時間
領黄は、炎嘉の対を訪ねた。
自分から炎嘉の所へ行くのはこれが初めてであったが、炎嘉は驚きながらも歓迎してくれた。
「領黄。なんと珍しいの。主が我の所へ来るとは。」
領黄は頭を下げた。
「炎嘉様…お話があって参りました。」
炎嘉は頷いて、側の椅子を示した。
「座るがよい。」
領黄は炎嘉をまじまじと見つめた。さすがに龍王と張り合った王であっただけあって、今もその貫禄や威厳は失われていない。こんな神が、自分の祖父であるとは。領黄は誇らしかった。
領黄は示された椅子に座り、口を開いた。
「お話とは、もうお聞き及びになっておるでしょうが、我の…愛する女性のことでございまする。」
炎嘉は知っている、という風にゆっくりと頷いた。
「聞いておるぞ。維心よりな。あれの娘と我の孫であるからな。話さずにおけなかったのだろう。」
領黄はやはりな、と思った。
「紫月殿より、龍王のお気持ちをお聞きしました。我に許してくださると…紫月殿を。」
「そうだな。」と炎嘉は頷いた。「表だって良いとは言えぬがな。立場があるゆえ。あれはただの王ではない。全ての神の王であるのよ。」
領黄は、険しい顔をした。
「私は…お断りしようと思っておりまする。」
炎嘉は片眉を上げた。
「ほう?主にとって、それほど良い縁ではなかったのか。」
領黄はキッと顔を上げた。
「そうではありませぬ。私では、紫月殿に釣り合いませぬ…罪を背負っておる上、神ですらないのに、龍王の娘をなどと…いくら龍王が許しても、承知出来ることではありませんでしょう。炎嘉様になら、お分かりになるはず。」
炎嘉は眉を寄せて椅子の背にもたれ掛かった。
「確かに主には罪があるが、それは償ったものよの。身分は我の孫。決して低くはない。人であるのは…紫月が良いと申すなら、別段考えずとも良いではないか。」
領黄はうつむいた。
「私は、ここで死ぬのを待って生きておりました。罪を償うために生き残ったのだと思ったからです。それが…ある日、女神が二人、私の家に降り立ち、毎日は一変しました。この二年、とても楽しかった。私は自分の立場というものを、忘れておったのです。人を愛する資格も、幸福になる資格も私にはありません。」
炎嘉は、とても自分の孫とは思えないほど暗く、沈んでしまっている領黄を見た。あのまま人の世で何も知らず知らずに暮らしていたら、こんな思いはしなくて済んだであろうに。
炎嘉は領黄が不憫でならなかった。
「領黄よ、主は考え過ぎであるのよ。心に素直になればよい。主は紫月を想ってるのであろう?であるなら、共に居ても良いのではないか。愛することの出来る者になどな、簡単には出逢わぬものであるのよ。我が前世1700年生きて、そう思うのだから間違いない。今生では、必ず見つけるつもりでおるがな…主が羨ましい限りよ。」
領黄にも、それはわかっていた。これほどに慕わしい者になど、人の世に居た頃であっても出逢うことはなかった。しかし、愛すれば愛するほど、自分では紫月に相応しくないと思ってしまう…もっと良い相手が居るはずなのにと。きっと、一時の気の迷いであるのだと…。
「私には、自分が紫月殿に相応しいとは思えませぬ。私は…その辺の神にも及ばない者であるのに。望めばどこかの王とでも縁組出来る血筋であられるのです。」とため息を付いた。「あまりにも不釣合い過ぎます。」
戸口で気配がした。ハッとして領黄は振り返る。
そこには、維月が立っていた。
「…炎嘉様。お話に参りましたの…でも、出直して参りまする。」
維月が罰が悪そうに戻ろうとすると、領黄が立ち上がって振り返った。
「維月様、ちょど話が終わったところでございましたので。」と炎嘉を見た。「では、炎嘉様。また参ります。」
領黄は出て行った。維月は横へ除けて道を空けながら、その背中を見送った。
炎嘉が声を掛ける。
「今日は珍しい客が多い。維月、こちらへ。」
維月は頷いて、部屋へ入って来た。
「お邪魔をしてしまいました。紫月のことで、お話ししたいと思って…。」
炎嘉は頷いて、立ち上がり、手を差し出した。維月はびっくりしたようだが、王はそうするのだったかしらと近づいてその手を取った。炎嘉は微笑した。
「…維月、手を出されたからと、その手を取ることはないのだぞ。主はよくわかっておらぬようだったので、試しに出してみたら、吸い寄せられるように寄って来たの。これでは維心も心配であろうて。」
維月は赤くなった。神の世界のことって良くわからないのだもの。慌てて手をひっこめようとすると、炎嘉はその手を握った。
「良い。このままでおろうぞ。それで、話とはなんであるのか?」
維月は落ち着かないながらも、頷いた。
「先程の…領黄のことでございまする。」
炎嘉はため息をついた。
「さもあろうな。あやつも紫月のことを我に話しに来ておったのよ。」
維月は驚いたように目を見開いた。
「まあ。それで、なんと申しておりましたか?」
炎嘉は苦笑した。
「先に主の話を聞こうぞ。紫月はなんと申しておるのだ。」
維月は下を向いた。
「領黄が、自分はとても王女を娶ることは出来ない、私の事は忘れて、良いかたを見つけてくださいと申したと…」と維月はため息を付いた。「紫月はもう、気の補充もうまく出来ないのですわ。それで、私が様子を見に参ったのです。こればかりは、維心様では無理でございますので…。それで、領黄の気持ちだけでも知ることが出来ればと思って、こちらへ参りましたの。紫月は、領黄に嫌われてしまったとそれは打ちひしがれておりますの。本当なら見守るだけにするつもりでありましたが、領黄がもし、自分の心ではなく、回りの状況などで紫月から離れようとしておるのなら、それは私たちのせいでもありますので…。」
炎嘉は維月の目を見つめた。
「…主の危惧した通りであるな。」
維月はその目を見返した。
「やはり、身分がどうのという理由でございましたか?」
炎嘉は頷いた。
「あやつも紫月を想うておる。それゆえに、自分などは相応しくないと判断しよったのよ。今、どれほどにつらいであろうな。我には想像もつかぬ…。」
維月は黙った。本当に…どうしたらいいのかしら…。
炎嘉は、維月をじっと見た。確かに維心ゆえに維月を求めたのは確かだが、やはりこの女は抑え切れないほど慕わしい気と性質を持っている。維心と月にあれほどに愛されるのは、この気質ゆえか。本人はどうにもわかっておらぬようだが。
維月はその視線に気付いて、目を上げた。炎嘉は思わず取っている手を引いて抱き寄せた。維月は驚いて、腕の中で炎嘉を見上げた。
「…炎嘉様?」
炎嘉は微笑んで維月に唇を寄せた。維月は、ああまた!と思って慌てて顔を逸らそうとすると、炎嘉はフッと笑って顎を持ち上げ、口付けた。維月は困った。確かに維心は月の宮へ付いて来なかったが、こんなに時々こういう状況になるのは、癖になってしまって良くないと思う。それに、ここは炎嘉の部屋だ。もう、こんなことはないと思っていたのに…維月は長く口づけられながら、そう思っていた。
やっと唇が離れて、維月は言った。
「炎嘉様…いけませんわ。もうこのようなことはしないとおっしゃったのではありませんか?」
炎嘉は答えた。
「維心に知れるようなことはしない。やつが不快に思うのは、我としても本意ではないゆえの。だが…我に違う女が見つかるまで、やはり主が一番に慕わしいのには変わりない。なので隙があれば、このようにしたいと思うのは仕方がないであろう。」
維月は身を退こうとした。いつまでも抱きしめられているのはいけない。それをギュッと力を入れて止められて、維月は身の危険を感じたーこの気は、維心様が私を奥の間へ連れ込む時に出ているのと同じような、覚えのある気。さすがにそれは絶対に駄目だ。維月は炎嘉の胸を押した。
「おやめください!維心様に顔向け出来なくなりまする。」
炎嘉は微笑した。
「…それならそれでも仕方があるまい。」
炎嘉は側の長椅子に維月を押し倒した。維月は首を振った。
「いけませぬ!私は…」
炎嘉は維月の首筋から胸元に掛けて顔をうずめた。着物の裾から手が入って来た時、維月は必死で念を飛ばした。
《十六夜!助けて!》
炎嘉がハッとしたように顔を上げた。
「…忘れておったわ。」
一瞬のうちに目の前に十六夜の姿が現れたかと思うと、炎嘉は後ろへ弾き飛ばされた。
「お前、何をしやがる!」
維月を抱きしめている。炎嘉は弾き飛ばされて倒された身を起こした。
「ここには主が居ったの。どうにも維月は我のものにはならぬな。」
十六夜は歯軋りした。
「お前は維心の友人だろうが!あいつがこんなことを許すとは思えねぇ。」
炎嘉は立ち上がった。
「主と維心も友人であろうが。我は他の女を見つける約束はした。だが、維月を前にすると我を忘れてしまうのよ。」と背中を向けた。「それほどに大事なら、鍵でも掛けて閉じ込めておけ。我だって男であるのだ。そうそう我慢も出来ぬわ。」
十六夜はまだ言いたい事があったが、これ以上維月をここに置く気にはなれず、維月を抱き上げると、部屋から出て行った。
十六夜は維月に言った。
「…お前、無防備過ぎるぞ。あいつがお前を少なからず想ってるのは知ってたんだろうが。オレはどこに居たってお前を助けに来れるが、お前自身も自分を守ろうとしなきゃならねぇぞ。維心の心臓がもたねぇからな。」
維月は下を向いたまま答えた。
「…ごめんなさい。もう大丈夫だと思ったの。あれから二年も経ってるし、もう何も言わなくなっていたから…てっきりもう、何も思ってないと思ってて。」
十六夜はため息をついて自分達の部屋へ入った。
「神の二年なんて短けぇものだぞ。しっかりしな、維月。お前は月なんだから。だが、よくオレだけを呼んだな。維心じゃなく。」
維月は真剣に頷いた。
「ここには維心様は瞬時に来れないし間に合わないわ。それなのに念を送ったりしたら、どれほど心配するか。必死で十六夜だけにしぼって念を飛ばしたの。」
維月は十六夜の腕から降りて、椅子に腰掛けた。十六夜は苦笑した。
「だが、あいつの事だからお前の気を探ってるぞ。離れてる時は龍の宮の中でも気を探ってるんだろう?賭けてもいい。やつはここに来るぞ。」
その舌の根も乾かない間に、二人の部屋の戸が何の前触れもなく突然、勢いよく開いた。振り返った十六夜はやっぱり、という顔をした。
「やっぱり、ストーカーじゃねぇか。」
維心はそれに構わず、息を切らせたまま維月を見て歩み寄り、体を見た。
「維月、大事ないか?!何もなかったか?十六夜は間に合ったのか?!」
矢継ぎ早にそう訊かれて、維月は頷いた。
「大丈夫ですわ。十六夜は近くても遠くても、すぐに来てくれますから。ご安心なさって。」
維心はほっとしたように維月を抱き寄せた。
「今度ばかりはダメかと思うた。よく十六夜が行ってくれたものよ。」
十六夜はため息をついた。
「オレが間に合わねぇなんてねぇよ。ましてここで維月に何か出来るはずはねぇ。安心しな。」
よく見ると、維心は部屋着のままだ。維月の気の乱れを感じ取って、すぐに飛んで来たらしい。維月は維心の手を握った。
「維心様…ご心配をお掛けして申し訳ありません。」
維心は険しく眉を寄せ、頷いた。
「…炎嘉め。ああは言ったが、主を見るたび気が跳ね上がっておったのでな…気にしてはおったのだが、おとなしくしていたので、油断したわ。まさかああも突然に奪いに掛かるとは…。」
維心は話していて、思い出したようで目が青く光り、闘気がゆらっと立ち上がった。
「お前、見てたのか?」
十六夜が驚いたように維心に訊く。維心は十六夜を見て、しまったというように頷いた。
「見ようと思うたら、維月の見ているものは見える。かなり集中せねばならぬが。主にも見えるのであろうが。ゆえに、我も修練してみたら、出来るようになった。」
十六夜は呆れた風に開いた口が塞がらず、維月はびっくりして立ち上がった。
「ええ!?維心様、そのようなことがお出来になれるなんて、知りませんでした。いったい、いつからですの?!」
維心はばつが悪そうに維月を見た。
「…妃に迎えて数年の頃であるな。まだ子らの小さな頃よ。」
「…その執念は褒めてやるぞ、維心。だがな、オレは月から降りられなかった頃に、家の中が見えなかったから維月や蒼の目を通して見てただけで、今は使ってねぇぞ。そりゃ、必要に迫られたら見ることもあるが、常には使わねぇ。」
十六夜が咎めるように言った。維心は言い訳がましく言った。
「…わかっておる。我も今日のように緊急でなければ見ることはない。それに、今日は炎嘉の目から見ていた…だから、慌てたのだ。」
十六夜は感心した。
「お前、維月の目から見るのが高じて他のヤツの目からも見れるようになったのか。オレも出来るかもしれないな。今度やってみよう。」
維月は眉を寄せた。
「ちょっと十六夜、そうじゃないでしょ。」と維心を見た。「ご心配いただくのは嬉しいのですが、そんなに見ておられると思うと私も落ち着かないですわ、維心様。維心様も気が気でないのではありませんか?」
維心の闘気はしぼんだ。
「…主が気を悪くしたのなら謝る。だが、主の気が炎嘉のそば近くにあって、主の気があのように乱れると、心配で…慌ててこちらに向かって来る間にも、炎嘉の目から主の肌が見えるし、着物の裾に手を差し込むのも見えて…。」
維月はため息をついた。
「さようでございますわね。本日は本当に緊急でございました。私もこれからはご心配をお掛けしないように致しますので、私の目から何かご覧になる時は、おっしゃってくださいませ。でなければ落ち着きませぬので。」
維心は渋々頷いた。十六夜が黙って宙を見ていたが、急に言った。
「…おい、ケンカしてる場合じゃねぇぞ。領黄の目が…この先の崖下を見てるぞ。」
維心と維月は同時に振り返った。十六夜はまだ宙を見ている。
「…やべぇ!」十六夜は窓を慌てて開けた。「あいつは死ぬ気だぞ!」
十六夜は消えた。維心が維月を小脇に抱え、領黄の気を探ってそちらに向かって飛んだ。
飛んでいると、十六夜が領黄を抱えて崖下から飛んで来た。領黄は気を失っている。維月はそれを見て両手で口を覆った。
「十六夜!間に合った?!」
十六夜は頷いた。
「間に合った。ぎりぎりだったがな。維心が言ってた人の目から見るのを試してたら、これが見えたんだ。今度ばかりはお前の手柄だな、維心。こいつを死なせてるところだ。紫月がどうなってたか…。」
維心は領黄を見た。青白い顔をして、心なしかやつれたようだ。維月が慌てて言った。
「とにかく、宮の領黄の部屋へ!」
十六夜は頷いてそのまま宮へ飛んだ。維月も維心も十六夜に付いて宮へ急いだ。




