花魁
維月をそこへ放り込んで、領黄はまじまじと見ながら言った。
「…これは最高級の織物だな。こんなものを着ている女はお前が初めてだ。」
維月は領黄を睨み付けた。いつも維心が勝手に選んで勝手に作らせている着物の中から選んで着ているので、これが最高級かどうかなど維月にはわからなかったが、侍女達が、これはとても良いものですので、と言ってこれを着せてくれたことは確かだった。
領黄は尚も維月を値踏みするように見ている。
「今日から私がお前の主だ。せいぜい客に酌をして、相手をして気に入られてくれ。もしも従わなかったら、全員が罰を受ける。ここは連帯責任だから、それを念頭に置いておけ。」
そしてくるりと踵を返すと、そこを出て行った。
ホッとため息をついた時、後ろから、聞きなれた声がした。
「お母様!」
維月は振り返った。
「まあ瑤姫!よかった、無事だったのね!何もされていない?」
瑤姫は頷いた。
「私は未だ何も。酌すらさせられておりませぬ。ですが、今夜はわかりませぬ…何やら、あの男は客と申す神から、金塊や宝玉を受け取っておりました。我らこちらの部屋の者を連れて参るには、あれがたくさん要るのだそうです。ですので、昨夜は大丈夫でございましたが、今夜はたくさん持って参る者もおるかも知れませぬ。」
維月は頷いた。そして瑤姫を抱きしめた。
「ああ、本当によく無事であったこと。心配したわ。蒼など、眠りもせずにあなたを思っていてよ、瑤姫。私はあなた達を助けに来たの。維心様と十六夜が助けてくれるから、それまでおとなしくしているのよ。」
瑤姫は頷いて笑った。
「はい、お母様。」と手を取って他の女の所へ連れて行った。
「鈴華殿、私の母、維月でございまする。我らを助けに参ったのです。」
鈴華は目に見えて頬が赤く染まった。
「まあ…では、王の元へ戻れるのですか。」
瑤姫は微笑んだ。
「はい。母は龍の王の妃。お兄様がすぐに助けてくれまするゆえ、しばしの辛抱でございまするよ。」
鈴華は頷いた。
「はい。がんばりまする。」
そこに、何やら人の女がわらわらと入って来た。瑤姫が振り返って言った。
「…時刻ですわ。」
維月も振り返った。
「さ、あんたはここへ。特に念入りにするように言われてるんだ。」
維月が瑤姫を振り返ると、瑤姫は頷いた。
「髪結いですの。変わった、人の世の形に結われるんですわ。」
維心も十六夜もまだ動く様子もないので、維月は仕方なく鏡の前に座った。そして、髪が結われていくのを見て、愕然とした。この形は…。
そして、領黄に対する怒りが湧いて来た。
維心と十六夜は、一足先に、広間の方へ連れて来られていた。広間には畳が敷き詰められており、その端の雛壇に、十六夜と維心を含めた女達は座らされた。維心は回りを見た。
「維月が、まだだ。」
十六夜は苦笑して維心を見た。
「お前、ほんと維月ばっかりだな。あんまり傍を離さないと、飽きられるぞ…たまには離れないと。」
維心はちらりと十六夜を見た。
「…我らは、そんなに簡単なものではない。維月は我に飽きたりはせぬわ。」
フンと横を向く維心に、十六夜はため息をついた。
「ここに通ってる神が勢揃いするまでは、我慢するんだぞ。途中で暴れっちまったら、それまでだからな。」
維心は自信が無さそうに頷いた。
「わかっておる。」
「それから、名を訪ねられたら、お前は有だと言え。オレは涼だと言うから。」
十六夜の言葉に、維心は再び頷いた。
「本人たちが聞いたら怒りそうだがな。」
十六夜がそれに返そうとした時、領黄が何やら高い声で早口に話しながら、誰かと歩いて部屋へ入って来るのが目に留まった。二人は途端に黙った。
維心は、その面々全てに見覚えがあった。こやつらが、こんなものを利用している神だというのか。主らの為に、死を選んだ女も居るというに。思わず知らず、維心はその一団を睨み付けていた。
「…では、もうひとかた後から来られると言うことですな?」
信黎が頷いた。
「そうだ。昨夜は大変気に入ったらしく、今夜もぜひにと申しておったのだが、あいにく政務が長引いておるのだと。まあ、半時ほどで来るであろうて。」
領黄は機嫌良さげに頷いた。
「では、迎えを出しておきます。ささ、こちらへ。」
勝手知ったる様子で、一同は設えられた席へと歩いて行く。維心達の前を通る時、信黎はふと足を止めた。
「ほほう、軍神までおるではないか。これは珍しいの。」
領黄が微笑んだ。
「いろいろな女を取り揃えておかなければ、本当のお気に入りは見つからぬと思いまして。」
信黎は笑った。
「確かにの。だが」と後ろに浮かべて持っている大きな巾着のような袋を振り返った。「今日はそんな安い女を買うつもりはない。」
領黄はその袋の大きさに目を見張った。よく見ると、他の神達も一様にそんな袋を持って来ていた。今日は収入が多いかもしれない。広孝が喜ぶだろう。領黄は微笑んだ。
「ささ、とにかくお席へ。では、高貴な女達をこちらへ連れて参りましょう。」
四人の神がそこへ腰かけたのを見ると、領黄は急いで奥の襖から出て行った。
「…今日はお前の望み通り金が大量に手に入るぞ。」と広孝に言い、皆を見た。「なんと、やはり気品は美しさに磨きをかけるものだな。早く座敷へ!」
維月は瑤姫や他の神女達を庇うように後ろへ立たせ、先に歩いた。襖が開かれる。維月は座敷へ足を踏み入れた。
「維月だ」
十六夜が小声で言った。維心もわかっていたが、その姿に見とれて声が出せずにいた。なんと美しいのだろう。十六夜は維心を突いた。
「こら、お前はもう、なんだってそうなんだよ。どんな格好でも維月は維月だろうが。」
もちろん維心にも分かっていたが、普段があまりに飾り気がないので、つい目を奪われてしまうのだ。見たこともないような、髪の形に結われたところに、多くの簪が挿されてあり、着物の帯は大きく前で結ばれ、打掛だけは、維月に着せて来た同じそれであった。
「…島田に結われてやがる。あれは吉原の花魁と同じ格好だぞ、維心。見とれてる場合じゃねぇ。あいつは今正に売りに出されているんだよ。ちなみに瑤姫もな。」
維心は我に返ってほかの面々を見た。鵬泉の妃も居る。鵬泉も、ただ一人の妃だと言っていた。維心は必ず連れ帰ってやろうと心に決めていた。
そんな維心の思惑にも気付かず、信黎は先頭に立って、並んで座った維月達の所へ歩いて行く。まるで、何かの玩具でも選ぶ子供のような表情だ。
そして、真っ先に維月と瑤姫の前に立った。
「…本当はこちらをと思うておったが」と瑤姫から維月に視線を移し、「この女の持つこの「気」はどうだ。このように心を騒がす気は、ついぞ感じたことはないぞ。」
維月は信黎を睨み付けている。信黎はその顎に手を掛けた。
それを見た維心が、グッと拳を握るのを十六夜は感じた。十六夜は険しい目でそれを押さえて、首を振った。
「まだ一人来てねぇ。」
十六夜の囁きに、維心は歯ぎしりした。あんな奴に触れさせたくない。
すると、パンッと手を打つような音がした。維月が、その手を跳ね除けたのだ。
「無礼な。我は龍族の王、維心の妃ぞ。主などが軽々しく触れることなど許されるものではないわ。」
信黎が目を丸くして領黄を見た。領黄も驚いている。…だから、軍神がぴったり警護に付き、あのように最高級品に身を包んでいたのか。一方維心はハラハラしていた。そうだ、我の妃だ。だから触れるでない!
信黎が深刻な顔をして、言った。
「…主、ここの守りは万全であろうな。」
領黄は頷いた。
「もちろんでございます。今までも外から、何も気取られなかったではないですか。もし龍の王がご存知なら、今頃はもうここに来ておるはず。」
信黎は頷いた。確かにそうだ。あれが妃を取り返さずにおれるはずはない。そして、笑った。
「おお、龍族の王の寵妃か!おもしろい。確かに稀有な女だ。なかなか手に入るものでもないであろう。」と腕を掴んだ。「我はこれにするぞ。来い、酒を注げ!」
維月は腕を引っ張られて酒席へ連れて行かれた。
無理矢理隣りに座らせられ、維月は顔を背けて横を向く。信黎がこちらを向かせようとした時、領黄が言った。
「信黎様、お支払がまだでございます。」
信黎は、面倒そうに手を振った。持って来ていた巾着が開く。
「ほれ、ここから好きなだけ持って行け。」
大量の黄金を前に、領黄は膝間付いた。
「ありがとうございます。それでは、ごゆっくりどうぞ。部屋は、そちらの階段を上がった所でございます。」
信黎は徳利を持たせようと維月の手を強引に引いた。
「酒を注がぬか!主は我が買うたのだぞ。」
維月はふいと顔を背けた。
「我が王の他には酒は注ぎませぬ。」
信黎はふんと鼻を鳴らした。
「どうせ奴は助けに来れぬわ。それよりは主、ここで我を客にしておった方が良いぞ。我の他に買われでもすれば、そちらも相手しなければならぬ。どうせなら、一人の方が良いだろう。」
維月は軽蔑したように信黎を見た。
「…このような事を平気でするとは、なんとつまらない王であるのか。我は主など認めぬ。」
「なんだと?!」と信黎は立ち上がった。「来い!そのような口、叩けぬようにしてやるわ!」
信黎が維月の手を引っ張って、階段に向かおうとした時、女の姿の維心が立ち上がった。
「もう、我慢ならぬ!!」十六夜が止めようとするのを阻んで、維心が立ち上がった。「我が妃に触れるな!」
見る見る維心は男である本当の姿へと戻った。それと共に足の光りの輪は簡単に消滅し、信黎は大きな気で絡み取られて宙でもがいた。
辺りは、騒然となった。
十六夜は舌打ちして姿を元に戻し、女達を光の玉で保護した後、黄金を懐に詰め必死で走り出そうとした広孝と、呆然と立ち尽くしている領黄を、光の玉に込めて捕えた。維心は信黎だけでなく他の三人の王達も気で縛り付け、首を絞めた。三人が気を失うと、維月を片手にしっかりと抱き、信黎を見た。
「…我が妃と知っておって、主は何をしようとした、信黎。」
維心の目が青く光っている。心底怒っている時にしかこうはならない。回りの酒や杯、置いてある机などが、維心の大きな気に巻き上げられて宙に舞う。当然のこと、天井はもうなく、あの回りを取り巻いていた黄色く光る膜も消失していた。十六夜が光で保護していなければ、女であろうと男であろうと、皆吹き飛ばされているだろう。
信黎は、その怒りようを見て、目は恐れで灰色に濁っていた。維心はその目を見据えたまま、ゆっくりと力を込めて行った。
「すぐに楽になると思うな。じわじわ消してやるゆえ。おお、そうよ」とニヤッと笑った。「さあ、そこから出してやろうぞ。どこから出して欲しい…腕か!」
「ぎゃああああ!」
信黎の右腕が引き千切られて宙を飛び、畳の上へ落ちた。目の前で起こっている光景に、何人かの女が気を失ってそこへ倒れた。その女達が頭を打たないように気でクッションを作りながら、十六夜が叫んだ。手間ぁ掛かって仕方がねぇ!
「こら維心!落ち着け!殺すなら、一目のない所でいっぺんに殺せ!」
維心は聞いていないかのように、信黎を睨み付け続けた。
「これでは我の気はすまぬわ。だが、後はまたにしようぞ。」
とそのまま下へ何度も叩きつけ、意識を失わせた。そして、次に領黄を見た。
「…よくも我が妃我が妹を連れ去り、このような女を生きているとも思わぬ扱いをする場所を作りおったな。」と十六夜の光の玉に腕を突っ込むと、自分の気を当てた。「こっちは一瞬で殺してやろうぞ。」と広孝を見た。広孝は首が横に変な形に曲がったと思うと、そのままくずおれて動かなくなった。
維月は目を背けた。こうなった維心は、誰も止めることが出来ない。滅多に激昂することはないが、こうなると抑えがきかない。本当に言われていた通り、容赦なく皆殺しにする残虐な面も持っているのだ。
そして、次に領黄を見た。
「主は、こうは行かぬぞ。死んで逝った女の分も、苦しめば良いわ。」
領黄がいきなり倒れてのた打ち回りだした。維心はそれを涼しい顔で眺めている。そして気で髪を掴むと、そのまま下へ叩きつけだした。
それは何度も何度も叩きつけられて、領黄はふらふらになっていた。そして、ゆっくりと全身を圧迫して絞め殺される感覚が広がった。
領黄は、もう死ぬのだと暗くなる意識の底へと沈んで行った。