同じ
維心は居間で維月が煎れた茶を飲みながら、言った。
「それにしても…主が我の名を好んでいたとは知らなかった。」
維月はそれを聞いてきょとんとした顔をした。
「ああ、あの時話題に出て参りましたわね。」と合点がいった顔をして、言った。「そうですわ。名を好むから維心様が好ましいのか、維心様が好きだから名が好ましいのかわからないのですけど、維心様のお名は好きですわ。」
維心は嬉しそうに維月を抱き寄せた。
「我は主を好むから主の名が好ましいぞ。なので主もそうであったら良いのにと思う。」
維月は微笑んだ。こんなことが嬉しいなんて、維心様ってなんてかわいらしいのかしら…。
維月は維心の頬を両手で挟んだ。
「では、私もきっと維心様が好きだからお名も好きなのですわ。」
維心も微笑んで、口づけようとした時、窓の方から声が飛んで来た。
「おい、維心!」
維心と維月はびっくりして離れた。帰ったはずの十六夜が窓から入って来るところだった。
「ほんに主は」維心は邪魔をされて不機嫌に言った。「帰ったのではなかったのか。」
十六夜も不機嫌に言った。
「ふん、どうせまたベタベタしてたんだろうが。よく飽きねぇな。感心するぞ。」
「主に言われたくはないわ。」と維心は先を促した。「何か用か?」
十六夜は頷いた。
「お前、誕生日いつだ?」
維心は両眉を上げた。そんなことを聞かれると思っていなかったのだ。
「あー我は記録では長月の生まれよ。」と考えて言い直した。「9月と言うのか?」
維月は驚いて叫んだ。
「まあ!私も9月ですのよ!」
維心は維月を見た。
「おお、主もそうなのか?まあ神の世ではあまり誕生日など祝わぬのだがな。」
十六夜は唸るように言った。
「…何日だ?」
維心は眉を寄せた。
「日付が重要なのか?」
「人の世ではその日付に祝うんだよ。」と維心をじっと見た。「まさか、5日とか言わないだろうな。」
維月が目を丸くして十六夜を見て何か言おうとした時、維心が頷いた。
「なんだ、知っておるのではないか。今の世の暦に換算したら、その日付よの。9月5日。」
維月は驚いて口が開いたままになっていた。十六夜は余計に不機嫌に眉を寄せると、言った。
「蒼が月の宮で維月の誕生日を祝うとか言ってたから、今年は維心がこっちでやると言ってたと断ったぞ。お前、こっちで維月の誕生日祝ってやれ。じゃあな。」
十六夜はそのまま夜空へ飛び出した。維心は慌てて十六夜を追って窓辺に歩み寄った。
「十六夜?!なんの用だったんだ!」
「今言ったじゃねぇか」と十六夜は答えた。「とにかくこっちで誕生日を祝えってんだよ!」
維心は十六夜が何を不機嫌なのかわからなかった。十六夜が夜空に消えて行ってから、維月を振り返って問うた。
「なんだあれは。十六夜は何を不機嫌だったのだ。」
維月は苦笑して維心を見た。
「私と同じ誕生日でしたの…。」
今度は維心がびっくりする番だった。
「では、主と我は同じ日に生まれておるのか!」と考え込むように、「…知らなんだ。神の世では関係なかったのでな。なんと我と主は…」とふと顔を上げた。「おお維月!やはり運命よ!このような偶然はあろうか。主は我の為に生まれたのよ。」
維月は微笑んで頷いた。そういう風に感じられるから、十六夜は不機嫌だったんだけどな。
しかし維心はお構いなしに維月に寄って来て抱き寄せた。
「やはりな。主を待って、我は間違っていなかったのだ。1700年は長かったが…。」
維心が満足げなので、維月は何も言わずに抱きしめられていた。それにしても、十六夜が不機嫌なままでなければいいけど…。
維月はため息をついた。
誕生日の祝いは龍の宮で内々に催され、それは維心と維月両方の祝いとして告知された。
維心は同じ誕生日だったことにことのほか喜んでいて、本当は神の祝いはしないものなのに、内々とはいえ大きな祝いとして催され、近隣の神からも祝いの品が届くほどであった。
そのあと、紫月の婚約式がまた、内々に開かれた。領黄は元々仙人について仙術を習っていたこともあり、また元半神であった血もあって、仙人になりつつあったからだ。名は領嘉と改めた。それまでのことは全て流すためだ。
その名が炎嘉からとったことは、隠しようのない事実であった。
紫月はとても美しかった。維月に似た姿に、維心譲りの青い目は、皆の目を引いた。
婚約式には、領嘉の血族として炎嘉も出席していた。その目がずっと維月を追っていたのを、維心は知っていたが、後の宴席にも維月を出さず、維心は知らぬ存ぜぬを通した。
「炎嘉」維心は宴席で話し掛けた。「酒が進まぬの。主は無類の酒好きであろうが。」
炎嘉は、まだ酒が注がれたまま口を付けられていない杯を見て言った。
「…おお、そうであったな。」と、杯を空けた。「あまりに良い酒であるので、惜しんで飲んでおった。」
維心は手を振った。
「遠慮はいらぬ。いくらでもあるゆえ。」と、着飾った侍女達に合図した。立ち上がった侍女達は、炎嘉の回りに座り、酒ビンを差し出した。「さあ、飲むが良い。」
炎嘉は仕方なく杯を出した。まるで別人のようだ…と維心は思った。これでは今までの逆だ。
「我は明日も朝から仕事があるゆえ。」炎嘉は言った。「そんなに飲めぬのよ。」
こんな言い訳をするのは、いつも維心の方だった。なのに炎嘉は、女達のことも触れないように気を使っている様子だ。維心は元より女を寄せ付けないので、侍女達はわきまえて決して酌すらしには来ない。しかし炎嘉はいつも回りに女を侍らせ、また維心にもそれを強いたものだった。その面影が、欠片もなかった。
維心は自分の杯を干して立ち上がった。
「…少し話そうぞ、炎嘉。」
炎嘉は驚いたような顔をしたが、頷いて立ち上がった。そして、維心について庭へと出て行った。
揃って庭を歩きながら、維心は言った。
「こうして主とここを歩くのは何百年ぶりか。」
炎嘉は苦笑した。
「そうであるな。我はここへ来ても主と庭になど出ることはなかったゆえ。瑤姫殿が生まれた際に一度、共に出たかもしれぬ。それ以降は記憶にないの。」
「おおそうであった。」維心は笑った。「主が酔って、女を二人連れて庭へ出たゆえ、我が慌てて追いかけたのよ。あの折りであるな。懐かしいものよ。」
炎嘉も思い出しているようだ。その目が知らず月を見上げた。維心も同じように月を見上げた…十六夜の気配がある。月に戻っているのだ。もしかしたらこちらを見ているかもしれない…維心はそう思った。
「…炎嘉よ。主がそのように変わってしもうたのは、維月ゆえか。」
炎嘉はその話題が出るのを察していたようだ。さして驚くこともなく、頷いた。
「例え二度と話す事さえなかったとしても、我の妃は今生で維月一人だ。あの折り、そう決めた…今は蒼を早く育て、我は転生を待つのみだ。地の…碧黎の許しが出るのを、ただ待つつもりでおる。なので、他の女など鬱陶しい限りよ。主の気持ちが、今はわかるの。維月以外は、皆同じに見えるわ。」
維心はため息をついた。
「…我と同じであるな。なのでわかる。維月でさえなければ、いくらでも祝おうてやるに。まあ同じことを我も月に言われたことがあるので、強いることも出来ぬが…。」
炎嘉は維心を見た。
「主にどうのと言うことはない。気にせずともよいわ。だが、せいぜいしっかり守っておくのだな。神世はまだまだ略奪社会ぞ。我だって長引けば耐えきれずに維月を奪いに来るやもしれぬ。」と遠い目になった。「やはり維月は美しかった。紫月の式であるのに、維月ばかりに目が行ってしもうたほどよ。式の時に目が合おうて、その時維月は悲しげな目で我を見た…それが忘れられぬ。主から、気にせぬように言っておいてくれぬか。我は…主らの婚儀の際の写真を蒼に見せてもろうて、無理を言って一枚維月の写真をもろうたのよ。ゆえに、そう寂しくもない。心配せずとも良いとな。」
維心は複雑な気持ちだった。本当なら、維月の写真すら手元に置かせたくはないものを。だが、それで気持ちが抑えられておるのなら、良しとしなければならないのかもしれない。
「わかった。」維心は言った。「そう申しておこう。」
炎嘉は微笑んだ。
「感謝する。」と足を宴席とは別の方向へ向けた。「では我は、もう月の宮へ戻る。いい訳ではなく、本当に明日は仕事であるのよ。朝から演習の予定が入っておってな。我は軍の強化も携わっておるゆえ。」
維心は庭の北を指した。
「ここからあちらに向かって飛べば、月の宮であるぞ。出入り口まで行く必要はないわ。主ならここから飛んで行けば良い。」
炎嘉は笑った。
「おお、そうであるな。では、またな、維心。」
炎嘉はそこから飛び立って行った。
維月は月を見て、十六夜と話していた。
「…だから、私とても気持ちが重くなってしまって。愛してるのではないけれど…でも、私などで良いならなんて思ってしまうし。」
十六夜は呆れたように言った。
《お前、自分をなんだと思ってるんだよ。龍王の正妃だぞ?なりたくてもなれるもんじゃねぇ。》
維月は月を睨んだ。
「わかってるわよ。でも、どうして維心様が私なんかに執心なのか、いまいちわからない時もあるの…たまに人の頃の夢を見るんだけど、仕事に行かなきゃ!って目が覚めて、隣に維心様が寝ていたら、私、この神の妻だったって自分に驚いて。なんだか全てが夢で、本当は私って人のままなんじゃないかって…蒼達もまだ学校に行っていて、あの続きを生きているんじゃないかって思ってしまう時があるの。私、あくまで普通の人だったのよ。あなたと話せること以外はね。」
十六夜は考え込むように言った。
《お前の夢とかは知らねぇが、今は維心の正妃でオレの妻だ。まあややこしいけどよ。間違いなく時は経ってるよ。安心しな、オレから見ても、維心は思いつきでお前を傍に置いてるんじゃねぇ。お前が碧黎に送られた時のあいつをオレは知ってるが、何度も自分を刺し殺そうとして血まみれになってたぞ…しかも毎日な。だから自分を卑下するんじゃねぇ。あいつの為を思うんなら、炎嘉のことは忘れな。愛情がないなら尚更だ。》と十六夜は慌てた声を出した。《ああくそ!こんな時にこっちに向かって飛びやがって!》
維月は十六夜の気が乱れたのを感じて、夜空を見回した。人影が一つ、北に向かって飛んでいる。こんな時間にこの上を飛べるなんて、維心様の許しが無ければ絶対に無理だ。気を読んで、それが炎嘉だとわかった維月は、居間へ入ろうとして慌てて着物の裾を踏んづけた。
《何やってんだ維月!どんくさいにもほどがあるぞ!》
十六夜の声が苛立たしげに飛んで来る。わかってるけど、私は着物にどうしても慣れないのよ!しかも裾が長いんだもの、これ!
維月がつまづいて膝を付いていると、炎嘉の気は驚いたように跳ね上がった。そして、時をおかずに声がした。
「維月か…?」
維月は観念して炎嘉を見上げた。相手は離れた芝生の上に降り立ち、言った。
「…そうか、ここは維心の居間の横か。」と炎嘉は言った。「しかし、なぜにそのような格好でそこにおる。」
維月は膝間付いたままだった。慌てて立ち上がった。
「ちょっと…つまずいてしまって。」
炎嘉は苦笑した。
「慌てたのであろう?心配せずとも、我は主を今さらったりせぬ。月も見ておるしの。」
確かに十六夜から尋常ではない量の気が感じられる。警戒しているのは確かだ。
「炎嘉様…」
維月は掛ける言葉が見つからず、そのまま黙った。炎嘉はこちらへ歩み寄った。
「維月…そのように我を気遣わずとも良い。我はこれでもなんとかやっておる。蒼を育てて地の許しを得て、転生に向かうまでがんばるつもりでおるゆえ。」と維月の頬に触れた。「だが今生での妃は主だけよ。そう決めた。二度とあんな夜はないかもしれないが、それでも良いのだ。」
維月はその言葉に心を締め付けられる思いだった。私の身が一つなのが恨めしい。
「申し訳ございませぬ。こんなことなら、あんなことしなければよかったのですわ。」
炎嘉は首を振った。
「我の心持ちは安定しておるぞ。あの夜があったゆえよ。そのように思うでない。」と維月に口付けた。「…このようなこと、叶わぬと思うておったのに。我は主が愛おしくてならぬ。」
《それ以上触るんじゃねぇ。》十六夜の声が言った。《維心が気取ってこっちへ飛んで来るぞ。》
炎嘉は頷いた。
「ではな、維月。」炎嘉は飛び上がった。「わずかでも、会えて嬉しかったぞ。」
維月は飛び去る炎嘉を見上げた。炎嘉もこちらを見ながら、名残惜しそうに夜空へ消えて行った。
維心が、芝生に降り立った気配がした。振り返ると、維月に言った。
「主、庭へ出ておったのか。もしかしてと思うたが…」
維月は頷いた。
「十六夜と話しておりました。申し訳ありませぬ。」
十六夜が憮然とした声で言った。
《遅せえぞ、維心。こいつは着物の裾踏んで転ぶしよ、あれじゃ防ぎようがねぇ。》
維月はばつが悪そうに維心を見上げた。維心はため息をついた。
「主はいつまで経っても着物に慣れぬの。とにかく、中へ。」と維月を伴って出入り口へ歩いた。「よもや触れられてはおらぬだろうな?」
維月はどうせわかることだから言わなければと思いつつも言いよどんでいると、十六夜があっさり言った。
《ああ、あんな短時間じゃコトに及ぶ訳ねぇじゃねぇか。オレも見てるしよ。一回口づけて帰ってったよ。》
維心が眉を寄せて十六夜を見上げた。
「…それも合わせて触れると言うのよ。主はそれを見ておったのか。降りて来て阻めばいいだろうが!」
十六夜は不機嫌に言った。
《自分はこっちへ来るのを許しといてよく言うよ。別に唇くっつけただけなんだからいいじゃねぇか。》
維心は声を張り上げた。
「うるさい!主と我では基準が違うのだ!」と維月を急かした。「さあ、早く中へ!」
維月は急いで中へ戻った。
維心は不機嫌に居間のカーテンを閉めた。




