立ってるのは、ここだよ!!」


 振り回すのもいい加減にしろや! 頭を掻きむしりたい衝動を抑えて、冬馬は魔法の陣を組み始める。


「壺姫! なんかねえのか!!」

 訳が分からないまま二人のやり取りを呆然と見守っていた笑美は、突然叫ばれてびくりと震えた。


『なんかって、なによぉ!!』

 笑美だって先ほどから頭の中を“健康祈願水”で保つことに必死なのだ。それに、出来るなら早くソフィアとコヨルを癒したい。この瓦礫を乗り越え、魔王の爪とぎにならないように必死に飛び回っている深手の彼らに、今すぐ水をかけに行きたかった。


「なんか、なんかだよ! なんかほら、なんかだよ!!」

 なんかってなんだー! 冬馬の間抜けな物言いに、今がどれほど緊迫した状況かも忘れて、わたしゃエミえもんじゃないんだぞと笑美は叫んだ。


 笑美にあるのは、壺だけだ。

 こんなもので、あの冬馬さえ手こずっている魔王に打ち勝てるはずがない。


「ちくしょう、魔法も物理も利かない相手って――なんかギミックがあるのか? 出現からの経過時間か? 特定の魔法? 核? 属性の順番? 闇回復魔法? ちくしょう、誰かwikiとwi-fii持ってこい!!」


 きっとどれかが正解なのだ。どれかで魔王が倒せる。

 だけど、その全てを試していく時間と隙がない。


「なんか、なんかっ――」

「坊主! 嬢ちゃん! 避けろ!!」


 混乱したままに魔法を打ち込んでいた冬馬の目の前に、巨大な影が降り立った。


 ヘイト(うらみ)を、稼ぎ過ぎたのだ。

 魔王の腕が振り下ろされる。鋭い爪が、冬馬を襲った。


『冬馬!!』

 笑美が叫んだ時には、冬馬は吹き飛ばされていた。今まで隣にいたはずの冬馬が、振り返らなければわからないほど後方へと、一瞬で。


 冬馬は魔法が強い。早打ちも出来る。けれど、戦場慣れしていない。


 咄嗟の判断がまだ、出来ないのだ。


 敵が近づいてきたときに、防壁を張るか、攻撃して敵を沈めるか、吹き飛ばす魔法を展開するか。そういう判断が、冬馬にはまだつかない。

 まごつく頭は、瞬時の対応を鈍らせる。その“一瞬”を勝てなかった冬馬は、魔王の爪に薙ぎ倒された。


 笑美は、魔王の爪で貫かれた冬馬を見ることが出来なかった。身の毛がよだち、恐怖にまともな思考回路を奪われていた。


 サイードが笑美の前に躍り出た。信じられないほど真剣な顔で、魔王を睨みつけながら魔法を展開していく。目の前に迫っている魔王は、太陽を隠すほど大きい。暗い視界は恐怖を増長させ、笑美は指一本動かせないでいる。

 すぐ目の前に接近している魔王から守るように、サイードは防壁を張る。笑美に、ヴィダルに、そして瓦礫の中へ吹き飛んだ冬馬に。


 ――その壺がよろしかろう。何とも役に立ちなさる。自分のお好きなようにお使いなさい。


 笑美の“一瞬”を、体が反射的に動かした。

 笑美は駆けた。サイードの背からすり抜けて、魔王へと。


 仲間が制止の声をかけるが、今の笑美には何も聞こえていなかった。無声映画に迷い込んだかのように、何も聞こえない。コマ送りのようにゆっくりとした世界の中、笑美は必死に前に足を動かした。


 振りかぶった魔王の腕を、ヴィダルが斧で打ち弾く。首を仰け反り魔王が翼を羽ばたかせる。待って、行かないで! 笑美は無我夢中で、舞い上がろうとしている竜の揺れる尾を掴んだ。太いが、先っぽのこのぐらいならきっと入るに違いない。


 大丈夫、お腹は減っている。馬車が大サソリに襲われてからずっと、何も食べていない。

 最近、消化のスピードは格段と上がった。きのこだって、瞬殺だ。パンでも果実でも汁物でも生肉でも、とりあえず形があれば、なんでも食べられる。


 ――念じるのじゃ。心で、強く。強く


 おじいちゃんの言葉が蘇る。


 大丈夫。大丈夫。いける。

 私は、いける! 



『いただき、ます!』



 そう言うと笑美は目を瞑り、自分の頭に竜の尾を突き刺した。






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