人の世へ
それから、維月も龍の宮へと維心と共に帰って行き、炎嘉は蒼と共に治安維持のために力を奮った。
炎嘉のために、蒼は南の庭をかなり広く取っていたのでそちらを少し削って対を建設し、内装は鳥の宮に似せるよう指示を出した。
炎嘉は他に、軍の訓練にも顔を出し、指南にせいを出したりもしていた。維心の言う通り、何かを一から作り上げる事が好きで世話好きな炎嘉は、すぐに宮に馴染み、皆に必要とされる存在となっていった。
紫月は、相変わらず毎日のように領黄の家に出掛けて行っては人の世のこと、仙術のこと、様々に習っていた。
維心や炎嘉が心配したようなことは何もなく、紫月はただ純粋に母の育った環境を知りたいと望んでいた。そして、母のように望まれて愛される女になるためには何が必要なのか、知りたいと思っていた。
答えは見つからないが、人の世は、知れば知るほど面白く、それだけでも楽しめたので、紫月には焦りはなかった。
ある日、紫月がいつものように領黄と話していて、ふと、言った。
「…母はいつも、人の世の歌を私達に歌って聞かせてくれたのですわ。とても綺麗な声で…でも、私達は、その歌に楽器の演奏が付いているのを知らなかったのです。先日、領黄様が貸してくださったデータの中に、母が歌ってくれていた曲も入っておりましたの。私、驚いてしまって…母ったら、すごくきれいにその歌を楽器無しで歌ってくれていたのです。私、母には敵わないのかなあ、なんて思ってしまったのですわ…。私も、楽器の演奏があれば歌えるかも、なんですけれど。」
領黄は微笑んだ。
「楽器の演奏があれば歌えるのなら、すごいですよ。私も人として過ごして居た頃、会社の同僚とカラオケと言われる、歌の入っていない曲を流して歌える所があるのですけれど、そこへ行って歌っておりました。でも、そんな綺麗に歌える人なんてあんまり居なかった。」
紫月はため息をついた。
「私は神なのですわ。お父様なんて、あのデータを一曲、一回だけ聞かせてみたのですけれど、それだけですらすらとそのままに歌ったのです。私が驚いてなぜか聞くと、父は、神なのだから、一度聞けば覚えるであろう、ですって。もう自信がなくなってしまって。」
領黄は笑った。
「龍王は特別なのですよ。いくら神でも、得意不得意がございます。ほとんどの神がなんでも出来る訳ではありません。」
紫月は恨めしげに領黄を見た。
「私はその龍王の娘なのですわ。」とフッと息を付いた。「なんだかとてもプレッシャーなのですわ。って、人の世では言うのですよね?」
領黄はまだ笑っていた。
「あなたはあなたで良いのです。そんなプレッシャーなど感じなくとも」と少し考えて、「そうですね、ではカラオケにお連れいたしましょうか。」
紫月は突然に立ち上がって領黄の手を握りしめた。領黄はびっくりした。
「本当に!?領黄様、お連れくださいますの?!」
領黄は唖然としつつも、毒気を抜かれて行った。
「で、でも、二人ではご両親も心配なさるでしょう。誰か共に行ってもらえるかたを探してくだされば、皆様を案内致しますよ。」
紫月は、それを聞いて真剣な表情で頷いた。
「わかりましたわ。私、誘って参ります。ですから、必ずお連れくださいませね、領黄様!」
領黄はあまりに紫月が真剣なので、驚いて何度も頷いた。紫月はすぐに戸に向かって歩いた。
「では、また参ります、領黄様!」
紫月はそう言うと、すぐにそこを飛び立って行った。
領黄は呆然と見送ったが、そのあまりの素直さに、一人微笑んだ。
蒼は、龍の宮へ来ていた。
「人の世に遊びに参る?」
維心が維月と並んで居間へ座りながら、蒼に言った。維月と顔を見合わせる。
「そうなのです。なんでも領黄からカラオケの話を聞いたらしくて。それが、領黄は二人だとご両親も心配なさるだろうから、共に行く誰かを探してもらえればお連れする、と言ったらしく…紫月は、我々に共に行きましょうと言って参りまして。」
維心は眉を寄せた。
「…まず、カラオケとはなんだ?」
蒼は、そこからか、と思って口ごもった。
「え~とですね…」
維月が言った。
「人の世の歌を、楽器の演奏だけ流して、皆で歌う場ですわ。私も人の頃はよく、蒼達を連れて参ったり、友を連れて参ったり致しましたわ。」
維心は思い当たった。そう言えば紫月は、曲のデータをたくさん持っておって、まだ月の宮に居る時我に聞かせおったな。
「…しかし、歌を知らぬ者が行っても面白くないのではないのか。紫月はたくさん曲のデータを持っておるが、我らは持っておらぬし、ここでは維月ぐらいしか…」
言い掛けて、維心は黙った。維月が蒼に言った。
「では、私が行くわ、蒼。あなたも分かるでしょう?ちょっと古い曲しか知らないかもしれないけど、大丈夫よね。」
蒼は頷いた。
「オレは大丈夫だよ。涼も恒も連れて行くつもりでいるしさ。裕馬も連れて行こうかなって。それから十六夜もきっとあれ歌えるんだよね。」
維月は頷いた。
「私より曲を知ってるのよ。だってあのひと忘れないんだもの。」
維心はその会話を聞きながら、考えていた。ということは、維月も歌う。維月の歌を、聞けるではないか。
「我も行く。」
蒼と維月はびっくりしてそちらを見た。
「ええ!?維心様、歌をご存知だったのですか?!」
蒼が言うと、維心は首を振った。
「知らぬが、一度聴けば覚えるゆえに、行くまでに出来るだけ多くのデータを我にくれ。聴いておく。」
蒼と維月は顔を見合わせた。なぜにこんなに維心様はカラオケに前向きなのだろう。しかし、蒼は頷いた。
「では、音楽を再生する家電をここへお持ちいたします。データは月の宮で母が聴いていおるものがあるので、それをそのまま持ってくればいいでしょうか?」
維心は頷いた。
「それでよい。では、日にちが決まったら知らせてくれ。」
そうして、紫月のカラオケ仲間は決まった。
領黄はそのメンバーを聞いて仰天した。王が二人に、元王が一人、他に月と王妃が一人。その兄弟たち。確かに紫月は王族なのだから、そのなるだろう。しかし、今更無理とは言えず、頷いた。
「では、紫月様、私はいつでも良いので、そちらで日を決めてくださいと、月の王にお知らせください。」
紫月は微笑んで頷いた。
「とても楽しみですわ、領黄様。蒼がまた、こちらに詳しいお話に来ると申しておりました。蒼も人であったので、カラオケにはよく行ったのだそうです。ちなみにお母様もですって。」
領黄はパソコンを使って、最近のカラオケ事情を調べつつ、皆が快適に入れるカラオケボックスを探すのに心を砕いたのだった。
それからしばらくは、龍の宮でも月の宮でもポップスが流れるという事態が起こっていた。
月の宮には元人が多いので聞き慣れているが、龍の宮どは神ばかりなので、初めて聴く曲調に皆が興味津々だった。
維心はその言葉通り、全ての歌を一度聴けば覚えてしまった。それが日本語だろうと英語だろうとフランス語だろうと、果てはポルトガル語だろうとお構い無しだった。
だが、維月が好む歌を覚えたいとのことで、主に日本語と英語の歌がメインだった。
維月が言った。
「維心様、どのような言語でもお分かりになりますの?」
維心は頷いた。
「人が話す言語であるなら、何を言っているのかわかる。一時間ほど会話を聞けば話せるようにもなるの。英語と日本語ならば、普段から良く耳にするので普通に話せるが、ポルトガル語は意味はわかったが話すのはまだ無理かもしれぬ。」
維月は感心した。
「さすが神でいらっしゃいますわ。私は人であったときから、日本語と英語しか話せませぬ。」
維心は微笑んだ。
「所詮言語であるのよ。コツさえ掴めば主にも分かるようになると思うぞ。」
しかし、歌を覚えてしまうのはどうだろう。しかもたった一度聴いただけで…。
維月はただただ自分の夫の凄さに感心するのみであった。
普段は性質は甘えん坊でさみしがりやな普通の男の人って感じなのに。神の王なんだなあ…でも、その能力をカラオケのために使うとは。
維月はついつい、笑ってしまった。
龍の宮では、人の世の歌がそこかしこで聴かれ、ちょっとした流行りになっていたのだった…。
その日は結局、紫月、領黄、蒼、炎嘉、裕馬、維心、維月というメンバーになった。
あまり多いと順番が回って来づらいと蒼が言った為だ。ちなみに十六夜には、維月の前以外では歌わないと宣言されて、今回は何度言っても来なかった。
人の服を着た皆は、間違いなく人であるように見えるのに、間違いなく目立った。炎嘉も維心も体格が良く背が高く、それを追うように蒼も領黄も背が高かった。紫月は神であるので人の格好をしても美しく、維月は元人であるにも関わらず、長く神の世で過ごすうちに品格が備わってしまってまた美しかった。
加えて炎嘉は、明るい茶色の髪に赤みの掛かった金色と表現するのがぴったりな目の色であった。人の世ではかなり珍しい姿であることに、変わりはなかった。
領黄もそれに近い目の色であるが、人の世で難なくやっていたらしいので、これはこれで受け入れられるものなのかもしれない。
蒼が皆を連れて、領黄と二人で調べた、かなり大きなカラオケボックスへ着いた。ここなら人も多いし、誰も気にしないだろうという考えからだった。
それでも、やはり目立つのには変わりなかった。空いている時間帯を選んだら、昼間になってしまったので、人に紛れることが出来なかった。
「…落ち着かぬの。人がやたらと見よる。」
蒼達が受付をしている間、炎嘉が回りを気にしつつ、小声で維心に言った。
「仕方がないよの。我らは人に比べると少し体が大きいからの。」
炎嘉は落ち着いた様子の維心をちらりと見た。
「なんだ主、慣れておるの。そんなにカラオケとやらに通っておるのか。」
維心は首を振った。
「カラオケが何かも知らなんだのに。そうではない。人の世に維月がよく買い物に行きたがっての。それについて参るうちに、人の世でじろじろ見られるのに慣れてしもうた。」
炎嘉は眉を思いっきり上げた。
「なんと主はそんなことにもついて参るのか!…維月はよく主に飽きぬの。しょっちゅう一緒ではないか。」
維心はムッとしたような顔をした。
「何が悪い。我らはそのように軽い気持ちではないのよ。」
炎嘉は呆れたように笑った。蒼がこちらへやって来た。
「お待たせしました。3階の部屋で、30番です。行きましょう。」
維心と炎嘉は真面目な顔で頷いた。紫月はワクワクしているようで、目を輝かせて回りのものを見ている。そして、いちいち領黄に説明を求めては感心していた。
炎嘉が小声で維心に囁いた。
「おい、維心、番号は何か関係あるのか。」
維心は首を振った。
「我に分かるはずはあるまい。とにかく付いて行けばよいのよ。」
炎嘉は頷いて、蒼に慌てて付いて行った。維心は維月の手を取るのでなく、人の世では手をつなぐのだと聞いていたので、手をつないでその後に続いたのだった。




