02 : 暴風と壺
場所も時も、それから慌ただしく動いた。
玉座から別室へ移動する途中、半壊した城の一部を笑美は見つけた。塔は傾き、煉瓦が崩れ、下に積まれた瓦礫は撤去すらされていない。なんであそこだけ補修していないのだろうかと、手入れのよく行き届いた城を見て笑美は首を傾げた。
移動したのは、笑美たちも含めて10人ほど。すっぽりと大きなフードを被った小さな老人、立派な鎧に身を固めた武人、煌びやかな服に身を包んだ貴人。各派閥の代表が集うその中に、先ほどの王様もいた。
居並ぶ面々が只者でないのは、誰に聞かずとも笑美にもわかった。立派な大人たちを前に、笑美と冬馬は少しだけ所在なさげに部屋の端へ寄る。その二人をサイードが隣の部屋へ誘導した。
気後れした二人への配慮というよりも、冬馬の気持ちを落ち着かせるために儲けた時間のように笑美には思えた。
隣室から漏れ聞こえる声は低く、静かで、笑美と冬馬に声は響かせても意味までは届かせない。笑美はソファに座り、隣にいる冬馬の背中を撫でた。
そのころには、笑美は何となく気づき始めていた。
あ、これ。必要だったの絶対、“聖女”じゃないわ――と。
冬馬は、片時も笑美から離れなかった。
まるで親鴨の後を歩く小鴨のように、笑美が動けばついてくる。その微笑ましい様子に、笑美はこの状況を忘れるぐらい悪くない気持ちになっていた。
さてどう頭の中を整理しよう。と、冬馬の背を撫でながら途方に暮れていた笑美の前に、すいとお茶が出される。
それに気づいて顔をあげれば、無表情な少女がソーサーを持って立っていた。接客といえば、日本でのスマイルゼロ円に慣れていた笑美はその無頓着さに少しばかり驚く。
年は笑美よりもいくつか下だろう。幼い少女は黒く長い髪を仕事の邪魔にならないように後ろでひっ詰めていた。
笑美と冬馬を隣室に通したときに、サイードが世話係りとして置いていったメイドである。落ち着いた色合いの、働く人間が着る服を着ている。あの場にいた、ドレスで着飾っていた淑女たちとは違う雰囲気に、笑美はほっとして緊張をほぐす。
ありがとう、というお礼のつもりで頭を少し下げて受け取った。あたたかい紅茶に笑みが広がる。あたたかな温もりを両手で包み込み、人知れずほっと息を吐き出した。
生きている心地がする。笑美はその心地にしばしの間、身を委ねた。
――魔法使い、聖女、勇者、王様。
のっけから中々のファンタジーだ。
――転がった玉座、遠巻きに見ていた人々、緊迫した衛兵、突きつけた刃の矛先。
自分の役目は、聖女とは名ばかりの勇者のストッパーなのだろうなと笑美は考えた。それはあの場面を見れば、およそ誰もが一目瞭然である。
怒り狂い、制御を無くした冬馬の手綱を、いとも容易く笑美は締めた。王様を守るような精鋭兵が、手も足も出ずにこまねいていた現状を一瞬で変えてしまったのだ。
この事実は、笑美が受け止めた以上に大きなものだろう。
カップに添えられていた花の形の砂糖はふたつ。その内ひとつを笑美はカップに入れた。透き通ったオレンジ色に沈んでいった砂糖が溶けるのを待つと、笑美はゆっくりとカップを持ち上げる。
口に含もうと傾けた途端、カツンと音が鳴った。そのまま、びしゃりと服が濡れる。
忘れていた、と気づいた時には遅かった。セーラー服の胸元はびっしょりと濡れてしまっている。何があったのかと呆然とする笑美に、メイドが冷静にハンカチを差し出してきた。受け取って胸元を拭いている間に、笑美は思い出した。そうだ、今、私の顔は――
「やはり、壺では飲めませんか」
――壺になっているんだった。
やはり、ってなによぅ。と脱力する笑美の隣で、冬馬がいきり立つのを感じた。笑美が馬鹿にされたと思ったのだろう。笑美は脱力したまま冬馬の腕を引く。
大丈夫だから、と身振り手振りで伝えるが、冬馬はメイドを睨みつけたままだ。
このままではよくないと、メイドにジェスチャーで書き物がしたいことを伝えた。メイドはしっかりと笑美の意思を受け取ると、お辞儀をして部屋を辞した。
すぐに帰ってきたメイドにお礼を言って、笑美は筆記用具を受け取る。スケッチブックのように束になった紙と、ボールペンみたいなインク一体型のペンだった。
【“大丈夫、話し合おう。きっとなんとかなる”】
ファンタジー世界を見た瞬間に予想した羽ペンに比べれば随分と贅沢な環境だったが、笑美が日本で当たり前に持っていたサラサラの紙と引っかからないペンとは、やはり書き心地に差があった。
「大丈夫って、さ……あんた。わかってる? こんなところに連れてこられて、壺にされて、魔王を倒せって言われてるんだぞ? 俺が言うのも本当になんだけど――自分の状況、わかってる?」
わかってるわかってる、と笑美はうんうんと頷いた。
冬馬も幾分か落ち着いたのか、少し余裕ができたようだ。呆れた顔をして笑美を見ているものの、急に怒り出したりはしなかった。
「聖女様、お召替えの準備が整いました」
いつの間にか再び部屋からいなくなっていたメイドが、折り目正しくお辞儀しながらそう声をかけてきた。着替え? と首を傾げる笑美に、メイドは視線だけで汚れた胸元を示す。
なるほど、セーラー服の襟元は真っ白だ。紅茶の染みなんかは早めにお願いしたほうがいいかもしれない、と笑美は頷いた。
立ち上がった笑美について来ようと立ち上がった冬馬に、『ここにいて』と両手を突き出す。『大丈夫だから』と何度か頷いて伝えると、冬馬は渋々座りなおした。
冬馬に安心した笑美は、メイドについて部屋を出る。
パタン、と扉のしまった室内で一人残された冬馬はソファに深く沈みこんだ。
受け取っていた紅茶を飲もうと砂糖に手をつける。
ぽとん、ぽとん
ふたつの音が静かな室内に響いた。
***
話したいことも聞きたいことも笑美には山ほどあったが、どれも口に出すことができなかった。もちろん、その口がなかったからだ。
口も目も鼻も耳もない事実を笑美が受け止めるには、いささか時間が足りない。気が付くと自分の顔が壺であることを忘れて普通通り声に出してしまっている。その声が聞こえないことで初めて、自分が壺だと思い出す。
別室に移動した今も、服を着る手伝いをしてもらっている間ずっとメイドに話しかけていた。見慣れない服と知らない環境は、笑美に介助の手を受け入れさせることに抵抗を無くさせる。
だぼだぼの服はワンピースで、サイードの着ているものに似ている。女性が着るものというよりは、何か特定の職種についている人が着る服だろうかと笑美は自分を見下ろして思った。更に羽織りを渡され、笑美は従順に袖を通す。
無表情なメイドは笑美の着替えが終わると、笑美が脱いだセーラー服をしげしげと見つめ始めた。洗濯をするために、服の構造を知ろうとしているのだろう。
笑美はリボンを解き、チャックを閉める。そしてもう一度チャックを上げる。その動作で理解したのか、メイドは無感動にひとつ頷く。そして、丁寧に畳んでオットマンの上に置いた。
そしてメイドが胸元に木の板を抱えた。
笑美の前に立つと、木の板をくるりと反転させる。どうやら鏡だったらしい。足元からゆっくりと写っていく自分の姿を、笑美はしげしげと見た。異国の服に身を包んだ自分は何処か現実離れしている。足元から徐々に上がっていく鏡の中に写る自分にくすりと笑いそうになった時に、笑美は悲鳴を飲み込んだ。
壺だ。
まごうことなき壺が、そこにいた。
笑美はぽかんと口を開いて鏡を凝視した。自分は口を開いているのに、鏡に映る壺はなんの変化も起こしていない。それもそうだ。だって、壺なんだから。
いつの間にか鏡に近づいていた笑美は、震える手でそれに触れた。鏡に触れる自分の指は、ひんやりと冷たい。壺を触るもう一方の手も、ひんやりと冷たかった。
人の肌を触っているときとは、明らかに違う感触だ。鏡の中の自分を見て、笑美はようやく自分の顔が壺になっていることを受け止めた。
それ以上は毒になると思ったのか、メイドは静かに腰を折ると鏡をそっと笑美から離した。あ、と思う間もないほど早く、メイドは手際よく鏡を元の位置に戻した。
もう少し見ていたかった、もう一秒さえ見ていたくなかった。
相反するふたつの意見に、笑美は心の中でため息をつく。とりあえず、壺についてはサイードに問い詰めるしかないだろう。笑美は力強く顔を上げた。
その時、先ほどいた部屋から何やら話し声が聞こえた。笑美は指をさしてメイドに尋ねると、メイドは頷いて誘導する。
「勇者様には、我が世界のため、誉れ高き兜を戴き、魔王討伐の旅に出陣して頂きたく――」
「この世界のことなんて、俺には関係ないんデスけど」
ドアを開けると、和やかとは言い難い話し声が聞こえた。いつの間にかこちらの部屋へ来ていたサイードと、冬馬が話をしていたらしい。
サイードは笑美を見ると、後ろのメイドに視線をやった。そして、再び笑美に視線を戻して深く眉根を寄せる。顔を見せただけでこれほど顰めっ面をされるとは。笑美は少しばかり驚いた。
「着替えの必要が?」
「お召し物が汚れてしまいましたので」
「手は」
「僭越ながら私が」
渋面を作ったサイードに笑美はひええと慄く。お前に貸す服もメイドもねーんだよ、ってことですか?
くわばらくわばら。笑美は凶悪なサイードの声にビビりつつ、サイードの横を通り抜ける。冬馬の隣までなんとか辿り着くと、ピタリと寄り添いどうどうと冬馬の背を撫でた。
冬馬に睨みつけられたままのサイードは、深く息をついて言葉を投げた。
「勘違いしていただきたくないのが、勇者様は今、この世界の住人だということです」
「っ……」
サイードの突き放した言葉に、冬馬が息を飲む。
冬馬も笑美も、日本で普通に育てられた16歳の子供だ。大人の冷静な正論など、受け慣れていなくて当然である。
「ご自分の立ってる大地をよくご確認の上、お言葉を投じられるがよろしいかと。我々も、貴方様の出方次第によっては帰還の協力を惜しむつもりはございません」
「なっ……自分たちが連れてきておいて!」
「何度もご説明申し上げましたが、勇者様降臨に関しては、一切、私共は関与しておりません」
え、そうなの? と笑美は首を捻る。
サイードが嘘をついている可能性は、十二分にある。嘘かどうかは不確実だが、笑美自身も彼の口車に乗りこの場に立っているからだ。
しかし、その時の彼の対応を思い出した笑美は、今の彼が至極不自然に感じた。
彼は、彼なら。もっと上手く、16歳の少年ぐらい手玉に取れるのではないだろうか。
先ほどまでの悪感情があったにしろ、今冬馬は少しばかり落ち着いていたはずだ。現に、笑美が扉を開いたその時までは逆上せずにサイードの言葉に耳を傾けていた。その隙を見逃さず、甘く巧みな言葉で誘導すればよかったのにと、思わざるを得ない。
「じゃあなんで、俺は今ここにいるんだよ!」
「大変申し訳ありませんが、判断しかねます」
にべもないサイードの言葉に、冬馬は『ふっざけんな!』と大声を出す。そしてそのまま、ドアを壊して部屋を飛び出した。
ドアを、壊して。
無い目を真ん丸にして笑美は扉を見つめた。笑美には今、冬馬が普通にドアを開けたように見えた。それなのに、ドア枠からドアが外れ、壁には亀裂が入っている。
笑美は一度目を瞑る。
よし、この現象の詳細は後で説明してもらうことにしよう。とりあえず笑美は現実からも目を瞑ることにした。
笑美がサイードを見上げた。サイードは、静かな湖畔のような目をして笑美を見下ろしている。
冬馬を追いかけたほうがいいことはわかっているが、冬馬は笑美の疑問に答えをくれそうにない。答えをくれるとすれば、こちらだと、笑美は直感で気づいていた。
その場に残った笑美に、冬馬を追えとサイードは言わなかった。なら大丈夫だろうと、先ほど借りた筆記用具で意思の疎通をはかろうとする。
文字を書き始めた笑美を見て、サイードが不思議そうな顔をした。そうか、声が出ないことを伝えていなかったのだなと笑美は思った。
【“冬馬はどうやってこっちに来たのか本当にわかってないの?”】
【“冬馬はいつこっちに来たの?”】
【“魔王って強いの? 冬馬は倒せるの?”】
笑美は思いつく限りを文字にする。興味深そうにスケッチブックを覗きこんでいたサイードは、そばに控えていたメイドを呼んだ。
メイドはスケッチブックを覗き込むと、降り注ぐ雪のような静けさで主の疑問に答えた。
「“冬馬”という単語が人名かと。勇者様のことだと思われます」
そう、その通り。と笑美は深く頷いた。
なるほど、話す言葉は通じても、文字は通用しないらしい。これは筆談で会話をするにしろ、この世界では冬馬の仲介が必要だなと笑美の気は滅入る一方だ。
メイドは、何故か日本語に明るいらしい。笑美は深く考えることはやめ、一時メイドに頼ることにした。
「――ご自身のことは、何も?」
「今のところ、一人称は出てきておりません」
静かなトーンで会話をする主従コンビを笑美はじっと見つめた。サイードはこちらをゆっくりと振り向くと、笑美に尋ねるような視線を寄越した。
え、う、うーん?
何? と言う気持ちを込めて首を傾げれば、サイードが視線を言葉にした。
「貴方は、この世界を救うのが嫌だと泣かないのですか?」
泣いてるかどうか、こんな壺顔じゃ見分けすらつかないくせに。と笑美は笑った。
尋ねたいことは沢山あった。しかしそのどれも、素直に返事が聞けるとは思えなかったし、聞いてもどうしようもないものばかりであった。
笑美は、昔からこういう立場に憧れていた。子供じみた妄想でも、お伽噺の聖女でも、憧れの場に立った笑美はただ頑張りたいとしか思えなかったのだ。
笑美は再びスケッチブックに顔を向ける。その笑美を、サイードがじっと見つめていた。
【“私は救いたい”】
読めないだろうか。不安になって笑美が顔をあげれば、スケッチブックを覗きこんでいたメイドが口を開いた。
「私、救う」
「……何故? 勇者様のおっしゃった通り、貴方様にとって縁も所縁もない世界のはずです」
サイードはスケッチブックを睨みつけたままそう言った。その言葉に、笑美は笑った。
何故も何も。
『貴方が迎えに来たんじゃない』
つい口に出して笑美はそう言った。ころころ、と笑美が笑っているのがその動きから分かったのか、サイードが驚いた目をして笑美を見つめる。
笑美は伝えてあげなきゃね、とペンをスケッチブックに載せた。
【“貴方が迎えに来たからよ”】
「“貴方”、は二人称でしょう――貴方が迎えに来たと」
メイドの言葉に、サイードはひとつ、深く息を吸った。
そして何かを決意したように、息と同時に言葉を吐き出す。
「――彼の勇者からは太古の魔力を感じます。遠い昔に失われた、魔王を屠る力です。――……そして、それは貴方からも」
そうなのか、と笑美は驚く。だとすれば、やっぱり冬馬がこの世界に来たのは、サイードたちが深く関わっているのでは? と疑問が首をもたげる。
「……貴方には、大変申し訳なく思っております。そちらの世界の人物が起こした騒動とは言え、謀るような真似を致しました」
やっぱり、必要なのは聖女じゃなかったのね。サイードの潔い言葉に笑美は笑った。サイードは、初めて会った時と同じポーズでお辞儀をしている。片手を背に、片手を胸に。
「……お願いです、我が世界を、お救いください」
同じ構図だが、最初に出会った時とは何もかもが違った。頭を下げているだけでも、言葉が音を発しているだけでもない。心が乗ったその姿に、笑美はにっこりと大きく笑った。
『まっかせなさい!』
どーん、と笑美は胸を大きく叩く。こんな小娘に何を期待しているのかはわからないが、お願いされたならば仕方ない。
笑美は顔を上げていたサイードに伝わるように、何度も頷いた。ちゃぽんちゃんぽんと水音が鳴る壺の秘密を、後でちょっと真面目に聞こうと思いながら、笑美はサイードの手を引いた。
突然手を握った笑美に、サイードはぎょっと目を剥く。今まであからさまに表情を変えることがなかったサイードの変化を見て、笑美はハッとした。
こちらの世界では、女性から手を握ることが御法度なのかもしれないと考えが至ったのだ。しかしそれも、後の祭りだ。握ってしまったものを離せば、そこに意味が生まれてしまう。
誤魔化すようににへらーと笑美が笑う。しかし、顔面が壺の今、何の意味もなかったかもしれない。
驚くサイードに気付かないふりをしたまま、笑美は彼の手を引っ張った。普通に行動する分には、サイードの言う『太古の力』というものは発動されないらしい。サイードが、先ほどのドアのように崩れ落ちたらどうしようかと思っていた笑美はほっとした。
そしてそのまま大股で、ドアとも呼べなくなっている空間を潜り抜けて行った。
***
探していた人物は、案外近い場所にいた。
冬馬のいる付近の壁にひび割れが入っていることから、笑美は先ほど見た半壊した城が補修されていない理由を悟った。頑丈そうに見えるこの大きな城も、冬馬の癇癪を受け止めるには至らなかったらしい。
それほど、冬馬が桁外れな馬鹿力を持っているということである。笑美は冬馬の癇癪の被害者になるのだけは避けようと、強く心に誓った。
誰の元へ連れて行かれるのか、サイードはある程度予測できていたらしい。冬馬の前にズズイと押し出す笑美に、一切逆らわなかった。
焦ったのは冬馬だ。先ほど口論した人間と覚悟無く向き合うことになり、戸惑いを隠せずにいた。
「な、なんだよ……」
冬馬の及び腰な言葉に、サイードが静かに笑美を見下ろした。笑美は、サイードに向かって深く頷く。さぁ言え、今言え。
ちゃぽん、と壺の中身を鳴らして頷いた笑美に、苦虫を噛み潰したような顔をしたサイードは一度目を閉じた。しかし一拍後。目を開いた時には、既にその表情は変わっていた。
「数多の祝福を受ける御膳様におかれましては、現世の些末等、誠あずかり知らぬことでございましょう。しかし、現世は今、救いの手を心から必要としております。どうか、我が国の民のため、我が世界のすべての生き物のため――その貴きお力を、お貸し頂けませんでしょうか」
しんしんと冷たい口調の静かな声は、確かにその場の空気を震わせた。
冬馬は呆然とサイードのつむじを見ている。
そして、ふるり、と冬馬の唇が震えた。くしゃりと歪ませた顔を、冬馬は大慌てで片手で覆う。
「……――んっだよ、なんで、さっきみたいに高飛車に、言えばいいだろ、命令すればいいだろ。どうせ俺は、帰りたいからさ、あんたらの言うこと聞くよ。わかってんだろ、くそっ、なんでだよ……くそ」
冬馬の言い方に不安になった笑美が二人を交互に見やった。サイードも冬馬も、形は違えどもお互いに顔を伏せている。
このままでは再び仲違いを始めてしまうだろうかと、まごつく笑美が行動するよりも早く冬馬が口を開いた。
「……んだろうな」
「恐れ入りますが、もう一度お聞かせ願えますでしょうか」
「本当に、倒したら、帰してくれるんだろうな」
「総力を挙げ、帰還の術を探すことを誓いましょう」
サイードの言葉に、冬馬は振り切るように叫んだ。
「……わかったよ! そのかわり俺、なんも知らないからな! 全部教えろよ!! 絶対帰せよ!! ――そしたら世界でもなんでも、救ってやるから」
「もちろんです」
冬馬の衝突を受け止めたサイードに、笑美は知らず微笑んでいた。