吉原にて
瑤姫は、捕えたあの男が言う楼という所で、窓を見上げていた。
ここの窓は、上の方に横長にあって、空しか見えない。しかも、その空も、薄く黄色く光る膜に覆われた向こうに見えるだけだ。一体、あれからどれぐらい経ったのだろう。気を失って目が覚めると、ここの部屋で寝かされていた。
次女も居らず、自分の事は全て自分でしなければならなかったが、人の生活も練習していた瑤姫にとって、それは簡単なことであった。自分で着物を着替えることが出来なかった昔では、おそらくこうは行かなかったであろう。瑤姫は周りを見た。
そこには、あと3つの寝台があった。皆、瑤姫の知っている神の王族で、一度は何かの行事で顔を合わせていた。
皆、もちろんのこと自分のことは自分でしたことがないので、瑤姫がもっぱら世話をしていた。いくらなんでも龍族の王の妹、月の宮の王妃にそんなことはさせられないので、皆頑張って自分で着物を着たり、化粧をしたりできるようになった。一人は心労で臥せってしまっていた。
西の小さな宮の王妃、鈴華であった。瑤姫は傍へ寄った。
「鈴華殿?お加減はいかがでございまするか。」
相手は弱々しく目を開いた。
「瑤姫殿…少しは良いようでございまする。」
と身を起こした。だが、見るからに具合が悪そうだ。
「私から、今日は酒宴に出れぬと申し上げましょうか?」
相手はかぶりを振った。
「いえ。それでは皆が何をされるか。我は大丈夫、座っておれば良いのですから。」
瑤姫は昨夜のことを思い出した。
見たこともないような、おそらくとても小さな宮の王達なのだろう。その王達が、まるで値踏みでもするかのような目で自分達を見ていた。しかし、結局は違う席に座らされている多数の女達のほうから数人選び、酌をさせた後、何人かはいつの間にかその部屋から消えていた。何が起こっているのか、その時の瑤姫にはわからなかったが、次の日、その多数の女のうち数人が自ら命を絶ったと聞き、ぞっとした。きっと、向こうへ連れて行かれたら、もう二度と蒼様に顔向け出来ないことになってしまう。
きっと鈴華もそれを察したのだろう、その知らせを聞いた直後から体調を崩し、臥せっていたのだ。
しかし、自分が臥せっていても見舞いに来るようなものはここには居ない。瑤姫も同じ運命を背負っているのだ。それを察した鈴華は、1人で立ち向かうしかないと、身を起こしたのだった。
ここには、命の気は少ないが、取れないことはなかった。しかし、この楼の外からは、どうやら気を取ることが出来ないようだった。もしかして、ここを包んでいるあの膜が自分たちの気も外へ出さぬなら、蒼様にもお兄様にも、見つけられようはずはない…。
瑤姫は、皆に聞こえぬよう、ひっそりとため息をついた。
「では、参りましょう。」
維月は言った。普段の化粧っ気のない姿とは打って変わり、今日は長くした髪を高く結いあげ、簪を無数に挿し、化粧をし、高級な織物で縫われた着物をまとい、母を見慣れた蒼であっても一瞬わからないほど、王妃らしくなっていた。維心も十六夜も同様に着物を着て、頷く。どうしてもついて行くと聞かないので、では、女の格好をするようにと維月に言い渡されたのだ。
確かによく似合っていたが、本当に女ではないからか、どこか仕草が男のようだった。十六夜が言った。
「こんな着物着て歩くなんて信じられねぇ。これではダメじゃねぇか。女に見えねぇもんな。」
維心が頷いた。
「女の型を取ったところで所詮は男、すぐに化けの皮がはがれてしまうわ。」と十六夜に耳を寄せた。「良いか。もしもどちらかでも共に侵入する事が出来たら、すぐに女を保護して宮を破壊するのだぞ。」
十六夜はうっとうしそうに言った。
「わかってらぁ。何度も同じこと言うなよな。でないと、女のフリなんてそうそう長い時間できねぇからよ。」
その格好で、輿に乗り込むのも大変だった。維月はスッと乗って行ったが、維心と十六夜はもたついた。十六夜は叫んだ。
「くそう、本当に今度だけでたくさんだ、こんな格好!」
しかし、維心は隣の維月に見とれている。
「なんと美しい事よ、維月。これからもたびたび、そのようにいたせ。」
維月は美しい女の姿に化粧をした維心を見て苦笑した。
「こんな美人の維心様に言われても複雑なのですけど。」
そして輿は、見た目には女三人を乗せて、龍の宮を出発した。維心も十六夜も、女の姿で維月の手を両方から握っている。なぜか一見微笑ましい光景に見えるが、本当は男であると思うとまた複雑な蒼であった。その蒼も、軍神の格好をして、ついて行った。
あの、忌まわしい花畑が見えて来る。
輿の三人はにわかに緊張する。十六夜は言った。
「維月、さっき呑み込んだ玉は、オレの力の一部だ。それがあれば、オレは力を辿ってお前の場所がわかる。だが、多分、そんなものが無くても、同じ月なんだから、分かると信じているがな。安心しろ。」
維月は頷いた。
「心配なんてしてないわ。でも、ほんと十六夜も美人よね。その声がなければ、きっと男性にもてるわよ。」
十六夜は複雑な顔をした。
「…それに、なんのメリットがあるんでぇ?ま、声だって変えようと思えば変えられるけどよ。」
輿が地面に付けられる。蒼が言った。
「ほら、母さんはともかく、もう黙って、十六夜。」
十六夜はぐっと黙った。そして、着物の裾に引っかからないよう、ゆっくりと輿から降りた。蒼が義心のように片膝をついて頭を下げた。
「では、こちらに天幕など設えましょう。」
維月は優雅に頷いた。
「頼みまする。我は、あちらを散策して参るゆえ。」
頭を下げたまま、蒼は思った。なんだよ母さん、やれば出来るんじゃないか。ふと見ると、維心がその維月に見とれている。しかし女の姿なので、別段おかしくもなかったので、蒼は何も言わなかった。
そして、本当に他の軍神達に命じて、天幕を張り始めた。
ふと見ると、向こうの方で維月が優雅に歩いているのが目に留まった。十六夜も転ばないようにゆっくりと後をついて行く。維心は早くも慣れて来たようで、きびきびと着物の裾をさばいて歩いていた。二人とも自分の気を封じ、誰かにその大きな気を悟られないようにしているのがわかった。
維月は、早々とその花を見つけた。そして、何気ないふりをして、その花に近寄った。
近くで見ると、本当に魅力的な花だった。薄青い花びらはとても薄く、透き通っているようで、いつまでも見ていたい気持ちになった。そしてそっと手を差し伸べると、何かがグイと引っ張るような気がした。維月はふらついた。
ー体ごと引っ張られる!
そう思った時には、目の前が真っ暗だった。
蒼は、その瞬間を見た。
確かに維月が花に手を触れた瞬間、維心と十六夜も維月の手を握り、そのあと維月がふら付くのを見たと思ったら、三人とも消えた。
「ーかかったな。あの二人も連れて行くとは、ご丁寧なことよ。」
蒼は一人ほくそ笑んで、形だけ探すふりをし、後は三人の連絡を待つことにした。
「なんだ」と男の声が言った。「この女を狙ったのに、他の二人も共に連れて来てしまったか。まあいい。花から見ていたよりも上玉のようだ。欠けた二人の代わりが出来てよかった。」
維心も十六夜も気を失ってはいなかったが、維月が気を失っているので、目を説閉じていた。まずは、女達を救出しなければならぬ。
男は、三人の左足首に何か光の輪を着けると、気で持ち上げて三人を運んだ。維月はまだ気を失ったままだ。維心は気遣わしくそちらの気を窺っていた。
すぐに、目の前に岩の割れ目が目に入った。細い通路で、男も大義そうに三人をうまく一列に並べて浮かべたまま、そこを通って行った。
その突き当りに、光る膜があった。十六夜には、その膜に覚えがあった。将維が彎に閉じ込められた時に自分が穴を開けた、あの膜だ。しかし、出入りの時に気が外へ漏れるのでは…。
そう思っている十六夜をしり目に、男はその膜を入った。そして、そのあと、再び目の前に膜が現れて十六夜は合点した。そうか、二重にすることで、気の流出を防いでいたのか…。
その膜も入ると、そこは、広い宮だった。出て来た使用人らしき人に、男は言った。
「広孝、お前の望み通り、新たな女だ。」と振り返ると、維心と十六夜を床に下した。「こいつらは、あの欠けた女の補充だ。こっちは、向こうの貴人部屋へ連れて行っておく。」
維月が唸った。男はふふんと笑った。
「なんと、もう目が覚めたのか。なんと気の強い女よ。」
維月は目の前の光景を見て、察した。床に女の姿の維心と十六夜が見える。一緒に来られたのね!
それで、維月はわざと怯えたふりをした。
「…こちらはどこですか。主は何者か。我をこのように扱こうて、良いと思うておるのか。」
「私は領黄、今日からあなたの主であります。とにかくお仲間の所へお送りしよう。直にお立場がわかられるであろうて。」
領黄はわざと丁寧に言うと、維月を気で運んで行った…それを薄目を開けて見ていた維心が動こうとしたが、思い留まった。今はまだ、時ではない。
そんな二人の耳に、耳障りな声が聞こえた。
「さて、お前らはこっちだ。」
二人は、維月とは別の部屋へ連れて行かれた。
広孝は二人を横の戸を開けた部屋へ放り込み、中に居る十数人の女達に言った。
「新入りだ。ここでの過ごし方を教えてやれ。それから、もう席へ出る準備を始めろ。」
そして、またずかずかと出て行った。戸が閉まったのを確認した維心と十六夜は、急いで立ち上がり、戸の外を伺った。
「…維月は、突き当りの部屋へ連れて行かれたな。」
十六夜が言った。維心は頷いて十六夜を見た。
「主、どうだ?その足輪は影響あるか?」
十六夜は自分の足を見た。
「いいや。これはなんかのまじないか?」
維心は頷いた。
「まじないなどと簡単なものではないな。普通の神の力を封じるなら、多分これで充分なのだろう。我にもこんなもの、全く影響はないわ。」
ふと視線を感じて振り返ると、十数人の女達がこちらを見ている。維心の様子に、十六夜も振り返った。
「ああ、忘れていた。」と声を女に変えた。「お前たちも助けてやるからな。もうしばらく待て。ここに通ってる神も捉えなきゃならねぇから。」
女の一人が、恐る恐る言った。
「…では、あなた方は軍神なのですか?」
維心が頷いた。維心も声を女に変えた。
「我らは、主らを助けてここをつぶす為に参った。」
女は、二人の足を見た。そして、自分の足の輪も見た。
「ですが…。」
十六夜は笑った。そして自分の笑い声が女の鈴を転がすような声であったのに驚いた。
「こんなもの、オレ達には通用しねぇよ。今は油断させるためにこのままで居るが、後でお前たちのも外してやるから、安心しな。」
相手はホッとしたような顔をした。そして、暗い顔になった。
「本当に…助けが昨日であれば…。」
女は、他の女達を振り返った。女達は一様に暗い顔をした。維心が気になって聞いた。
「…誰かいやな目にあったと申すか?」
女は首を振った。
「我らはそのように高貴は生まれでもありませぬゆえ、酌をするなど平気でございまするが、昨日別の部屋へ連れて行かれた二人が、こちらへ戻って間もなく、自分で命を絶ちましてございます…。」
維心と十六夜は顔を見合わせた。それは…多分、無理矢理体を奪われたのであろう。
「…早いとこなんとかしねぇと、瑤姫も維月も危ねぇな。」
維心は目を青く光らせた。
「心配は要らぬ」と、女の姿のまま手を振ると、甲冑に着替えた。「今夜かたを付けるゆえ。」
十六夜も手を振って甲冑になった。
「女だと何を着ても動きづらいな。」
そう言った途端、また戸が開いた。維心と十六夜は振り返った。
そこには、領黄と広孝が立っていた。十六夜と維心の姿を見た領黄は、驚いたように甲冑を見た。
「なんだ、そんなものを中に仕込んでおったのか。気の強そうな顔をしておると思ったら、軍神だったのだな。」と十六夜の腕を掴んだ。「ふん、軍神も力を封じられては身動き取れまい。座興だ、そのまま宴席に出るが良いわ。しかしあの維月とかいう女、よほど高貴な女と見える。女の軍神を従えて散策とはな…。」
十六夜は黙っている。領黄は腕を話すと、他の女達に言った。
「早くしろ!早々にお着きになると連絡が入った。全員に遅れたら罰を与えるぞ。」
女達は慌てて姿を整え出した。それを後目に、領黄は維心を見た。こちらをじっと睨んでいる。
「…なんだ、誇り高そうな顔をして。お前はあちらへ座らせても良いかもしれんな…」と維月の部屋の方をちらりと見た。「まあ今日の所は、こっちに居ると良い。客が何を好むかわからんので、軍神姿の女も試してみよう。」
領黄は高らかに笑いながら、そこを後にした。
維心はその背中に思った。半神ごときが!