半神
領黄は、重い体で、硬い岩の上に横たわっていた。
今がいったいいつで、ここへ連れて来られてから幾日過ぎたのか、それともそれほど時は過ぎていないのか、判断も付かなかった。
ここには、全く光がない。
あるのは、入り口に張られた封じるための結界の力の、ほんのりとした光だけであった。
自分は鳥の半神なので、夜はあまり強くない。夜目はきかないのだ。
領黄は、龍族の王を初めて見た。あれほどに強大な気も、まだ抑えているのがありありと感じられ、呆気に取られるばかりで何も抵抗出来なかった…抵抗する気すら萎えるほどの、力。そんなものがあるのだと、初めて知った。
あれから、ここへ運ばれ、ここへ封じられたが、その時に自分を封じた軍神も、かなりの気を持っていた。龍に勝てるはずなどない…。領黄は思った。
あの龍族の王がここへ来た時、気ですぐにわかった。しかし、自分の所へは来ず、他の客だった神達の許しを乞う声と、断末魔の叫び声だけが聞こえて来た。しかし、捕えられた神は4人だったはずなのに、聞こえて来た叫びは3つ。誰か、もしかしたらまだ生きてここに居るのかもしれない。
領黄はそれを探ろうと気を飛ばしてみたが、どうやら封じてあるあの力のせいで、気は外へ漏れ出ないらしい。何も感じ取れなかった。
領黄はため息をついた。
ふと、何かの気が遠くに感じられたように思う。
…いよいよか。
領黄は覚悟して、重い体を起こした。
十六夜が言った。
「おい、維心。確かにここはいい場所じゃねぇな。維月が悲鳴を上げるはずだよ。それにしても、これぞ牢獄って感じで、趣味悪りぃよなあ。」
維心がちらりと十六夜を見た。
「牢とはこんなもんであろうが。ここで何人も死んでいる。それはいい気はせぬであろうの。それにここが出来たのは、初代王がこの宮を建てた時よ。我が作ったのではない。」
十六夜は返事もせずに維心の後ろをついて歩いた。ここは月の光も届かない。なので、十六夜がこの中を見るのは初めてだったのだ。真っ暗なので、人であれば足元が見えなかったであろうが、維心も十六夜もはっきりと見えていた。どんな機能を使っているのかは、十六夜自身わかっていなかった。
しばらく歩いて降りて行くと、横並びにいくつかの部屋のような穴が並んでいる場所へ到着した。その一番奥の部屋に、封じている力の光が微かに見える。
そこへ向かって歩いて行く維心の後ろを付いて歩きながら、十六夜は一つ一つの部屋を見た。
中には、岩の壁を床しかなく、窓もなかった。そして、その岩の壁には、無数の血の跡が残っていた。
そのうち3つの部屋からは、まだ生々しい血の臭いがした。ここに入れられていた神が消されたのか…。十六夜は思って、立ち止まる維心に並んで、光る格子の前に立った。
中では、領黄が座っていた。
着ている服はぼろぼろになり、髪も乱れ、あの時維心に叩きつけられた時に受けた擦り傷で頬も血でどす黒く汚れていた。
それでも、十六夜には、この顔に何か見覚えがあった。維心が振り返って言った。
「…どうだ?何かわかったか?」
十六夜は首を振った。
「いいや。見覚えがあるってことぐらいだ。」
維心は頷いて、手を振って格子を消した。そして、二人で中へ足を踏み入れた。領黄は小刻みに震えながらこちらを見上げている。維心はフンと笑った。
「なかなかに度胸があるではないか。その辺の神の王より胆が据わっておるわ。泣きわめいて許しを乞うたヤツもおったというのに。」
領黄は震えながら、言った。
「…そのようなことをしても、許されるとは思っていない。」
維心はしばらくじっと領黄を見つめていたが、頷いた。
「そうよの。許すつもりはない。あやつらが死なねばならなかったのは、主があのようなものを作って、やつらを誘のうたからよ。人の世と神の世は違う。間違ったことをすれば、地位の高いものほど大きな罰を受ける。王であれば、その命で償うよりない。ほかに示しがつかぬゆえな。」
領黄は、維心を見た。
「しかし、他の客は?まだ、一人居たのは、知っているんだろう。」
維心はその強い様子に、少し驚いた。が、答えた。
「そんなもの、他の王が吐きおったわ。あれは王ではないが、王族であるゆえな。その種族の王に、処分は任せた。」
相手は、そのまま維心から視線を外さず聞いた。
「処分?王でなくても、殺されることはあるのか?」
十六夜は腕を組んで言った。
「あのなあ、お前にゃもう関係ねぇ。そっちはそっちの王が判断することだ。維心の管轄じゃねぇのよ。そんなことまで面倒見てたら、こいつは寝る間もなくなっちまわぁな。」
領黄は十六夜を見た。こっちも、あの時、楼が崩れる時、居た神だ。しかし、気が神とは違うような…。
「…あんたは、どっかの神か?」
十六夜はため息をついた。
「お前にゃ関係ないが、オレは神じゃねぇ。月だ。」
領黄は驚いた。月だって?では、龍族と月が手を組んでいるというのは、事実だったのか…。
領黄は、頭を垂れた。
「…オレを殺りに来たんだろう。早いとこ済ませてくれ。」
維心は、ためらいもなく手を前へ上げた。
「そうしようと思っておったところよ。だが、今は命は取らぬ。主はもっと我らにいろいろと教えねばならぬのでな。主の記憶を全てもらおうぞ。」
領黄は仰天して後ずさった。そんなことをされたら…それこそ生ける屍になってしまう!
必死で抗おうと身をよじったが、維心の手から出た力はやすやすと領黄の頭を包み込み、領黄は岩へ倒れてのたうち回った。まるで、自分を引きはがされるようだ。どんどん気が遠くなって行く…。
領黄は心の中で、必死に自分を保とうとしたが、段々と意識が薄れ、ついに何もわからなくなり気を失った…。
維心は、手の中にピンポン玉大の透明な光る玉を浮かせて、倒れて動かない領黄を見降ろしていた。
十六夜が維心に歩み寄った。
「えらくデカいな。お前の親父のやつは、ビー玉ぐらいだったのによ。」
維心は眉を寄せた。
「…ビー玉とはなんだ?大きさの違いなら、父のものは一部、これは全てよ。ここから、断片的に記憶を引き出して見るのだ。さて、居間へ帰ろうぞ。」
維心は領黄を振り返りもせず、そこを出た。そして軽く手を振って封印の格子を復活させると、十六夜を伴って、元来た道を戻って行った。
居間へ戻ると、維月が維心の定位置で微睡んでいた。十六夜は苦笑した。
「全く、こっちは仕事してるってのに、ちょっと留守にすると寝ちまうんだなあ。まだ夕方だぞ?ずっとここに居るのに、別に疲れるこたぁないだろうによ。」
維心がハッと思い当たったような顔をして、顔を背けた。
「眠いのなら、寝ていてもかまわんではないか。」
十六夜はじっと維心を見ていたが、フンと横を向いた。
「そうかい、昼間っからご苦労なこった。心配して損した。そんな元気があるんなら、何人殺そうと大丈夫そうだな。」
維心は言い訳がましく言った。
「今回は、我ではないぞ。維月が…。」
言い掛けて、黙り込んだ。十六夜が横を向いた。
「へいへい、もう聞かねぇ。久しぶりに腹が立ったんでな。この件が片付いたら、維月を里帰りさせてもらうぞ。今度はお前も顔出すな。」
維心は何かを言い掛けて、押し黙った。今は何を言っても駄目だろう。そして、自分の手の中の玉を宙へ浮かせて、自分の定位置に維月を踏まないように座った。
「そんなことより、これを見るとしよう。蒼も呼んだ方が良いか?」
十六夜はまだ不機嫌だったが、頷いた。
「オレが念で呼ぶ。維月を起こせ。」
十六夜は虚空を見つめて、念を飛ばしている。維心は、維月が良く寝ているので起こすのに忍びなかったが、仕方なく呼びかけた。
「維月…」
維月がもぞもぞと動いた。
「維心様…朝ですの?」
維心は律義に答えた。
「いや、夕方だ。」と頬に触れた。「さあ、記憶を見るぞ。起きよ。」
「はい」
維月はスルリと維心の首に手を回すと、口唇を寄せた。維心はびっくりしたが、維月を拒絶するという考えがまずないので、十六夜を気にしつつ、口付けた。
「維月、寝ぼけておるな。」
維心はこれ以上口付けないように、胸に抱き寄せて小声で言った。
「いいえ…どうしてですの?」
維月は維心の着物の合わせから見える、素肌に頬を摺り寄せた。維心は慌てて小声で答えた。
「維月、主は状況が読めておらぬのよ。今は我と二人きりではないぞ。それに朝でもない。夕方だ。ここは居間よ。」
維月はパチッと目を開くと、サッと維心から身を離して座った。慌てて辺りを見ると、十六夜がものすごく怒って座っていた。
「…あのなぁ維月、オレはお前らの日常なんて見たかねぇんだよ。例え毎日お前がそうやって維心に甘えてたとしても」と目を光らせて続けた。「オレの前では、見せるんじゃねぇ!」
維月はしゅんとして下を向いた。確かにまずかったかも…もううたた寝はやめよう…。
維心はそんな維月がかわいそうに思い、十六夜に言った。
「いや、別に毎朝ではないぞ。維月が寄って来るなど、そうそうない。ほとんどは我よ。ほんの時々だけだ。」
十六夜は後ろを向いた。
「うるせぇ!お前は黙ってろ。」
維心は困って維月を見た。維月も見上げている。
「維心様…ごめんなさい。」
尚もしゅんとしている維月を見て、維心は十六夜を気遣いつつも、我慢しきれず肩を抱いた。そして、小声で言った。
「良い。我は気にせぬぞ。主は何も悪くはないゆえな。そのように浮かぬ顔をするでない。後で存分に…、」
十六夜が振り返った。
「聞こえてるぞ、維心!」
維心は黙った。維月がびくっとして縮こまった。そこへ、何も知らない蒼が到着した…瑤姫を連れている。
「な、なんだよ十六夜、大きな声出して。」
十六夜は不機嫌に蒼を見た。
「なんでもねぇ。それより、瑤姫まで連れて来いとは言ってねぇぞ。」
蒼は気まり悪そうに頭を掻いた。
「いや、なんか一人置いておくのが不安でならなくてさ。いいじゃないか、記憶を見るだけだろ?」
十六夜は答えずに横を向いた。見かねて維心が二人を促した。
「もちろん、良い。どこなりと座るがよい。我があの壁に、この記憶を映し出すゆえな。」
蒼はなぜか機嫌の悪い十六夜を避けて、維心達の斜め横へ瑤姫を並んで腰掛けた。維心が手を上げる。
居間の明かりが落ちて、維心が手を翳すと、その玉が光り輝き、前の壁に映像が映し出された。
皆、その映像を、驚愕の表情で見た。