奪還
蒼は、ただ待っていた。
廉耀から聞いただいたいの場所を目安に、その辺りを伺いながら、十六夜や維心の合図か何かが現れるのを、ただ待った。
横には義心と、蒼と同じように妃をさらわれた鵬泉とその軍神、龍の宮の軍神、月の宮の軍神と、まるで戦でもするような構えであった。
その物々しい雰囲気の中、月が天空に昇った頃、それは起こった。
合図なのか定かではないが、維心の闘気がまるで空へ打ち上げられるかのようにいきなり現れたのだ。
蒼は命じた。
「あの場所へ参る!」
一斉に皆が蒼を追って飛ぶ。蒼も訓練の甲斐あって、かなりのスピードで飛ぶ事が出来るようになっていた。必死でその場所に辿り着いたが、維心の闘気があまりに凄まじくそこから吹き出していて、中を覗くことも出来ない。
「…収まり次第、中へ降りる。」
蒼が言うと、義心は頷いて皆に指示する。皆、固唾を飲んで見守った。
維月が、維心を掴んだ。
「維心様、どうかもう殺すのはおやめください!連れ帰って、せめて封じるだけにしてくださいませ!私は…目の前でこのようなものを見ることに慣れておりませぬ。」
維心はハッとして維月を見た。そして、その姿を抱き寄せた。
「おお、維月…すまぬ。あまりにも腹が立ってしまったゆえ、我を忘れてしもうた。これでは若い時と変わらぬ。」そして、じっとその顔を見つめた。「維月…なんと美しいことよ。さあ、帰ろうぞ。」
ようやく維心の闘気が収まったのを見て、待ち構えていた龍達や月の宮の兵達が、吹き飛んだ天井からどんどんと降り立って来る。蒼はいち早く降り立って、瑤姫の元へ走った。
「瑤姫!」
「蒼様…!」
蒼はあまりにも美しい瑤姫の姿に今更ながら見とれながらも、しっかりと抱き寄せた。
「どれほどに心配したか…どこも何もないか?」
瑤姫は頷いた。
「はい。もう大丈夫でございます。蒼様が来てくださったので…。」
そこには、見慣れない神の姿もあった。若い神だ。きょろきょろとしていたかと思うと、急いで走り寄って来た。あれは、鵬泉様?
「おお我が君!」
思った通り、鈴華が走り出た。しかし、体調を崩していたので、その足元はおぼつかず、ふらふらと崩れた。それを鵬泉は抱き上げた。
「我が妃よ!我はどれほどに心配し申したか…大事ないか?!」
鈴華は涙を流しながら頷いた。
「はい。我はもう大丈夫でございまする。こうやって鵬泉様にお会い出来申した。もう、お会いできぬかもと、本当に思いましてございます…。」
鵬泉は黙って鈴華を抱きしめて、維心を見た。維心もこちらを見ている。鵬泉は頭を下げた。
「なんとお礼を申し上げれば良いのか。我の力では全く我が妃を見つけることは出来ませなんだ。龍の王よ、御礼申し上げまする。」
維心は頷いた。
「よかったの、鵬泉よ。主の気持ちはよくわかっておるつもりだ。妃がさらわれて、どれほどにつらかったであろうか。こやつらは我が始末しておくゆえ、安心すると良い。」
鵬泉は頷いて、鈴華を抱いてもう一度頭を下げた。
「それでは、失礼いたします。また改めて、御礼に参りまする。」
維心の返礼を待ってから、鵬泉は空へと飛び立った。入れ替わりに、義心が降り立った。
膝を付いて頭を下げる。
「王、処分はいかがいたしましょうか。」
維心はちらりと義心を見た。
「全て連れ帰り地下牢へ封じよ。我が始末を付ける。女共を一旦は龍の宮へ。明朝よりどこの女か聞き合わせて帰せ。死人があれば一旦宮へ安置せよ。あやつは」と広孝を顎で指した。「この辺りにでも埋めてやるがよい。以上始末を付け、明朝我に報告せよ。」
義心は頭を下げた。そして合図すると、他の龍の軍神達が一斉に動く。
それを見てから、維心は十六夜に言った。
「…すまなんだな。我が我慢出来ぬばかりに。」
十六夜はフンと横を向いた。
「まあな、わかってたことだけどよ。お前、オレが維月にくっついても機嫌悪くなるんだから、他のやつだったらこうなることぐらい、予想は出来た。だが、もう一人は取り逃がしちまったな。」
維心はニッと笑った。
「…なに、あやつらから聞けば済むことよ」と義心達に気で運ばれる失神した王達を見た。「我が問うて、答えぬ者など居らぬ。明日にはわかるだろうて。」
十六夜は、そんな維心を見て、眉を寄せた。
「こいつは案外、結構サドなんじゃねぇのか。維月、お前よく耐えてるな。」
維月は肩をすくめた。
「…ふふ、私も少しマゾなのかもよ。」
維心が眉をひそめた。
「なんだそれは。我に分からぬ言葉を使うでない。」
十六夜は維月の手を引いて抱き寄せた。
「だから、維月が好きなら人のことを学べと言うんだよ。普段はお前に合わせて話してるがな、オレと話してる時が、素の維月なんだぜ。」
十六夜はそう言うと、維月の頬に頬を摺り寄せた。
「しかしお前が花魁の格好してるのが見れるとは思わなかった。きれいじゃねぇか。オレが買おうかな。」
維月は笑った。
「買う必要ないでしょ?もう。」
維心がグイグイ手を引っ張ってそれを引きはがすと、抱き上げた。
「今日はもうこれ以上我は我慢ならぬ!例え主であろうともな、十六夜。帰ろうぞ、我が宮へ!」
維心はそのまま空へ飛び上がった。十六夜は文句を言った。
「あのなあ、オレの妃でもあるんたぞ、維心。ワガママもいい加減にしろよ。」
しかし呆れたような感じで、怒っているわけではない。維月も苦笑して、そのまま維心に宮まで運ばせたのだった。
「そのままで良い。」
奥の間で、維心が首を振って言った。維月は困ったように、椅子に座ったまま首を振った。
「維心様、この髪型では眠れませんのよ。これを維持するのに、昔は枕が違った形のもので…今はそんなものございませんでしょう?私も首を休めたいですし。」
侍女達が珍しげに維月の格好を見ている。維心は尚も言った。
「我はその格好が気に入ったのよ。」と座ったまま維月を抱き寄せ、「だからそのままが良い。」
駄々っ子のようなので、維月は本当に困ってしまった。多分、さっき感情を暴発させた後遺症がまだ残って居て、自分の感情を御し切れてないのだ。
「さあさあ維心様、そのようにご無理を言ってはいけませんわ。」維月は優しくその胸に維心を抱きしめた。「では、侍女達にこの髪を解かせ、髪の結い方を覚えてもらいましょう。そうすれば、これからもこのように結い上げてお見せ出来ますわ。ですから今日は、我慢なさいませね。」
維心はまだ何か言いたそうだったが、そうやって抱かれているのが心地よいので、黙って頷いた。維月はホッとして侍女達に頷き掛け、髪を解かせた。この型を覚えなければならないので、ゆっくりと何やら話し合いながら解いている。
維月は窓から見える月を眺めた。これほどに力を持っているこの龍神が、これほどに子供のように駄々をこねるなんて、誰が知っているのかしら…まあ、侍女達は知っているけど。これまで甘える相手も居なかったのだから、存分に甘えさせてあげよう。
いつも間にかそのまま眠ってしまっている維心に気付いた維月は、そっと侍女達と共に「気」を使って寝台へ維心を運ぶと、自分も寝間着に着替えて眠りについた。
そんな時も、まだ軍神達は後始末に駆けまわっていたのだった。
次の日の朝早く、維月が侍女達に髪を花魁の島田に結ってもらって居間へと出て来ると、義心が片膝を付いてそこに居た。きっと昨日から寝ていないのだろう。甲冑は、埃にまみれていた。維月は思わず声を掛けた。
「義心、ご苦労ですね。後始末は大変だったのではありませんか?」
義心はびっくりして顔を上げた。そして、慌ててまた頭を下げた。
「いえ…これが我の役目でございまするゆえ。」
維月は苦笑した。
「そのようにかしこまらなくてもいいのよ。ごめんなさい、話し掛けたりして。でも、労ってあげたかったので。」
義心は目に見えて赤くなった。
「…維月様、我はまた、思い出してしまいまする。そのようにお気に掛けて頂いては、いけませぬ。」そして小声で続けた。「しかし、とてもお似合いでございまする。」
それがこの髪のことだとわかって、維月も赤くなった。
「ま、まあ…ありがとう。」
維心が憮然として出て来た。
「…ふん、二度は許さぬと言ったはずぞ。」
維月が振り返って驚いた。まだすごくよく寝ていたのに。しかも、寝間着のままで着替えてもいない。話し声で慌てて出て来たようだ。
義心は慌てて頭を下げ直した。
「王、昨夜のご報告を。」
維心はふいっと後ろを向いた。
「着替えて参る。そこで待て」と維月を見た。「我は着替える。」
着替えさせよということだ。維月は頷いて維心に従って奥へ戻った。
侍女の捧げ持つ着物を着せかけていると、維心が維月を引き寄せた。
「なぜに昨夜は我を起こさなんだ。しかも今朝は先に起き出して、そのように横になれない髪型に結い上げてしもうて。」
少しむくれている。維月は苦笑した。
「この髪は、維心様がお気に入られたと申されたので、侍女達に朝早くから結ってもらったのですわ。それに昨夜はお疲れのようだったので、そっとしておいたのです。そのようにご無理を申されてはなりませんわ。昨日から、お子様ようでございますわよ?」
維心は横を向いた。拗ねているようだ。維月は最後に帯を締めて、言った。
「ご準備整いましてございます。」
維心は黙って頷くと、拗ねているのにそれでも維月の手を取って居間へ出た。義心はさっきの状態のまま待っていた。維月は思った。確かに神の世界には労働基準法なんてないし。でも、本当に過酷よね…。
「では、申せ。」
義心はもう一度頭を下げた。
「は!ご命令通り、全て処理しましてございます。昨夜のうちに女達の素性は調べ終わり、今朝方より軍神達が手分けして送り届けておりまする。遺体で見つかった二人に関しましては、他の女より聞き申し、既に里のほうへ送り届けてございまする。」
維月は暗い顔をした。奥ゆかしい神の女には、耐えられないことであったのだろう。かわいそうでならない。義心は続けた。
「王達、並びにあの半神は地下へ封じてございまする。我が力でも封じるは簡単でございました。後のご処分は王に。あの人の男は、ご指示通りにあの場所へ埋めて参りましてございます。」
維心は頷いた。
「わかった。」そして、維月を見た。「我はこれから、地下へ参る。主はどうする?昨日のように、甘いものではないぞ。」
維月は身震いした。きっと、もう一人の神を吐かせたりするのに、拷問したりするんだ…維心様のことだから、殺してしまうつもりなのかもしれないし。維月は首を振った。
「いえ…私はここでお待ちいたします。」
維心は頷くと、義心を伴って出て行った。