親友
維心は必死で炎嘉を追った。あのまま別れて、維心はとても後悔していたのだ。月の宮の蒼には会っていないようだったが、考えれば領黄は炎嘉の孫に当たる。会いに来てもおかしくはない。どうしてそれに気付かなかったのだろう。
維心が本気で追えば、追い付けぬ神など居なかった。維心はやはり、すぐに炎嘉を見つけることが出来た。
《炎嘉!》
維心は念で呼び掛けた。相手からの答えはなかったが、気が震えたのでわかった。向こうに念は届いている。維心は炎嘉の前に飛び降りて道を塞いだ。
「維心…!」
炎嘉が言った。維心が急に飛び出したので、炎嘉は維心とぶつかるような形で止まった。
炎嘉は怒鳴った。
「何をする維心!我だけでなく主まで怪我をしている所よ!」
「構わぬ!」と維心も負けずに怒鳴った。「こうでもせねば、主は我と話してはくれまい!」
炎嘉は眉を寄せた。
「…話す事などないであろう。」
炎嘉が瞬時に飛ぼうと念を込めると、維心がその腕を掴んだ。
「…主は今龍だ。我に勝てると思うか。」
炎嘉は維心を睨んだが、ため息を付いた。
「鳥であっても勝てなんだわ。」と下を示した。「降りよう。」
二人が降り立ったのは、海岸であった。維心はそこに覚えがあった…樂の管轄の、あの維月と行ったショッピングモールの近くの海岸だ。炎嘉を追って、知らぬ間にこんな所まであの短時間で飛んだらしい。
炎嘉は覚悟したような顔で維心に向き合った。
「何を話しに来た。」
炎嘉は維心を正面から見て言った。維心はじっと炎嘉の目を見返すと、息を付いて言った。
「あの時のことよ。」と悲しげに言った。「主が我が宮を出て行った時の事…我は、後悔しておった。」
炎嘉が目を逸らした。
「あれは…主が後悔するようなことではない。我が一方的に悪いではないか。我が主でも同じように問い詰めたわ。」と遠く海へ視線を向けた。「維月を目の前にして、我は己の抑えが利かなんだ。維月は主への愛情を一生懸命語っておったのにの。思えば、そうなるように頼んだのは、我であったのに。勝手なものよ。」
維心は炎嘉と同じように海へ目を向けた。
「維月を前にすれば、我だって抑えが利かぬわ。」と維心は言った。「里帰りのたびにこうやって、あれを追い掛けて月の宮へ来てしまう。その間、己の宮は放りっぱなしよ。ま、今は将維はおるのでなんとかして置いてくれるがの。月に愚かだと言われようと、蒼に呆れられようと、我はあれを追うのを止められぬ。維月に狂うておると言われてもおかしくはない…なので、我はあの時、主にあのように言うのを止められなかった。」
炎嘉はフフッと笑った。
「おーおー、維心よ。昔の主なら考えられぬではないか。」と維心の方を見た。「女と聞けば眉を寄せておった主が信じられぬ変貌ぶりよ。」
維心はためらった。
「炎嘉…。」
「いや、実は考えておったのだ。」炎嘉は空を仰いだ。「維月の気は、確かに心地よいものぞ。それに、あの気質も慕わしいものだ。だがな、我はきっと、昔の主を知っておって、その主がそれほどまでに溺れる維月だからこそ、欲しいと望んだのだと思う。あれほど短期間に、深く想うようになるのは困難ぞ。我の想いはおそらく、まがい物であったのだ。主ゆえに、維月を欲した。それだけよ。」とため息をついた。「…おそらく維月も、それに気付いておったのではないか。あれは賢い女ゆえ。」
維心は微笑した。
「実は、あの後、維月は今主が言ったのと同じことを我に言った。我の想う女だからこそ、自分を求めていると錯覚しているのだと。直に別の女と出会って宮へ戻って来るのではないかと。」とククッと笑った。「そうか、やはりその通りであったのか。」
炎嘉は機嫌を悪くしたように言った。
「なんだ、面白くない。我が散々考えて出した答えであったのに。主は事もなげに妃に聞いて知っておったとはな。だが、他の女などにはまだ出逢っておらぬぞ。」
維心は笑った。
「まあ、ゆっくり探せば良い。我だって1700年掛かったのだ。しかし、待った甲斐はあった。我は誰かに溺れるなどとは考えたこともなかったが、時に苦しいが、しかしほとんどが幸福だ…あれが手の届く場所に居れば、それで幸福であるのよ。」
炎嘉は頷いた。
「それでこそ、我の探すものであるな。我は、そこまで執心する女にはまだ、出逢えていないゆえの…前世も合わせてな。」と、その砂浜の上に尻餅をわざとついて、足を前へ投げ出した。「…いったい、我の相手はこの空の下に居るのか。まだ生まれて居らぬのか。主のように1600歳差とかだったら、我はまた長い時を待たねばならぬぞ。うんざりする。」
維心も隣に座った。
「その焦りが行かんのよ、炎嘉。なるようになると思っておれ。我がそうであったゆえの。」と後ろへ倒れて寝転がって空を見た。「我とてどうなるかわからず、ただじっと我慢してがんばっておったら、ついに月の妃を正妃に迎えることが出来たのだぞ。昨日今日でいきなり成した仲であったら、こうまでは睦まじく出来なんだとも思うしの。ま、今だって月の元へこうして帰るので、気が気でないのは確かであるがな。」
炎嘉は笑わなかった。
「…主はまだ戦こうておるのだな。我まで参戦するわけには行くまいて。我にはそこまでの覚悟はないであろうと思う。維月は、主の運命よ。我の運命は、己で探さねば。」
維心は微笑して頷くと、立ち上がった。
「さて、主はやはりどこかに所属せねばなるまいて。ちょうど蒼に主の転生を伝えたところであったのよ。月の宮には、龍が多数居る。主も月の宮へ身を置いてはどうだ。」
炎嘉は考え込んだ。
「…維心、我は今さらどこかに仕えるのは無理であるのよ。王であったからな。この記憶があると、不便でならぬ。記憶など持って転生すべきではなかったのだ。だが、今さら鳥の宮へ帰るつもりはない。月のように、どこにも所属せぬ方が良い。」
維心は炎嘉を見て笑った。
「主の性格は知っておるわ。蒼は自分の客として遇すると言うておる。別に仕える必要はない。月は天上に居場所があるゆえ、あのようにフラフラ出来るのた。主のように身を持って居ては、それは叶うまいに。」
炎嘉は黙って維心を見上げた。そして、しばらく考えたのち、立ち上がった。
「…では、月の宮へ厄介になる。もちろん、何かの時には我があの宮を守る力にもなる。」と維心を見た。「それにあそこに居れば、主はいつでも我に愚痴りに来れよう?」
維心は、見たこともないような笑顔で答えた。
「ああ。これからは四年に一度など、待たずに話せるの。主と話したいと、何度思ったか知れぬ。我にとり、誠に嬉しい限りよ。」
炎嘉はその笑顔を眩しそうに見た。
「…維心…主、そのような顔で笑う事が出来るようになったとは。我の記憶の主は、いつも不機嫌に眉を寄せておった。何が面白うないのか、我にはわからなかったものを。」
維心は驚いた顔をした。
「…そんなに我は仏頂面であったか?」
「そうよ。」炎嘉は笑って飛び上がった。「それが維月の力か。」
維心も炎嘉を追い掛けて飛び上がった。
「…そうかも知れぬ。あれを迎えてから、我は楽しいと思う事が増えた。前は主と、訓練場で戯れておるのが一番楽しかったものだが。今は維月が我を見て笑っていると、それが何より幸福で…」
炎嘉は呆れたように手を振った。
「おおそうか。毎日幸福だと言いたいのだな。もうよい、ほんに主は気の利かぬものよ。我がそれを探しておると今知ったばかりであるのに。」
維心は炎嘉と並んで飛びながら、気まずそうに言った。
「…すまぬ。そんなつもりではないのよ。」
炎嘉は笑った。
「ほんに主は面白い男であるなあ。維月があれほどに主を想うのも、わかる気がする。」
二人は並んで、月の宮へと帰って行った。
維月が維心の帰りを聞いて、慌てて出て来た。
「維心様!」と維月は維心に駆け寄った。「いきなり立ち上がって、突然に出て行ったと蒼から聞いて、心配しておりました。まあこんなに砂まみれになられて…」
維月の気遣わしげな様子に、維心は微笑した。
「特に何事もないぞ。我に心配は無用であるのに。」
そう言いながらも、、維心は嬉しそうに維月を見ている。維月は、後ろの炎嘉に気付いた。
「炎嘉様?」と維心を見た。「維心様、炎嘉様のお迎えに行っておられたのでございますか?」
維心は頷いた。
「この月の宮に滞在してはどうかと話しておったのだ。ここに居ってくれるそうなのでな。」
十六夜が、そこへ入って来て言った。
「維月がえらい勢いで出て行ったと思ったら、維心か。」と面白くなさげに横を向いた。「なんだよ、炎嘉迎えに行ってただけだろうが。こいつに限って何かあるなんてこたぁねぇよ。こっちへ来な、維月。」
維月は困ったように十六夜を見た。
「でも砂まみれなの…お召し物を変えないと。」
十六夜はため息をついた。
「ここは月の宮だ。お前は里帰り中だ。維心は追っかけて来たんだ。」と手を差し出した。「侍女にさせりゃあいい。」
維月は維心を見たが、維心は黙って頷いた。維月は仕方なく、十六夜の手を取って、こちらを振り返りつつ出て行った。
炎嘉がそれを見て維心に並んだ。
「…確かにまだ戦っておるな。ここでは主も退かざるを得ないのか。」
維心は維月の出て行った場所をまだ見ながら、頷いた。
「ここに来るのは、本当なら約束違反であるのだ。それでも月は我を咎めぬ。ゆえに、我はここでは我慢しなければならぬ。」と炎嘉を見て苦笑した。「だが、これが結構キツいのだ。」
炎嘉は同じように微笑んだ。
「主はやせ我慢が過ぎるの。つらい時にはつらいと、素直に申せ。」
維心はフッと笑った。
「たはり、主がおると違うの」と炎嘉の肩をポンと叩いた。「風呂へ参ろうぞ。ここには露天風呂があるのよ。砂を落としに参ろう。」
炎嘉は表情をぱっと明るくした。
「お、良いの!さすがは元人の、王が居る宮よ。」
二人は笑いながら、露天風呂へと向かって行った。
蒼の手が空くまでまだ時間が掛かるというので、炎嘉と維心は酒を飲みながら維心の対で話していた。外はもう、暗くなっている。
炎嘉はふと、思い出したように言った。
「そう言えば維心よ、主の娘は領黄の所へ通っておるようだが、何か聞いておるか。」
維心は驚いたように眉を上げた。そういえば、炎嘉を見つけたのは紫月だ。紫月はなぜ、領黄の家に居たのだろう。
「…我は何も。維月なら知っておるかもしれぬ。」と先日の気を隠す膜のことを思い出した。そうか、あれは領黄に習ったのだな。「仙術を習いに行っておるやもしれぬな。仙人でしかわからなかった術に、面白いものがあるのよ。我も一度習ってみても良いかもしれぬ。」
炎嘉はそれを聞いて、うむ、と床へ視線を落とした。何か気になるかのようだ。維心は訝しげに炎嘉を見た。
「炎嘉?」
「ん?ああ」と炎嘉は視線を上げた。「いや、我の気のせいであるの。」
維心は気になって問い詰めるように言った。
「なんだ?気になることがあるのなら申せ。」
炎嘉はしまった、というような顔をした。維月ほどではないにしろ、娘は維月にあれほど似ている紫月なのだ。小さい頃から可愛がって来たと聞いている。余計なことを言って、維心が何かしてそれであっちもこっちもうまく行かなくなるのは、本意ではない。しかし、維心はムッと口をつぐんでこちらを見ている。炎嘉は仕方なく渋々口を開いた。
「維心、主な、我から何を聞いてもそれで何かせぬと約束できるか。」
維心は横を向いた。
「そのような約束は出来ぬ。」
炎嘉はため息をついた。
「では、言えぬな。己で考えるが良いわ。我にしてもわずかの間であったゆえ、ただの勘でしかないしの。」と表情を明るくした。「しかし、主の娘は美しくなっておったな。目の色が主にそっくりであった。主の子は皆、目の色が主と同じで、維月と同じ瞳の者は居らぬよのう…少し残念であるが。」
維心は憮然として杯に口をつける。
「…我の子であるのだから、仕方がないわ。そのようなことまで狙い定めることなど、いくら我でも出来ぬ。」と床を見つめた。「…しかし、まさか紫月が…。」
炎嘉は天井を見た。ああ、ごまかし切れなかったか。
「あのな維心。領黄は人だ。それに謹慎しておる身であるので、奴にはどうのこうの気持ちはないわ。それが主の娘がここのところ話をしに来ておるというだけのこと。良いではないか、話すぐらい。女のほうからどうのなんて、出来ようはずはないからの。領黄は自分の立場を良くわきまえておるしの。」
維心は唸った。
「…あれは 維月の娘でもあるのだぞ。紫月は神の普通の女のように、奥へ篭っておる性質ではない上に、我らもどれだけ翻弄されたか…積極的に関わって来る性質であるゆえの。」
炎嘉は手を振った。
「それでも領黄がうまくあしらうであろう。あやつは人の世界で成人したのだからの。人の女の性質もよく知っておるのだ。主らのように翻弄されはせぬわ。紫月の身を心配せずとも大丈夫よ。」
維心は恨みがましく炎嘉を見た。
「炎嘉よ、主は勘違いしておるぞ。我が心配しておるのは、領黄よ。」炎嘉は驚いた顔をした。「我も将維も十六夜も根を上げた…十六夜などどれほどに困っておったか。紫月が領黄を追い掛け回さねば良いがの…。」
炎嘉は唖然として維心を見つめた。
維心はそんな炎嘉に苦笑して頷くしかなかった。




