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18 : 止まり木と弓

「とりあえず、見なかった事にしようと思う」

 笑美と冬馬がショックから立ち直るよりも早く、入浴を済ませたヴィダルが呼び戻しに来た。キャラバンに戻りいつも通りに接してくるコヨルを癖で撫でながら、ぽかんと笑美は口から魂を飛ばした。冬馬だって負けずに頭を抱えている。男の子である冬馬は、笑美以上に思うところがあったのかもしれない。

 そして、一足先に正気に戻った冬馬が苦渋の決断を下した。


 笑美はこくんと頷いた。これ以上色々考えてはいけない気がする。


 そっとコヨルを笑美が見下ろした。サイードとおそろいの白い陶磁の肌はきめ細かく繊細で、桜色の頬がよく映える。熟れたさくらんぼ色の唇はぷるんと震えていて、零れ落ちそうなほど大きなお目目はふさふさのまつ毛で縁どられている。

 体つきも、顔つきの幼さからか自分と違う性別であるなど笑美は一度たりとも疑ったことがなかった。皆無だった。こうして膝に乗られている今さえ、コヨルについていた物体はミノムシかなんかだったんじゃないかと思うほどだ。


 しかしもうとりあえず。全てを忘れる。忘れた。はいかんりょー!! 


 笑美はため息とともに記憶を吐き出すと、へらーと笑って膝の上のコヨルを撫でる。

 その様子を見ていたソフィアが、くすりと柔らかい笑みを溢した。

 どうしたの、と言う風に首を傾げる笑美に、ソフィアは慌てて首を振った。


「申し訳ない。仲睦まじくて――懐かしいなと」

「懐かしい?」

「私にも姉がおります。幼い頃、よく膝に乗っては困らせていた」

「へぇソフィアが? 想像つかないなー」

 冬馬の笑い声に、ソフィアは言葉なく微笑んだ。それ以上は話したくないのだろうかと、珍しく空気を読んだ冬馬は追求をしなかった。


 ソフィアはその場から立ち、壁に掛けられてあった弓を取る。キャラバンの後部に移動し、邪魔にならない場所で素引きをした。


 ソフィアが初めて弓に触れたのは、まだ明るい笑顔を誰にでも振り撒いていた6つのころだった。

 ソフィアには7つ年の離れた姉がいた。その姉にはふたつ違いの婚約者がいた。

 二人は絵本の中のお姫様と騎士みたいにお似合いで、ソフィアにとっていつも憧れの対象だった。

 姉が大好きだったソフィアは、いつも姉について回っていた。婚約者が訪れる時でさえ、それは例外ではなかった。

 姉に婚約者が出来たと聞いた当初、ソフィアはその存在を憎んでいた。自分から姉を奪う存在だと思いこんでいたからだ。

 どんな男か見定めてやる! そう決意して姉の婚約者に挑んだソフィアは、現れた大きな真夏のような笑顔に驚いた。

 余りにも屈託無く笑い、姉を笑顔に変え、自分の頭を撫でてくれた男を、ソフィアはすぐに好きになった。ソフィアに公認をもらった男はそれから幾度も屋敷を訪れた。ソフィアはいつしか、姉よりもその婚約者の後をついて回るようになっていた。


 彼はなんでもできた。木登り、かけっこ、ダンス、詩。武術から芸術まで。彼は王族として最上級の指導を受けていたのだ。特に幼いながらに武に秀でているともっぱら評判で、その中でも弓が一番の得手だった。


 もちろんのこと、婚約者の家を訪ねるのに武器など携行できるはずもない。しかし一度、木の上になっている実が食べたいと強請ったソフィアに、彼は落ちていた枝で即席の弓を作ってくれた。

 今思えば、おもちゃにもなりはしないお粗末な弓だ。上下で太さの違う枝は、木の性質を知らなければ弦をかけるだけでパキリと折れただろう。しかし彼は手慣れた様子で器用に弓をこさえると、これまた落ちていた枝を矢にして木の実を取ってくれた。


 あの時から、ソフィアにとって彼は、絵本から抜け出した英雄だった。


 英雄と名高い救世の王子と同じ、エメラルド色の瞳。その瞳は真っ直ぐに姉だけを見つめていた。ソフィアは幼いながらにその目に写りたいと、必死に背伸びをした。興味がなかったかけっこも、弓も、木登りも。全て彼の視界に入りたいがために覚えていった。


 彼は自分の後ろをついてまわるソフィアを随分と可愛がった。


『おいていかないで』


 泣いてそう言えば、彼は頭を掻きむしりながら屋敷の主である父に頭を下げてくれた。大好きな彼と夕食を共にし、夜遅くまでチェスやカードゲームに興じるのは当時のソフィアにとって何よりも楽しい時間であった。


 その幸せが壊れたのは、ソフィアが十を数える時だった。


 彼が、姉の婚約者ではなくなったのだ。


 あんなに仲が良かったのに、あんなにお互いを尊重し合っていたのに。ソフィアは姉に問い詰めた。姉は苦しく笑いながらこう言った。


『私では、彼の止まり木にすらなれなかったのよ』


 彼は自由だった。何者にも縛ることは出来なかった。駆ける足は長く、飛ぶ翼は大きかった。


 ソフィアは絶望した。

 浅ましい自分は姉の気持ちを思いやるどころか、ならどうすれば彼の止まり木になれるだろうかと、そればかりを考えていたのだ。


 金には興味がない。愛では縛れなかった。婚約すら彼にとっては些末だった。

 数年後。風の噂で、彼が臣下に降りたと聞いた。身分にすら興味のない彼をどう引き留めればいいのか、どうすれば彼の目に留まるのか。ソフィアにはわからなかった。


 ソフィアにあったのは、あの日彼がくれた弓だけだった。



「ソフィア、休憩だぞ」

 いつの間に馬車が止まっていたのか。ハッと気づいたソフィアは弓を降ろした。無意識の内にも体は動くもので、弦を引きすぎていた腕は軽く筋肉が震えていた。


「あーあお前どんだけ引いてたんだよ……先によく揉んどけ」

「はい」

「考え事でもしてたのか?」

 気遣ってくれているのが分かる。死地へと向かうためだけの旅に同行する自分を、彼が心底心配しているのは最初からわかっていた。そして勅使を受けたあの時、副長と言う立場を重んじ騎士団に残って指揮を執るべきだったことも、ソフィアは重々わかっていた。それでもソフィアは、他の何よりも、自分の願いを優先した。


 長い脚に、広い翼に。追いつけるだけの力を身に着けてきた。


「ええ、少し」

 笑顔は必要ない。愛も恋も彼にとっては重荷になる。

 決して、気取られてはならない。


「お待たせしました。行きましょう、隊長」


 できるならば、肩を並べられるこの幸福のまま、死にたいから。




***




 ついに魔王城まであと一日足らずという場所まで来た。

 ティガール国を出発してすぐは、荒地もあったが緑も多かった。しかしこの辺りにはほとんど草木が生えていない。川があったような場所も、水が枯れて溝が浮いているだけだった。魔王が復活した影響にしては早すぎる被害だろう。人々は二度も魔王が復活したこの地を、呪われた地として忌み嫌い、住み着かなくなっていた。


 数日前にコヨルがまとめて食材を購入してきたおかげでなんとかなっているが、最後の街を出てもうずいぶんと日にちが経っていた。笑美は干し肉や干し果実を水で戻し、少しでも体積を増やして食べていた。壺に入れると瞬時に吸収するが、腹の足しにもなりゃしない。ひもじいよう。あの巨大なきのこの満腹感が懐かしかった。

 キャラバンを引く馬が、笑美には松坂牛のように見えるようになる前にどうにかしなければと笑美が思っていたその時、馬車が急に止まった。


 異変を感じたコヨルが窓から屋根に飛び乗った。馬の手綱を引くヴィダルが、どうどうと馬を宥めている。


「どうした」

「やべぇなぁ。多分だが、魔王の気にあてられてる」

 一度全員降りるようにと言われ、全員が外に出た。乾いた土を踏み、馬の様子を見に行こうとした笑美をサイードが止める。


 馬の一頭が体の色を黒く変え、涎を垂らして飛び跳ねていた。尋常ではない馬の様子に、笑美は恐る。

 馬が暴れてもいいように、一旦馬とキャラバンを引き離してはいるが、激突しないとは限らない。すでに馬は制御すらすることが出来なくなっていたのだ。


 馬は賢い生き物だ。最後の街からともに走っていたもう一頭の馬は、じっとその馬を見つめていた。


「こうなったらもう駄目だな」

「一思いにしてやりましょう」

 ヴィダルの声にサイードが続く。ソフィアとコヨルが応えるように武器を構えた。


 笑美に迷う暇はなかった。慌ててソフィアとコヨルの前に立ち、ぎゅっと抱き付いて首を横に振る。


「邪魔」

「壺姫、危のうございます」

 笑美はぶんぶんと首を横に振った。今まで世話になってきたのだ。そんなのはあまりにもむごすぎる。


「このままでは、頭を打って自死するか、骨折して立つことすらままならなくなるだろう。苦しみを与える間もなく、楽にするから」

 ソフィアの真剣な声に、笑美は道を譲りそうになった。しかし、両方の足に力を入れる。


『だめだよソフィア、私、聖女なんだから』

 ね、冬馬。とアイコンタクトを送るが、当たり前のように冬馬は反応してくれなかった。目の前で起こっていることを、何ひとつ洩らすことなく心に留めようと真剣な目で見つめている。


『聖女ってね、癒しの力と、浄化の力がセオリーなの』

 きっとできる、大丈夫。大丈夫。と笑美は自分に言い聞かすと、両手を合わせて真剣に祈った。魔王の瘴気を払いますように。邪気を祓えますように。笑美はありったけの祈りを込めた。

 その水をコップに移す。何の変哲もない、いつも通りの無味無臭であった。


 しかし、あれほど暴れ狂っている馬にこの水を飲ませるのは一苦労である。どうしたものか、と笑美が悩み始めた時に、またコヨルがやってくれた。


 バッと、コップの中の水を馬にかけたのだ。


 コヨルの思い切りの良さは、どうやって育まれたのだろうかと笑美はたまに真剣に考える。


 水をかけられた馬は、それまで暴れていたのが嘘のように落ち着き始めた。黒かった姿も、元の栗毛色に戻っていた。コヨル、さすが~! 笑美がハイタッチをねだれば、コヨルも両手を上げパンッと手を打った。


 ハミを噛んだままの馬が、暴れていた馬にすいとすり寄った。首を寄せ合い、何かを話しているかのように見つめている。


「おーすげえ、聖水じゃん。壺姫」

 こちらへ来た当初憧れ続けたファンタジーな言葉に笑美は思わずはにかんだ。







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