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13 : 勇者は死んだ

 ここに来るまでおよそ一ヶ月の時間を費やした。その間、魔物と遭遇したことは八度。その内の五度討伐している。


 地を這いまわる植物、巨大な岩石、獰猛な獣。

 魔物は様々な形態をし、様々な役割を果たしていた。そのどれも、血の通った生き物であった。

 魔王が復活する前、人々は時に魔物の皮を剥ぎ、時に根を採取した。魔物はこの世界において、立派な食物連鎖の一部だったのだ。


 冬馬は立ち止まらなかった。討伐の号令がかかると必ず一凪で魔物を倒した。どのような個体でも、どのような団体でも。目視できる距離から、冬馬の持つ最大火力の魔法で切り刻んだ。


 草原に残るのは虫の残骸、砂地に残るのは砂埃。冬馬は敵も味方も、一切の追随を許さなかった。


 出番のない隊長は『さすが勇者様はすげぇなぁ』と破顔する。ソフィアもサイードも、順調に進む旅に安堵を感じているようだった。


 笑美には冬馬がなぜ絶対に魔物に近寄らずに、絶対に一撃で倒すのか。わかる気がした。


 近づくのが、怖いのだ。動物の吐息を聞くのが。

 生き残られるのが、怖いのだ。それが生き物だと、実感してしまうから。


 魔王討伐まで、立ち止まれない。振り返れない。

 魔物たちが、つい先日まで人間の良き隣人であったと。思い知らされてはいけないのだ。





 冬馬は着々と腕を上げて行っていた。キャンプファイアーに五徳が付き、火力調整レバーがついたかのようであった。

 上に置く調理器具も鍋やフライパンと種類が増えてきた。サイードは冬馬の呑み込みの早さが気に入ったのか、書類仕事がない時は常に冬馬の稽古をつけていた。


 特に最近の休憩時間――地面に足がついている時間は、ほぼ冬馬につきっきりだ。今も二人で、手でいろんな動きをしながら難しい顔をして話し込んでいる。


 そこへヴィダルがやってきた。

「おう勇者様。間合いを覚えておいてくれねえか」


 ヴィダルはそういうと、片手で持っていた大剣を鞘ごと持ち上げた。冬馬に向けて振り上げると、剣先をびくりとも震わせずに地と平行に構える。

 冬馬から随分と離れた場所で剣先は止まった。冬馬は驚いて目を見張る。


「これが、俺の剣の間合いだ。ソフィアのは後で見せてもらえ。この位置なら俺は踏み込める。この範囲は、俺のものだ。この中にはお前さんは入るんじゃねえ。いいな」

 真剣な顔つきをしたヴィダルにおされて、冬馬はコクンを頷いた。冬馬の神妙な顔を見たヴィダルが片眉を吊り上げて意表をつかれたような顔をした後、ニカリと笑う。


「まぁそう難しく考えるな。お前は基本的にサイードと後方からの援護となるだろう。よほどのことがない限り前線に出てくるこたぁねえよ」

 以前、冬馬はヴィダルに剣を教えろと詰め寄ったことがあった。しかし冬馬が武器を持つことは、断固として拒否されている。

 基本的な体力作りなどを馬車の中でやれる限りやっているが、それは決して敵と近距離で対峙するための特訓ではない。

 前線に仲間を追いやり、自分は後方からの魔法と聞いた冬馬は、一瞬すまなそうな顔を浮かべた。それをヴィダルは見逃さなかった。


「魔法使いなんてのは、そういうもんだ。それが卑怯なわけじゃない。お前にはお前の仕事がある」

 まぁわかんねぇことはサイードに聞きな。と、ヴィダルは笑いながら続けた。


「家が退屈だっつって、傭兵の真似ごとなんかしに出かける魔法使い、後にも先にもお前ぐらいなもんだろうよ」

「酔狂なら貴方もでしょう。ついてくるとは思わなかった」

 サイードはため息をつくと冬馬を見やる。

「僭越ながら。模倣すべきは前線で剣を振るう彼らではなく、同業である私となるでしょう。これよりは実践も交えて進んでいきます。少しは勇者様にとって手ごたえを感じる敵も増えてきたことでしょうし」


 笑美のせいで行軍が遅れているとはいえ、魔王城へあと半分と言うところまで来ている。これよりは魔王の影響力も格段に上がる。魔物はどんどんと強くなっていき、狂暴化しているという。今までのように、冬馬の竜巻号令一発で済まないことも増えていくだろう。

 これからの行道に少しだけ不安を感じた冬馬は、神妙に頷いた。


 ――そして、サイードの言葉を実証する時はすぐに訪れた。


「後方より魔物の群れ! 魔獣系かと思われます、足が速く追い払えません――応戦します!」

 手綱を持っていたソフィアが大きな声で御者席から叫んだ。サイードにもたれ掛りうつらうつらしていた笑美はソフィアの緊迫した声に飛び起きる。

 寝ぼけ眼の笑美は咄嗟に状況が判断できなかった。その間にヴィダルが立ち上がりコヨルが窓から身を乗り出してキャラバンの屋根に上っていた。

まと、大型3頭、中型6頭。今は200メートル先にいます、195、190、185――」

 ソフィアは速度を落とさない。魔法使いのため、少しでも距離を稼いでいる。

 コヨルが一定の間隔で数字を数えながら、屋根から御者席へ飛び降りる。ソフィアが手綱をコヨルに、コヨルが武器をソフィアに渡した。弓と剣を受け取り、ソフィアが屋根の上にのぼる。弓を構え、片目を瞑る。


「カウントダウン変わります、150、140――」

 コヨルほど正確な数字をはじき出せないソフィアが、弦をしならせる。

「130! 放ちます!」

 ソフィアは声と同時に矢を次々と放ち始めた。いつの間にかキャラバンの後方部は開け放たれている。

 壁にかかっていた大きな弓矢を構えたヴィダルがソフィアの号令にあわせて矢を放つ。儀式用かと思っていたほど大きく長い弓。あれはヴィダルの弓だったのか。弾丸のように鋭く速い矢が、次々と魔物を狙った。


 魔物は矢によって興奮していた。幾つかの個体は沈んだが、幾つかは余計に張り切って走ってくる。攻撃のタイミングを合わせたソフィアとヴィダルの意図を掴んだ冬馬だったが、動けない。


「俺は、どうしたらいい?! なにをすればいい?!」

 実戦経験に乏しい冬馬は、今どの魔法を使えば効果的なのか瞬時に判断が付かなかった。


 まずなにより、冬馬には100メートル先にいる動物の姿など、この月明かりの中ではっきりと捉えることが出来なかった。目を凝らして見ても、何もない平原が広がるばかりだ。動物が走る音も、馬車の滑走音で打ち消されている。


 敵のいる方角がわからなければ探索を思い浮かぶ。敵が襲い掛かっていれば攻撃を仕掛ける。しかし今は敵のいる位置もわかるし、襲い掛かられてもいない。それに、仲間の邪魔にはなりたくない。使える魔法は幾通りもあった。しかし冬馬は、頭の中の魔法書のどのページを捲ればいいのか、全く分からなかった。


 サイードは笑美を丁寧に床におろし、クッションで揺れぬように整える。不安でか、はたまた恐怖でか。笑美はカチンコチンになって動けないでいる。


 王城から出発して一ヶ月。襲われている人を助けたり、暴れている魔物を討伐したことはあったが、魔物に追いかけられた事はなかったのだ。


「消して動かれぬよう。皆の気が散ります」

 笑美は高速で首を縦に振った。決して、一歩たりとも、一ミリたりとも動きませんとも。壺、壺でございます。私は壺です。


 ようやくこちらへやってきた悠長なサイードにヴィダルが笑う。

「おい頼むぜ大将」

「大将はそちらでしょう」

 サイードは後ろで呆けていた冬馬を目で促して隣に引きずり出した。冬馬もまた、笑美と同じく、自分が挑む戦いしか身を投じた事がなかったのだ。


「“いせかい”でも“げえむ”でも“らのべ”でもなんでもいい。敵をただ倒しなさい。アレが生きていると、この地に生きぬ貴方は考えなくてよい」


 冬馬の背中に定規を入れたサイードは、冬馬が小さく頷くのを横目で見ると声を落とした。


「行きますよ。永い永い、空に、冬も、羽ばたけて――」


 雪のようなしんしんとしたサイードの声が、慌ただしい場面に静かに降り積もる。冬馬はサイードの歌を耳にすると、反射的に魔法を練っていた。


「旅立つ、光に、鳥と、春の訪れ、約束だ、白い夢、君のため」


 冬馬とサイードの周りに、青白い魔法陣が浮かび上がっては消え、暗闇の中に魔法が飛んでいく。その様を笑美は呆然と見ていた。

 いつも魔法の練習でサイードが歌っている歌と似ていたが、順番がちがう。使われる単語は同じだが、歌詞の流れが違った。サイードが状況によって歌い分けているのだと、笑美は気づいた。


 歌が、魔法の号令になっているのだ。


 九九算のように、年号の語呂合わせのように。サイードは冬馬に早打ちと照準の練習だといいながら歌に魔法を擦り込ませていた。咄嗟の時に、冬馬への魔法の命令を下せるように。


「近づいてきます。今後は照準を合わせ、ヴィダルとソフィアの矢を吹き飛ばさないように。いきますよ――勇者は死んだ、勇者は死んだ、勇者は死んだ、勇者は死んだ、勇者は死んだ――」


 サイードさん、その単語。わざとっすか。

 冬馬が頬を引きつらせながら魔法を連発する。笑美は土埃の中走ってくる最後の一頭に手を合わせて、南無阿弥陀仏と呟いた。





 敵はものの十分で討伐された。これからも、このような状況は増えていくだろうというサイードの言葉に、笑美は曖昧に頷いた。

 笑美のはっきりしない態度に気付いたのか、サイードが眉根を寄せた。

「如何しました」

『如何も、どうも。していないよ』

 笑美は慌てて頭を振る。ちゃぽんちゃぽんという音が少なくなっているのに気づてコヨルに駆け寄る。笑美が故意に避けたことに気付いたのか、サイードは笑美の後ろ姿を目で追った。


『コヨル』

 コヨルに壺を指さすと、心得ているとばかりに水がピッチャーに注がれていた。笑美はコヨルがいれやすいようにしゃがむと、目を閉じた。


 ――アレが生きていると、この地に生きぬ貴方は考えなくてよい。


 サイードの雪が、笑美の心に積もっていく。




***




「南から来ていた行商と運よくかち合ったので、購入してまいりました」

 昼の休憩時間に、街に買い出しに出ていたコヨルが、大量の食材と共に帰ってきた。

 コヨルはサイードと仕事の話をする時だけは言葉が流暢だ。その様を見ながら笑美はいつもとのギャップに少し驚く。しかし、コヨルの会話が不自由であったら隠密のように単身で出かけ街に潜り込めるはずがない。やはりいつもは怠惰なのだろうかと、笑美は笑った。


「それは?」

「嗜好品です」

 コヨルから小さな箱をサイードが受け取る。冬馬への素っ気ない回答から、笑美は何となくその中身の予想がついた。

「コヨル、よくやった! ソフィアに荷物点検されて持ってこれなかったんだよ! なぁサイードちゃん、あっちで大人の時間を過ごそうぜぇ」

「気色の悪いそのしなを、即刻消してください」

 心底顔を顰めながらも、サイードとヴィダルはそそくさと林の中へ入っていく。呆れた目をして二人を見るソフィアに、冬馬が箱の中身を聞いた。


「なぁ、あれなんかまずい薬とかじゃないよな……?」

「まずい薬とは?」

 パチパチと瞬きをするソフィアに、冬馬は頭を掻いた。どう告げればいいのか、そういう存在を告げていいのか迷う。

「なんかこうほら、気分が異様に高揚しちゃったり、幻覚が見えるようになっちゃったりするような……」

「あぁ、心配をかけたね。大丈夫。多少の中毒性があるだけで体への害はほぼないよ」

「えええ、なにそれ、大丈夫なのかよ」

 ドン引きする冬馬に向かって、笑美は口元に指を二本添えた。見ようによっては壺が投げキッスをする姿勢にも見えるだろう。冬馬は更にドン引いた。

 中指と人差し指に何かを挟んだポーズで口から指を離す。その姿を見て、冬馬は安堵した。

「あぁなんだ、煙草か……」

「失礼した。名称を先に告げるべきだったね」

 笑美たちとソフィアは十も年が離れている。更には、現世(うつしよ)の人々から笑美と冬馬は天使扱いを受けている。穢れを知らない純白な天使様だ。十歳年下の青少年兼天使様に、煙草のことをつぶさに説明したくなかったのだろう。ソフィアの倫理観が感じられた。


「南からの行商って、珍しいの?」

「海を越えてやって来るからね。魔王が復活してからは商船も激減してるし、まぁ随分珍しいだろうなぁ」

 冬馬の問いにソフィアが答える。笑美はハイ! 手を上げた。

「どうした?」

【行く したい ご飯 作る もの 貴重】

「飯食いに行きてーの?」

 笑美のつたない文字を見て冬馬が首を傾げる。笑美は冬馬の頭の悪さにガッカリして日本語で下に訳を書いた。

【“南の行商ならきっと珍しい調味料があるはずよね、買い物に行きたい”】

「あぁなるほど。明日まだいるかな? その商人。壺姫が調味料の買い出しに行きたいって」


 コヨルとソフィアは目を合わせる。


「連れていく」

「二人の説得はお任せください」


 二人の中で、美味しいご飯が勝ったらしい。





「でもまぁヴィダル隊長はともかく、サイードも煙草好きなんだ」

 いがーい、と続いた冬馬の言葉に、笑美も頷く。

「主様、気分転換にたまに好む」

「へーそうなんだー」

 いつも吸うってわけじゃないんだなーと興味を無くした冬馬と違い、笑美はコヨルの言葉に引っかかりスケッチブックを取り出した。

【“主様って? コヨルはサイードが主なの?”】

「おぉ、そうだな。コヨルって城のメイドじゃなかったの? 城のメイドなら、主は王様だろ?」

 日本語で問えば、冬馬が訳してくれた。コヨルはしばし悩んだ後にこくんと頷く。

「私は烏。烏は代々、主様の家に仕えている」

「なにそれ、忍者みてえ。そういえばコヨル、格好もちょっと忍者っぽくね?」

 冬馬の言葉に笑美は大きく頷いた。初めてコヨルのこの格好を見た時、そしてコヨルの役目を聞いた時、笑美もそう感じたからだ。コヨルは冬馬の言葉に首を傾げている。どうやら、忍者という単語は現世(うつしよ)では馴染みがないらしい。


 冬馬と笑美が感じたように、コヨルは正しく諜報員であった。コヨルが所属する組織の名が――からす。代々サイードの家系に仕えてきた隠密組織だ。

 その組織では名を変え姿を変え情報を入手していた。魔王復活の報を届けたのもまた、烏の一員だった。

 コヨルはサイードの命を受け、笑美の世話係兼護衛としてそばに控えている。


 烏たちは独特の文字を扱う。それは、この世界のどの国のものでもない、日本語だった。永い間烏で使われてきた暗語が、いつどうやって成り立ったかコヨルは知らない。しかし、王宮に保管されている閲覧禁止の禁書などにも、この文字が使われていることがあることは知っていた。

 サイードは笑美の書いた文字を見て、それがすぐに烏の使う文字だとわかった。メイドとして傍に仕えさせていたコヨルを呼び日本語を通訳させたのは、サイードが日本語を見慣れていた結果だった。


「まぁそれはさておき……隊長遅いな。あまり長時間の喫煙は彼の今後によくない。我慢が利かず煩くなる可能性がある。呼び戻しに行ってくるよ」

 コヨルが諜報員だと知っているソフィアは、それとなくを装ってかなり無理やり会話を反らした。

 しかし笑美と冬馬は大して気にすることもなく頷く。

「では私が」

 コヨルは端的にそう言うと立ち上がった。笑美はついていこうと腰を上げる。

 ついてくるのか? と目で問うコヨルに笑美は頷く。笑美を容認したコヨルは林の中に足を進めた。





 林の中は生い茂った木々とでこぼこな地面のせいで、平地より随分と歩きにくかった。コヨルに捕まると、二の腕を差し出された。コヨルの二の腕を掴み、笑美はでこぼこな地面を歩いていく。

 しばらく歩くと、コヨルがすっと笑美の前に手をやった。

 素直に立ち止った笑美は、木の陰に隠れたコヨルの背後に回る。


「――聖女を連れてきたこと、感謝する」

 ヴィダルの声だ。笑美はコヨルの影から首を覗かせる。後ろを向いているせいでサイードとヴィダルの表情は見えないが、煙が見えることから今だ喫煙中なのが伺えた。


「あんなでも親父だからな」

「閣下直々に礼を賜るなど、恐縮至極でございます」

「茶化すな」

 すかさず静止した声はしかし、笑みを含んでいる。


 笑美はこの話を聞いていいのか、コヨルに判断を仰いだ。大丈夫なのか、という意味で首を傾げる。コヨルは一度サイードを見つめた後、ゆっくりと、だけどしっかり頷いた。


「爺には、親父も、じいさんも、そのじいさんも、みんな世話になってきた――親父に殺せと命じさせるのは。さすがに酷だ」


「――我が師です。弟子が尽力するのは、当然でしょう」


 閣下、親父、爺……殺せ、命令。

 笑美は断片を拾い上げる。足りない、まだ。何かが足りない。穏やかでない単語に頭を抱えそうになった笑美に、コヨルがそっと耳打ちをした。

「ヴィダル・マイアは、現国王の第六子。現在は臣籍に降下している」


 あぁ、そうなのか。


 そうだったのか。


 笑美はころんと納得がいった。

 サイードがなぜ自分をこの世界に呼んだのか、笑美はずっと不思議に思っていた。逆上した冬馬が脅していたとはいえ、サイードが冬馬ごときを御せなかったとは思えずにいたのだ。現に彼はこの旅の中で、何度も冬馬を手のひらで転がしていた。


 では何故?ずっと心の隅に会った疑問に、答えが降ってきた。

 彼が屈したのは、冬馬にではなかったのだ。


 彼は純粋に、魔法使いだった。知を求め、知を貴び、知を繋ぐ。


 サイードは、師匠である老師のために、私を呼んだのだ。


 ――……貴方には、大変申し訳なく思っております。そちらの世界の人物が起こした騒動とは言え、謀るような真似を致しました。


 世界の危機を案じたわけでも、王様を救助するためでも、冬馬の暴挙のせいでも、なんでもなかった。

 最初から最後まで、私に告げた動機は全て――嘘だったのだ。


 国王の威信が傷つけられた場合、けじめのつけ方は幾通りかあるだろう。

 その最も簡単でいて、多い手段は、責任者を処断すること。


 ――その偉い官長よりも更に偉い総統が、このような場所で何故油を売っておいでで?


 あのまま、私を呼び勇者を懐柔できなければ、おじいちゃんの首が物理的に飛んでいた。王様のいのちを危ぶんだのではない。王様のめいを危ぶんだのだ。


 サイードは、天秤にかけた。違う世界に生きる見たこともない私の命と、師匠であるおじいちゃんの命。そして幾分の迷いもなく、おじいちゃんの命を取った。


 宮廷魔法使いが王様の窮地を救ったという、誰もが目に見える証拠が必要だった。宮廷魔法使い総統への懲罰どころか、褒章に変わるほどの実績が。――それが、聖女降臨だ。


 あぁ、なんでだろう。

 知りたいことが知れた。なのに、どうして。


 笑美はその場に留まることが出来ずに体を反転させて今来た道を戻った。

 その際にガサリと音が鳴り、サイードとヴィダルが振り返る。コヨルはぺこりと二人に頭を下げ、笑美の後を追った。


「――気づいていましたね」

 苦虫を噛み潰したような顔をして、サイードは口に咥えていた煙草を地面に叩きつけた。

「遅かれ早かれ、お前がその調子ならいつか向き合う問題だろ」

「ご冗談を」

「ちょーうーけーるー」

 煙草をふかしながら告げるヴィダルに、サイードは静かな声を返した。


「知っていますか、天上の花は空を舞う」

「なんだそれ、夢物語か?」

「ふふ」

 それは見事でしたよ。そう続けたサイードは、肺に残った煙を吐き出すように長く息を吐く。


「花は花瓶では咲き永らえない。土なくば、枯れるのを待つばかり」

「なら土ごと引っこ抜いちまえばいいじゃねえか」

「さすが王の子。恐れを知らない」

「まぁいいさ、俺の知ったこっちゃない」

 好きにすればいい、と煙でわっかを作りながらヴィダルは笑う。


「勇者様はすげぇな。吟遊詩人の歌なんか本気にしちゃいなかったが――あいつを見てると、伝説も嘘じゃねえんだなって思うわ」


 ――勇者は果敢に立ち向かう。剣一振りで千の魔物を葬り、槌一振りで地面を割った。


 ヴィダルがそらんじた一節は、この国に住むものなら誰でも歌える歌であった。

「この一ヶ月、俺が討った敵の数どのぐらいだと思うか? 両手にも満たねぇよ。有りえるか、ウィステリアに来るまでに、だぞ? すげぇよな。何だよ、あの力は」

 ヴィダルは明るい口調から一転、厳しい顔つきで木々を睨みつけた。


「あいつは駄目だ。――あいつは、この世界に災いを呼ぶ」

 長居させちゃいけねえ。ヴィダルは王族の顔で、団長の言葉を告げる。しかし、ふと隊長の顔に戻ると細く長い息を吐き出した。


「期待してるよ、惨敗だ。この青騎士団団長様が手も足も出ねぇ。半分の年の子供相手に、頼らなきゃなんねぇのかぁ」

 悔しいなぁ……俺の34年は、なんだったんだろうなぁ。


 ヴィダルの吐き出す心に、サイードは音なく同意した。自分たちの半分ほどしか生きていないような、この世界には関わりもない天上の子供。そんな子供に救ってもらってまで、この世界が存続する意味はあるのだろうか。サイードは空を見上げる。


 けどなぁ、とヴィダルが続ける。


常世(とこよ)の天使様でも、子供でも、なんでも。使えるもんは使わせてもらう。――お前と同じで、俺も。帰したい奴がいるんだよ」


 青い空に煙が吸い込まれていくのを、サイードは物言わずじっと見つめていた。






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